目が覚める。外はもう明るい様子。時計を探すとまだ4時だった。いくら何でも早い。少し眠ろうとしたが寝付けなくなり結局起きだす。
4:15の気仙沼駅前。さすがに早すぎる。遅れが確定している京王線恥辱を少し進めておく。
元々の予定だと6時台に出発するつもりだったが、1本早い便にして、是帯を早めようかなぁと思い、身支度を少し早める。結局5時半前にチェックアウト。
人っ子一人歩いていない街。道路一本挟んだだけの気仙沼駅に赴く。ちょうどヤマザキパンのトラックがやってくる。気仙沼の街が目を覚ました。
各方面、そろそろ動く時間。改札は開いていて、係員に声をかけ、18きっぷに日付印を入れて貰う。
出発まで10分。まだバスは姿を見せないので、少し構内を歩く。
気仙沼で唯一、鉄路として残ったのが大船渡線の一ノ関方面。そちらに充当されるキハ100が姿を見せている。昨日乗ったキハ110より一回り短い車両。
大船渡線の盛方面はBRT化されている。線路が途切れ、舗装敷がその先へと伸びている。
発車時間直前になってBRTのバスが一ノ関側から現れた。
昨日と車両が異なるようで、最後部の5人掛け、2人分のスペースが電池室になっている。
いずれにせよ車内は普通の路線バス。ちょっと座る所に悩んで前方にあった二人掛け席を使う。
間もなく出発。先程伸びていた専用道を進んでゆくと
昨晩歩いた辺りの街を見ろしてバスは進む。次の駅となる鹿折唐桑で専用道からは外れ、街中に出る。
このあたりの街中、十字目の道路と真新しい建物がぽつんとぽつんと建ち始めている。津波でやられた後の復旧したエリアになる。昨日の気仙沼駅前、南気仙沼駅周辺とのコントラストが激しい。
大船渡線の線路はこの先、山中を廻って陸前高田へと続いていたが、BRT大船渡線は国道45号線を行く。いわばショートカット区間。
重ための空の下、灰色の太平洋を見て、バスは国道を行く。この区間にもバス停というか駅というか、そういうものはあって、とはいえお客さんは待っていない。通過。通過。通過。
バスは陸前高田だった所に差し掛かる。昨日から何度か眺めてきたかさ上げが行われている街だ。しかし
予備知識なしに震災遺構が現れる。旧陸前高田中学校。三階建てのコンクリート建築、その屋上よりも上に看板があってここまで津波が来たとある。建物には
「ぼくらは生きる ここで このふるさとで」
の文字。目頭が熱くなる。その直後に今後は
奇跡の一本松が現れる。その向こうには壁のような防潮堤。
バスは奇跡の一本松、という名の駅に停まる。大きな道の駅がある所。何台かキャンピングカーが停まっていた。
バスは引き続き、陸前高田だった街を行く。
こちらも震災遺構。古い道の駅がそのまま残されている。
バスは国道を左に曲がり、陸前高田の街へと入ってゆく。
ポツンぽつんと新しい建物がある新興住宅地みたいな街。人の姿がちらっと見えて生きている街であることを知る。
BRTの陸前高田の駅に着く。大船渡線だったころの駅舎、に見えたがこれは復元だそうだ。本来の陸前高田駅とは場所が違うとの事。昨日の志津川と同じく街が震災復興ですっかり変わってしまい、元々鉄道が通っていた経路で復旧しても意味をなさない、ということは分かる。
陸前高田で地元の人が乗ってきて、公共交通機関の体をなすようになる。バスは陸前高田の市街地を離れ、大船渡に向けて国道を行く。昨日の気仙沼線BRTは元線路の専用道を中心に走っていたが、今日の大船渡線BRTは今のところ、ほぼ道路。比較的新しくて線形の良い気仙沼線と古い線路でカーブの多かった大船渡線の差かも知れない。
陸前高田と大船渡の境が近い小友でバスは国道を離れる。入ったのは専用道。この先は元大船渡線らしい。
