2022-06-18

 気が付いたらベットの上で寝込んでいた。外は明るい。もう朝、と思ったらまだ4時。ずいぶん明るく、6時ぐらいの感覚。間もなく夏至の北海道は明るくなるのが本当に早い。
 少々二度寝。起きだすと5時過ぎ。

 もう7時ぐらいの明るい空が広がっていた。それにしても寂しい所だ。
 いい加減眠れないので起きだす。身支度やら何やら。7時を過ぎて朝食にする。寂しい所のホテルだが、食堂には数人の先客。人の気配をあまり感じなかったが、そこそこ宿泊客がいた。

 思ったよりも充実した食事に驚く。

 海鮮丼にもできるが、魚介のレベルは昨日よりも少々落ちた。留萌の飲み屋で飲んで、札幌のホテルの朝食を頂ければ最高だが、この辺は仕方ない。
 今朝の出発は割とゆっくりできる。折角留萌を訪れたのだし、少しだけ街を歩いてみようと思う。腹ごなしもかねて少し歩く。
 鰊漁や炭鉱で栄えた留萌地方。どちらもダメになった今は、何の街なのだろう。ずいぶん昔に読んだ文章には役所の街、と書かれていた記憶がある。留萌支庁の所在地で道の出先機関で何とか持っている街、というと酷い言われようだ。

 漁港周辺には立派な石造りの倉庫がある。売り方を変えれば小樽みたいになりそうだが、札幌からの距離が遠すぎる。

 港へと出る途中、築堤があって明らかに廃線跡と知れる。留萌から増毛まで伸びていた留萌本線の跡に違いない。
 港に出た。

 昨日の曇り空が嘘みたいに晴れている。地元の人なのか、遠来の人なのか分からないが、釣りをする人が目立つ。

 過去の残り香なのか、日通の立派な倉庫が一つ、二つ、三つ。こちらも石造り。中には保税倉庫と看板が出ているものもある。やはり過去の栄華なのかも知れないけれど。

 岸壁に停泊する船の所まで来て、引き返してみる。来た道を戻り、留萌線の跡地を見てから、今度は別の道に。

 沿岸バスの車庫があった。路線バスに高速バス。漠然と留萌が本社の会社だと思っていたが、ここはあくまで出先。本社はさらに北へと向かった羽幌にある。

 再び築堤が現れる。留萌線の跡だが、ここも道路と交差する橋梁部分は撤去されていた。結構低かったのだろうと想像は出来る。
 少し線路を見たく、歩いてみる。線路は水平だが、地形は海から離れるにつれて小高くなっている。坂道を登ると尾根道にあたる。

 今度は留萌線切通しを通っていた。線路が撤去されずに残っている様子を見て、観念したというか、満足したというか。
 ホテルの方に戻ってゆくと昨日バスで通った十字街のバス停に出る。

 ちょうど、中央バスの札幌ゆきが出てゆくところだった。昨日バスを降りた駅前近くに、中央バスの車庫があったを見かけている。留萌を朝出て札幌に遊びに行くのにちょうど良い設定に思えるが、バスは空いているように見えた。

 つーか、沿岸バスと中央バスで停留所の名前が違うのね。

 沿岸バスの増毛方面がやって来る。乗客数名。バスであっても赤字の乗り具合。それでも街を歩く人の数に比べたら、多い。
 ホテルの近く、昨日飲んだ辺りに戻る。

 ジンギスカンの店があるが、昨晩、営業していただろうか。ちょっと覚えていない。
 ホテルに戻ると8時過ぎ。そろそろ荷物をまとめる。8時半を過ぎてホテルをチェックアウト。今度はスーツケースを引っ張り、留萌駅へと向かう。歩いて少々。昨日バスで着いた時には見ていない

 駅舎の前まで。街は寂しい所だったが、駅前はもっと寂しい所だった。昔ながらの国鉄駅舎。昔は運転拠点駅として、人も沢山いたのだろう。いまはがらんとしている。コミュニティーFMの看板が見えて、待合室にその放送と思しき声が流れている。
 増毛まで乗り通した1994年秋。増毛が夕方で、折り返しの列車で日が暮れて、留萌で間があり、駅舎を見たような記憶が何となくある。その後は留萌を通っていないから、駅舎を見たなら、この時しかない。ただ、似たような駅舎はあちこちあるから、どこか記憶は曖昧なまま。

