2011-08-16

 
アラームの音で無理無理矢理矢理起き出した。盛岡の朝4時半過ぎ。駅前のホテルの狭い一室。窓を開けると盛岡の駅前。目覚めきっていない駅を横目に身支度をする。
 目覚めきっていないのはホテルも一緒で無人のフロント。呼び鈴を鳴らしてチェックアウト。駅の改札へと向かう。改札前のベンチには既に人の姿。自分より目覚めの早い人なのか、まだ夜を引きずっている人なのか。
 
 今日は田沢湖線の始発に乗る。大曲へ行く始発列車は5:22の出発。秋田新幹線なんて名前まで貰って、近隣の路線の中では出世頭の田沢湖線も、普通列車に関しては県境を越えて田沢湖まで脚を伸ばす列車は1日4本だけ。あの山田線以下である。朝の電車を逃すと田沢湖方面に動くのは難しくなのでどうしてもこの時間の電車に乗る必要があった。昨日は遅かったし、辛いが仕方が無い。
 
 田沢湖線の電車もおなじみ701系。昨日乗った701系はオリジナルのロングシートだったが、田沢湖線701系には一部ボックスシートの設定があってそこに座る。列車に乗っているのは数人。6両繋いでいるが、後ろの4両は締め切り。回送扱いらしい。
 定刻になって列車は動き出す。乗客は若い人ばかり。遊んで帰るところだろうかと言うのは偏見かなぁ。一駅ごとに降りてゆく。
 窓を雨粒が叩く。天候が崩れてゆくらしい。昨日が遅かったので天気もニュースも見ていないが、今日一日、さてどうなるか。
 盛岡で乗った人が殆ど居なくなり、列車は岩手県側最後の駅、赤渕に到着。
 
 回送の4両が切り離しになる。6両と言うのは田沢湖線のローカル列車としては破格の長さらしい。後ろの車両はホームから外れている。先程降っていた雨は上がったが空は重く、鈍い光が雲の切れ間から差し込んでいる。
 赤渕を出ると岩手と秋田の県境、山越えとなる。沢伝いに坂を上ってゆく谷に水蒸気が立ち込める。時折雨が窓を叩く。梅雨時のような光景の中を列車は確実に登ってゆく。
 長いトンネルに入る。県境の仙岩トンネル。抜けた秋田県側も雨に濡れている。岩手県側と同じ水っぽい景色の中を下ってゆく。
 田沢湖の駅に着く。まだ6時過ぎ。意味無く早いがここで30分近い停車となる。
 
 まだ寝ているような田沢湖の駅。雨がしとしと降る中、出番を待つ車両が2番線と3番線に佇む。
 時間が有るので駅の廻りをちょっと見てみる。雨が降っているので屋根の無いところにはちょっと無理。
 
 日本語と韓国語だけという珍しい観光案内は韓国ドラマのロケ地をアピールするもの。ロケ地巡りの観光客で仁川-秋田の搭乗率がぽんと上がり、撤退話のはずが機材大型化に至ったそうだ。最もブームが去った後は撤退話もまた、ちらほら、らしいけど。
 
 新幹線が来るようになって改築された駅舎。中には展示施設もあるけど朝早い時間は当然閉鎖。駅前もずいぶんと広くなった。昔は羽後交通のバスターミナルの古びた建物があった筈だが、そこも含めて再開発された様子。
 雨は相変わらず降っている。電車に戻り大人しく発車を待つ。大曲に向かうらしい高校生が少々、ほんの少々乗っている。まだ夏休みだから部活動か何かなのだろう。
 
 ようやく発車。雨の降る中を谷間から平野に向けて電車は掛けてゆく。駅毎に数人ずつ、高校生が乗ってくるからようやく列車の体裁が整う。途中、東京へ向かうこまちの一番列車とすれ違い。同じ線路を走る電車なのに掛けてゆくその姿は別の世界に見えた。
 今日は角館で下車。降りる時になって気付いたのだが2両あるうちの1両目は男子高校生車、2両目は女子高校生車、らしい。
 接続案内にあったけど、内陸線の今度の列車は7:08の阿仁合行き。それに乗り換える。角館の街も雨。結構激しい雨。武家屋敷を見物、とかそういった事が出来る状況ではない。
 乗り換えの間に朝食を買っておく。この先、食事を出来る見込みもないし、駅のコンビニに。何か適当なものと思ったら
 
 こんなのを見つけた。「ぼだっこ」=「塩鮭」ならただの鮭のおにぎりとどう違うんだ、と両方買ってみる。それでは乗り換え。
 
 JR駅の隣に内陸線の駅舎がある。ここで切符を買い求める。今回使っている北海道東日本パス。これで乗車できる民鉄もあるのだが、秋田内陸縦貫鉄道は対象外である。
 鷹巣までの切符を買おうとして「ホリデーフリーきっぷ適用日」の案内を見つける。鷹巣まで通しで買うと1,620円。ホリデーフリー切符は2,000円。フリー切符の方が高いのだが、どこかで降りてみたい気分もあり、そちらにする。
「ホリデーフリー切符下さい」
「どちらまで」
鷹巣まで」
「普通に買ったほうが安いです」
 ぶっきらぼうな言い方だが親切心から言っているのだろう。言い方だけ聞いていると怒られているような感じもする、典型的損する秋田県民だなぁと思いつつ
「途中で降りるかも知れないから」
 と切符を出してもらった。

