2020-08-30

 4時過ぎに無理矢理起きだした。8月最後の週末。18きっぷが1枚残っているのを今週使うか、二度寝して来週にするか、迷った挙句に出掛ける事にする。身支度少々。まだ外は暗いが出掛ける。

 ようやく東の空が明るくなりかけるぐらいの時間。朝の貨物列車を撮る事が難しくなってきた様子。
 膳所の駅まで出る。18きっぷを使うのだが、この時間の膳所無人である。遠隔で係を呼び出し自動改札を通してもらう。日付印は降りる時に、との事。

 始発電車に乗って西に向かう。眠くなりそうで寝落ちない電車に1時間弱。久しぶりに電車で淀川を渡ると大阪の駅。今日はここから

 福知山線、なんて電車に乗る。10分程間があったのでここで日付印を入れて貰い、構内で開店していたコンビニで朝食を買い求めると

 篠山口まで行く普通列車に乗る。その後の快速は4両だったりするけど、この列車は8両つないでいる。
列車は空いているまま出発する。8両つないでいるのが勿体ない乗り具合だったが、兵庫県に入った尼崎で高校生らしい若い人がたくさん乗ってくる。府県境のはっきりしない関西圏でも高校生の動きで県域というものを意識させられる。
 大阪に向かう列車とすれ違いつつ、郊外に向かう。宝塚を過ぎるとトンネルがちに。

 三田の手前、急に田舎感が溢れる景色になる。武庫川が気持ち滝になっている景色が流れる。そして車内は

 乗客がほぼ消えていた。あらって程の変化。宝塚を出た後はまだお客さんいたけどなぁ。
 新三田は大阪から44.6㎞。東海道線で言えば京都と同じぐらいだけど、この辺が通勤圏内の果てらしい。線路は単線になり、景色は田圃里山に代わる。8両の電車も複線も勿体ない。

 実り始めた田圃を眺めて駅に停まり、走り停まり。大阪から滋賀近隣と同じような距離だけど雰囲気はだいぶ違う。もしかするとだいぶ違うと思っているのは気のせいで、冷静な第三者からすると目糞鼻糞を笑う、かもしれないけど。
 乗っている列車の終点、篠山口で乗り換え。今度は

 2両編成、ワンマン列車になる。一気に1/4になるけど、全員座れる程度の乗り具合。構内には4つドアの通勤型が屯していて今までの景色と釣り合わない。
 JR宝塚線という惰弱な名前よりも福知山線という正式名称が似合う惰弱な電車は単線になった線路を走る。長々走って現れる駅で必ず対向列車とすれ違う。福知山からの快速、特急。どちらも空いている。
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 福知山線の特急、北陸線の特急、どちらも9月から定期列車の一部運休が決まっている。
 兵庫と京都の府県境だが旧国名で言うとどちらも丹波という地域。高校生を多少集めて福知山に到着となる。時刻は8時半になるところ。京都から山陰線をまっすぐ来るともう1時間早く着いたけど、まぁ良い。
 今日は福知山から京都丹後鉄道に乗る。  

 当初発足した時の北近畿タンゴ鉄道時代に乗ったことはあるのだけど、その後、運営体制が上下分離となり、
 第三種鉄道事業者北近畿タンゴ鉄道
www.ktrtetsudo.jp
 第二種鉄道事業者の京都丹後鉄道
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 に分かれてからは初めて。WILLERが鉄道事業に進出して新しい事をやるというので話題になったが、体制展開以来、実見する事なく今に至ってしまった。
 今日は一通り乗りとおしてみる。当然、18きっぷは使えないので別の切符を買い求める。良いタイミングで格安の1日乗車券が出ている。
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 京都府から補助が出たがための破格\2,200らしい。ありがたく使わせてもらう。昨日発売されたばかりで福知山の駅員もえっ?と感じだったけど。WILLAR会員だとネット予約できるそうだが、現地での購入は現金のみの対応だった。その辺は北近畿タンゴ時代と変わらないのだろうなぁ。
 高架のホームに上がってしばらく待っていると 