すぐ横が田圃という国道らしからぬ景色に代わる。そしてまた、海霧がすごくなった。今朝もやませが来ているのだ。
行く手も見えづらいような走るには緊張しそうな状況になっている。
大船渡線は昭和初期の開業。そんな訳で線路自体はちょこちょこ踏切があった訳で
道と交差する。どちらが優先なのか分からないが、バスを感知すると進路を作る感じだろうか。進路が整うまでは交差する道を行くクルマを待たされることもしばしば。
細浦を過ぎると大船渡湾が見えてくる。
霧の中、うすぼんやりと浮かぶ海岸線を見てバスは進む。大船渡に行く地元の人が一人二人と乗ってきて、だいぶ公共交通機関らしくなった。
水産加工場が目立つようになり、大船渡の街、というか港になる。
真新しい加工場と専用道の間、防潮堤の工事が進んでいた。出来上がると堤というより要塞と言いたくなるようあ大きな防潮堤の工事がここでも進んでいる。
バスは専用道、従来の駅のほかに設けられた駅という名のバス停にも止まり、お客さんを下ろしてゆく。
向かい側からやって来たのは陸前矢作行きのバス。今日は経由していない所で、陸前高田から本来の大船渡線、山側に入ったところにある駅まで行くバス。正確に言うと、この山側区間にも乗らないと大船渡線の跡をたどった事にはならない。申し訳ないけど今日はパス。
三陸鉄道の線路が寄ってくると終着の盛になる。時刻は6:50すぎ。
次に乗る三陸鉄道が待っている筈なんだけど、列車の姿は見えない。あれっと思ってみると
6:46に出発している。バスの到着は6:54。
明らかに時刻表の見間違いなのだが、接続できるようにしてくれてもなぁ、とは思う。次の列車は8:05。これなら1本後のバスでも間に合った。奇跡の一本松で途中下車して震災遺構を見ておくとか、やるべきことは色々あった。
嘆いても仕方ないので8:05を待つ。それなら朝食を取りたいが、この時間、
三陸鉄道の盛駅は無人状態。8時半まで待てば駅窓口や売店が開くらしい。
JRの盛駅も無人状態。駅近くの公共施設も空いていない。コンビニを地図で調べてら600mほど歩くらしい。
駅近くの踏切を渡る。105K936Mと表示があり、これは一ノ関起点の距離。あくまでJRというか国鉄の踏切。なんだが、
そこに残る鉄路は岩手開発鉄道のもの。そして踏切の脇には
岩手開発鉄道のホームがある。今は貨物専用鉄道になっているが1992年までは旅客輸送もやっていた。その時には残念ながら乗れていない。
キャリーバックを引っ張って、盛川の橋を渡る。さらに歩くとようやくコンビニ。荷物が無ければどうという事ない距離だけど。
コンビニの入口、扉の前に雪切室、という言葉が正しいかどうか分からないけど、要は雪や風が吹き込まないようになっている。
朝食代わりにどうという事のないパンを買う。
ついでに47都道府県のポテトチップス、
www.calbee.co.jp
青森と秋田が売っている。秋田は袋のポテトチップス。青森はポテトチップス クリスプだったので持ち歩ける。そちらをお買い上げ。秋田は、帰宅直前に買おう。
来た道を戻って駅に。まだしばらく間がある。
ちょうど三陸鉄道の列車がやって来た。助手席の下に妙なマークがあり、何かと思ったら「クウェート国の支援に感謝します」の文字がある。震災の時には各国から支援頂いたのだなぁと改めて思う。
この列車が折り返し8:06かと思ったが、車庫に引き上げてゆく。まだ出発まで間がある。
1本後の大船渡線BRTがやってくる。
バスのお客さんが駅前へと散ってゆき、しばらく動きのないジャンクションで時間待ち。ようやく
8:06に出発する三陸鉄道の車両がやって来た。先程到着したものとは別の2両編成。
今度の列車は久慈まで直通する列車。昨年の春にJR山田線だった釜石-宮古が三陸鉄道に移管されて復旧していて、南と北に分かれていたリアス線が一体化されている。