 この方が記念にもなるし。

 
 激しくなった雨の中、阿仁合ゆきの普通列車が発車を待っている。乗客はわずかに3人。自分で4人目。夏休み中だからか高校生の姿も無い。朝の公共交通機関としては実に寂しい姿のまま発車時刻となった。
 
 さて先程のおにぎりを食べる。
 まずは「ぼだっこ」
 
 塩鮭の切り身がそのままおにぎりの具になっている。どうかと思うほど塩っ辛い。でも秋田の塩鮭はこれが標準かもしれない。
 
 こちらは鮭。よくある鮭フレークのおにぎり。塩はそんなに効いてない。
 確かに別の食べ物かも知れないと思う。
 

 列車は雨の中、山間へと入ってゆく。雨に濡れた田圃を眺めると人の居ない駅が現れ、一息つくとまた動き出す。その繰り返し。途中、八津で角館ゆきの列車とすれ違う。向こうの列車には高校生やらなにやら、さっと乗っている感じで列車の体裁は整っている。こちらは角館から動きが無い。
 旧角館線の終着、松葉で乗客が一人降りて20年前の新線区間に分け入る。谷が狭まり、田圃が小さくなる。雨は相変わらず強く降り、山間に雲が立ち込める。
 同じ県内ではあっても角館と阿仁は生活圏が違う。その生活圏を隔てる峠を長いトンネルで抜ける。抜けきると阿仁マタギ。ここで観光らしい人が降りてゆく。クルマで5分も走れば温泉があったり、クマ牧場なんてものもある。駅前に1台、タクシーが停まっているのが見えた。
 
 秋田県内では県北になる阿仁側も水っぽい景色。それでも雨は止んだ。どこかで降りようかという気分と面倒な気分が同居している。この列車で阿仁合まで行っても鷹巣行きの接続は無く、2時間近く待たされる事になる。それならどこかの駅で降りて一度引き返してみるのも良い。フリー切符を持っているからそんな事も出来るが、気が付いたら比立内。角館ゆきの列車とすれ違う。今度の角館行きは比較的席が埋まっている。こちらのドアが開く前に向こうの列車は出発。どうやらこのまま阿仁合まで乗り通す事になりそうだ。
 旧阿仁合線の区間笑内と書いて「おかしない」と読む駅を眺めたりすると見覚えのある街が現れる。阿仁合の集落だ。
 
 最後は自分と合せて二人の乗客、と思ったら残った一人は鉄道員だったようだ。つまり自分ひとりだけ乗せて阿仁合の駅へ。ここは2008年の夏に泊まったことがある。あの時は気仙沼に泊まり釜石を経て盛岡に出て、さらに花輪線で大館。そして阿仁合泊という行程だった。今回と同じような所を廻っている訳だ。気仙沼の街は変わり果てただろうが、目の前の阿仁合の集落は3年経ってもそんなに変わった様子は無い。
 次の列車、鷹巣行きは10:20となる。その間に9:32発、角館行き急行なんてのも出るのだが、それに乗ってしまうと今度は後に差し支えが出てくる。急行の走る写真でも撮ってと思っていたのだが、この雨。困ったものだ。
 時間が有るなぁとぼんやり待合室を見回してみたら、簡単な食堂がある。しかも  
 
 馬肉丼なんてものが置いてある。滅多に食べる機会があるとは思えないので、試しに頼んでみた。価格は¥500。駅のそば屋だと思ってみると高く感じるが、名物メニューと思って見ればずいぶん安い。
 
 炊いてあるご飯に既に出来ている具材を盛り付けるだけだから提供は早い。数分でご飯とお汁のセットが供された。 
 
 これが馬肉の丼、馬肉丼。馬刺しは居酒屋メニューで供される事が多いから食べた事があるけど、火の通った馬肉と言うのは始めてである。案外柔らかく、臭みも無く、脂っぽくも無い。割とヘルシーな丼に仕上がっている。一気にファンになるわけじゃないけど、選択肢の一つとしてはアリかも知れない。
 ちなみに、適当なB級グルメとして開発された訳ではなく、昔から阿仁銀山の労働者ではスタミナ食として馬肉を食べる習慣があったのだそうだ。江戸時代に遡る由緒正しいB級グルメ。歴史を引っさげてB級グルメの世界に打って出れば、そこそこまぁまぁそれなりの所まで行きそうな気がするけど、そんな元気と気概は阿仁合には無いかもなぁ。
 さて、9:15に鷹巣から列車が着くので、それをどこかで撮りたいのだが、
 
 雨が激しく降ってきた。今日、16日は阿仁合で花火があるそうで、売店の人とそば屋の人がしきりに天気の心配をしている。降ったりやんだり、その繰り返しのようだ。
 時刻が9時を過ぎた。雨は止んでいる。9:15に鷹巣に着く列車を迎えに行こうかと思う。駅前を出て道を左に。ちょっと歩くと、
 
 また大雨になった。ちょうど木の下にいたが身動きが取れない。持って来たと思った折畳み傘もない。やれやれ。近くの軒先を借りて雨をしのぐ。どうせそのうち止むだろと暫く様子見。案の定、小降りになってくる。もう9時15分を過ぎている。スゴスゴと駅に戻る。そのまま待合室に戻るのも癪なので、駅の角館側に立ってみる。異人館の近く。いざとなれば逃げ込める。
 