 列車がやってくる。宮津からホームライナーとしてやってきた列車だ。休日の有料ライナーにどれほど客ががいるのか?と思ったら高校生が少し乗っている様子。
 列車は折り返し網野ゆきの特急になる。この列車に乗る。幸い、手元の一日乗車券で特急の自由席も利用する事が出来る。
 目の前にいる車両。前に一度、山陰線に乗り入れていた時、綾部-京都なんて区間の利用で偶然当たった事がある。その時からだいぶ手を加えたみたいで、明らかに水戸岡デザイン。


 半分観光列車といいつつ、普段使いの列車ではあるので、大人しい雰囲気。

 運転席直後はフリースペースの展望席になっている。もっともこのスペースも水戸岡化された時に設けられた訳でなく、登場時からあった。前に山陰線で乗った時は座席が空いておらず。フリースペースで京都まで揺られた記憶がある。

 後続の普通列車と並び、出発を待つ。駅構内、「5001M 5分遅延」なんて業務放送があった後、「山陰線特急が遅れている関係で、出発が5分遅れます」と案内が入る。
 ちょっと間があるし、展望スペース何て良いところがある、ビールを仕入れてくる。

 ここで飲めるなら良いね。間もなく出発。
 山陰線の特急から乗り継いだお客さんがさらっと席を埋めて出発。乗車率は2割もいかないだろうか。夏を過ぎても公共交通は救われそうにない。
 架線が張られた宮福線を、気動車特急は駆けてゆく。一日数本、京都や大阪からの直通で特急電車が入ってくるけど、どちらかというと宝の持ち腐れ。線内列車は気動車で電化した投資、どれだけ効果があったのだろう。まぁまぁの乗り心地で良い座席の列車に揺られてビールを飲んでいると気動車も電車もどうでもよくなってくる。
 宮津で元宮津線と同流する。今は宮津を境に宮舞線宮豊線と愛称が付与されたそうだ。その宮豊線方面へ。天橋立で架線がなくなると、非電化の細道に代わる。

 うっかりビール2本目。

 この展望席でビールを飲みのは良いが、車端部のせいか揺れが大きめ。少々酔いが回る。

 特急列車とすれ違う。豊岡始発で宮津から福知山に抜けて京都まで行く列車で「はしだて」の名が与えられている。折角、福知山-天橋立を電化したのに、その効果無く気動車が活躍するの図。第三者が成功だの失敗だの軽々しく言えないけど、中途半端だなぁとは思う。
 列車は丹後地方を北というか西というかそんな方向へと進む。天橋立城崎温泉を結ぶ観光ルートに成り得る線路だが、

 そんなポテンシャルは関係なくただただ禍に惑い沈む鉄の道。少なかったお客さんは昔の丹後大宮、今は京丹後大宮という名前に変わった、駅で降りてゆく。
 線路は豊岡まで続くが列車は途中の網野までである。

 先へと進む普通列車の姿が見えて網野着。ここまで乗って来たのは本当わずかだった。

 網野から先、豊岡へは網野始発の普通列車に乗り換えとなる。水色がベースの車両は福知山と宮津を結ぶ区間が開業して北近畿タンゴ鉄道、当時の宮福鉄道が開業した1988年当時からの塗装。

 車内は転換クロスシートが並ぶ。これは新幹線0系由来のもの。登場当時のローカル線は直角のボックス席が当たり前だった。だからこの転換クロスは輝いて見えたような記憶がある。
 乗り継ぎ客を少々増やして豊岡ゆきは動き出す。車窓遠くに海を眺めて先に進む。

 すれ違う気動車は京都丹後鉄道になってから、と思しき塗装変更車だった。行政主体の鉄道が「タンゴ鉄道」で民間でも尖った民間のWILLARが手掛けると「丹後鉄道」になる。裏の裏が表になっただけなのか分からないけど、ここまで見る京都丹後鉄道は極めてオーソドックスというか地に足付いた感のする鉄道ではある。その代わりに変革感もあまりしない。

