【今日の駅弁】鶏めし ¥850 株式会社花善

 
 
 そんな訳で1年ぶりの鶏めし。大館なんて遠くて中々訪れる事は出来ないけど、何だかんだと1年に一度は食しているような気がする。勿論それだけの価値があると思っているから、行程を合わせるのである。
 今年の鶏めし。付け合せのおかずが少々変わった気がする。季節によって変えているのかも知れないけど、秋田の味にしては薄めの味付けが上品で素晴らしい。今年も鶏めしの王者は健在。
 
 列車は秋田から青森の県境へと駆けてゆく。陣場の手前、タバコの畑が見えた。もちろん水田も多いし、トウモロコシが大きくなっている畑も見える。山々には杉の美林。そして長いトンネルを抜けて山を下ってゆくと今度はリンゴの木が見て取れるようになる。東北を巡る夏休みもとうとう青森県に入る。
 山を下ると下校する高校生がちょっと、ほんのちょっと乗ってくる。夏の短い東北もまだ学校は夏休み。そして弘前に着くと、今度は大挙してお客さんが乗ってくる。山を下ってきて川の流れが変わるのと一緒に人の流れも代わったのだ。この先、新青森まで行くと新幹線という太い幹がある。
 朝からの強行軍が響いてついついうたた寝。車内がざわついたので目が覚めると新青森の駅に着くところだった。林の中の小駅だった筈の新青森は新幹線が延びてきてすっかり様相が変わっている。列車は10分止まるそうだ。青森に行く人には迷惑な停車かも知れない。
 
 自分は一旦、新青森で下車する。
 東北新幹線は昨年12月に八戸から新青森まで延伸したけど、まだその区間、未乗のまま放置している。本当なら3月に九州新幹線が出来たら鹿児島から青森を経て札幌まで日着してやろうと企んでいたのだが、3月の震災で不通となるは4月に転勤になるわで、とてもとても鹿児島から札幌までなんて旅行が出来る状況ではなかった。
 だからと言うとかなり安直になるが、今日は未乗区間新青森から八戸の間だけを乗ってやろうかと思う。実に安直過ぎて、せめて東京から新青森までを通しで乗る機会を持つべきだろうが、青森まで脚を伸ばしておいて、すぐそばの未乗線区を放置しておくのも気が引ける。
 手持ちの北海道&東日本パスでは当然の事ながら新幹線には乗れないので、この区間は別払いである。モバイルスイカ特急券で用意しておいた。新青森から八戸は¥3,200。同じ県内の移動としてはかなり高くつくような気がする。しかも青森も八戸も中心地ではないし。
 夏休みのこの時期。定期便のほかに臨時列車が増発されて2本の新幹線が相次いで発車する。慌しく通り過ぎるのも難なので後の臨時列車の指定席を用意しておいた。その臨時列車
 
 128BはJ64編成。盛岡までは各駅に停車するタイプ。これから沢山お客さんを乗せるのだろう。新青森の段階ではまだ空いている。隣のホームからは沢山の乗客を乗せて先発の168Bが発車してゆく。
 気が向いて一番後ろまで脚を伸ばす。
 
 東北新幹線は全線開業となったが、この先、さらに新幹線は新函館を目指す。数年後には海峡を越える線路を眺める。津軽半島へと延びる線路を見ていると明日にも北海道へ新幹線が走る日が来る様な気がしてくる。
 
 席へと戻るとまもなく出発時刻となる。座席は3割程度しか埋まっていないが、家族連れがバラバラに座っていたりするから、きっとこの先、満席になるのだろう。
 気が付いたら列車は動き出していた。実に滑らかに、音も無く加速してゆく。車窓へ視線を延ばすとそこには防音壁。九州新幹線もそうだったが現代の新幹線はどうしても景色と言う点では、新幹線の線路が新しくなればなるほど、見劣りする、という事になる。
 防音壁がトンネルの暗闇に化けた。長々続くトンネル。10分少々で速度が緩む、七戸十和田の駅に着く。
 
