2018-08-10

 目覚ましの音で無理矢理に起きた。時刻は4時半前。金曜日だが、今日からまた休み。今回の休みは2つに分けて行動する。まずは横浜へ帰るのだけど、今日は世の中は平日。妻も仕事。よって自分の時間にする。色々と計画を立て、切符や宿泊の予約をした後で、色々と災害があって変更を強いられたのだけど、それはおいおい。
 始発に乗るべく駅に向かう。計画する時は色々と詰め込みたくなり、結果として始発になった。実際に始発の時間を迎えると、昨日の所業もあり、結構つらい。計画を立てた自分を恨みたくなる。出来る事なら内田百輭先生のやっていた阿呆列車みたいな旅が良い。お昼過ぎに発ち、夕方ぐらいには投宿。それが理想だが、そんなことをしていたら、今日の行程。たぶん4日ぐらいかかる。
 さて。駅前まで来ると家族連れの姿も目立ち、夏休みの匂いがプンプンする。もちろん通勤の人もいる。

 始発電車は座れる程度の乗車だが、段々と混んでくる。草津を過ぎると結構な混雑になる。京都に6時過ぎ到着。始発の新幹線に乗る人、空港に行く人。目的地は色々。自分も京都で下車。乗継は30分程。
 ここで朝食を済ませておきたいだのが、さすが大都会。もう立ち食いのスタンドが営業していた。

 冷たいうどんで朝食を済ませる。駅の外に出ようと思っていた所なので、これは予定外だがありあたい。
 食事を済ませて、乗り継ぐ電車が旅立つホームへ。

 嵯峨野山陰線、なんてぼやけた言い方は気に入らないが、京都を始発として西に向かう山陰本線。このレールで西に向かう。乗るのは1本後、福知山ゆきの電車。1本見送った後で

 6両つないだ福知山ゆきがやって来る。6両全部が福知山行き、の訳ないよなぁ。駅の案内は無いけど、前2両に乗っておいた。
 通勤の人、旅の人。程よく混浴になって出発。車掌嬢の案内で前2両福知山行き、後ろ4両は園部で切り離しと知る。やっぱり。列車は京都市内を眺めて北西へ。段々と通勤の人が乗って来る。席が埋まり、立客も出る。

 近江を出て以来、天気はさえない。連日暑い日が続いていたが、今日は涼しくなるのだろうか。保津峡を越えての逆ラッシュ。山陰線も京都口では本数が多く、上り電車と何度とすれ違う。
 後ろ4両を落とす園部を出ると、こちらの車内も落ち着いてくる。所用客。通学客も見えるが、だいぶ旅の人が目立つようになる。隣の席も空いた。大学前なんて駅があり、数人、若い人が降りてゆく。
 綾部までは数年前に何度か仕事で乗った区間。あの時は特急。今日は普通列車。過ぎる時間も空気もだいぶ違う。綾部まで2時間近く。ここまで地元の所用客が乗り通しているのは驚いたが、綾部も福知山も、京都府内には違いない。
 2時間。飽きるようで飽きない時間だった。福知山に到着する。ここで乗換。

 地上駅の印象が強いが、何時の間にか高架に上がっている。ジャンクションらしく、あちこちへ散る列車の姿が見える。しばらく待って、

 次の電車、豊岡行きに乗り込む。福知山の界隈と言えば、不細工に改造された113系の印象が強いけど、今日は今の所、近江界隈を走る電車とあまり変わらない。ドアのチャイムやら車内の造作やらが同じ。旅に出た気分が薄い。
 今度は旅と思しき人しかいない。福知山線、大阪からの電車もやってきて少しお客さんが増える。京都を1時間後に出た特急を先に出したのち、こちらの電車も発車となる。

 外は相変わらず天気が冴えない。窓外、青々とした田園を眺めて西に向かう。播但線接続の和田山で旅のお客さんが増える。姫路経由で来た人たちだ。地元の人も少し乗って来た。この人たちの目的地は豊岡なのかなぁ。遊びに行く街、と言う印象は無いけど。