 列車の出発9:04。20分弱時間がある。その間にまずは切符を買う。今日は普通乗車券で少々遠くまで行く。窓口は8:45から営業しており、そこそこな距離の普通乗車券だけを発券して貰った。経路の選択に悩んでいたのは困ったもの。普通乗車券なんて販売する機会、早々無いのだろうが、自社管内で完結するきっぷ、しかも遠回りじゃないものぐらいは、すんなり出してほしいと思う。
 待合室で少々。

 何やら妙なオブジェがあるが、世界一大きな数の子、だそうだ。

 懐かしの留萌本線、と言う展示がある。その中に過去に使われていたらしい運賃表があった。それによると今日の目的地までは870円だそうだ。今回の切符は5,670円。

 待合室には駅そばの店がある。こんなに閑古鳥啼く駅に駅そばが残っているとは。朝食を食べたばかりだが、敬意を表して一杯頂く。

 天ぷらそば\450。よくある茹で麺に関東スタンダードの濃いめの味わい。無茶苦茶美味しい訳ではないが、気分よく頂けた。
 蕎麦を食べている間に列車が到着したようだ。駅そばにも1~2人、客が来る。まもなく改札開始。出発まで5分程。構内へ進む。

 待っていたのはキハ54。分割民営化の頃に国鉄からの置き土産的に導入された気動車も車歴30年越えになっている。外観は登場当時の赤帯のまま。

 車内は改装されており、元々は新幹線0系あたりで使っていたと思しき転換クロスシートになっている。
 昔は留萌本線と羽幌線の分岐駅であり、石炭輸送の拠点でもあった留萌駅。石炭もこの先の鉄路も消えて、一日数本、列車が来ては引き返すだけの折り返し点になっている。その点では昨日訪れた鵡川と一緒。そんな訳で 

 元々は広かったであろう駅構内。縮小した後に残った設備も持て余しているような様子が見える。

 2、3番線を使う機会も無くなり、跨線橋も閉鎖されている。

 そして残された1番線。こちらも長さ的にも広さ的にも持て余している。かつて札幌から急行列車が発着し、所用客が乗り降りしていた様子は、ホームの立派さから想像するよりほかない。
 車内に戻る。転換クロスシートが7割ぐらい埋まっているだろうか。数にすると10人少々。留萌から乗ったと思しき地元の人はいても1人か2人か。朝、深川から来て、そのまま折り返す汽車のお客さんが殆どと見える。留萌を9:04に出て、旭川には10時半過ぎに着くという、決して不便ではない列車なのだが、地元からは見放されている事が良く分かる、今日の留萌本線
 列車が動き出す。

 線路はしっかりしていて、速度も出る。JR西の制限25km/hローカル線より余程しっかりしているのだが、それでも客が寄り付かないのは、留萌から深川まで、自動車専用道路が開通したから、だろう。線路には付かず離れず通る道路。そんな混んでいる訳ではないが、クルマは自分の都合に合わせて走る。9時過ぎに留萌を出て、途中、留萌線の列車を追い抜く事が義務付けられている訳では無い。

 水田はあり、人の営みは垣間見えるのだが、人が乗って来るかと言うと別の話。いくつかの駅は通過し、

 停まった駅からも乗る人はいない。
 深川から乗って来た人を深川に戻す列車は山間へと入ってゆく。その山越えの手前、峠下、なんていかにもらしい名前の駅がある。

 かつては石炭貨物列車がすれ違ったであろう駅。辛うじてその頃を偲ぶ事が出来るか、出来ないか。
 自動車道が真っすぐ難なく峠を越えるのに対して、蒸気鉄道出身の留萌本線は峠をΩの字で避けつつ登ってゆく。力がある気動車に置き換わっても線路はそのままだから、勢いよく遠回り、という良く分からない事をしでかす。

 どこかで似たような景色を見たと思ったら、タイの北線、チェンマイから夜行列車でバンコクに向かった時の景色に思い至る。険しくはないが、蒸気鉄道にとっては辛い山道をカーブしつつ抜けてゆく様子が一緒だった。

 下り坂に転じて流すように駆け降りてゆくと平地が広がる。着いたところが

 恵比島、と言う駅。急に古い駅舎が現れたが、昔の連続テレビ小説でロケ地になったが故の再現駅舎である。良く見ると倉庫みたいな建物の中に、国鉄末期に置かれたと思しき車掌車が残されている。
 恵比島の一つ先、真布で初めて地元のお客さんが乗車する。そして石狩沼田でも10人ぐらい乗ってきた。留萌本線の存廃、留萌市が冷淡なのに対して、沼田町は積極的という話を見た事がある。そんな話が納得行く今日の光景である。