 雨粒が窓を叩いた。どうも先程から雲行きが落ち着かない。水平に走る雨粒が斜めになって速度が落ちる。真新しい駅と沢山の人が現れて七戸十和田到着。今乗っている車両に十数人のお客さんが乗ってきて同じだけの人が残る。見送り客が多いから本来の乗車以上にホームが賑わっている。
 お互いに手を振り合う頃、ドアが閉まる。次は八戸。また防音壁が視界を遮る。
 
 辛うじてみえた林は青森ヒバの林だっただろうか。260km/hで走る世界からは確かめる術が無い。
 トンネルを抜けると一面の田圃。遠くに八食センターなんて建物が見えてきたからもう八戸だ。線路が近寄り、貨物がごろごろしている。速度が緩んで何軒か立ち並ぶホテルが大きくなると八戸到着となる。
 
 新青森から28分ほど。実に早いが、ここで降りたのは見渡した限り自分ひとり。乗ってくるお客さんの方が圧倒的に多い。
 東京行きのはやてきが出てゆくと八戸の駅には静寂が訪れた。次の東京行き新幹線はやては30分ほど後だが、全車指定席だから早くから並ぼうという人はいない。終着駅、始発駅という立場を失った八戸の駅は、お盆の時期なのにどこか寂しげにみえる。
 今日はもう一つの未乗線区、青い森鉄道に転換された在来線の八戸-青森の区間に乗るが、その前に寄り道をしようと思う。八戸から海沿いに岩手県の久慈へと伸び、あの三陸鉄道と接続するJRの八戸線。ここも岩手県側の区間は震災の影響で運休となっている。ずっと青森県の階上までが運転再開となっていたのだが、ついこの間の8日からさらに南、岩手県の種市まで営業区間が延びたばかりである。その八戸線を往復してこようと思う。
 今度の種市行きは15:03の出発。少々間があるのだが、ホームで待っていると、出発の30分も前にも関わらず
 
 青森側から気動車が入ってきた。キハ40とキハ48を連ねた3両編成。ホームに横付けされると係員が行先票を差し込んでゆく。八戸-種市の「種市」の文字は貼紙。あくまで仮の状態である事を物語るようだ。
 気動車の窓は閉まっていたが乗り込んでみるとむっとする熱気に包まれる。天井には
 
 扇風機。キハ40系登場当時のまま非冷房で据え置かれているのだった。同系列のクルマは北海道から九州まであちこちに点在して使われているけど、JRになった後に冷房を付けられた車両も多い。同じ東北でも石巻線磐越西線にいるグループは冷房改造されている。今日はまぁ涼しいからいいけど、自動車もバスも冷房付が当たり前の時代。山田線ですら冷房車だったのに、八戸線の利用者はちょっと可哀想だ。
 窓を開き、扇風機を廻すと割りと涼しい空気が入ってくる。国鉄時代の汽車旅がそっくりそのまま残っている、今となっては稀有な体験が出来る、と言うのは褒めすぎか。
 
 隣のホームには第三セクターに移管した青森県内の青い森鉄道の車両、そして岩手県内のいわて銀河鉄道の車両。元々東北線で活躍していた701系が線路ごと移籍して発車を待っている。同じ東北線なのに会社は別々。車両も別。青森と岩手はそんなに仲が悪かったかなと思わなくは無い。一緒にやっても良かったんじゃないかといつも思う。
 待ち時間の間に席が埋まる。3両繋いで1ボックスに1グループだから良く乗っている方に違いない。あちこちで窓が開けられ、扇風機が廻りだす。
 定刻が来てドアが閉まる。ブルブルと車体を震わせ、ゆっくり、本当にゆっくりと列車は動き出す。最近の軽い車体に力のあるエンジンを載せた気動車とは明らかに違う踏み出しぶり。どことなく汽車と言いたくなるような動き出しだ。
 走り出しは遅い気動車も、隣の駅まで距離があるから走っている間に速度がのって来る。エンジンを切ると♪タタン♪タタンと継目を刻む音とカラカラというエンジンのアイドリング音が重なって、先程の重たさが嘘みたいになる。
 八戸市の市街地は東北線の八戸よりも八戸線の本八戸の方が圧倒的に近い。東北線だけに乗っていると気付かないような大きな市街地が現れて、汽車は高架の線路にあがる。駅に停まると沢山の人が乗ってきて、また乗り込んでくる人も多い。八戸線のこの辺り、新幹線と市街地を結ぶアクセス鉄道であると同時に、八戸市街の脚でもあるようだ。
 海と言うか、港がちらちらと見える。建物はぱっと見た限りでは健在。八戸の水産業地震津波で酷くやられたそうだが、今まで見てきた景色と重ね合わせると被害は軽いほうのようだ。
 鮫の駅までは八戸市街線。ここから先は八戸郊外線となる。列車も鮫までは比較的本数は多いが、その先、暫定の終着駅である種市まで向かう列車は少ない。
 