2両ある列車、後ろの車両に乗る。
イベント用なのか、観光用なのか、立派なテーブルが付いた車両。前1両は普通のボックスシート車。後ろの車両を選んだ。しかし残念ながら乗客は全部で2名。盛の駅前の雰囲気とか、人がたくさん集まる感じではなかった。仕方ないのか。
列車のドアのところには消毒液が装備されている。公共交通機関で消毒液備え付け車両なんて初めて見た。
テーブル席でPCを広げ、昨日の京王線恥辱、ダダ遅れというより膨張しまくり状態のものを綴っていると列車が動き出す。先程歩いて渡った盛川。1時間ほどの間に青空が覗いている。
大船渡線よりも新しい路線なのでトンネルと集落のフリッカーになる。
津波にやられなかったらしい集落を見て青空の下、列車は北上する。反対側は逆光だけど
防潮堤の向こうにリアス式の海岸線。再びトンネルに入るの繰り返し。
綾里の駅で上り列車とすれ違う。向こうはお客さんを少々集めて出発する。まぁまぁ地元にも使われているのかと少しだけ安堵。
下り列車も北上するとお客さんが少しは増えてくる。
唐丹の駅でも列車がすれ違う。釜石を出てきた列車はそろそろお客さんが増えている。列車を撮り、席に戻るとまた出発。国鉄を離れた時にできた新しい区間をトンネルと海のフリッカーで抜けると釜石到着となる。もう1時間弱が経っている。
少しずつ増えたお客さんは釜石で降りる。その代わり乗ってきたお客さんも。列車は5分停車。
三陸鉄道とJR線が混在する釜石の駅。2両つないだ三陸鉄道の列車も堂々としている。間もなく出発。今度は元の国鉄山田線区間へ。カーブが増えて素性というかお歳が知れる。
カーブと坂が増えてトンネルが減っても、半島を横切って次の湾が現れる景色は変わらない。
海が見えて
山が見えての繰り返し。北東北は梅雨明けがまだの筈だが、今日の雰囲気は夏のもの。
古くから鉄道が開通した区間はさすがにお客さんが増える。2011年の被災から8年待たされ、2019年に開通した途端に台風でまた長期間運休し、今年三月にようやく復旧して、その次はコロナ禍。
真新しい津軽石の駅。向かいから盛ゆきがやってきてすれ違い。線路を見ていても復旧した感じが分からなかったけど、真新しいコンクリートと真っ白な砂利に8年越しの執念を思い起こした。
泥を孕んだ閉伊川の流れを見ると宮古の街。10:30到着。盛から2時間半が経っている。ここで12分停車。盛から乗務してきた運転士も交代する。
宮古の駅もJRとして残った山田線との共用。こちらはJRの方が圧倒的に本数が少なく、三陸鉄道の駅みたいになっている。時間があるのでちょっと駅の外に出た。
東日本キヨスクの立ち食いそばが営業中。こんな機会はまずないので食べてゆく。12分あるから大丈夫だろう。
予定外の食事なので一番軽いかけそばを。¥310。麺はそれなり。出汁は甘味感じる東北スタイル。美味しく頂く。
ついで売店に寄り道。ここもキヨスクの影響。スイカが使える事が意外といったら意外。折角なので飲み鉄をしようとビールを買う。
なぜか売っていたサッポロクラシック。そちらを自席に持ち帰る。出発を待って封を開ける。
宮古で運転士が交代している。そして乗客も少し入れ替わった。2両編成の後方車両は観光客が少々いるだけ。1両目の方には地元の人が少々。1両目の方が気持ち人が多い。
列車はは山の中を進み、海が見えてくると田老の駅。
ここは2011年の夏に通っている。当時は
まだ瓦礫ばかり。それに比べると落ちついた景色にはなったが、復興したにはほど遠く見える。どうやら田老の街は移転したようで、気動車は軽くエンジンを吹かすと次は新田老の駅となる。これは9年前には無かった駅。
