妙な時間に目が覚めた。旅先は博多駅から近いホテルの一室で日曜日の朝を迎えている。
夏休みの旅行期間だが今年は短く3日目で最終日。少し早い目に膳所まで戻るが、その前に少し動くつもりにしている。ひとまず会社のメールをチェック。論文が届いていない事を確認してから身支度を進める。
6時を過ぎてホテルをチェックアウト。駅へ向かう。
朝のこの時間、まだ列車は少ない。ホームに上がると肥前山口ゆきの列車に乗る。車内は空いている。乗客は朝を迎えた人と夜の続きの人が半々。間もなく出発。
昨日辿った道を南に進む。途中乗り降りがあり、だんだんと朝を迎えた人の方が増えて来る。
甘木鉄道に振られた基山駅に着く。かの気動車がホームに停まっていたが、間もなく動き出した。博多方面からの電車とも接続を取っていないのか、と思う。こちらには高校生が結構な数、乗って来る。この辺りからは佐賀県になっている。肥前山口に向かう列車、県都に直通する貴重な列車なのだろう。
今日は鳥栖で乗り換え。少々乗り継ぎ時間がある。目の前に中央軒のスタンドがあり、営業が始まっている。 昨日食べたばかりで難だが、条件反射的にうどんに手を出す。
【今日の駅そば】かしわうどん ¥360 株式会社中央軒
今日はごくごく普通のかしわうどんにしておく。もちろんかしわを忘れられる事はない。
うどんを食べている間に雨が降り出す。今日も天気は不安定な様子。九州もこんな調子だが、東北はもっと大変な様子。
さて、次の列車は7:30。どのホームから出るのかと見てみる。
熊本、と表示のある列車は鳥栖始発の熊本ゆき。4番線に停まっている。そちらの方に行ってみると自分の乗る列車は3番線発だった。まだ列車はいないが、間もなく鹿児島側から列車が現れる。回送でやってきた様子。
久大線、日田まで行く普通列車。真っ赤な気動車がそこにいる。キハ200である。JRになって数年、バブルの頃に登場した気動車。
赤い車体と対照的に黒でまとめられたシックな内装も含めて好みの車両だ。だが、製造銘板に平成3年とあるのを改めてみると、もう30年選手か、と初めて認識する事になる。草臥れた感じが隠せない車内に年月を感じる。キハ200が登場した当時は高校生だった自分ももう50代が近付いている。お互い歳を取った。
列車はがら空きのまま鳥栖を出る。久留米まで来ると少々乗車。高校生が増えて列車らしくなると久留米市街地を廻り込むように進む。
列車は南久留米の駅に着く。
対向列車は青色のキハ200。SEA SIDE LINERの文字は大村線を走っていた長崎-佐世保を結ぶ快速列車のもの。優しくて力持ちのYC1系に追われてキハ200は大村線から撤退している。その時の塗装のまま、海から遠い久大線で活躍している。
久留米市内で高校生は降りてゆき車内は落ち着く。雨も上がり、久留米市の郊外へ。
筑後川沿いに列車は東に進む。すっかり田園地帯になっている。俊足で成らした気動車だが、この辺りでは速度は頭打ち。
鳥栖で降っていた雨はすっかり上がっった善道寺の駅で上り列車と行き違い、との事。少々停まる。
乗って来たキハ200を改めてみる。明るい所で見ると少々草臥れた感じが伝わる。とは言え、キハ200よりもお年を召したキハ40系列がまだまだ活躍する九州の地。キハ200はまだまだ活躍するに違いない。
向かいからやって来たのもキハ200。お互い草臥れているようだ。
こちらの列車も動き出す。走ればまだまだ元気なキハ200。筑後川の作る広い谷間を更に東に。急に山間になると福岡から大分へと変わる。筑後川も三隈川と名前を変える。
列車は日田が終点。時刻は9時前。日田はサッポロビールの工場がある所で、工場見学をして出来立てのビールを飲めれば良いだろうが、今日はそれが目的ではない。
とはいえ、この先の久大線へ進む普通列車は12:33まで無い。
昔訪れた時とだいぶ様子が違う駅舎では
読んだことは無いけど高名な漫画のキャラクターが日田を楽しめ、と呼び掛けている。もちろん読んだことが無いので聖地巡りをしよう、なんて趣旨ではない。
目的はこちら。代行バスとあるバス停。2017年の豪雨で不通になり、復旧することなくバス転換が決まった日田彦山線。その代行バスに乗ろうというのが今日の趣旨。
次の代行バス、添田行きは9:30に日田を出発する。少し時間がある。どうしようかなと思ったが、少し日田の街を歩いてみる事にした。
駅からちょっと離れた所に古い町並みがあるようなのでそちらへ向かってみる。