 鮫を出るとまもなく、海岸線が目の前にみえるようになる。海に浮かぶ蕪島ウミネコで有名な島。今日流れてゆく景色は実に平和な光景だけど、ここも3月11日には大きな津波に襲われて被害を受けた所である。
 
 海に沿って列車は進む。時々集落が現れて駅に着く。この辺りの建物、壊れたような跡がないので被害がいかほどだったのかは良く分からない。ただ、真新しい看板「この場所 海抜15.8m」なんてあったりするのを見ると、この地を襲った衝撃の大きさだけは伝わってくる。
 
 八戸から50分ほどで一時期は終着だった階上の駅に着く。何人かのお客さんが降りていって気付いてみると残っているのは1両に数人。しばらく留まり、駅員に見送られて出発となる。あと2駅だが、開通したての区間となると改めて居住まいを正す事になる。
 遠くに海の気配を感じつつも、田圃を望み集落を縫うように列車は走る。そして仮の終着、種市に到着となる。八戸から1時間少々。この先、久慈までは代行バスが運転されているが、この列車と接続するバスは無い。種市の駅に降り立った人、街の中へと散ってゆく。
 折り返しの八戸行きまで30分ほど間があったから少々歩いてみる。
 ここ間で来ると岩手県内となる。洋野町という町名には耳馴染みがないが、平成の大合併で生まれた地名である。元々、駅のある所は駅名そのままの種市町
 
 駅前にあるキャラクター像の手のひらにはウニ。この辺の名産だが、しばらくは漁も難しいに違いない。
 駅の戻ると折り返しの列車、八戸行き。乗ってきた人よりも多くのお客さんを乗せて発車を待っているところだった。
 八戸に戻る前に、久慈側の線路を眺めてみる。
 
 赤く錆びた線路が延びて仮の車止の先へと続く。薄暗い林の中へと消えてゆく線路だが、先行きは明るい。

 東日本大震災:不通の八戸線 震災前と同じルートで再開へ  毎日新聞 2011年7月28日 2時30分(最終更新 7月28日 9時53分)

 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110728k0000m040157000c.html
 
 東日本大震災で一部区間が不通となっている八戸線青森県八戸駅岩手県久慈駅間、64.9キロ)の復旧計画を検討してきた地元自治体とJR東日本が、来年4月をめどに震災前と同じルートで全線運転再開することで合意していたことが27日、分かった。被災した在来線7線区(八戸、山田、大船渡、気仙沼石巻、仙石、常磐)のトップを切り、全線で復活することになる。
 八戸線は階上(はしかみ)−久慈間が津波の直撃を受け、宿戸(しゅくのへ)−陸中八木間の橋桁が約40メートルにわたって流失したほか、線路の埋没や駅舎損壊などが相次ぎ、被害は60カ所に上った。
 その後、八戸−階上間で運転を再開し、階上−種市間は8月8日から暫定ダイヤで運行を開始。残る種市−久慈間について、両者で復旧ルートや防災面を含む安全対策を協議してきた。その結果、自治体を中心にまとめた沿線復興計画で、市街地や集落を移転しないことが決まったことから、震災前の既存ルートで復旧を進め、12年度初めまでに種市−久慈間での運転再開にめどがついた。工事完了まで、同区間はバスで代行輸送する。   

 来年、運転再開をしたら久慈まで脚を伸ばしてみようかと思う。その日を楽しみにしている。

 帰り道は山側に席を取ってみた。先程と同じ気動車はエンジンをブルンブルン言わせながら八戸へと引き返してゆく。窓を開け放ち、扇風機を廻していると、ぽつん、ぽつんと雨が降ってきた。
 