 既に9:32の急行もりよし、角館行きがホームに入っている。留置線には急行用、普通列車用の各車両がちらほら。急行用車両はこんなに数があったのかとちょっと不思議に思ってみる。
 幸い雨は落ちてこないから、ここで急行の発車を待ってみる。
 
 それなりにお客さんを乗せた急行列車が角館に向かう。最後尾には女性アテンダントの姿も見えた。
 濡れたまま駅に戻る。列車の時間まではまだ小一時間ある。後は大人しく待合室で過ごすことにしよう。阿仁合の空、一瞬晴れ間が覗いたが、そのあとはまた豪雨。今日の花火が開催できるのか出来ないのか、今の所は誰にも分からない。
 待合室にいつの間にか人が増えた。時刻は10時過ぎ。まもなく鷹巣行きの列車が来る時刻。10時10分を過ぎて改札が始まる。幸いこの時間は雨が止んでいる。
 
 まもなく角館からの鷹巣行きが入ってくる。乗りとおすだけならこの列車で十分だったのだが、こちらは田沢湖線との接続が無いのだ。本数の少ないローカル線を乗りこなすのは、なかなかどうして、難しい。
 朝乗った阿仁合どまりの列車に比べるとそこそこ人が乗っている。そして先程急行で見かけたようなアテンダントの女性も乗っている。この人、阿仁合駅にあった観光案内所の係員と同じ制服。どうやら北秋田市の関係で乗っているらしい。昔は鷹巣町合川町森吉町阿仁町だったのが今は単独で北秋田市だから、内陸線の浮沈は切実な問題なのだろう。
 ボックスに1グループずつ。そしてロングシート部分にも少々のお客さんを乗せた列車は阿仁川の谷を下り始める。エンジンを軽く吹かすと後は流れるがごとく。谷はたいぶ広がって来たが、まだまだ下り道は続くようだ。
 地元のお客さんと6割、観光客が4割という印象の車内だが、アテンダントさんは律儀に観光案内をする。そしてお得な切符の情報なんて案内もする。その後に車内販売が始まったりする。
 実はその前、阿仁合の駅の売店でこんなものを買っていたので、非常に申し訳ないなぁと思ったのだけど
 
 沿線のある意味名物駅、笑内にちなんだお菓子。中身は 
 
 こんな感じ。ちゃんと顔認識してくれました。
 鷹巣へ向かう列車は途中の小駅でも多少乗ってくる人がいたりして、一駅、二駅進むと少しずつ車内が込み合うようになる。
 
 高校生がいたり、帰省客がいたり、18きっぷの利用客、と言うのが居ない事を考えると中々の盛況。温泉駅である阿仁前田ではしっかり温泉のアピールが入る。阿仁合の駅で温泉クーポンなんて切符を買っていた家族連れが降りてゆき、そして代わりのお客さんが乗ってきて空いた席が直ぐに塞がる。
 
 まだまだ雨が続く3日目。列車から眺めているだけなら雨の景色、低く立ち込める雲の景色、水墨画の世界のような山間の景色。とても素敵なのだが、先程の濡れた服と冷房の風とが相まって、若干辛い。
 阿仁谷も合川まで下るとだいぶ平野の様相を呈してくる。結構盛況な対向列車とすれ違う。こちらもそれなりに混んでいる。さすがにお盆時。この時期に乗ってもらえないと鉄道としてはかなり辛いだろうが、今日の所はひとまず合格のようだ。
 そして外の景色。日が射してきた。
 
 明るくなった杉林の中をエンジンを軽く吹かしながら転がってゆく。米代川の鉄橋を渡るころには夏色の空が広がっていた。
 4時間以上を掛けて100km弱の北上。鷹巣に着く。
 
 大太鼓の故郷はポストまでが太鼓の被り物をしていたりする。阿仁とは比べ物にならないほど大きな町が広がる鷹巣の駅前。ここの乗り継ぎは20分ほどの待ち時間。大館行きの普通列車に乗り換える。内陸線でも見かけたようなお客さんも待合室で列車を待つ。JRの鷹ノ巣駅国鉄時代さながらの列車別改札。時間が来ないと改札が始まらない。
 秋田行きの特急と大館行き普通、ほぼ同じ時間に改札が始まってホームに入る。内陸線とJRで駅名表記が違うし、駅舎も改札も分かれているが中に入ってしまえば、柵があるわけでなく、互いに行き来出来るようになっている。
 
 暫く待つとおなじみの顔がやって来る。701系の2両編成。ワンマン扱いの大館行きである。仙台でも盛岡でもお世話になった701系。元々と言えば秋田に投入されたのが最初だった。93年の事だからもう18年選手となる。ついこないだだと思っていたのだが、どうも時間が経つのは早い。
 
 車内は一通り座席が埋まり、立客もちらほら。荷物が大きい人も多いが、18きっぷの乗り継ぎ客とは限らない。この辺り、特急を選んで乗ると随分と待たされる事も多い。普通の帰省客も多いに違いない。
 すっかり晴れ上がった空の下、米代川を右に眺めて穀倉地帯を行く。どこへ行ってもそうだが、8月も盆が過ぎるこの時期、水田は出穂の季節。青緑の中に黄色を落としたような田圃がどこまでも続いている。
 大きな窓と賑やかな車内、どこまでも明るい8月の東北をそのまま車内に持ち込んだような電車は快調に奥羽線を掛けてゆき、定刻に大館に到着となる。
 