 ICカードのエリア外になって昔ながらの汽車旅光景が広がるようになる。電化が進み、電車が代替わりして、鋏がスタンプになっても。

 除雪車が見えてきて終着の豊岡となる。ここで2度目の乗換。今度は浜坂ゆきのディーゼルカーとなる。

 首都圏色に懐かしさを覚えるキハ47の2連が次のランナー。

 鉄道車両製作からは撤退し社名も変わった富士重工の銘板も目を引く。でもシールなんだ。
 この旅初めてのボックスシートに座ると間もなく出発。非力なエンジンと重たいボディーが織りなすゆっくりとした加速も懐かしい。でも現代にふさわしく車内は軽く冷房が効いている。ガンとした強い冷房では無く。弱めの非力冷房。

 円山川を右手に列車はまず城崎へ向かう。温泉地の城崎。地元の人が降りてきて観光の人が乗って来る。外国人観光客の姿も見えるが、みな一つ先、竹野で降りて行った。
 城崎から先、山陰本線は単線非電化の細道になる。

 お客さんも格段に減る。こんな細道はえてして乗って素晴らしい、良い所である。しばらく走ると

 海が見えてくる。夏の日本海だ。
 近江に居ると日本海の気配と言うものは感じる。すぐ北が御食国の若狭だ。スーパーには鰰が並んでいるし、小鯛の笹漬けも売っている。とはいえ、日本海を目にする機会はなかなかない。今年で言うと前回は6月。対岸の韓国から眺めたのが先になった。
 列車は海を見せたり、山に入ったりしながら、西に向かっている。停まる度、停まる度。重たい車体を非力なエンジンで動かすのだから速度は上がらない。京都から4時間以上。山陽線を西に向かっていれば、今頃は広島県の福山の先まで行っているだろうか。こちらはまだ兵庫県内。

 山陰本線複線電化を訴える看板も色あせていた。山陰線がもう少しインフラとして手を入れられていれば、7月の豪雨で山陽線がダメになった時の代替路として機能しただろうに。
JR貨物が輸送確保に難航、迂回・代行検討も策乏しく 日刊工業新聞2018年7月20日
 西日本を襲った「平成30年7月豪雨」の影響は深刻で、九州方面への鉄道貨物輸送が正常化するのは早くて11月の見通しとなった。運送業界の労働力不足を背景に、代替トラックの確保は難航。JR貨物は迂回運転の検討も含めて、代行輸送力確保に尽力するが“運べない”状況は当分の間続きそうだ。幹線物流の寸断に打開策は乏しく、鉄道貨物ユーザーの一部は、サプライチェーンの見直しも迫られている。
 JR貨物の真貝康一社長は「基幹線は(本来)強いはず、なのだが」と頭を抱える。JR西日本は被災路線の復旧について岡山から山陰方面の伯備線が8月中旬、広島・山口の山陽線が11月中を目指すと明らかにした。山陽線は1日65本のコンテナ列車が通る鉄道輸送の大動脈。豪雨で輸送影響が出ている1日3万トンの貨物の大半は山陽線を経由する。
 12日からトラックや船舶による代行輸送も開始。真貝社長は「最大限の代行輸送を、利用運送業者と構築している」と説明するが、確保した代行輸送力は平時の13―14%程度にすぎない。フェリーの船腹にも余裕はなく、トラック運転手不足もあって上積みは難しい。
 不通区間のコンテナ滞留解消を進める中で「一部荷主からは荷物を発地に戻してほしいとの要請もある」(日本通運)という。長期化を見据え、鉄道貨物荷主の一部では、生産工場の変更などサプライチェーンの見直しも始まっているようだ。
 JR貨物は大阪から福知山線、山陰線、山口線を経由して山陽線に至る迂回ルートの検討も進めている。ただ迂回ルートの大部分はすでに第2種鉄道事業を廃止しており、営業免許がない。また単線かつ非電化で山間部には曲線が多く、技術的な実現の壁も高い。
 非電化区間を走行するにはディーゼル機関車と運転士の確保が不可欠だ。JR西との協力、調整を進めているが迂回運転の開始には早くても1カ月程度かかりそうだ。8月中旬に運転再開を予定する伯備線を経由すれば迂回区間の短縮も可能で、さまざまな選択肢を検討しているもようだ。
 迂回が実現しても、山陽線のようなコンテナ26両の長編成での運転は難しい。「9両編成で1日数本」(JR貨物幹部)を軸に検討しており、過度な期待はできない状況。「復旧、開通を最優先で進める」(真貝社長)と、打開策は見えないのが現状だ。
 鉄道貨物の物流における役割は高まっている。長期的にモーダルシフトを推進するには、災害など輸送障害対策が不可欠だ。2014年には静岡県内の東海道線・由比―興津間で崖崩れが発生して10日間不通となり、JR貨物の半数の列車に影響した。真貝社長は「在来線の強靱(きょうじん)化が必要だ」と訴える。