 慌てて窓を閉める。気持ちだけ斜めを穿つ雨粒が、汽車の速度を物語る。雨は幸い長引かずに止んでくれる。止んだのを見計らって窓を開けると湿り気を帯びた空気が流れ込んできた。
 見送りの光景が繰り広げられるローカル駅を踏みしめて階上へ戻る。駅員がタブレットの輪を持って歩いているのが見得る。暫定開業に伴う仮の処置なのだろう。昔ながらの鉄道情景だが、久しぶりに眺めた。
 
 撤去された待避線。朽ち果てたホーム。種差海岸の駅で。関東と名古屋の間を行き来しているだけでは出会えないようなローカル線の痛々しい情景が流れてゆく。
 山側に座ったおかげで、線路よりもさらに奥まった一段高い丘の上に立つ灯台、なんて景色にも出会える。   
 八戸市内、鮫までは意外と早く40分弱で戻ってくる。ここから八戸までが30分近くを要するのだが。座席は一通り埋まっている。八戸市内線に差し掛かると一駅ごとに乗り降りが目立つようになる。
 
 高架橋に上がると八戸の市街地が一望できる。県内の弘前や青森に負けない街である事が初めて分かる。海側の景色だけ眺めていてはこれも気付かぬ事だった。
 八戸の市街をぬけて田圃が見えてくると八戸到着の案内が流れる。乾いたアイドリング音に混じって新幹線や在来線の接続が告げられた。定刻、17:41に到着。
 盛岡を出てもう12時間が過ぎた。そろそろホテルに入って、と言うのがここ数日の流れだが、今日はまだまだ動く。今度は在来線が新幹線開通に伴い移管された青い森鉄道に乗って青森へ。
 
 次の列車は快速電車だそうだ。停車駅は三沢、乙供、野辺地、小湊、浅虫温泉〜と案内される。JR時代の特急停車駅よりは停車駅が多いが、停まらない駅の方が多い本格派の快速電車である。
考えてみると、秋田地区では701系が投入されたときに快速電車が設定されていて、これは土崎も追分も停まらない、当時の急行よねしろよりも停車駅が少ないというかなり意欲的な列車であったが、結局は消滅してしまった。いわて銀河鉄道でも転換時には盛岡-八戸を結ぶ快速電車を何本も設定していたが、いつの間にか縮小している。結局、ある程度の運転本数がないと、快速停車駅と通過駅で利便性に差がつき過ぎて、どうも良くないと言う事なのだろう。
 青い森鉄道が設定した快速列車は朝夕のみの運転。比較的本数が多い時間を選んでいるようで主要駅へ向かうお客さんは18:12の快速、快速通過駅のお客さんはその15分後の18:27に乗ればよい事になっている。通過駅の利便性にもある程度考慮しているようだ。
 快速は座席が7割埋まる程度の乗車。定刻に発車となる。次は三沢まで停まらない。
 
 暮れなずむ中、列車は駆けてゆく。水田の彼方を新幹線の高架が貫く。新幹線はトンネルへと吸い込まれて行くのが見えて、こちらの線路はアップダウンの意外と激しい台地を貫く。三本木原の果てかも知れない。気持ち良く飛ばしてゆく。小さな駅が一つ、もう一つと過ぎてゆく。
 三沢の駅に到着。降りる人が半分ぐらい。その代わりにのって来る人もいるから八戸発車時とそんなに変わらない。寂しげな街が流れてゆくが、ここも市街地は駅から離れた、空港への途中にある。
 まだ18時半だが薄暗くなり、車窓が分かり辛くなる。流れてゆく駅もぼんやりと明かりが過ぎてゆくだけになった。次の停車駅、乙供ではドアが開かない。この列車、ワンマン運転である。前の車両から乗り降りした人が居たかも知れないけど、気付かなかった。
 朝が早かったせいかさすがにウトウト。野辺地の停車で目が覚める。ここは全ての車両のドアが開き、また乗り降りが繰り返される。こうして見ていると割と良く使われている列車に見える。
 すっかり車窓が暗くなる。この旅では暗くなった車窓は初めてだ。何軒ものホテルが並ぶ浅虫温泉も闇の中だった。この時間に温泉に繰るようなお客さんはいる訳も無く、地元のお客さんが小さく乗り降りしてゆく。
 青森市内矢田前からは普通列車になる。中心街へ向かう電車は逆方向の流れだろうがそれでも何人もお客さんが乗って来る。
 速度が緩み、大きなカーブに差し掛かると青森の駅も近い。ゆっくりと走るその雰囲気は東京から続く大幹線の終着駅に相応しい雰囲気。徐々に広がっている線路も終着駅に相応しい雰囲気。八戸からの100km弱を1時間20分ほどで駆け抜けて定刻の19:31、青森の駅の到着となる。
 