 忠犬ハチ公が出迎えてくれた。
 列車は大館どまり。大館からは割りと接続良く青森ゆきが発車する。15分ほど間があったので、その間に大館名物、花善さんの鶏めしを手に入れる。駅構内のコンビニでも購入可能だが、折角なので駅前にある花善の本店に脚を伸ばした。
 
 鶏めしの文字も大きい花善の本店。一階は食堂で、そこのレジで駅弁も帰る。待つほど無くほんのり暖かい鶏めしが供された。これを車内でいただく事にする。
 駅に戻ると先程とは別の701系が発車を待っている。
 
 大館までは2両でワンマンだったが、この先は3両で車掌も乗務。乗客はほとんどが大館で降りたから車内はむしろ空いている。階段に近い先頭車はそこそこ席が埋まっているが、一番後ろはほんの数人。一番空いている3両目で先程の駅弁を頂くことにする。

【今日の駅弁】鶏めし ¥850 株式会社花善

 
 
 そんな訳で1年ぶりの鶏めし。大館なんて遠くて中々訪れる事は出来ないけど、何だかんだと1年に一度は食しているような気がする。勿論それだけの価値があると思っているから、行程を合わせるのである。
 今年の鶏めし。付け合せのおかずが少々変わった気がする。季節によって変えているのかも知れないけど、秋田の味にしては薄めの味付けが上品で素晴らしい。今年も鶏めしの王者は健在。
 
 列車は秋田から青森の県境へと駆けてゆく。陣場の手前、タバコの畑が見えた。もちろん水田も多いし、トウモロコシが大きくなっている畑も見える。山々には杉の美林。そして長いトンネルを抜けて山を下ってゆくと今度はリンゴの木が見て取れるようになる。東北を巡る夏休みもとうとう青森県に入る。
 山を下ると下校する高校生がちょっと、ほんのちょっと乗ってくる。夏の短い東北もまだ学校は夏休み。そして弘前に着くと、今度は大挙してお客さんが乗ってくる。山を下ってきて川の流れが変わるのと一緒に人の流れも代わったのだ。この先、新青森まで行くと新幹線という太い幹がある。
 朝からの強行軍が響いてついついうたた寝。車内がざわついたので目が覚めると新青森の駅に着くところだった。林の中の小駅だった筈の新青森は新幹線が延びてきてすっかり様相が変わっている。列車は10分止まるそうだ。青森に行く人には迷惑な停車かも知れない。
 
 自分は一旦、新青森で下車する。
 東北新幹線は昨年12月に八戸から新青森まで延伸したけど、まだその区間、未乗のまま放置している。本当なら3月に九州新幹線が出来たら鹿児島から青森を経て札幌まで日着してやろうと企んでいたのだが、3月の震災で不通となるは4月に転勤になるわで、とてもとても鹿児島から札幌までなんて旅行が出来る状況ではなかった。
 だからと言うとかなり安直になるが、今日は未乗区間新青森から八戸の間だけを乗ってやろうかと思う。実に安直過ぎて、せめて東京から新青森までを通しで乗る機会を持つべきだろうが、青森まで脚を伸ばしておいて、すぐそばの未乗線区を放置しておくのも気が引ける。
 手持ちの北海道&東日本パスでは当然の事ながら新幹線には乗れないので、この区間は別払いである。モバイルスイカ特急券で用意しておいた。新青森から八戸は¥3,200。同じ県内の移動としてはかなり高くつくような気がする。しかも青森も八戸も中心地ではないし。
 夏休みのこの時期。定期便のほかに臨時列車が増発されて2本の新幹線が相次いで発車する。慌しく通り過ぎるのも難なので後の臨時列車の指定席を用意しておいた。その臨時列車
 
 128BはJ64編成。盛岡までは各駅に停車するタイプ。これから沢山お客さんを乗せるのだろう。新青森の段階ではまだ空いている。隣のホームからは沢山の乗客を乗せて先発の168Bが発車してゆく。
 気が向いて一番後ろまで脚を伸ばす。
 
 東北新幹線は全線開業となったが、この先、さらに新幹線は新函館を目指す。数年後には海峡を越える線路を眺める。津軽半島へと延びる線路を見ていると明日にも北海道へ新幹線が走る日が来る様な気がしてくる。
 
 席へと戻るとまもなく出発時刻となる。座席は3割程度しか埋まっていないが、家族連れがバラバラに座っていたりするから、きっとこの先、満席になるのだろう。
 気が付いたら列車は動き出していた。実に滑らかに、音も無く加速してゆく。車窓へ視線を延ばすとそこには防音壁。九州新幹線もそうだったが現代の新幹線はどうしても景色と言う点では、新幹線の線路が新しくなればなるほど、見劣りする、という事になる。
 防音壁がトンネルの暗闇に化けた。長々続くトンネル。10分少々で速度が緩む、七戸十和田の駅に着く。
 