 列車は石狩川を渡る。昨日の夕方、留萌に向かうバスから河口近くの大きな川を見たのだが、そこから100㎞近く遡った事になる。まだまだ広大な川を渡ると秩父別。ふと1994年のことを思い出す。増毛からの帰り、秩父別で降りて温泉に入ったのだった。確か、秩父別で2時間弱ぐらい待ち時間があって、風呂に入って時間を潰して、札幌まで戻り夜行列車に乗ったんだったと思う。
 駅近くの温泉施設は盛業中らしいが、降りてしまうと次の列車まで2時間どころの話ではない。先へ進む。

 街が近づいて来て、深川到着となる。留萌から1時間弱で来ている。結構な快速ぶり。
 列車は旭川まで直通するが、半分以上の人が降りてゆく。出発まで11分停車。ホームに出る。

 ここまで来て初めて行先票が付けられる。深川-旭川、なんて表示を出した。留萌から来たことは忘れて、みたいな主張を始める。

 隣のホームから撮ってみた。こちら側にもサボを付けたのね。
 先程のホームに戻る途中、

 ホームの方面案内は旭川、網走、稚内方面とあり、付け足しみたいに留萌の文字がある。無くなる事が前提の扱い。命運は尽きたんだろうけど、あまりの扱いに留萌が気の毒になる。
 列車はもう少し停まる。その間に

 札幌からの特急がやって来る。半分も乗っていないが、別世界の列車だ。そして入れ違いに

 網走から札幌まで向かう特急オホーツクもやって来る。4両と短い上に、自由席車が1両しかないから、デッキに立っている人もちらほら見えた。
 上下の特急が過ぎた後、旭川までの普通列車も出発となる。留萌線内からのお客さんに代わって深川からのお客さんが乗ったから、列車の体裁は整っている。
 列車は複線電化の立派な線路を30分程。途中駅からも少々の乗車はあった。

 深川よりも大きそうな街が広がって、旭川到着となる。
 降りる時に少々気が付いたものを最後に。

 キハ54の扇風機。良く見ると

 JNRマークが付いている。国鉄末期の1986年に新製されたキハ54。JRへの置き土産として作られ、国鉄車両として走ったのは半年も無い筈。養子に出される事を前提の車両が、生まれた里を今に伝えている。
 さて。この先の乗り継ぎ。あんまり出来が良くない。旭川からは富良野線に乗るのだが、1時間待って富良野行きに乗って、富良野でまた1時間以上待ち時間がある。ならばと時刻表を睨み、1時間ずつの待ち時間を旭川の集約することにした。出来た時間で少々歩こうかと思う。
 キャリーバックはコインロッカーに預けて街へ。駅前から続く歩行者専用の通り。イベントをやって来る。チラチラ見る中、

 T型フォードなんて飾られていて、目を惹く。
 歩く間に、旭川の郊外まで出たようだ。街と言うよりは住宅地。

 いい加減、引き返そう。次の乗る富良野線。列車は12:30の出発。ちょっと早いけどお昼ご飯にする。歩く途中に有名ラーメン店がある。待つ人が数人いたが、一巡で入れるなら、と並んでしまう。

 待つ間に行列が一気に伸びた。タイミングが良かったようだ。
 行列の先頭になってから少々待ち時間があったが、案内されるとすぐに注文したラーメンが出てくる状態。

 初めて来た人は醤油がおすすめ、との事で素直に醤油にしている。一口スープを頂くと顔を上げたくなる程旨い。確かに並んで食べる価値のある一杯だった。
 さて、駅に戻る。荷物を取り出し、改札へと向かうと

 列車の出発10分前。ちょっとギリギリ過ぎたか、と思ったが、ホームに上がると

 ちょうど列車が到着したところだった。上り列車のお客さんが乗ってきて、入れ替わりに列車に乗り込む。昨日室蘭本線でも乗ったキハ150が再び登場。こちらのキハ150は冷房が効いている。
 隣のホームには旭川始発、網走ゆきの特急大雪が停まっている。