 稲沢辺りで寝ているDD51を回して、なんて思わなくはないけど、実際難しいのだろうなぁ。貨物列車が走ったとしても伯備線で米子まで出て、益田まで。この先は山口線新山口だろうか。今乗っている区間DD51重連が、なんてことは間違っても無いだろうけど。


 列車は急に高い所へ。海と集落を見下ろすが如く走る。餘部だ。明治以来のガーター橋は架け替えられたが、今でも十分に目を引く。

 餘部駅にはクルマでやって来たと思しき観光客もちらほら。
 ずっと海と山だけの景色が続くと、どんな田舎町でも開けて見える。その開けた田舎町、浜坂がこの列車の終着。

 ここまで乗って来た2両の気動車は豊岡に引き返す。この先は鳥取行きだが、小一時間の待ち時間がある。しばらく浜坂駅前をぷらぷら。足湯があったので浸かってみたり


 鉄道グッズ館 鉄子の部屋なるところを見学したり。

 駅脇のお店には駅弁が売っていた。駅頭での販売からは撤退したそうで、厳密にいうと駅弁では無くなっているけど、伝統の一品には違いない。買ってみる。

【今日の駅弁】かに寿し ¥1,000 有限会社米田茶店



 若い時なら敬遠しそうな少量駅弁だけど、いまならこれで十分。蟹の身は少ないけど結構大き目でしっかりしている。

 さて、浜坂からは鳥取行きの普通列車。11:50を過ぎて鳥取方面から現れたのは

 今どきの軽量気動車、キハ121の単行列車。先程の豊岡からでも見かけた観光客が「かっこいい」と言っているが、個人的にはキハ47の2連の方が良かった。ボックスが埋まる。自分の所には中学生ぐらいだろうか、物おじせず相席。都会の子なら避けるだろうけど、この辺ではボックス相席が当たり前なのか。
 定刻に出発。何時の間にか

 青空が広がる。日本海も青く映える。つかの間の夏を謳歌するかのような景色が流れてゆく。
 県境を越えると鳥取県。その県都鳥取には12:46の到着。京都から6時間が経っている。距離は230㎞でしかないから、平均速度は40㎞/hを切っている。鳥取18きっぷで目指すなら、京都で降りずに姫路まで乗り通し、上郡から智頭急行線が速い。智頭急行は別払い1,300円になるが、鳥取に2時間早く、10:55に着けている。関西と鳥取を結ぶメインルートは智頭急になって久しいが、普通列車乗り継ぎでも、メインルートを使うのが一番早い昨今である。本線の名折れというか何というか。
 改札口には

 今日、明日と増えるであろう帰省客を歓迎する手書きのボード。

 こちらは悪いお知らせ。中国地方の各線は7月豪雨の影響が出ている。まだ因美線姫新線は不通のまま。この豪雨。この先の行程にも影響しているのだが、それはおいおい紹介する。
 この先は米子へ。待ち時間が少々あるので街に出る。近江にはない都市銀行の支店があって久しぶりにお金を降ろす。その後は