 外は湖が見えてくる、と思ったらこちらも海。久美浜湾。ほぼ閉ざされた内海を眺めて進む。久美浜の駅で少々停車。今度すれ違ったのは

 JR車だ。キハ40が派手に改装されていて
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 「城崎 天橋立ダイレクト」という臨時列車。京都丹後鉄道は日常的にJR線と乗り入れをしているからか、他の鉄道で見られるようなJRとの壁が比較的、比較的低い。10月には
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 天橋立敦賀の間を観光列車が走ることになっている。
 久美浜でお客さんがだいぶ降りる。何がある街だろうと思ったが、この先の豊岡は兵庫県。一種の県境現象だった。列車は山の中に入り込んでトンネルを抜けると

 円山川を渡ると左へカーブ。山陰本線が近づいてくる。偉大なるローカル線なんて呼ばれるけど、ずっと宮津線を見てきた目には立派な幹線に見える。

 既に行先は西舞鶴、に代わっている。折り返しまで20分。その西舞鶴ゆきに乗るけど、その前に一度改札を出る。JR駅にあるキヨスクを覗く。JR西構内のキヨスクはほぼセブンイレブンに転換したものだと思っていたが、豊岡はキヨスク名義の売店
 近隣の駅弁が売っているのだが、神戸駅構内の淡路屋さんがメイン。浜坂駅のかに寿しも売っていたけど
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 これも浜坂の米谷茶店は駅弁製造から撤退して、淡路屋が引き継いだもの。そんな中で狭い意味では駅弁ではないけど、宮津線沿線の産物があったのでそちらを買う。
 さて、駅に戻る。

 アナログな案内が11:00の西舞鶴行の改札を告げている。一日乗車券を提示して再び構内へ。

 山陰線の構内にキハ47が姿を見せる。香住行きの気動車を見送って車内に戻る。

【今日の駅弁】丹後ばらすし ¥854 株式会社加悦ファーマーズライス

farmersrice.co.jp
 そんな訳で宮津線沿線、与謝野町が製造元という宮津線で頂くに相応しいお弁当をお昼にする。


 地物の鯖そぼろを使うのが丹後ばらすしらしい。ちょっと鯖の癖があるけど美味しく頂ける。それと合わせたのは
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 地元の日本酒。今年の夏は日本各地を旅して地の酒を頂いた。海外も良いけどたまにはこんな旅も良いと思う。
 日本酒と共にお昼ご飯の弁当を頂いて先程来た道を引き返す。途中、

 久美浜で下り列車とすれ違う。ここからのお客さんが少々いて、昼が集まる街なんだなぁと思い至る事になる。
 お弁当と日本酒を頂くとついつい寝てしまう。気が付くと天橋立まで来ていた。うすぼんやり架線の下を進むと

 宮津の駅に着く。3方向への普通列車が並ぶ。この後すぐ、京都からの特急もくる。接続待ちで8分停まるとの事。ちょっとだけ改札の外に出てみる。

 丹後ちりめんが彩る改札から乗って来た列車を眺める。地方色溢れる景色は良いなぁと思う。残念なのは一つ一つの遊び心がこの状況を打開するまでには至らない所。
 待合室に面して丹鉄珈琲という店がある。手元の一日乗車券を提示すると1杯無料で頂ける。折角なので出して貰う。切符の番号か何かを読み取っていたからコーヒー代も府の補助があるのかも知れない。 

 後になってホーム側からも買い求める事が出来る事に気が付いた。WILLARの手に掛かるとキヨスクや立ち食い蕎麦はカフェになるのか、と感心する。

 大の大人がおまけのコーヒーだけというのも難で、要りもしないパンも一緒に頼んでしまった。そういうついで買いがあればコーヒー無料でもやってゆけるのか。

 折角なので0系の転換クロスシートにあった収納式テーブルを使ってみる。現代の目で見るとトリッキーなガジェット。
 いつの間にか京都からの特急が来ている。接続を取った後、こちらの列車も出発となる。