線路をくぐり駅の裏口、と言うべき方向へ。しばらく歩くと
いかにも古そうな寺院が現れる。そういえば日田は天領だっけ。
通りに並ぶ建物も古びた感じになってくる。とは言え、まだ日曜日、朝の9時過ぎ。開いている店は
無くは、
ないなぁ。。。。
そんな訳で意味もなく
唐揚げ。買ったはいいけど食べるに困る。結局、先程の歩いてきた道をカップの唐揚げを持ち歩いて
駅前で頂く。大蒜が効いていて美味しいが、ビールを飲みたくなる味だった。日田産サッポロビールが欲しい。。。
さて、日田彦山線の代行バス。添田行きは9:30の出発。
既に小型バスが姿を見せている。代行バスの運用が始まって5年近く経っているからか、バスの前面にでかでかとJR代行バスの文字。
車内へ進む。運転士に声を掛けられる。切符を見せるのかと思ったら、そうではなくて手の消毒をして欲しいと。運転士とは反対側の右手に消毒液が添えてあった。バスには通勤で乗っているが、こんな処置をしているとは、想像の斜め上。
小型のバスに乗客は先客1名。地元の人だろうか。後になって1人、乗り鉄っぽい人が来た。自分と同じく消毒液の件で戸惑っている。時刻は9:30。バスの出発時刻となる。
バスは国道を西に向かう。途中、いかにもロードサイドっぽいショッピングセンターなんかもあるのだが、あくまで鉄道代行バス。次のバス停は隣の駅、光岡となる。だから、途中で国道を逸れて駅の方へ。途中で代行バスとすれ違う。こちらより立派なバスは西鉄バスのもの。時刻表を確認すると筑前岩屋と日田の間を走る区間便のようだ。
バスは国道沿いのショッピングセンターを無視して国道を逸れると光岡の駅に寄り、そして更に東に。
途中、何かの渋滞に巻き込まれて少々遅れる。国道に戻ると
どうやら少々遅れ気味。谷間が迫ってきて夜明の駅になる。
駅の下にあるバス停に停車。ここで地元の人と思しき人が降りてゆく。日田彦山線は夜明からなのだが、その夜明で地元客がいなくなってしまった。
バスは国道と別れて山間へと入ってゆく。途中の集落にバス停があって一つ一つ停まる。降りる人は無く、乗る人もなく、何かメモをすると出発する。2023年夏に開業するBRT
www.jrkyushu.co.jp
では駅の所在地以外にもバス停が出来るそう。その先取りにも見えるけど、需要を掘り起こせるのか、ただ単に夏休みの昼間だから、普段と様子が違うのか。
向かいからバスがやって来る。代行バスの表示は無いが、添田から来た代行バスらしい。向こうにも乗客の姿は見えなかった。
道路沿いのバス停に停まりつつ北に。途中、国道から逸れると
立派な駅舎が現れる。大鶴駅。日田から14㎞程に30分以上かかっている。建て替えられて10年ちょっとの駅舎だが、汽車が来なくなってもう数年。
駅前から道路に戻り国道211号線を北上する。
川沿いを行く道。川の護岸は真新しい所がちらちら見られる。恐らく、5年前の集中豪雨からの復旧された所が真新しいコンクリートなのだろう。
道路も工事中の所が所々ある。まだまだ豪雨の爪痕は深い。
バスというか、日田彦山線は福岡県内へと入る。大行司の駅近くで国道を逸れて山間へ。
バスの車窓に橋梁が見える。日田彦山線の線路だ。一か所、もう一か所。アーチが美しい橋梁の姿を見ると筑前岩屋の駅に着く。
駅舎の裏側、線路があったと思しく所は既にレールが撤去されている。この辺りはBRT専用道路になるようで、その準備が進んでいる。
代行バスの時刻表を見ると、日田からのバス、半分は筑前岩屋どまり。添田まで通しで走るバスは一部が筑前岩屋を通らない。その訳はこの先の線路と言うか、道路と言うか。
バスが向かうのは彦山の駅。でもまずは来た道を戻る。山を下る体で大行司の駅近くへ。先程通って来た国道に戻ると今度は線路と離れる方向に北上する。山間を登ってゆくと峠と思いきや、意外と開けた所に出る。
この辺り、東峰村の中心地らしい。左手に曲がると朝倉、甘木の方に出るらしい。本来の日田彦山線とはルートが違うが、バス停もある。乗降は無かったけど。
バスは国道211号から離れて右手へ。今度は国道500号となる。改めて峠越えの狭い道。今度は下り坂となり、久しぶりに日田彦山線沿いに戻る。ここが彦山であった。途中の峠越えに36分を要している。
線路が取り払われた駅を見てバスは北へ。段々と平野が開けて来る。彦山駅は添田町となり生活圏としては筑豊になるのだろう。地元の利用者が乗ってきても良さそうだったけど、