 駅近くの市場に脚を伸ばしてみた。さっき駅弁を食べたばっかりだけど、イワガキ丼なるものに興味を惹かれ頼んでみた。¥950。

 その正体は牡蠣の卵とじであった。なるほど。
 駅に戻る。今度乗るのは米子まで行く快速列車。出発まで30分弱。ホームに上がって待つことしばし、

 先発の特急が来る。京都を10:54に出てきたスーパーはくと。4時間差を詰められた。スーパーの名に相応しいね。
 その後になって

 米子行きの快速列車が入って来た。車体には鳥取県出身の漫画家のキャラクターが描かれている。
 とっとりライナーの名を与えられ、米子までは1時間42分。結構なお客さんが乗る。ボックスに相席。立客も目立つ。出発。加速が鋭い。何か世界が違う。この山陰本線、彼女の古びた山陰本線では無い。
 快速なのだが、鳥取市郊外には丹念に停まる。その度にお客さんが降りる。そしてこの列車はワンマン列車。降りる時は一番前のドアとなる。立ち客大勢の通路を歩いて先頭までとなるので、なかなか大変である。
 それも進むにつれて落ち着いてくる。特急通過待ちという宝木でホームに出てみた。

 上りの普通列車も待避している。

 そんな中を京都へ向かう特急スーパーはくとが駆けてゆく。
 列車はだいぶ空いてきた。倉吉で多少お客さんが入れ替わり、さらに西に向かう。

 コナンをペイントした列車がコナンに歓迎される。近くに展示施設があるみたいで、見学帰りらしい親子連れが乗ってきて、賑々しくなる。
 鳥取寄りでは細かく停まっていた列車。倉吉を過ぎて通過駅が多くなり、快速らしくなる。途中、御来屋では

 先行する普通列車を追い抜いた。倉吉を30分程早く出ていて、20分間、御来屋で待っていたらしい。
 左手から電化線が寄って来る。伯備線だ。この線も先日の豪雨でやられてようやく開通したばかり。伯耆大山の駅には貨物列車の姿も見える。

 煙突のある工場。京都以来初めてではないか。まもなく米子着。
 今度は乗り換え、2分。向かいに停まっていたキハ47、2両の出雲市行きに乗る。バタバタと乗り換えると間もなく出発。

 地上駅の米子構内。ターンテーブルが見えて、ディーゼル機関車が憩っている。そんな中を緩々と加速してゆく。16時を過ぎて山陰本線4つ目の県、島根県に入る。


 一つ目が安来。安来節のふるさとをアピールするのはたたら製鉄に端を発する工場。歴史の古さに感じ入りつつ西へ。
 揖屋で待ち合わせ。先程、米子の乗換で写真を撮れていないので

 写真を撮る。すると上り線を特急列車がやって来る。

 9012M、サンライズ出雲92号だった。臨時のサンライズ。夕方というにはだいぶ早い15:33に出雲市を発ち、東京には翌朝6:23の到着。伯備線が復旧したおかげで予定通りに東京へ向かう。

