2020-08-03

 青森駅に近いホテルで目を覚ます。時刻は4時過ぎ。外は

 既に明るくなりかけている。
 ホテルを予約した時は朝食の後、8時前に出掛けるつもりでいたのだが、直前になって気が変わった。朝食を放棄して朝一番の列車に乗る。
 身支度をして荷造りをして、5:20にホテルを出た。

 ホテルの前に青森の象徴みたいなアスパムが建っている。
aspm.aomori-kanko.or.jp
ja.wikipedia.org
 青函博の時にできた建物だからもう30年以上経つのか。
 ねぶた祭もないので祭の明けた寂寞感すらない青森の街を駅まで歩く。

 始発列車の時間が来ている青森駅青春18きっぷに日付印を入れて貰うと駅構内へと入る。ホームまでの長い跨線橋青函博というかその前から変わらない。

 その長い跨線橋に過去の写真が飾られている。1988年3月11日の青函トンネル開業の写真も歴史の一コマとして飾られている。そういえば

時刻表完全復刻版 1988年3月号 (JTBのMOOK)

時刻表完全復刻版 1988年3月号 (JTBのMOOK)

  • 発売日: 2020/07/29
  • メディア: ムック
 先般、1988年3月号の時刻表が復刻された。自宅には届いていると思うけど、1988年はやっぱり歴史の一コマとなった。
 今は2020年。青森駅に揃う列車はこんな感じである。

 青い森鉄道の始発、560M列車、5:41発の八戸ゆき。昨日は見かけなかった青い森703系2両。

 青い森鉄道は2本目も待機。1550M、5:52の浅虫温泉行き。こちらは青い森701系

 奥羽本線は626Mがいる。5:41発の弘前行き。701系が2+3で5両編成となる。
 今日は弘前行きに乗る。

 すっかり慣らされた感のあるロングシートに座る。月曜日の朝といえどもさすがに5時台に5両は持て余す。がら空きの列車に座るとまもなく発車。

 同時刻に出た八戸ゆきと並走する。青森の朝といえば青函連絡船のあった頃、深夜便の接続を受けた東北本線上野行き特急はつかり2号と奥羽本線大阪行き特急白鳥の同時発車が有名だったと思う。自分の目で見る機会はなかったが、宮脇先生の時刻表2万キロにはその情景が出てくる。そんな過去の栄光を思い起こす景色が辛うじて生きている。
 列車は2020年における青森の玄関口、新青森に停まると弘前に向けかけてゆく。辺りは曇りというか霧というか

 やませの影響か、冴えない天気。青森も不作の心配をしなくてはいけない。今年は本当に大丈夫だろうか。
 列車は大釈迦峠を越えて弘前の平野へ進んでゆく。

 やっぱり曇り空。弘前に向かうに従い、高校生が増えてきて列車の体裁が整う。弘前には6:21の到着で登校には早いのだが、部活動とかなのだろう。
 浪岡を過ぎる。

 急に青空になった。先程の霧が嘘みたいだ。
 列車は岩木山を遠くに見て弘前の駅に着く。

 向かいには秋田行きの快速電車。こちらに乗り換えると秋田には8:43の到着。青森-秋田3時間2分は一昔前なら遅い目の特急列車の所要時間。普通列車だと早くても4時間は掛かっていた。
 こちらの列車は見送り、いったん改札の外に出る。