どこまで行っても代行バスに乗る人はいない。不思議なことに彦山から北には駅のあった所にのみバス停が設定されている。地元のバス会社と調整が付いていないのか。
日田から1時間半が過ぎて、そろそろ終着の添田に着く。
取り払われて廃線にしか見えない線路沿いを走ると不意に駅舎が現れる。バスと鉄道の結節点、添田だった。
日田から乗り通した自分ともう一人。明らかに18きっぷのお客さんだけを降ろしてバスは去ってゆく。
そんな訳で久しぶりに生きている駅、添田に着く。生きている筈だが、眠っているような時間が流れている。
構内にはBRTとして蘇る告知が出ている。今日の様子を見ていると昇天しなきゃ良いけど、と思えてくる。
何とも暗い気持ちになっていると、遠くから気動車の姿。近付いてくると
キハ47の2両編成がやって来る。乗客少々が降り立ち、代わりに少々が乗り込む。添田からのお客さんもいたので、2両の気動車に乗客2名とならなったのは幸い。
列車は折り返し田川後藤寺ゆきとなる。出発まで5分弱。
18きっぷの旅なのだが、3時間ぶりぐらいに汽車に乗る。空いた車内、冷房があまり効かない中、ボックス席に座って待っていると出発時刻となる。
列車は筑豊炭田の跡を進む。こちらはそうやって構えているけど、炭田なんてものがなくなって数十年が経っているのであり、さすがに痕跡は垣間見えない。
国鉄時代のまま放置されたような駅名板に多少の残り香を感じる程度か。
列車は田川後藤寺が終点となる。
この先の日田彦山線は小倉ゆきに接続。キハ47の2両からキハ47の2両に乗り換えとなる。直通になっていない理由は分からないが、今度は車掌が乗務している。乗客も増えた。列車は間もなく出発。
石灰の採掘がおこなわれている香春岳が見えたり、採銅所なんて名前の駅があったり、炭田が消えても鉱山の匂いがかすかに漂う沿線を進む。
緑豊かな田園地帯を進むが、乗客は確実に増えてゆく。浴衣姿なんて人もちらほら見える。どうやら小倉で祭があるようだ。
沿線に建物が増えた北九州市内で列車は立客大勢となる。冷房の効きも一際悪くなった。
日豊本線と合流して電車の邪魔をしないように小倉へと駆ける。
何とか何とか定刻到着。日田から3時間。80㎞ちょっとしかないが、散れ散れになったローカル線の姿をしっかり見た事になる。
日曜日のお昼過ぎ。そろそろ旅を括らなくてはならない。ここからは帰路、とでもいうのか。有人改札に浴衣姿が精算の行列。その後ろに並んで構外にでる。
5月に小倉を訪れた際、妻が買っていたパン屋でお土産を買い求める。その際にはずいぶんと並んでいた気がするが、今日は比較的すいていた。祭の日に買うものではないらしい。
お昼時だが、意外と空腹でなく、食事は考えたがやめにする。駅構内に戻り
自分が乗れない列車を見送った後に
博多方面への快速電車に乗車する。祭に向かう人とは逆方向なので列車は空いている。余裕で座れて北九州の工業地帯を車窓に見つつ西に。1時間ちょっとで振出しに戻る。博多到着。
朝の6時半に博多を出てから8時間が経っている。目の前には
由布院から日田を通って来たリゾート特急が姿を見せる。盛んにカメラの砲列を浴びていた。日田と博多。同じ世界ではあるが、まるで別の世界だ。
博多からは、と言うか福岡からは空路帰宅する。地下鉄で空港に向かう。空港には14:30過ぎには到着できる。出発階に上がると
搭乗便、案内には出ている。出発まで1時間少々という所。早々に保安検査を受けてラウンジに入ってしまう。先程、小倉の駅で昼食を見送ったので
中途半端な軽食が今日の昼食、と言う事になる。
誘導路を目の前にした窓際席にしばらく滞在する。
JACのATR42-600、JA07JCが滑走路へと向かう。鹿児島行きだろうか。
手前にスターフライヤーのJA22MC。奥にFDAのJA02FJ。
J-AIRのJA220Jがやって来る。折り返しこの機材が搭乗便となる。15:30を目途に席を立つと、搭乗口に向かう。
JL2058 JA220J ERJ170 FUK→ITM
今日は福岡から伊丹まで戻って自宅へ、という単純な行程。明日の事を考えるとそんなに遅くなるのは大変で、夕方早めの帰宅を志した。そんな訳でまだ日の高い15:50に福岡を飛び立つ2058便に搭乗する。