 その先頭に塗装復元車がいる。今いるホームからは生憎先頭に廻り込めないので隣のホームまで赴く。

 懐かしい塗装に懐かしい列車名。大雪のイラスト付きマークを付けていたのは夜行急行の頃の大雪だったから、この組み合わせはないのだけど。実際に見ている人はそろそろ記憶が曖昧になっているかも知れない、訳ないか。

 反対側、残り3両は現行塗装。1編成で2度楽しめる、と前向きになるのか、編成美が整わないというのか。
 席に戻る。札幌からの特急が到着して乗換客も少々。立客が出る程の賑わいになって12:30、出発。旭川を出ると右手に曲がって川を渡る。そして住宅街の中へ。細かく駅があって、その度に乗り降りがある。昨日今日乗って来たローカル線とだいぶ様子が違う今度の富良野線旭川郊外。住宅街から田園地帯に入ってもお客さんは減らず、乗って来る高校生もおり、よく使われている事が分かる。


 いつの間にか空が曇り空になった。昨日来、天気が移ろいやすい事は知っているが、日差しの強かった旭川から10㎞平野を動いただけなのだが。そして

 空港も近い千代ヶ岡で降り出した。結構な雨。このままだとノロッコじゃなくてヌレッコになるなぁと思っていたが

 次の駅では晴れ間が差す。わずか5分の出来事。気まぐれ加減には程がある。
 列車は富良野線の途中駅、美瑛が終点となる。

 この先、富良野へは列車を乗り換える。待っているのは

 富良野・美瑛ノロッコ。いわゆるトロッコ列車になる。6月の富良野は観光シーズンの盛り。だからこんな列車の設定がある。
 出発は13:08。乗り換えるとすぐになる。3両つないだ車両は自由席2両、指定席1両。今日は指定席を用意している。着いてみると自由席でも十分余裕はありそうだったが、まぁ良い。

 季節によって釧路湿原だったりオホーツク海岸沿いだったりに転戦する客車だが、富良野線専用のマークが付けられている。文字通りに絵にかいたようなラベンダー畑に出会えるのかは、良くは知らない。
 指定席は富良野側の先頭車。

 客車はグループ客向けの6人向かい合わせボックス席と外向きになった2人掛けの座席の二種類。今日は空いているので家族連れがボックスに1組。個人客が思い思いに散っている程度の埋まり具合。

 こんな感じの椅子で長い時間座っていられるものではなさそう。外側は上部が開放されていて、必要に応じて窓は締められるようだ。冬の流氷観光時は締め切りで窓ガラス越しの流氷見学になるのだろう。ひとまず雨がやんで幸いだった。窓が締められたらこの時期はムシッコになる。
 乗り換え時間は短い。落ち着かないうちに発車時刻となる。衝撃もなく静かにゆっくり動き出す。最初に見た通り、機関車は一番後ろにいて、前3両は動力を持たない客車。ただ、制御は富良野側にある今乗っている車両からやる様子。機関車側にも乗務員がいたのは見ていたが、先頭車にも運転士ほか、係員が数人いる。妻面にはオクハテ510-1、と記載がある。客車だが、制御車で普通車の展望車。元々は51系客車だろう。数少ない50系の生き残り。
 動きはゆっくりなのだが、エンジンが無いので圧倒的に静か。上品とも思える久方ぶりの客車列車。

 ノロッコの名の通り、決して飛ばさないはずだが、美瑛と富良野の間はそこそこ距離がある。ノロノロを押し通すると時間があっても足りないので、そこそこ飛ばす。大きく開けられたどころでなく、ほぼ窓が無いトロッコに吹き込む風量は半端なく、マスクを飛ばされそうになる。
 鉄道線路沿いというのは風害、雪害を防ぐための林が整備されていることが多く、見通しが良くない所も多い。それでも美瑛の観光ポスターになったという丘で減速サービスになる。

 植栽があったらもっと美しいのだろうけど。ポスターの絵面を期待して行っても、その場所のベストが常に保たれている訳でないから、マイナスに見える。予備知識無く見たら、素敵な景色だろう。

 むしろ何でもない景色の方に見惚れたりする。
 ノロッコは観光列車だが、大きな駅には停車する。自由席も設定があるので、地元の人も多少は乗り降りする。そんな様子を見て中富良野の平原へと出てゆく。今度は