こちらには街が見える。線路の山側には小学校もできている。
しかし「しんたろう」の縦に表記されたこの看板。盛鉄局管内、でよく見かけるスタイルのもの。仙鉄局でもあったと思う。国鉄時代の遺物の筈が、2020年の新田老開業に合わせて新規に作ったのか。
地元の人がちらほら降りると出発。
まだ埋まらない区画もあり、完全に元には戻っていないようではある。復興の難しさに思いを向けて田老の街を離れる。列車はまたトンネル。長いトンネルを抜けると窓が外から曇る。
小本川を渡り、岩泉小本に到着。2011年に来た時は小本と言っていた駅。その後、岩泉線が廃線になり、岩泉駅が無くなって、岩泉町内の小本が岩泉町唯一の駅として、岩泉の冠を被った。
こちらも真新しい家が並んでいる。2011年には
仮設住宅が立ちならんでいた小本の街。さすがに仮設ももうないか。
2011年夏の三陸鉄道は宮古-小本の運行。そこから先。小本-普代は震災の影響で運転見合わせが続いていた。この先は15年ぶりに乗る本当に久しぶりの区間。国道も海から遥か離れるような厳しい海岸線には付き合えないのでトンネル、トンネルの区間になる。海が見えると島越。すぐ田野畑となる。
上り列車がやってくるのを待つ。
何か派手な車両がやって来た。
釜石の中学生がデザインしたものだそうだ。
上り列車にお客さんが乗る様子が見えて、こちらが先に出発する。列車は海を離れて山の中へ。というかトンネルの中へ。このあたりの海は北山崎の断崖絶壁となるところ。
普代から先は国鉄時代に開業していた区間。再び海が見えてくる。列車は橋梁の上で停車した。観光停車だそうだ。
この時間、海の方向が順光になって、絵にかいたような夏の空と夏の海に景色が化ける。まだ梅雨明けしていない筈だけど、車窓から見る北三陸は夏。
そして安家川橋梁でも観光停車がある。
海と別れる陸中野田でまたすれ違い。運転席脇に立って列車を撮ろうとすると「降りて撮ってもいいですよ」と運転士が仰る。ならば喜んで
やっていたのは観光用の36-R形。今朝、盛で見かけた気動車と同じ位置に同じマークがついている。確認できなかったが、こちらもクウェートの支援車両なのだろう。
運転士にお礼を言って席に戻ると出発。久しぶりに広い平地が現れて、終着の久慈となる。
JR線の乗換案内。八戸線は12:57の連絡。20分程の待ち合わせ。時間があるのでいったん改札を出るよう案内がある。
いつの間にか増えたお客さんと共に久慈駅に降りる。盛から乗りとおしている人はゼロ。
列車を降りる。久慈駅構内は何度か見たJRとの混浴みたいな駅。跨線橋を渡って、三陸鉄道の駅舎へと出る。
駅舎は盛と似た雰囲気、色合いの駅。ただ時間がお昼時なので駅員がいて、売店にも人がいる。そして駅前の幟には「うに弁当」の文字。
sanriku-travel.jp
一日20食、との事だけど今日はまだ売っていた。売り切れだったら蕎麦かなぁと思っていたけど、それならばお買い上げ。
さてもう少し久慈。
駅前デパート、という名の古びた建物があって、それに似つかわないイラストの看板。2013年の連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台に来ている。先程のうに弁当もドラマに登場していた。
駅弁を買ったので飲み鉄を意図して、駅の売店でお酒を買う。ビールは嫌いな銘柄しかないので、地元の日本酒、ワンカップを買う。
この辺りのJRは列車の時間が近づくと改札が始まる方式。発車10分前になって改札が始まる。構内に戻る。今度はJRの八戸線。
待っているのはステンレス製の気動車。キハE130系。八戸線もキハ40系の印象が強かったが、2017年に新車に置き換わった。
Welcomeの看板が出ているが、これはこの普通列車のお客さん向けではなくて