 松江を過ぎて車窓に宍道湖。すると木次線連絡の宍道に到着。向かいに木次線の列車が見えている。
 今日は元々の予定では木次で木次線に乗り換えるつもりだった。出雲横田に宿を取っていて、翌日、備後落合を経由して広島に抜けるつもりであった。それが彼の豪雨で芸備線の橋が流され長期運休。木次線は被害内容が定かでないが、出雲横田から先は1年の長期運休になる旨、発表。これはどうしようもないと思い、予定を変えた次第。変えたのだが、
豪雨被害のJR木次線、「廃線危機」一転、スピード再開 朝日新聞デジタル 2018年8月8日06時54分
 西日本豪雨で被災した広島県島根県を結ぶJR木次(きすき)線が8日、全線で運行を再開する。JR西日本は当初、全線復旧は「1年以上先」と発表していた。何があったのか。
 木次線は中国地方北部を走り、宍道(しんじ)(松江市)―備後落合(広島県庄原市)間の81・9キロ。豪雨で備後落合駅の線路に土砂が流入し、ポイントが水没するなどして、出雲横田島根県奥出雲町)―備後落合間の29・6キロで運転を見合わせてきた。8日始発から同区間は1日4往復の通常ダイヤとなる。
 土砂の撤去などは早く終わったが、復旧の障壁は、備後落合駅で接続する芸備線の鉄橋が信号ケーブルごと増水した川に流され、同駅周辺の信号を制御できなくなったことだった。JR西は被災当初、ケーブルの復旧は鉄橋の復旧と同時にしかできず、1年以上かかると説明してきた。
 一方、木次線の目に見える被害は修復されたのに運行が再開されないため、沿線住民からは「このまま廃線なのでは」と不安の声が上がりはじめた。JR在来線の赤字路線では、2010年の土砂災害で被災した岩手県岩泉線廃線になった前例がある。
 木次線は16年度の輸送密度(1日1キロあたりの平均利用者数)が204人。島根県江津(ごうつ)市と広島県三次(みよし)市を結び、今年3月末に廃線になった三江線は83人。沿線では「木次線は次の廃線候補」と危機感が高まっていた。
 毎年4〜11月に1万3千人の乗客でにぎわう観光トロッコ列車「奥出雲おろち号」が夏休みに運行しないのも沿線には痛手で、7月23日に松江市島根県雲南市、奥出雲町の首長らがJR西に早期再開を求めた。
 JR西はこれを受け、今月1日に全線再開した伯備(はくび)線(倉敷―伯耆大山(ほうきだいせん))のケーブルを経由して備後落合駅の信号を制御することを検討。備後落合駅は岡山支社が管轄し、信号の制御は広島支社、木次線は大半が米子支社の管内だが、本支社間で調整して木次線の早期再開を決めたという。
 JR西の関係者は「豪雨の前から、(備後落合駅で使う)芸備線のケーブルが被災すれば、伯備線から代替する予備ルートがあった」と明かす。今回すぐに予備ルートに切り替えなかった理由については「技術的には可能だったが、どういう判断かは分からない」と話した。
 予備ルートがあったことについて、JR西の広報担当者は「被災当初は社内での情報が錯綜(さくそう)していたが、使えることが確認できた」と釈明した。
 木次線無人駅「出雲大東駅」(雲南市)を管理する市民団体「つむぎ」は豪雨の前から、今月11、12日に貸し切り車両を走らせて車内で劇を楽しむ「観劇列車」を企画していた。劇の内容は「木次線がなくなると聞いてやってきた鉄道オタクの話」。代表の南波由美子さん(43)は早期再開を受け、「台本を変更しなくてすんだ」と笑った。チケットは両日とも完売し、予定通り上演されるという。(波多野大介)
 そんな訳で一昨日、8日からめでたく運転再開。目出度いんだけど、改めて宿を取りなおすのも大変で変更後のルートを変えなかった次第。無念ではある。
 気を取り直して西へ。日が傾いて来て出雲市に17:11。定刻到着。京都から384.6㎞。10時間半。相変わらず平均速度は40㎞以下だ。

 向かいに岡山行きのやくもが停まっている。1日に運転再開したばかり。こちらは国鉄型、381系が活躍を続けている。列車は空いていた。後で地元紙で見たのだが、運転再開したものの乗客が戻らないらしい。
 次の列車まで40分程の待ち合わせ。その間に駅の外に出る。出雲そばを食べたいのだが、時間があるなら構内のそば屋よりも駅前に出た方が美味しい。
 金曜日の夕方になっているが店は空いていた。割子そばを頼んだら速攻で出てきた。

 630円。駅構内で似たようなものを頼むよりも安く、そして美味しい。
 満足して駅に戻る。出雲市駅の高架線に下関側から列車がやって来るのが見える。キハ47の2連。どうやら次の乗る列車らしい。早々にホームに戻る。

 ホームには浜田行きの普通列車が待っている。金曜日の夕方。それなりに座席が埋まる。ボックスが相席となった所で、下りの普通列車が到着。少し乗り換えの人がいて、浜田ゆき、発車となる。今日三度目のキハ47、ゆっくりとした加速を味わい、列車は更に西へ。昔の知井宮、今は西出雲と言うそうだ、で、電化が途絶える。この先は、単線非電化の細道。とは言え、島根県内の中小都市を結ぶ役目を果たす益田までは高速化されている。鈍足キハ47には無縁だけど。
 出雲市から20分。久しぶりに海が見える。