 田園風景に代わる。時折雲の合間から大雪山が姿を見せる。谷筋に雪が残っている様子が見て取れる。
 再び徐行が入る。

 富良野平原開拓発祥地、と言う紹介がある。何でもない田園もありがたく思えて来た。
 上富良野の駅で少々停車。その間に、先頭車を見ておいた。

 日本ではあまり例のない制御客車、オクハテ510。顔つきの造形は安っぽく、お金を掛けた感じはないが、好ましい顔付きではある。
 2両目の自由席車はオハフ51が種車らしいオハフテ510。

 車掌室がそのままで残されている。秋田界隈でも散々見てきた客車の車掌室。これは懐かしい。
 富良野からの普通列車とすれ違い、列車は南へ。今度は直線を飛ばして、この時期だけの臨時駅、ラベンダー畑に停まる。ファーム富田の最寄駅で、指定席からも自由席からも大量下車。

 代わりに乗って来た人も少々いたけど、がら空きになる。
 6月に美瑛の丘を通っておいて難だが、美瑛は素通り、富良野に向かう。また速度が上がり、大きな窓というか、遮るものの無いトロッコの中、風が直撃する。マスクを飛ばす勢いでノロッコ号も走る。富良野には14時到着。

 ノロッコは数分で美瑛行きとして折り返す。今度は先頭に機関車が立つ。隣には紫色の特急気動車が留置中。昨日、北斗でも見たキハ261系の一族だが、観光列車的にも使えるラベンダー編成という特別車。ラベンダーの時期には本来の札幌-富良野の運用に就いている様子。20年ぐらい前までなら、バブル前後に登場したリゾート専用車が活躍した筈で、JR北海道の苦しさが垣間見える。
 美瑛を飛ばして富良野に来たが、富良野も飛ばす。次に乗るのは根室本線普通列車

 ちょうどホームに入って来たキハ40が富良野発14:19の東鹿越ゆきとなる。あまり聞き馴染みのない駅名だが、2016年の台風で被害が出て以来、根室本線、滝川からの列車は東鹿越が折り返し点。その先の新得まではバス代行となってもう6年目となる。昨日乗った日高本線鵡川から先と同じ状況である。
 やって来た列車に荷物を置き、一度改札を出る。手元の乗車券、律儀に途中下車印が押された。多少何かと思って飲み物と記念入場券を買い、構内に戻る。

 これから先の不通と代行バスの告知を見てからホームに戻る。

 へそ祭の人形が2022年の富良野駅にも鎮座している。根室本線の滝川から富良野を経て帯広まで、確か2012年に妻と一緒に乗っている。その時にもこの人形はあった。

 列車に戻る。1両だけの気動車はすでに座席が半分近く埋まっている。いつにない盛況ぶりで、自分の席も相席になる。座る所に困り、デッキに立つ人も出る。先程見かけた不通を報せるポスターにもある通り、富良野から先、東鹿越まで行く列車は1日4本。朝の7時以来、7時間ぶりの列車であり、多少は乗ってくれないとJR北海道としても困る所だろうが、それにしても混んでいる。そのほとんどはコアやライトは別にして、鉄道好きな人っぽいけど。
 相席になったので自由に窓を開ける訳にもいかず、少々汚れた窓越しに景色を見る。さすがに10年前なら記憶はしっかりしていて、見覚えのある景色が流れる。忘れていても京王線恥辱に残っているので何とかなる。

 途中。金山の駅。10年前は走る列車ももう少し多く、金山で列車とすれ違った。
 時々、地元の人と思しき人が降りてゆき、徐々に谷が狭くなる。流れるのは石狩川の支流、空知川。すっかり細い流れになった。昨日の夕方から何だかんだと石狩川に縁のある行程。
 列車として走る東鹿越に15時過ぎの到着。富良野からの鉄道好きらしいお客さんは殆ど残っている。この先、代行バスに乗り換えとなる。

 列車を降りる。バスとは接続を取るのだが、富良野からの列車が東鹿越に着くのは15:02。そして新得からのバスが東鹿越に着くのは15:02。


 その両方のお客さんがいっぺんに吐き出された東鹿越の駅、時ならぬラッシュになる。どちらも折り返し準備。
 キャリーバックは預かってもらい、車内へ。乗り込んでみると意外と乗客は多くなかった。20数人ぐらいだろうか。列車でそのまま引き返す人もいたようだ。
 出発まで間があり、一度外に出る。