 宮津湾を眺めつつ列車は進む。8月の猛暑ですっかり長雨の記憶が削がれてしまった。もうクラゲが出る季節だけど、目の前の海には遅れてきた夏が居座っている。海岸線も賑わっている。

 先程見かけたJRのキハ40と再びすれ違う。行先表示は白紙状態で恐らく回送列車。天橋立まで営業してきて、止めて置ける所がないから、西舞鶴まで行ってきました、という体裁にも見える。
 再び海、

 みたいに見えるけど、見えてきたのは由良川の河口。

 有名なスポット。改めて見ると広い川だなぁと思う。もう少し上流。綾部のあたりでも見ている筈だが、こんな大きくて水量の豊かな川だとは思っていなかった。
 列車は由良川を遡ると左手に分かれる。ちょっとした峠を越えると間もなく西舞鶴。豊岡からたっぷり2時間。暑い盛りに到着となる。

 列車の行先は再び豊岡となっている。朝から4時間付き合った京都丹後鉄道とはここまで。WILLARが入っても地方鉄道は地方鉄道だよねぇというのが率直な感想。もう少し長い目で見ると思い切った変化が出てくるかも知れない。
 JRの構内に進む。

 草津線みたいな電車が見えるがこちらは舞鶴線。福知山から東舞鶴まで行く列車に1駅揺れる。宮津線の1両が2両に増えて、しかも高校生で混んでいた。ガタガタ揺られると東舞鶴の駅まで。ここから今日は 

 敦賀まで小浜線で抜けてみる。30分程待ち時間があるが、列車は既に出発を待っている。暑いさなかに冷房の効いた車内で待ち時間をつぶせるのはありがたい。
 JR西日本の車両はどこに行っても似たような車両になったが、小浜線の車両、127系はその思想が出来上がる前のもの。

 2つドア、セミクロスという配置なんだけど、

 ちょうど真ん中に不思議な椅子なしデッドスペースがある。将来ここにドアを増設するという話だったと思うが、20年近くたっても中途半端な立席スペースのまま。
 こういう不思議立席は秋田の男鹿線にもいたと思う。キハ40をロングシートにした時に車両中央に椅子を設けず立席スペースにしたというもの。ドアのところに立つ人が多くて乗り降りの支障になるので、ドアの立ち客を奥に誘導しよう、という意図だったらしいけど。

 2両つないだ列車。1両目の海側座席に座り出発を待つ。途中、席が程よく埋まった所で、もう1本、舞鶴線の列車がやってきてお客が増えるとこちらも発車時刻。敦賀までは2時間弱。

 海沿いといいつつ、海が見える所は限られる小浜線田圃を見ての東行きとなり、県境を越える。福井県嶺南、旧国名なら若狭の国となる。高浜、大飯と続く原発銀座。関西電力エリアに住む人間からすると電気を供給頂いている有難いエリアとなる。発電所があるのは小浜線からみえるような所ではなく、若狭湾へと延びる半島の先端ではある。

 目の前に見える海には有難さのかけらも物々しさのかけらも無い。並走する国道には「海水浴場は開設されません」の看板があってそちらが緊急事態の夏を告げている。
 各町の中心駅で乗り降りを繰り返して、ちょうど真ん中の小浜の駅へ。数分停まるそうだ。


 この先、滋賀に向かうなら近江今津まではJRバスがあって、それに乗るのが早くて正しい。でも18きっぷを持っているのに別払い区間ばかり選んで進むのも難なので、今日は大人しく敦賀廻り。先程の席に戻る。
 小浜線は再び里を進む。

 海の気配が消え、内陸に入ると上中。ここから湖西線近江今津はバスで20㎞40分だが、鉄道で70㎞を迂回する。四角形の三辺、ぐらいの迂回。その迂回路を進む。 

 概ね1時間に1本列車が走る小浜線なので、すれ違いは30分に1度。似たような列車ばかりがやって来る。相手の到着を待ってこちらも出発。線路の向きが変わり北に進路が向く。左手から日が差すようになる。そのまままっすぐ行けば日本海だが、その前に右にカーブ。ちらちら見えるのは日本海、ではなくて三方五湖