 雨粒が窓を叩いた。どうも先程から雲行きが落ち着かない。水平に走る雨粒が斜めになって速度が落ちる。真新しい駅と沢山の人が現れて七戸十和田到着。今乗っている車両に十数人のお客さんが乗ってきて同じだけの人が残る。見送り客が多いから本来の乗車以上にホームが賑わっている。
 お互いに手を振り合う頃、ドアが閉まる。次は八戸。また防音壁が視界を遮る。
 
 辛うじてみえた林は青森ヒバの林だっただろうか。260km/hで走る世界からは確かめる術が無い。
 トンネルを抜けると一面の田圃。遠くに八食センターなんて建物が見えてきたからもう八戸だ。線路が近寄り、貨物がごろごろしている。速度が緩んで何軒か立ち並ぶホテルが大きくなると八戸到着となる。
 
 新青森から28分ほど。実に早いが、ここで降りたのは見渡した限り自分ひとり。乗ってくるお客さんの方が圧倒的に多い。
 東京行きのはやてきが出てゆくと八戸の駅には静寂が訪れた。次の東京行き新幹線はやては30分ほど後だが、全車指定席だから早くから並ぼうという人はいない。終着駅、始発駅という立場を失った八戸の駅は、お盆の時期なのにどこか寂しげにみえる。
 今日はもう一つの未乗線区、青い森鉄道に転換された在来線の八戸-青森の区間に乗るが、その前に寄り道をしようと思う。八戸から海沿いに岩手県の久慈へと伸び、あの三陸鉄道と接続するJRの八戸線。ここも岩手県側の区間は震災の影響で運休となっている。ずっと青森県の階上までが運転再開となっていたのだが、ついこの間の8日からさらに南、岩手県の種市まで営業区間が延びたばかりである。その八戸線を往復してこようと思う。
 今度の種市行きは15:03の出発。少々間があるのだが、ホームで待っていると、出発の30分も前にも関わらず
 
 青森側から気動車が入ってきた。キハ40とキハ48を連ねた3両編成。ホームに横付けされると係員が行先票を差し込んでゆく。八戸-種市の「種市」の文字は貼紙。あくまで仮の状態である事を物語るようだ。
 気動車の窓は閉まっていたが乗り込んでみるとむっとする熱気に包まれる。天井には
 
 扇風機。キハ40系登場当時のまま非冷房で据え置かれているのだった。同系列のクルマは北海道から九州まであちこちに点在して使われているけど、JRになった後に冷房を付けられた車両も多い。同じ東北でも石巻線磐越西線にいるグループは冷房改造されている。今日はまぁ涼しいからいいけど、自動車もバスも冷房付が当たり前の時代。山田線ですら冷房車だったのに、八戸線の利用者はちょっと可哀想だ。
 窓を開き、扇風機を廻すと割りと涼しい空気が入ってくる。国鉄時代の汽車旅がそっくりそのまま残っている、今となっては稀有な体験が出来る、と言うのは褒めすぎか。
 
 隣のホームには第三セクターに移管した青森県内の青い森鉄道の車両、そして岩手県内のいわて銀河鉄道の車両。元々東北線で活躍していた701系が線路ごと移籍して発車を待っている。同じ東北線なのに会社は別々。車両も別。青森と岩手はそんなに仲が悪かったかなと思わなくは無い。一緒にやっても良かったんじゃないかといつも思う。
 待ち時間の間に席が埋まる。3両繋いで1ボックスに1グループだから良く乗っている方に違いない。あちこちで窓が開けられ、扇風機が廻りだす。
 定刻が来てドアが閉まる。ブルブルと車体を震わせ、ゆっくり、本当にゆっくりと列車は動き出す。最近の軽い車体に力のあるエンジンを載せた気動車とは明らかに違う踏み出しぶり。どことなく汽車と言いたくなるような動き出しだ。
 走り出しは遅い気動車も、隣の駅まで距離があるから走っている間に速度がのって来る。エンジンを切ると♪タタン♪タタンと継目を刻む音とカラカラというエンジンのアイドリング音が重なって、先程の重たさが嘘みたいになる。
 八戸市の市街地は東北線の八戸よりも八戸線の本八戸の方が圧倒的に近い。東北線だけに乗っていると気付かないような大きな市街地が現れて、汽車は高架の線路にあがる。駅に停まると沢山の人が乗ってきて、また乗り込んでくる人も多い。八戸線のこの辺り、新幹線と市街地を結ぶアクセス鉄道であると同時に、八戸市街の脚でもあるようだ。
 海と言うか、港がちらちらと見える。建物はぱっと見た限りでは健在。八戸の水産業地震津波で酷くやられたそうだが、今まで見てきた景色と重ね合わせると被害は軽いほうのようだ。
 鮫の駅までは八戸市街線。ここから先は八戸郊外線となる。列車も鮫までは比較的本数は多いが、その先、暫定の終着駅である種市まで向かう列車は少ない。
 
 鮫を出るとまもなく、海岸線が目の前にみえるようになる。海に浮かぶ蕪島ウミネコで有名な島。今日流れてゆく景色は実に平和な光景だけど、ここも3月11日には大きな津波に襲われて被害を受けた所である。
 