 代行バスを請け負っているのは地元の富良野バスだった。列車を降りる時は切符の確認があったが、バスに乗る時には特に確認なし。バスの運転士が乗客と話をしているのが聞こえる。
「今日は何があるんですか」
「私の方が知りたいです」
 今日の混雑は異常らしい。
 時ならぬラッシュに襲われた東鹿越の駅。富良野行きの列車が先にドアを閉め、ゆっくりと動き出す。

 ついでバスも動く。山間の駅には静寂が戻るのだろう。次に列車とバスが出会うのは2時間半後の17:30。
 バスは金山湖ぞいの細道を走る。こんな調子で新得までだと大変だろうという道である。根室本線の線路は隣を走っている。

 踏切が現れる。6年間、汽車の来ない踏切でも廃線ではないので、現役の踏切である。

 6年間列車が来ない線路を渡る。6年という月日の割には綺麗にも見えるし、やはり2度と列車を走らせる気が無いようにも見えるし。
 バスは国道37号線に合流すると幾寅市街へ。駅前に入って乗降扱いとなる。3人ぐらい、お客さんが降りてゆく。

 映画のロケ地になったところで、セットと改装された車両が残っている。クルマで来ているらしい観光客がこちらのバスにカメラを向ける。
 バスは国道に戻り、新得方面へ。

 田園風景の中を走る。線路も隣を走っていて、木陰の中でたまに見えたり、見えなかったり。同じく台風に襲われた国道37号線が何事もなく機能していて、同じ場所を通る根室本線が6年間も復活できないまま半ば放置されている。一番被害を受けた所は国道沿いじゃないのかも知れないけど、不条理に思えて来る。
 バスは法定速度を守っているのか、淡々と走る。時々、自家用車が思い切り抜いて行く。
 空知側最後の集落、落合に着く。国道を逸れて駅前へ。

 高校生が一人、降りて行って、駅舎の脇に停めていた自転車で帰宅していった。恐らく真っ当な利用者としては、最後の一人だったのだろう。バスの中には20人弱残っている。駅で言ったら次は新得だが、バスはサホロで客扱いとの事。ドアを閉めて出発。国道に戻る。跨線橋を渡り国道は東に鉄道は西に。それぞれの道で狩勝峠に挑む。

 すっかり細くなった空知川を見てバスは坂道を登り始める。何時も列車でしか旅をしないので、狭い意味での狩勝峠を越えるのは初めてだ。

 高原の趣漂う石狩の狩勝峠を進む。すっかり細くなった川の流れを見つつ少しずつ高い所へ。登坂車線を法定速度を守って走ってゆくと

 落合から15分弱で狩勝峠の最高地点に登り詰める。あっけない感じもするが、落合に来るまでしっかり高度を稼いでいたのだろう。
 右手に十勝平野を見下ろす景色が広がる。月並みだが息をのみ込む。一気に高度を下げて平野に広がる十勝側から見た方が狩勝峠の凄みは分かる。席が得られるなら新得に向かって右側の方が景色が良い。次の宿題を作ってしまった。
 狩勝峠8合目、7合目と急坂を下る。その途中にサホロリゾートがあり、そちらに寄り道。客扱いとなる。サホロまでのお客さん、サホロから乗るお客さんが少々いて、寄り道する価値がある事は知る。運賃的にどういう扱いになっているのかは知らないが、国鉄時代に北海道には多かった仮乗降場と同じ、と思えば良いのだろうか。
 狩勝峠の坂道を駆け降りてゆくと新得の街が近付いてくる。

 人の営みが感じられるようになり、新得市街地に入る。国道を逸れて街中へ。駅前に着くと16:21。定刻だった。

 バスを降りて預けた荷物を受け取る。時刻表上、新得を16:21に出る東鹿越行きのバスがあり、あまりに折り返しがタイトで大変だと思ったのだが、

 もう1台別のバスがいて、そちらが客を乗せていた。ここまで自分を乗せて来たバスも回送となって、営業車の後ろをついて行く。
 久しぶりに鉄道に戻る。新得の駅、駅そばが営業している。16:30までらしく、久しぶりの新得駅そばを楽しみにしていたのだが、

 もう店仕舞いしていた。がっかりする事、この上ない。仕方ないので

 土産物店に大量に売っていた乾麺。今回は自宅に在庫があるので買うつもりは無かったのだけど、その中から新得町民そば、なるものを買っておく。新得町内限定販売、らしいので。