 夏と言えども夏至からまもなく2か月。18時の日本海は夕暮れがやってきている。海と付いたり離れたり、景色の美しさは100万円を払う瑞風のお客さんにも2300円ちょっとの18きっぷのお客さんにも、等しく映える。

 バスが如き上り普通列車と田儀ですれ違い。向こうのお客さんは数人の様子だった。次第に暮色が強くなる。
 出雲市を出て最初の大きな駅、太田市。ここでもお降りのお客様は一番前の扉から、の案内。夕方になると駅員がいなくなるようだ。先頭車に向けてお客さんが進んで行く。代わりに乗って来た人と差しひき、列車が空く方向。
 だんだんと空いて行く車内。外は暗くなる。そろそろ今日の行程を終了したくなる頃合い。だが、予定ではもう少し先まで進む。温泉津あたりでピリオドを打てばいい一日なんだろうけど、

 江の川を渡る江津に19時半前。辛うじて残る西日に日本製紙の煙突が映った。まだ先へ。出雲市から乗っているお客さんはだいぶ少なくなったけど、まだいる。列車は更に先、浜田へ。すっかり外は暗い。クルマの灯り、時折現れる集落の灯り。そして駅のぼんやりした灯り。前のドアへと誘う乾いた声。
 街の気配がして速度が緩む。20時ちょっと前に浜田到着。ここでもドアは前1か所だった。

 京都から山陰本線を延々13時間半。473.3㎞。起きてからは16時間が経っているが、もう少し先に進む。8分後に出る益田ゆき。まだ姿が見えないが、

 間もなくやって来る。今度はキハ120の単行。この旅初めてのロングシート。乗客は20人弱だろうか。浜田まで同じ列車で見かけた人も少々。
 味気ない車両だが、前は良く見える。昼ならば。しかしこの時間は既に夜。岡見の辺り、新しい線路になっているのが分かるぐらい。どうせなら明るくなってから乗った方が良かったのかも知れないが、明日の事を考えて、益田まで進む。
 20:52、益田着。京都から514.5㎞。数字だけなら東京-大阪より近いが、遠かった。

 列車が休むとなりにキハ47。これは山口線へと進む津和野ゆき。山陰本線へ向かう列車は21:27に東萩まで行く列車がある。がさすがに今日はここで終わりにする。

 久しぶりに改札へ向かう。この時間、まだ列車はあるが、改札は既に店仕舞い。今日は駅前のホテルを予約している。部屋に入ってまずは充電。ここまでで、スマホもPCも、デジカメの充電池も、尽きようとしている。 
 さて、軽く飲みに行こうかと思う。益田駅前、ちょっと歩いたところにちょっとした繁華街がある。言葉が変だが、ちょっとした繁華街としか言いようがない。その中から、ヱビスビールの看板を出す店があったので入る。

 そんな訳でヱビスビールに首尾よくありつく。

 一緒にところてんを頂く。自分の中ではおかずなのだが、世の中大半はおやつ扱いらしい。酢醤油でするっと頂くのはいいおかずだと思うのだけど、なかなか理解されない。

 アカバナ、という馴染みのない刺身を頂く。アカバナ知っているんだと大将に感心されたが、いや、単に知らない魚だから頼んだんです。カンパチがさらに出世した魚だとか。

 魚のホルモンなる馴染みのない食べ物が出してもらう。合うお酒をお願いしたら広島の、なんだっけ、かを貰う。あっさりめのお酒、ホルモンもさっぱりした感じ。
 こんな調子で長居すると大変なのでそろそろ〆る。ビール2杯にお酒とつまみが3品。確か3,500円だったか。まぁ安いとは思う。
 〆にラーメンを食べてゆく。


 酎ハイとあっさりめのラーメンを頂いてホテルに戻る。まもなく22時半。明日も起きれるなら早い。軽くシャワーだけ浴びて早々に寝ておく。

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