目覚ましの音で無理矢理に起きた。時刻は4時半前。金曜日だが、今日からまた休み。今回の休みは2つに分けて行動する。まずは横浜へ帰るのだけど、今日は世の中は平日。妻も仕事。よって自分の時間にする。色々と計画を立て、切符や宿泊の予約をした後で、色々と災害があって変更を強いられたのだけど、それはおいおい。
 始発に乗るべく駅に向かう。計画する時は色々と詰め込みたくなり、結果として始発になった。実際に始発の時間を迎えると、昨日の所業もあり、結構つらい。計画を立てた自分を恨みたくなる。出来る事なら内田百輭先生のやっていた阿呆列車みたいな旅が良い。お昼過ぎに発ち、夕方ぐらいには投宿。それが理想だが、そんなことをしていたら、今日の行程。たぶん4日ぐらいかかる。
 さて。駅前まで来ると家族連れの姿も目立ち、夏休みの匂いがプンプンする。もちろん通勤の人もいる。

 始発電車は座れる程度の乗車だが、段々と混んでくる。草津を過ぎると結構な混雑になる。京都に6時過ぎ到着。始発の新幹線に乗る人、空港に行く人。目的地は色々。自分も京都で下車。乗継は30分程。
 ここで朝食を済ませておきたいだのが、さすが大都会。もう立ち食いのスタンドが営業していた。

 冷たいうどんで朝食を済ませる。駅の外に出ようと思っていた所なので、これは予定外だがありあたい。
 食事を済ませて、乗り継ぐ電車が旅立つホームへ。

 嵯峨野山陰線、なんてぼやけた言い方は気に入らないが、京都を始発として西に向かう山陰本線。このレールで西に向かう。乗るのは1本後、福知山ゆきの電車。1本見送った後で

 6両つないだ福知山ゆきがやって来る。6両全部が福知山行き、の訳ないよなぁ。駅の案内は無いけど、前2両に乗っておいた。
 通勤の人、旅の人。程よく混浴になって出発。車掌嬢の案内で前2両福知山行き、後ろ4両は園部で切り離しと知る。やっぱり。列車は京都市内を眺めて北西へ。段々と通勤の人が乗って来る。席が埋まり、立客も出る。

 近江を出て以来、天気はさえない。連日暑い日が続いていたが、今日は涼しくなるのだろうか。保津峡を越えての逆ラッシュ。山陰線も京都口では本数が多く、上り電車と何度とすれ違う。
 後ろ4両を落とす園部を出ると、こちらの車内も落ち着いてくる。所用客。通学客も見えるが、だいぶ旅の人が目立つようになる。隣の席も空いた。大学前なんて駅があり、数人、若い人が降りてゆく。
 綾部までは数年前に何度か仕事で乗った区間。あの時は特急。今日は普通列車。過ぎる時間も空気もだいぶ違う。綾部まで2時間近く。ここまで地元の所用客が乗り通しているのは驚いたが、綾部も福知山も、京都府内には違いない。
 2時間。飽きるようで飽きない時間だった。福知山に到着する。ここで乗換。

 地上駅の印象が強いが、何時の間にか高架に上がっている。ジャンクションらしく、あちこちへ散る列車の姿が見える。しばらく待って、

 次の電車、豊岡行きに乗り込む。福知山の界隈と言えば、不細工に改造された113系の印象が強いけど、今日は今の所、近江界隈を走る電車とあまり変わらない。ドアのチャイムやら車内の造作やらが同じ。旅に出た気分が薄い。
 今度は旅と思しき人しかいない。福知山線、大阪からの電車もやってきて少しお客さんが増える。京都を1時間後に出た特急を先に出したのち、こちらの電車も発車となる。

 外は相変わらず天気が冴えない。窓外、青々とした田園を眺めて西に向かう。播但線接続の和田山で旅のお客さんが増える。姫路経由で来た人たちだ。地元の人も少し乗って来た。この人たちの目的地は豊岡なのかなぁ。遊びに行く街、と言う印象は無いけど。

 ICカードのエリア外になって昔ながらの汽車旅光景が広がるようになる。電化が進み、電車が代替わりして、鋏がスタンプになっても。

 除雪車が見えてきて終着の豊岡となる。ここで2度目の乗換。今度は浜坂ゆきのディーゼルカーとなる。

 首都圏色に懐かしさを覚えるキハ47の2連が次のランナー。

 鉄道車両製作からは撤退し社名も変わった富士重工の銘板も目を引く。でもシールなんだ。
 この旅初めてのボックスシートに座ると間もなく出発。非力なエンジンと重たいボディーが織りなすゆっくりとした加速も懐かしい。でも現代にふさわしく車内は軽く冷房が効いている。ガンとした強い冷房では無く。弱めの非力冷房。

 円山川を右手に列車はまず城崎へ向かう。温泉地の城崎。地元の人が降りてきて観光の人が乗って来る。外国人観光客の姿も見えるが、みな一つ先、竹野で降りて行った。
 城崎から先、山陰本線は単線非電化の細道になる。