先程も見た通り、JA220Jが今日の搭乗機。割と小さめのモノクラス便。だが、優先搭乗が始まるとずらっと行列が出来る。羽田-伊丹は優先搭乗に大行列が出来る事で有名だが、優先搭乗率なんて指標があったら、伊丹-福岡の方が間違いなく高そう。最後尾の左手窓側に座る。7割ぐらい席が埋まる。幸い隣席にお客さんは来ないまま、15:46、Doorclose。全乗務員が紹介されて案内が始まる。今日はダブルキャプテンだそうだ。伊丹までの飛行時間は1時間との事。
15:51、Pushbuck。15:56、Taixing。すぐ近くの滑走路手前まで進むとすぐに進入となる。16:00、Takeoff RWy16。福岡空港を南へと飛び立ち上昇すると
筑後平野を見て左手へと旋回する。久留米から日田、そして日田彦山線BRTが走ることになる山間の景色が一望できる。
16:08、ベルト着用サイン消灯。窓外には
筑後平野が尽きて谷間へと変わる景色。雲が目立つようになってきた。不安定だった朝の天気を思い出しつつ東に向かう。間もなく
辺り一面は雲模様になった。由布院や大分のあたりは雨なのかも知れない。
雲が切れると瀬戸内海の上空だった。多分、光のあたり。普段よりも少し北側を飛んでいる気がする。
さて、飲み物のサービスが始まっている。
今日は揺れも少なく温かい飲み物も出して貰える。何となくコンソメスープを頂く。
16:23、機長さんから飛行状況の案内。瀬戸内海上空を飛んでおり、左手には広島の街。右手には瀬戸内の島々が見えるとの事。伊丹には17:00に到着する予定。積乱雲が出ている影響で伊丹まで揺れが予想されるそうだ。伊丹の天候は晴れ、気温は34℃。15分後の16:40にベルト着用サインが消灯するとの事。
最後に私事にはなりますが、、、と案内が続く。前方担当の客室乗務員、今日でラストフライトだそうだ。あんまり書き過ぎると私事が過ぎるから差し控えるけど、大まかにいうと寿退社。ずいぶんと細かく触れている。ちなみに今日の客室乗務員は、厳しい訓練を一緒に乗り越えて来た同期同士でペアを組んでいるそうだ。
飛行機は讃岐平野のあたりを見つつ東に向かう。16:39、機長さんから再び案内。伊丹空港混雑の影響で少々遅れる可能性がある事。この後、左手に明石海峡大橋が見えて、着陸5分前には、左手にはあべのハルカスや大阪城、右手には太陽の塔が見える旨の案内がある。そしてベルト着用サイン点灯、16:43。
淡路島の上空から明石海峡大橋を見て更に東。大阪湾を横切って堺あたりの工業地帯を見つつ進む。大阪上空なんだけど、まだ高度が高いような。どうやって伊丹まで降りるのか。
前方後円墳を見て、大阪の平野をもっと東に。
飛行機は雲の中へと入ると少々揺れだす。奈良盆地の上空で左に旋回する。薄っすら地上が見える。生駒山地を越えると大阪の市街地が見えて来る。
逆光の中、大阪の街を降りてゆく。揺れたフライトだったが最後は穏やか。16:54、Landing、RWy32R。速度を落とすと誘導路へ。到着の案内、声の主は前方ドアの乗務員。ラストフライトを共に飛んだ乗務員と乗客への感謝、家族への感謝が伝えられ、最後は嗚咽と共に締められる。機内、拍手。
16:58、Spot in SP16。準備が整いドアが開く。降りる時にありがとうではくおめでとうと伝えるフライトは自分も初めてだ。
乗務員は交代のようだが、JA220Jはもう1往復、松山まで飛ぶ。その気になればもう1往復飛べる時間だが、明日は仕事。控えめに今日は帰宅する。預けた荷物は無いのでそのまま制限エリアの外へ。
遅れているフライトもちらほら見える中、ほぼぴったり、定刻の到着であった。
帰りは京都行きのバス。少々間があり、ターミナルを歩いてからバス乗り場へ向かう。
結局、17:30のバスで東に。バスは順調に名神高速を進んでゆくが、京都南を降りる頃、雨が降り出す。
今日は関西も天気が不安定。ざっと降った後なのか雨で濡れた街を走ると八条口まで45分弱。
この時間もぽつぽつ降っていたが、幸い傘は差さずとも何とかなる程度の降り。駅へと急ぐ。18:16の新快速には間に合わないが
その後の電車には間に合う。目の前の117系ではなく、姫路方面から来た東海道線の普通列車に揺られて逢坂越え。その間に雨が止む。
降っていたら京阪電車だっただろうが、膳所では雨降らず。京阪電車は見送って歩いて帰宅する。それでも19時前には自宅着。
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