 海に沿って列車は進む。時々集落が現れて駅に着く。この辺りの建物、壊れたような跡がないので被害がいかほどだったのかは良く分からない。ただ、真新しい看板「この場所 海抜15.8m」なんてあったりするのを見ると、この地を襲った衝撃の大きさだけは伝わってくる。
 
 八戸から50分ほどで一時期は終着だった階上の駅に着く。何人かのお客さんが降りていって気付いてみると残っているのは1両に数人。しばらく留まり、駅員に見送られて出発となる。あと2駅だが、開通したての区間となると改めて居住まいを正す事になる。
 遠くに海の気配を感じつつも、田圃を望み集落を縫うように列車は走る。そして仮の終着、種市に到着となる。八戸から1時間少々。この先、久慈までは代行バスが運転されているが、この列車と接続するバスは無い。種市の駅に降り立った人、街の中へと散ってゆく。
 折り返しの八戸行きまで30分ほど間があったから少々歩いてみる。
 ここ間で来ると岩手県内となる。洋野町という町名には耳馴染みがないが、平成の大合併で生まれた地名である。元々、駅のある所は駅名そのままの種市町
 
 駅前にあるキャラクター像の手のひらにはウニ。この辺の名産だが、しばらくは漁も難しいに違いない。
 駅の戻ると折り返しの列車、八戸行き。乗ってきた人よりも多くのお客さんを乗せて発車を待っているところだった。
 八戸に戻る前に、久慈側の線路を眺めてみる。
 
 赤く錆びた線路が延びて仮の車止の先へと続く。薄暗い林の中へと消えてゆく線路だが、先行きは明るい。

 東日本大震災:不通の八戸線 震災前と同じルートで再開へ  毎日新聞 2011年7月28日 2時30分(最終更新 7月28日 9時53分)

 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110728k0000m040157000c.html
 
 東日本大震災で一部区間が不通となっている八戸線青森県八戸駅岩手県久慈駅間、64.9キロ)の復旧計画を検討してきた地元自治体とJR東日本が、来年4月をめどに震災前と同じルートで全線運転再開することで合意していたことが27日、分かった。被災した在来線7線区(八戸、山田、大船渡、気仙沼石巻、仙石、常磐)のトップを切り、全線で復活することになる。
 八戸線は階上(はしかみ)−久慈間が津波の直撃を受け、宿戸(しゅくのへ)−陸中八木間の橋桁が約40メートルにわたって流失したほか、線路の埋没や駅舎損壊などが相次ぎ、被害は60カ所に上った。
 その後、八戸−階上間で運転を再開し、階上−種市間は8月8日から暫定ダイヤで運行を開始。残る種市−久慈間について、両者で復旧ルートや防災面を含む安全対策を協議してきた。その結果、自治体を中心にまとめた沿線復興計画で、市街地や集落を移転しないことが決まったことから、震災前の既存ルートで復旧を進め、12年度初めまでに種市−久慈間での運転再開にめどがついた。工事完了まで、同区間はバスで代行輸送する。   

 来年、運転再開をしたら久慈まで脚を伸ばしてみようかと思う。その日を楽しみにしている。

 帰り道は山側に席を取ってみた。先程と同じ気動車はエンジンをブルンブルン言わせながら八戸へと引き返してゆく。窓を開け放ち、扇風機を廻していると、ぽつん、ぽつんと雨が降ってきた。
 
 慌てて窓を閉める。気持ちだけ斜めを穿つ雨粒が、汽車の速度を物語る。雨は幸い長引かずに止んでくれる。止んだのを見計らって窓を開けると湿り気を帯びた空気が流れ込んできた。
 見送りの光景が繰り広げられるローカル駅を踏みしめて階上へ戻る。駅員がタブレットの輪を持って歩いているのが見得る。暫定開業に伴う仮の処置なのだろう。昔ながらの鉄道情景だが、久しぶりに眺めた。
 
 撤去された待避線。朽ち果てたホーム。種差海岸の駅で。関東と名古屋の間を行き来しているだけでは出会えないようなローカル線の痛々しい情景が流れてゆく。
 山側に座ったおかげで、線路よりもさらに奥まった一段高い丘の上に立つ灯台、なんて景色にも出会える。   
 八戸市内、鮫までは意外と早く40分弱で戻ってくる。ここから八戸までが30分近くを要するのだが。座席は一通り埋まっている。八戸市内線に差し掛かると一駅ごとに乗り降りが目立つようになる。
 
 高架橋に上がると八戸の市街地が一望できる。県内の弘前や青森に負けない街である事が初めて分かる。海側の景色だけ眺めていてはこれも気付かぬ事だった。
 八戸の市街をぬけて田圃が見えてくると八戸到着の案内が流れる。乾いたアイドリング音に混じって新幹線や在来線の接続が告げられた。定刻、17:41に到着。
 盛岡を出てもう12時間が過ぎた。そろそろホテルに入って、と言うのがここ数日の流れだが、今日はまだまだ動く。今度は在来線が新幹線開通に伴い移管された青い森鉄道に乗って青森へ。
 