 弘前ねぷた五所川原立佞武多。今年はすべて中止。駅の飾りに疫病退散を願う。
 リンゴの街、弘前

 改札を出た所にリンゴ。

 郵便ポストの上にもリンゴ。

 駅前の銅像

 掌にリンゴ。
 ついでに

 自販機はすべてリンゴジュース。
 朝食代わりにパンを買って構内に戻る。次に乗る列車。快速列車。ただし

 五能線経由の東能代ゆき。
 五能線優等列車。今はリゾートしらかみが一日に3往復も走っているけど、今度の列車。リゾート列車でもなんでもなく

 単なるごくごく普通の列車で快速列車。最初時刻表で見た時は何事かと思った列車だ。
 五能線のリゾート列車を省いた優等列車というと、長らくは深浦から青森方面へと向かった急行深浦があった。急行から快速になった後も、深浦-青森間の快速深浦というのは2014年3月までは設定があった。
 青森-五所川原間にも一時期快速の設定があって、こちらは岩木という名が与えられていた。
 もう一つ、観光シーズンには秋田から急行十二湖というのが走っていたと思う。手元に当時の時刻表が無いので、詳細書けないけど、秋田からはむつ1号と併結して東能代で切り離し。行先は十二湖、とはいかないだろうから深浦まで行っていたのか。いずれにせよ、五能線には全線通しの優等列車というのは自分の知る限り、リゾートしらかみ以外にはなかった、筈。

 側面のサボには快速表記は無し。ただ単に東能代の文字があるだけ。
 2両あるキハ40。先頭車のボックスに座る。車内は冷房が効いている。秋鉄局というか、秋アキ、というか、秋ヒロでも良いけど、ここのキハ40は長らく長らく、非冷房のまま存置されてきた筈。冷房化されていたとは知らなかった。
 発車メロディが聞こえ、変わらないドアエンジンの音がして、列車はのそーっと動き出す。非力なキハ40らしい走り出し。それを合図に今日の朝食。

 適当なパン。コンビニオリジナルの商品が幅を利かす中、定番過ぎて無視できないらしい工藤パンの名物、イギリストーストを頂く。これも持って帰りたいけど賞味期限が今日なので。
 そんなこんなの間に列車は来た道を戻って川部着。早速だが列車の進行方向が変わる。

 出発まで間がある。後方車両が先頭に代わりヘッドライトが灯る頃、隣のホームに列車がやってくる。

 鯵ヶ沢を朝出てきた821D、キハ40、キハ48を4両連ねた輸送力列車。弘前に通う高校生を中心に程よく埋まっている。
 入れ替わりにこちらの列車が発車する。間もなく列車はリンゴ畑の中へ。

 リンゴの向こうに岩木山津軽平野の原風景みたいな景色。♪津軽平野に雪降る頃はよ なんて歌詞が頭に降ってくる。
 列車は段々混んでくる。ほぼ高校生。「列車混みあいましてご迷惑をおかけしております」と車掌のお詫びが入るが、知らない人のボックスには座ってこないので、1ボックス1グループ。
 7:32、五所川原。高校生が三々五々降りてゆく。列車は7:58の出発だそうだ。26分停車。すぐに降りずに適当に話をして適当なタイミングで降りる高校生もいたりする。
 時間が有り余るので駅前に出てみた。

 弘南バスの案内所と待合室が駅前にある。ここは昔から変わらないねぇ。

 こちらは津軽鉄道の本社。クラシカルな建物に息吹を感じる。
 構内に戻る。

 津軽鉄道の構内。元キハ22が放置されている。荒れた姿が痛々しい。

 現役の列車がやってくる。2両の列車からお客さんが大勢降りてくるのが見える。
 もうちょっと間がある。

 快速表記も凛々しいキハ40を撮っていると、下り列車がやってくる。

 鯵ヶ沢からの3本目。825D。この列車が五所川原に着くまで待ちん坊だった様子。

 たくさん高校生が降りてくる。その様子が落ち着くとこちらの列車は発車時刻。ドアが閉まると緩々と加速してゆく。
五所川原で高校生は代々降りたのだが、降りずに残っている人もちらほらいる。そんな人を乗せて列車は

 岩木川を渡る。このあたりはリンゴの木が見られなくなり、田園地帯となる。町の名前で言うとつがる市。何それ?という感じだが平成の大合併で出来た街の一つ。
 残った高校生、目的地は木造だった。近くに高校がある様子で1両目からは結構な数の人が降りる。
 2両目は少ない観光客だけに戻って西に進む。