 だいぶ距離があり、目で見てまぁ湖があるなぁぐらいでしか分からない。
 列車は小高い丘の上に登り、敦賀の街を見下ろすようになる。市街地の果てみたいで、降りる人もちらほら。逆に乗る人はいなくて、敦賀市街の移動に小浜線、というのは選択肢にないようだ。
 左手から市街地が寄り、右手から北陸線が寄ってくると終着、敦賀

 折り返し東舞鶴ゆきになる準備が進む。この先はちょっと間がある。改札の外に出てみる。


 北陸新幹線の槌音が響く敦賀の駅。昨年の夏に出来つつあって驚いた高架線路はさらに伸びて敦賀駅の脇まで来ている。2023年春の開業だから、あと3年か。
 時刻は16時前。今日はこのまま自宅にまっすぐ帰るつもりだ。18きっぷをめい一杯使えばもう少し乗れるのかも知れないけど、日曜日の夕食ぐらいは自宅で妻と食べたい。
 敦賀の駅前。土産物屋は閑古鳥が啼いていた。珍しく自宅向けに土産物を少々買ってみる。
www.t-heisuke.com
 小鯛の笹漬け
ja.wikipedia.org
 へしこ
 妻の喜ぶ顔が思い浮かばなかったので冷凍甘海老も買っておいた。
 敦賀から膳所へのルート。米原廻りと湖西線廻りと両方ある。先に出るのは米原方面長浜ゆきだったが、土産を買う間に列車は出て行ったので後発の敦賀始発の新快速に乗る。膳所に戻る時間はどちらもほとんど変わりない。

 新幹線開業の暁には無くなるのかも知れない昔ながらの地下通路を通ってホームに戻る。新快速の出発まで少々間がある。列車を待つ間


 特急列車が2本来る。その間わずか数分。特急街道を実感していると

 新快速がやってくる。わずか4両、京阪神でみる面影はないが、とにかくこの列車で大津京を目指す。

 先程、お土産を買い集めた時、一緒に買い求めた黒ラベルでビアホール新快速を開催する。大津京まで所要時間1時間半。本気飲みになると350ml缶2本では足りないが、最近は自分の思うようには飲めないし、飲みすぎても難なので、まぁ良いかと。
 ループ線を抜け新疋田から深坂トンネル。大規模な分岐点となる近江塩津の駅を出るとまもなく琵琶湖が見えてくる。湖西線は琵琶湖に沿って南下する。

 琵琶湖岸に住む身には帰って来た!と思うべきシチュエーションかも知れないけれど、どうにもどうにも、琵琶湖が大きすぎて、近所という実感は沸かない。まだ1時間近く列車に揺られることになるので。
 近江今津で8両増結。12両の新快速らしい列車に化ける。がまだまだ外は鄙びて田舎の匂い。
 琵琶湖岸が近づいてくると時々寂れたリゾート地みたいな雰囲気の土地が広がるようになる。明らかに流行っていない別荘地。侘しさはあるけど、それを抜けば良いところだと思うけどね、琵琶湖岸は。滋賀に家を建てようとか、マンションを買おうとかは全く思わないけど、万が一、滋賀に不動産を持つなら、琵琶湖の近くが良いとは思う。

 湖西線、高架の影が伸びて行って夕暮れ時と知る中を走る。対岸に沖島だろうかが見えて少しは帰ってきた感。その琵琶湖が狭くなると琵琶湖大橋が見えてくる。自宅近辺の湖岸から見える琵琶湖の果てである。さすがに帰ってきた感がある。
 京阪乗り換えの大津京で下車。家に帰る前に大津京のイオンで
www.sapporobeer.jp
 を買ってゆくつもりが、在庫なし。聞いてみると「取り寄せられるかもしれない」という曖昧な答えが来る。試しにお願いしてみた。
 改めて帰宅は京阪電車。この時間に西大津から歩くのはちょっときつい。

 乗ってしまえば初乗り運賃で膳所まで運ばれる。帰宅は18時半。何とか夕食時に間に合う時間。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は11,011