 次の列車は快速電車だそうだ。停車駅は三沢、乙供、野辺地、小湊、浅虫温泉〜と案内される。JR時代の特急停車駅よりは停車駅が多いが、停まらない駅の方が多い本格派の快速電車である。
考えてみると、秋田地区では701系が投入されたときに快速電車が設定されていて、これは土崎も追分も停まらない、当時の急行よねしろよりも停車駅が少ないというかなり意欲的な列車であったが、結局は消滅してしまった。いわて銀河鉄道でも転換時には盛岡-八戸を結ぶ快速電車を何本も設定していたが、いつの間にか縮小している。結局、ある程度の運転本数がないと、快速停車駅と通過駅で利便性に差がつき過ぎて、どうも良くないと言う事なのだろう。
 青い森鉄道が設定した快速列車は朝夕のみの運転。比較的本数が多い時間を選んでいるようで主要駅へ向かうお客さんは18:12の快速、快速通過駅のお客さんはその15分後の18:27に乗ればよい事になっている。通過駅の利便性にもある程度考慮しているようだ。
 快速は座席が7割埋まる程度の乗車。定刻に発車となる。次は三沢まで停まらない。
 
 暮れなずむ中、列車は駆けてゆく。水田の彼方を新幹線の高架が貫く。新幹線はトンネルへと吸い込まれて行くのが見えて、こちらの線路はアップダウンの意外と激しい台地を貫く。三本木原の果てかも知れない。気持ち良く飛ばしてゆく。小さな駅が一つ、もう一つと過ぎてゆく。
 三沢の駅に到着。降りる人が半分ぐらい。その代わりにのって来る人もいるから八戸発車時とそんなに変わらない。寂しげな街が流れてゆくが、ここも市街地は駅から離れた、空港への途中にある。
 まだ18時半だが薄暗くなり、車窓が分かり辛くなる。流れてゆく駅もぼんやりと明かりが過ぎてゆくだけになった。次の停車駅、乙供ではドアが開かない。この列車、ワンマン運転である。前の車両から乗り降りした人が居たかも知れないけど、気付かなかった。
 朝が早かったせいかさすがにウトウト。野辺地の停車で目が覚める。ここは全ての車両のドアが開き、また乗り降りが繰り返される。こうして見ていると割と良く使われている列車に見える。
 すっかり車窓が暗くなる。この旅では暗くなった車窓は初めてだ。何軒ものホテルが並ぶ浅虫温泉も闇の中だった。この時間に温泉に繰るようなお客さんはいる訳も無く、地元のお客さんが小さく乗り降りしてゆく。
 青森市内矢田前からは普通列車になる。中心街へ向かう電車は逆方向の流れだろうがそれでも何人もお客さんが乗って来る。
 速度が緩み、大きなカーブに差し掛かると青森の駅も近い。ゆっくりと走るその雰囲気は東京から続く大幹線の終着駅に相応しい雰囲気。徐々に広がっている線路も終着駅に相応しい雰囲気。八戸からの100km弱を1時間20分ほどで駆け抜けて定刻の19:31、青森の駅の到着となる。
 
 新幹線の来なかった青森駅は昔ながらの雰囲気、ちょっと違うのは駅を隠すようにバスターミナルが出来ている事。「あおもり駅」のネオンサインは変わらないけど、雰囲気はちょっとだけ変わった。
 青森の駅前、なかなか賑やかである。大きな荷物を持った、旅の雰囲気を醸し出すコンビニに溢れている。まるでこれから夜行列車にでも乗るような雰囲気だけど、どうやらツアーバスの出発ラッシュであるらしい。キラキラだのウィラーだの、東名筋ではおなじみのバスが駅前の隅っこにひっきりなしに出入りしている。
 今までの流れなら青森泊、となろうが、今日はこの後がある。ただし青森で大休止。ひとまず何か食べようと郷土料理の店に入ってみた。
 
 まずはビール。
 
 盛岡では入荷の無かったホヤが青森にはあった。今年の初ホヤ、美味しく頂く。
 
 バッケみそ。こんなものが居酒屋のメニューに並ぶなんて思っていなかった。
 
 わらびを天ぷらで頂く。
 
 シジミも頂く。胃が疲れているらしい、やさしく染み込んでいった。
 何となく居心地が悪く、早めに出る。あまり飲まなかったせいもあるが、意外と安くつく。もう少し掛かったと思ったのだが。
 
 駅に戻る。今日はこのあと、札幌行夜行急行、はまなすに乗車する。はまなすの発車は22:42。まだだいぶ時間が有る。待合室に座って恥辱を少々進めておく。本当はマクドナルドの電源席でも使いたかったが、店があるのはみんな郊外。駅から歩ける範囲には無いようだ。
 発車まで1時間となったのでホームに行ってみる。今日は指定券を用意しているが、自由席の様子がどれほどのものか、見てみたい。
 
 がらんとしたホーム。今日は12両つないでの運転で改札に近いほうから3両が寝台車、6両が指定席車でうち1両はカーペットカー。奥の3両が自由席車となっている。本来なら寝台2両、座席5両の7両だから5両も増結している。さすがに盆時の最混雑時だが、昔の大垣夜行を品川で待つ行列や急行津軽上野駅地上ホームで待つ行列を知っている身には、かなり物足りない。
 はまなすの入線、発車20分少々前の22:19と案内のスクロールで繰り返し流されている。駅のホーム、売店は既に営業終了。2001年だったか、特急白鳥で青森に着いて急行はまなすに乗り換えた時は、売店どころか駅そばも営業していた。
 一旦駅前に戻って軽い寝酒を買っておく。コンビニは相変わらず盛況中。荷物の大きな若い人が目立つのでやはり旅行者だろうが、どれだけの人が急行はまなすのお客さんになるのか、良く分からない。
 