 時折林を見たり、

 田圃を見たり。よくあるローカル線の光景。数分走ると駅が現れ、少し停まるとまたのっそりと動き出す。その繰り返し、繰り返し。

 駅にも待つ人は無く、駅前にも活気がない、そんな所を進んでゆくと30分弱。右手の車窓に

 海が現れる。東北をぐるっと回って今度は日本海側に来ている。
 鯵ヶ沢に8:28。5分停まる。この先は快速運転になること、ワンマン運転になる事が案内される。


 隣には下り列車が待っている。時刻表を見ると岩舘発弘前ゆきに見えるが、深浦と鯵ヶ沢列車番号が変わる。
 5分しかないがちょっと改札の外に出てみる。

 駅の待合室。鯵ヶ沢在住で先般亡くなった秋田犬、わさおの写真が展示されている。これはリゾートしらかみのお客さん向けだろうか。
 売店がある。わさおクッキーだの舞の海ラーメンだのは興味が無いが、鯨餅を衝動買い。確か1987年夏の深浦で買っているんだよね。その名前を不思議に思ってお土産にした。

 こんなビジュアル。昔ながらの餅、という感じの菓子。
www.ajiiku.jp
 もともと京菓子らしいけど、今は山形と青森にしかないそうで。
列車は鯵ヶ沢を出る。この先は快速運転。2時間で東能代に着いちゃうので結構本気の快速列車だ。停まらない駅の方が数が多く、一昔前の急行列車を思い起こす走りになる。
 そんな異次元の空間で、今日は

 呑み鉄をしてみる。空いた車内でボックスシートを独占し

 日本海を見てビールを頂く。素敵な時間だ。
 2駅飛ばして北金ケ沢に停まる。次は千畳敷。ワンマン列車だが観光案内が運転士の肉声で流れる。

 さすがに朝早々と列車で千畳敷を訪れる人はおらず、下車ゼロ人。空いた車内には動きがないまま、次は深浦までノンストップとなる。
 五能線でも海が近く寂しい区間に差し掛かる。


 一昨日の三陸、防潮堤で遮られた海とはまるで違う景色が続く。このあたりも1983年の日本海中部地震
www.jma-net.go.jp
www.bousai.pref.aomori.jp
 では津波に襲われた所。日本海側では津波が来ないと信じられていたため、避難しなかった人が大勢亡くなっている。

 追良瀬駅の所でいったん内陸に入る。ちょっとした平野があって青々とした田が広がるのもつかの間、また海が近寄ってくる。

 テトラボットだけが海との間を隔てる海岸を快速列車は走ってゆく。時折集落があって駅があって、また海岸。

 列車から見る景色を越えている。遊覧船にでも乗っている錯覚を感じる。
 ちょっとした街が見えて深浦に到着する。

 東能代から弘前までゆく2527Dと行き違い。首都圏色、たらこ色ともいうけど、に戻されたキハ40522含む3両編成。


 二色のキハ40が並ぶ。首都圏色、国鉄がJRに変わった頃にはある意味、停滞の象徴みたいなものだった。盛岡の気動車が白字に赤帯というシンプルながら新鮮な塗装になり、新潟の気動車トリコロールを身に纏う中で、ずっと首都圏色のままだった秋アキのキハ40系をある意味恨めしく見たものだった。
 かといって待ちに待った塗装変更がいわゆる竿灯色。これは非常に出来が悪かった。ただ色を変えりゃ良いってものじゃない、という事に気づかされた反面教師である。
 列車に戻ろうとして気付いた事。

 向かいのキハ40 522。ドアのところにタブレットの防護柵がついている。タブレットキャッチャー自体は撤去されていた。
 列車は深浦を後に五能線を南下する。先程まで晴れていた空がいつの間にか曇っている。 