 お客さんも格段に減る。こんな細道はえてして乗って素晴らしい、良い所である。しばらく走ると

 海が見えてくる。夏の日本海だ。
 近江に居ると日本海の気配と言うものは感じる。すぐ北が御食国の若狭だ。スーパーには鰰が並んでいるし、小鯛の笹漬けも売っている。とはいえ、日本海を目にする機会はなかなかない。今年で言うと前回は6月。対岸の韓国から眺めたのが先になった。
 列車は海を見せたり、山に入ったりしながら、西に向かっている。停まる度、停まる度。重たい車体を非力なエンジンで動かすのだから速度は上がらない。京都から4時間以上。山陽線を西に向かっていれば、今頃は広島県の福山の先まで行っているだろうか。こちらはまだ兵庫県内。

 山陰本線複線電化を訴える看板も色あせていた。山陰線がもう少しインフラとして手を入れられていれば、7月の豪雨で山陽線がダメになった時の代替路として機能しただろうに。
JR貨物が輸送確保に難航、迂回・代行検討も策乏しく 日刊工業新聞2018年7月20日
 西日本を襲った「平成30年7月豪雨」の影響は深刻で、九州方面への鉄道貨物輸送が正常化するのは早くて11月の見通しとなった。運送業界の労働力不足を背景に、代替トラックの確保は難航。JR貨物は迂回運転の検討も含めて、代行輸送力確保に尽力するが“運べない”状況は当分の間続きそうだ。幹線物流の寸断に打開策は乏しく、鉄道貨物ユーザーの一部は、サプライチェーンの見直しも迫られている。
 JR貨物の真貝康一社長は「基幹線は(本来)強いはず、なのだが」と頭を抱える。JR西日本は被災路線の復旧について岡山から山陰方面の伯備線が8月中旬、広島・山口の山陽線が11月中を目指すと明らかにした。山陽線は1日65本のコンテナ列車が通る鉄道輸送の大動脈。豪雨で輸送影響が出ている1日3万トンの貨物の大半は山陽線を経由する。
 12日からトラックや船舶による代行輸送も開始。真貝社長は「最大限の代行輸送を、利用運送業者と構築している」と説明するが、確保した代行輸送力は平時の13―14%程度にすぎない。フェリーの船腹にも余裕はなく、トラック運転手不足もあって上積みは難しい。
 不通区間のコンテナ滞留解消を進める中で「一部荷主からは荷物を発地に戻してほしいとの要請もある」(日本通運)という。長期化を見据え、鉄道貨物荷主の一部では、生産工場の変更などサプライチェーンの見直しも始まっているようだ。
 JR貨物は大阪から福知山線、山陰線、山口線を経由して山陽線に至る迂回ルートの検討も進めている。ただ迂回ルートの大部分はすでに第2種鉄道事業を廃止しており、営業免許がない。また単線かつ非電化で山間部には曲線が多く、技術的な実現の壁も高い。
 非電化区間を走行するにはディーゼル機関車と運転士の確保が不可欠だ。JR西との協力、調整を進めているが迂回運転の開始には早くても1カ月程度かかりそうだ。8月中旬に運転再開を予定する伯備線を経由すれば迂回区間の短縮も可能で、さまざまな選択肢を検討しているもようだ。
 迂回が実現しても、山陽線のようなコンテナ26両の長編成での運転は難しい。「9両編成で1日数本」(JR貨物幹部)を軸に検討しており、過度な期待はできない状況。「復旧、開通を最優先で進める」(真貝社長)と、打開策は見えないのが現状だ。
 鉄道貨物の物流における役割は高まっている。長期的にモーダルシフトを推進するには、災害など輸送障害対策が不可欠だ。2014年には静岡県内の東海道線・由比―興津間で崖崩れが発生して10日間不通となり、JR貨物の半数の列車に影響した。真貝社長は「在来線の強靱(きょうじん)化が必要だ」と訴える。

 稲沢辺りで寝ているDD51を回して、なんて思わなくはないけど、実際難しいのだろうなぁ。貨物列車が走ったとしても伯備線で米子まで出て、益田まで。この先は山口線新山口だろうか。今乗っている区間DD51重連が、なんてことは間違っても無いだろうけど。


 列車は急に高い所へ。海と集落を見下ろすが如く走る。餘部だ。明治以来のガーター橋は架け替えられたが、今でも十分に目を引く。

 餘部駅にはクルマでやって来たと思しき観光客もちらほら。
 ずっと海と山だけの景色が続くと、どんな田舎町でも開けて見える。その開けた田舎町、浜坂がこの列車の終着。

 ここまで乗って来た2両の気動車は豊岡に引き返す。この先は鳥取行きだが、小一時間の待ち時間がある。しばらく浜坂駅前をぷらぷら。足湯があったので浸かってみたり


 鉄道グッズ館 鉄子の部屋なるところを見学したり。

 駅脇のお店には駅弁が売っていた。駅頭での販売からは撤退したそうで、厳密にいうと駅弁では無くなっているけど、伝統の一品には違いない。買ってみる。