 駅に戻る。あと10分少々で入線だが、ホームには蟹田行きの津軽線最終列車。そして、
 
 明らかに増えた人々。自由席の乗車口にはそれなりの人が列をなす。指定の乗車口は行列にはならず、ベンチに座ったりして列車を待っている。
 放送が入る。初めてはまなすの事をアナウンスが告げる。
 
 予告どおりの22:19、急行はまなす、札幌行が入線。長々と連ねた14系座席車の青い車体。久しぶりにのる夜行列車だが塗装が浮いたりはげたり、痛みは想像以上に激しい。なんとも気分を萎えさせる。そして、もう一つ。
 JR北海道のサイトで急行はまなすが紹介されている。

 http://www.jrhokkaido.co.jp/train/tr015_02.html

>45度まで倒れるリクライニングシートで、目的地までゆっくりとお休みいただけます。
>個別の読書灯もついており、室内灯減光後も読書をお楽しみいただけます。
>また、車両には共用のミニラウンジを設けております。
 
 本来の指定席はこんな車両なのだが、今日は増結があるのでそのご自慢の車両が揃わない。

 
 おおぶりな座席が快適な眠りを約束してくれそうなドリームカーではなく
 
 昔ながらの普通車にあたってしまった。しかも目の前に停まった車両。中ほどでディーゼルエンジンが大音量を奏でている。騒音車、じゃなかった、電源車。
 混雑期だから座れるだけでもありがたい、と思うべきかも知れないけど、もっと腹立たしいのは、同じ設備の自由席車にはディーゼルエンジンを積まない静かな車両が宛がわれていて、しかも空いていたりする。折角の指定席だが、今日は自由席に引っ越す事にした。指定券代は勿体無いが、今日は眠れる事を優先する。
 自由席車は概ね2席を1人で使える程度の乗車。所により4席を向かい合わせにして使っている不届き者がいるぐらいの状態。幸い、空席があったので抑えてしまう。本来の指定席車よりは居住性は劣るが、2席使えるようなら、まぁ、許せるかも知れない。
 発車まで時間があったから先頭に立つ機関車をみておく。
 
 増結につぐ増結で、機関車は立入り禁止エリアまではみ出して停まっている。ED79 20がこの先、函館までの先頭に立つ。青函トンネル向けに改造された機関車は元をたどると秋田機関区にいたED75の700番台。調べてみると760号機だったらしい。幼い頃、秋田で見かけた機関車かも知れない。
 
 反対側のホームからも綺麗な写真は撮れなかった。まぁ、柵の先まで入って撮っている不届き者いたけど、こんな写真にしておく。
 
 最後に、寝台車と機関車に挟まれたヘッドマークを。こういった絵に描いたような夜行列車。本当にどこからも消えてしまった。寂しい限りなのだが自分自身、急行はまなすに乗るのは6年ぶりだったりする。夜行列車にはそれなりに乗ってきたつもりだったが、最近はやはりホテルに泊まる方が楽な自分が居る事を考えると、無責任に運転を続けてと言えそうに無い。
 
 席に落ち着く。まもなく出発時刻となる。リクライニングの浅い、今となっては座り心地もイマイチな簡易リクライニングシートが並ぶ。
 
 この夜行列車のために、スリッパとアイマスクを用意して来ている。盛んに夜行列車に乗っていた頃には無かった知恵。 
 
 夜行のお供はウィスキーにしてみた。おつまみには南部せんべいのゴマ。妙な組み合わせだが悪くないような、気がする
 まもなく発車の案内が流れてドアが閉まる。がっくんと大きな衝撃。今日の運転士、引き出しが下手だ。そんな事を気にする旅は本当に久しぶり。ゆっくりと走ってゆく急行列車。いつの間にか結構なスピードを出している。津軽線の小さな駅、薄ぼんやりした灯りが流れていった。
 車掌の案内があって札幌までの停車駅と到着時刻を告げる。そして、寝台車の放送は翌朝、千歳到着まで控えると告げられた。ご案内方々車内に参りますとあって、どうやら検札のようだ。列車は12両繋いでいるし、それなりにお客さんも乗っているから、順々に検札が廻ってきたら、自由席は最後の方、トンでもない夜中になるかも知れない。以前、ムーンライトえちごで1時半の高崎停車中に検札が来たことを思い出す。それが意外と早く現れたなぁと思ったら「切符をお持ちでないお客様」とさっと一巡してゆくだけ。拍子抜けする。
「列車すれ違いのため停車します」と停まった蟹田。反対側に現れたのはシルバーの大振りな客車。寝台特急カシオペアの上野ゆきだった。並ぶ個室。こちらを見ている人が手を振り出すから釣られて振りかえす。そうすると隣の個室の人が手を振り出したりする。その隣、食堂車ではスタッフが後片付けに追われているのが見える。日本一贅沢な夜行列車と昔ながらの夜行列車のすれ違い。季節柄なのか、何故かほほえましい。
 中小国から津軽海峡線に入ると揺れが少なくなり、乗り心地が変わる。ウィスキーのミニボトルも空いた。アイマスクをするといつの間にか、意識が無くなる。

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