 新幹線の来なかった青森駅は昔ながらの雰囲気、ちょっと違うのは駅を隠すようにバスターミナルが出来ている事。「あおもり駅」のネオンサインは変わらないけど、雰囲気はちょっとだけ変わった。
 青森の駅前、なかなか賑やかである。大きな荷物を持った、旅の雰囲気を醸し出すコンビニに溢れている。まるでこれから夜行列車にでも乗るような雰囲気だけど、どうやらツアーバスの出発ラッシュであるらしい。キラキラだのウィラーだの、東名筋ではおなじみのバスが駅前の隅っこにひっきりなしに出入りしている。
 今までの流れなら青森泊、となろうが、今日はこの後がある。ただし青森で大休止。ひとまず何か食べようと郷土料理の店に入ってみた。
 
 まずはビール。
 
 盛岡では入荷の無かったホヤが青森にはあった。今年の初ホヤ、美味しく頂く。
 
 バッケみそ。こんなものが居酒屋のメニューに並ぶなんて思っていなかった。
 
 わらびを天ぷらで頂く。
 
 シジミも頂く。胃が疲れているらしい、やさしく染み込んでいった。
 何となく居心地が悪く、早めに出る。あまり飲まなかったせいもあるが、意外と安くつく。もう少し掛かったと思ったのだが。
 
 駅に戻る。今日はこのあと、札幌行夜行急行、はまなすに乗車する。はまなすの発車は22:42。まだだいぶ時間が有る。待合室に座って恥辱を少々進めておく。本当はマクドナルドの電源席でも使いたかったが、店があるのはみんな郊外。駅から歩ける範囲には無いようだ。
 発車まで1時間となったのでホームに行ってみる。今日は指定券を用意しているが、自由席の様子がどれほどのものか、見てみたい。
 
 がらんとしたホーム。今日は12両つないでの運転で改札に近いほうから3両が寝台車、6両が指定席車でうち1両はカーペットカー。奥の3両が自由席車となっている。本来なら寝台2両、座席5両の7両だから5両も増結している。さすがに盆時の最混雑時だが、昔の大垣夜行を品川で待つ行列や急行津軽上野駅地上ホームで待つ行列を知っている身には、かなり物足りない。
 はまなすの入線、発車20分少々前の22:19と案内のスクロールで繰り返し流されている。駅のホーム、売店は既に営業終了。2001年だったか、特急白鳥で青森に着いて急行はまなすに乗り換えた時は、売店どころか駅そばも営業していた。
 一旦駅前に戻って軽い寝酒を買っておく。コンビニは相変わらず盛況中。荷物の大きな若い人が目立つのでやはり旅行者だろうが、どれだけの人が急行はまなすのお客さんになるのか、良く分からない。
 
 駅に戻る。あと10分少々で入線だが、ホームには蟹田行きの津軽線最終列車。そして、
 
 明らかに増えた人々。自由席の乗車口にはそれなりの人が列をなす。指定の乗車口は行列にはならず、ベンチに座ったりして列車を待っている。
 放送が入る。初めてはまなすの事をアナウンスが告げる。
 
 予告どおりの22:19、急行はまなす、札幌行が入線。長々と連ねた14系座席車の青い車体。久しぶりにのる夜行列車だが塗装が浮いたりはげたり、痛みは想像以上に激しい。なんとも気分を萎えさせる。そして、もう一つ。
 JR北海道のサイトで急行はまなすが紹介されている。

 http://www.jrhokkaido.co.jp/train/tr015_02.html

>45度まで倒れるリクライニングシートで、目的地までゆっくりとお休みいただけます。
>個別の読書灯もついており、室内灯減光後も読書をお楽しみいただけます。
>また、車両には共用のミニラウンジを設けております。
 