www.jreast.co.jp
間もなく到着するレストラン列車、TOHOKU EMOTIONのお客さん向け。街の人が大漁旗をもって集まり始めた所に列車がやって来た。係員がホームで乗客一人一人に深々とお辞儀をする。別の世界の鉄道だった。
【今日の駅弁】三陸鉄道の旅 うに弁当 ¥1,520 清雅荘弁当部
こちらも昼食の時間となり手元の駅弁を見よう。
36-100形が描かれた懸け紙が語るように本当なら三陸鉄道の車内で頂くべきなんだろうけど。
蓋を開ける。
ほぼほぼ、蒸しウニというごはん。
一緒に頂くのは地元の日本酒、福来。
www.maroon.dti.ne.jp
久慈で時間が取れなかった罪滅ぼしに久慈だらけの昼食を美味しく気持ちよく頂く。TOHOKU EMOTIONに負けない贅沢。
列車は久慈を出て北に走る。
列車は山の中へと分け入る。侍浜という名の山中にある駅に。さらに山中。それが
いつの間にか松林の向こうに海が見えるようになる。このあたりも震災では津波で被害を受けた所。
松林を抜けると海岸線が見えてくる。お昼を過ぎて一番日の高い時間。首都圏に近かったら人であふれそうなビーチが続くけど、無人。
いや、人がいるところにはいる。でも海水浴に列車で、という時代ではなかった。クルマがちらほらと。
陸中八木の駅に着く。ここは東北新幹線開業までは急行深浦という列車の始終点だったところ。名前の通り、五能線の深浦から青森、八戸を経て、八戸線に入って、久慈までゆかずに陸中八木が終点になるという不思議な列車。余程大きい駅なのかと思ったけど、現実は海沿いの小さな駅。
久慈以来初めてのすれ違い可能駅で
向かうから下り列車がやってくるとこちらも出発。
海から陸に入って北上。見覚えのある駅に着く。種市。2011年の夏には八戸側からキハ40に揺られて来た駅だ。震災の被害から復旧したら乗りに来ようと思っていたのが、9年後になってしまった。
列車は種差海岸までくる。意外なことにたくさんの乗車。自分のボックスも相席となり、窓を開けて写真、というわけにいかなくなった。ワンマン列車に乗車券を発行する車掌も乗ってきて、列車の雰囲気が明らかに変わる。
本八戸までの乗車券が売れる中、
visithachinohe.com
蕪島をちらっと見て列車は八戸市街へと入ってゆく。
今までのローカル線の雰囲気が変わって、こまめに停まりお客さんが乗り降りする都市近郊みたいな姿になる。列車は高架にあがり
高架ホームの向こうにビル。向かいに入ってくる列車がステンレス製の水色帯だから、何も知らずに見ると一瞬どこ?と思える景色になる。
お客さんの大多数が降りて車内、閑古鳥が啼いた。列車は東北線と東北新幹線接続の八戸へ向けて、惰性走行。市街地が尽き、田園が見えるようになると向こうから立派な幹線が近づいてくる。
14:42に八戸到着。
乗換は6分。今日はこの後、
乗換は6分。今日はこの後、青森に行く。青森までの東北本線。新幹線開業と共に第三セクターに移管されていて、青い森鉄道という別会社になる。18きっぷを使っても、三陸鉄道で別払い、青い森鉄道で別払い、ではもったいないが、
http://aoimorirailway.com/guide/q_a
八戸-青森の直通は特例として18きっぷで乗れることになっている。そんな訳で同じ構内、改札を出ることなく
青森行きに乗る。電車はJRの701系が移籍した青い森701系。何かのラッピング車。
ロングシートに落ち着く。車内は空いていた。間もなく出発。
第三セクターのローカル線といえども大幹線が素性。立派な線路を飛ばす飛ばす。その間、会社から持ってきた昇格論文に赤を入れる。急に仕事モード。小湊まで。