 出発案内をみる。次に来るのは札幌からの特急列車。ついで新得始発の普通列車があって、それぞれ釧路に向かう。札幌方面は18:18まで2時間近くの待ち時間。バスと札幌方面の接続はかなりチグハグで、16:21に新得を出るバスに乗ろうとすると13:48に着かねばならず、と言う調子。恐らく富良野-新得を最小限の資源で最小限の運転本数確保する事が主眼で、新得からのつながりは気にしていないと思うのだが、いくら何でももう少し、とは思う。
 今日はこの先、帯広まで。先を急ぐなら特急に乗るのもありだが、普通列車にする。改札が始まってから構内へ。 

 待っているのは見た事が有る様な初見の電気式気動車。H100系というそうだ。秋田や新潟に入ったJR東日本のGV-E400系に見た目はそっくり。
 もう少しゆっくり見たかったが、間もなく出発の案内がある。列車別改札なので、改札が始まってから出発前の時間が短いのである。さっさと乗ってしまう。
 列車内、富良野から一緒と思しき人が数人。地元の人と混じっている。均してみると10人少々なので空いている。ひとまず

 汽車の中でビールを。今回はここで機会を逃すと飲み鉄が出来ない。夕方も控えているだろうから、軽く1本だけ。
 列車は十勝平野の中を走ってゆく。途中、芽室で15分ぐらい停まるそうだ。運転士に断って外に出る。

 少々夕暮れの気配がやってこようとしているが。夏至が間近に迫る17時過ぎ。道東帯広の近郊。まだまだ空が明るい。

 2092列車がやって来た。DF200-1号機牽引。
 まだまだ列車は停まっている。もう1本、上り列車を待ち合わせるらしい。

 改めて北海道に入った電気式気動車を見る。目立つところではヘッドライトが増えている。雪に備えた装備は他にも色々とあるのだろうが、一番目を惹く耐雪仕様。北海道仕様車と言う意味では現代に蘇ったキハ22、と言えなくはない。
 芽室からのお客さんがちら、ちらと乗り込んでくる。まだ暫く出発まで間がある様子。

 上りワンマン列車乗車口を示す案内には「滝川方面」の文字が残っている。何れ新得方面になるのだろうが、こんなところを含めてお金を掛けません、という雰囲気が漂っている。
 踏切の音が遠く小さく聞こえてやってきたのは

 普通列車であった。こちらと同じH100系が1両で新得に向かう。新得-釧路の普通列車、この3月から全てH100系で運用されている。
 さすがに出発時刻となる。席に戻る。帯広近郊に入り、1駅ごとにお客さんが増えるようになる。1時間に1本あるか無いかの列車だが、拠点都市の近郊であれば、列車も相手にして貰える事が分かる。
 思ったよりも大きな帯広の貨物駅が流れ、高架線に上がると帯広の街になる。最後は立客も増えた。17:42、帯広到着。


 新得から1時間。運転士が交代。乗客も入れ替わる。中には帯広を挟んで乗る高校生もいる様子。
 自分の行程、今日は帯広まで。切符も帯広までである。切符を手元に残そうと有人改札に並ぶ。無人駅から乗った精算のお客さんで行列が出来ていて、通り抜けるまでだいぶ時間がかかった。
 帯広駅前のホテルに入る。夕方6時前。自宅用に少々スーパーで買い回り。最近、醤油と味噌は各地のローカル品しか使わないようになっていて、北海道ローカルのものを買っておく。他、スープカレーの素とか、とろろ昆布とか。
 夕食にも出る。ホテルで割引券を貰ったのだが、使える店、2つ廻って2つとも満員であった。今日の帯広。混雑しているのだろうか。結局、適当にジンギスカンの店に入ってみる。

 サッポロクラシックを頂いて肉を注文する。ラムとマトンと1人前ずつにしてみた。

 鍋が用意されて

 肉も出て来る。

 焼きながら飲むのはいつもの事だが難しい。飲んでばかりいると焼くのが疎かになり、焼きに夢中になるとビールが温くなる。その匙加減が難しく、大人になってだいぶ経つが未だに答えが分からない。
 ホテルに戻る。明日に備えて荷造り少々。夕方の買い物で荷物が増えている。ひとまず買ったものをスーツケースへ。
 飲みの続きを始めると遅れている京王線恥辱が疎かになる。寝落ちないうちに目覚ましだけはセットしておいた。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は22,832