 本来の指定席はこんな車両なのだが、今日は増結があるのでそのご自慢の車両が揃わない。

 
 おおぶりな座席が快適な眠りを約束してくれそうなドリームカーではなく
 
 昔ながらの普通車にあたってしまった。しかも目の前に停まった車両。中ほどでディーゼルエンジンが大音量を奏でている。騒音車、じゃなかった、電源車。
 混雑期だから座れるだけでもありがたい、と思うべきかも知れないけど、もっと腹立たしいのは、同じ設備の自由席車にはディーゼルエンジンを積まない静かな車両が宛がわれていて、しかも空いていたりする。折角の指定席だが、今日は自由席に引っ越す事にした。指定券代は勿体無いが、今日は眠れる事を優先する。
 自由席車は概ね2席を1人で使える程度の乗車。所により4席を向かい合わせにして使っている不届き者がいるぐらいの状態。幸い、空席があったので抑えてしまう。本来の指定席車よりは居住性は劣るが、2席使えるようなら、まぁ、許せるかも知れない。
 発車まで時間があったから先頭に立つ機関車をみておく。
 
 増結につぐ増結で、機関車は立入り禁止エリアまではみ出して停まっている。ED79 20がこの先、函館までの先頭に立つ。青函トンネル向けに改造された機関車は元をたどると秋田機関区にいたED75の700番台。調べてみると760号機だったらしい。幼い頃、秋田で見かけた機関車かも知れない。
 
 反対側のホームからも綺麗な写真は撮れなかった。まぁ、柵の先まで入って撮っている不届き者いたけど、こんな写真にしておく。
 
 最後に、寝台車と機関車に挟まれたヘッドマークを。こういった絵に描いたような夜行列車。本当にどこからも消えてしまった。寂しい限りなのだが自分自身、急行はまなすに乗るのは6年ぶりだったりする。夜行列車にはそれなりに乗ってきたつもりだったが、最近はやはりホテルに泊まる方が楽な自分が居る事を考えると、無責任に運転を続けてと言えそうに無い。
 
 席に落ち着く。まもなく出発時刻となる。リクライニングの浅い、今となっては座り心地もイマイチな簡易リクライニングシートが並ぶ。
 
 この夜行列車のために、スリッパとアイマスクを用意して来ている。盛んに夜行列車に乗っていた頃には無かった知恵。 
 
 夜行のお供はウィスキーにしてみた。おつまみには南部せんべいのゴマ。妙な組み合わせだが悪くないような、気がする
 まもなく発車の案内が流れてドアが閉まる。がっくんと大きな衝撃。今日の運転士、引き出しが下手だ。そんな事を気にする旅は本当に久しぶり。ゆっくりと走ってゆく急行列車。いつの間にか結構なスピードを出している。津軽線の小さな駅、薄ぼんやりした灯りが流れていった。
 車掌の案内があって札幌までの停車駅と到着時刻を告げる。そして、寝台車の放送は翌朝、千歳到着まで控えると告げられた。ご案内方々車内に参りますとあって、どうやら検札のようだ。列車は12両繋いでいるし、それなりにお客さんも乗っているから、順々に検札が廻ってきたら、自由席は最後の方、トンでもない夜中になるかも知れない。以前、ムーンライトえちごで1時半の高崎停車中に検札が来たことを思い出す。それが意外と早く現れたなぁと思ったら「切符をお持ちでないお客様」とさっと一巡してゆくだけ。拍子抜けする。
「列車すれ違いのため停車します」と停まった蟹田。反対側に現れたのはシルバーの大振りな客車。寝台特急カシオペアの上野ゆきだった。並ぶ個室。こちらを見ている人が手を振り出すから釣られて振りかえす。そうすると隣の個室の人が手を振り出したりする。その隣、食堂車ではスタッフが後片付けに追われているのが見える。日本一贅沢な夜行列車と昔ながらの夜行列車のすれ違い。季節柄なのか、何故かほほえましい。
 中小国から津軽海峡線に入ると揺れが少なくなり、乗り心地が変わる。ウィスキーのミニボトルも空いた。アイマスクをするといつの間にか、意識が無くなる。