列車は浅虫温泉でお客さんを集める。地元の高校生だろうか。この時期、まだ夏休みではないらしい。先頭車が割と込み、後ろに向かう人もいる。ワンマン運転でやって来たのが、女性係員が乗ってきて切符を販売したり。県都が近づくとさすがに賑やかになる。
青森到着16時半。まだまだ先に行けるが今日は青森で打ち止めにしている。
汽車が似合う青森の駅に電車が2両だけ、ぽつんと。青森駅の印象からだいぶ離れた2020年の青森駅頭。
さて、ホテルに向かう。駅にを出て振り返ると
昔からある「あおもり駅」のサイン。年々目立たなくなっている気がするけど。
駅から少々歩いたホテルで荷を解く。時刻は17時過ぎ。部屋にこもる時間ではないので、少し歩く。
ホテルのエレベータ内、
ものすごいストレーナな言い方の注意喚起。ちなみに報道だと
www.daily-tohoku.news
接客業、だそうだ。
少し買い物をしたいのだが、青森駅の周辺部、スーパーマーケットがない。そして
市場はもう閉店の時間。結局、ホテルから少々離れた所でスーパーを見つけ、青森ローカルパンである工藤パン
www.kudopan.co.jp
やら何やらを買い求める。自宅に持ち帰るのだが、賞味期限が5日やら6日やらに集まってしまった。
少々寂しい青森市内を少し歩く。
地元通運会社の事務所があったのだが、
日本エアシステム、の文字。マークが古いものなので社名が変わった直後のものだろうか。
さて、夕食というか飲み。青森ならば海産物だろうが、気になる店があったので足を延ばした。
サッポロビアレストラン910という店。サッポロビールとは関係ないみたいだけど。店内は地元と思しき人でそこそこ埋まっている。あまり賑やかな所には行かない方が良いけど、通された席は隣が空いた隅っこの席。偶然だが、ソーシャルディスタンスは保たれた。
SORACHI1984。
https://www.sapporobeer.jp/news_release/0000009279/
昨年、業務用10L樽生が発売されたのは知っていたけど、扱っているところ、サッポロの直営ともいえる銀座ライオンでも限られていて今まで飲む機会が無かった。
香りを嗅ぎ、泡をなめ、一口飲んで幸福になり、少し少し飲んで余韻を味わう。もう一杯、今度はのど越しを楽しむ。
エーデルピルス
www.sapporobeer.jp
ヱビス スタウト クリーミートップ
www.sapporobeer.jp
食事もとったけどほぼビール。大津に持って帰りたくなる店だった。
店を出て街へ。時刻は19時。北で東の青森はそろそろ夕暮れ。近江よりも少々早いタイミング。
市街地なんだけど地方にありがちなシャッター街。少し歩くと
青森市発祥の地という善知鳥神社がある。こちらもこの時間は閑古鳥。
今日は本来ならねぶた祭りの日だが、コロナ禍で中止。梅雨も明けず、夏の来ない青森は一段と寂しさが募る。
ビールは堪能したけど、海の幸をやはり食べたく、青森駅近くの居酒屋に入る。急行はまなすが走っていた頃には時間つぶしで使った店だ。
店は空いていた。観光客向けなのかも知れない。もともとの使われ方が違うとこの時勢に集客にだいぶ差が付く、ということを同じ街の性格の違う店を見ることで知ることになる。
ビールを頂きつつ
ほやと帆立。この状況だとナマモノの管理はちょっと難しいみたい。
メニューの中に飯鮨があったので
鰊とホッケ。こちらは美味しく頂ける。がホッケは漬物か?と思うほどに塩が利いている。
日本酒と一緒にいただく。
1時間ほど滞在してホテルに戻る。少し飲みつつ京王線恥辱を綴る。明日も早いので、早めの就寝。
【サイトアップ アクセスカウンタ】
サイトアップはお休み
アクセスカウンタは機能せず
万歩計は15,858