 急変ではあるが、もともとの予報は曇り時々雨みたいな予報。深浦までの晴れが余得みたいなものと思えば、そこまでは気落ちしない。
 この先の停車駅はウェスパ椿山、十二湖、岩舘、あきた白神能代、だそうだ。リゾートしらかみと変わらない停車駅。地元客に向くなら、元岩崎村の中心、陸奥岩崎に停まらないんだとか、八森に停まらないんだ、とかいろいろ気になる。観光客向け列車でもなさそうだし。

 まぁ、がら空きのキハ40、ボックスシートに揺られるという稀有な体験を出来るある意味、極上の体験なんだけど。

 列車は十二湖に到着する。2両目のお客さんは相変わらず動かないが、ここから乗ってくるお客さんがいた。観光客ではなくて制服姿の高校生。この先、列車は県境を越えて能代に向かう。岩崎村の高校生は能代に越境通学するようなことを聞いた覚えがあるような、無いような。

 列車は再び動く。次は秋田県内、岩舘に停車する。時折現れる集落を見て南下。青森県最後の駅、大間越を出ると秋田青森県境の難所に差し掛かる。

 高いところに上がった列車からは荒々しい海岸線を一望できる。飽きることなく眺めていると海岸線が大人しくなって岩舘到着。

 向かい側にはリゾートしらかみ1号が来ている。常に人気が高い列車も、コロナ禍には勝てず、空いている。つーかいつの間にか雨が降り出した。これから十二湖をトレッキングしよう、なんて人には気の毒な天気だ。

 リゾート列車を待たせてこちらの快速が先に行く。
 リゾート列車を待たせてこちらの快速が先に行く。発車するとそう加速できずに次の駅、あきた白神に停まる。馴染みのない駅はリゾートしらかみが走り始めた1997年の開業。観光客と思しきお客さんがちらほら乗って来たから、停まった甲斐はある。

 滝ノ間の集落を見下ろし、今度は八森町の中心地、八森の駅を通過する。っーか今は八峰町だっけ。駅周辺が中心地という考え方、もう捨てなきゃならないのかしらん。大合併時の八森町のお相手、峰浜村の中心だった沢目も通過。

 海が見えるのはここが最後、とワンマン運転士から案内があって、列車は能代平野へと進んでゆく。基本田圃なんだけど、列車が走るのは海から離れても海岸線の近いところ。

 強い風を遮るための防風林、そんな林の中を進んでゆく。日本海からの風はそれはそれは恐ろしいもので詳しくは下記による。
http://www.pref.akita.jp/fpd/taiko.edo/edo-12.htm
 松林が市街地に代わって米代川を渡ると能代に到着。いつの間にか増えていたお客さんが降りてゆく。十二湖から乗って来た高校生も降りて行った。代わりに乗ってくる人はこの列車が何処から来たかに関係なく、東能代まで一駅乗る人である。
 右手から奥羽本線の電化線路が寄ってくると終着、東能代となる。遠回りを楽しむ4時間。終わってみるとあっけなく短い。 

 キハ40のアイドル音が鳴る中、余韻に浸りたいところだが、これからの乗り継ぎはなかなか絶妙である。間もなく向かいの2番線に

 大館行きの普通列車がやってくる。2分接続。実にあっけなく乗換。
 今日は大館まで行く。論文の頃が気になり、パソコンを立ち上げて会社のメールを見て、となると仕事モードに切り替わる。まぁロングシートの「都会型電車」なんでね。仕事をするぐらいでちょうどいい。
 昨日の赤書きをメールにしたためやり取り。都会型電車だが走る土地はWiMax途切れ途切れの土地。途中、貨物列車遅れのため待ち合わせ、なんて案内があって仕事モードが切れた。

 下川沿でEF510-503牽引の貨物列車とすれ違い。

 列車は大館が終点。本来、上りホームの1番線に着く。この先、弘前方面の接続がある電車で乗り換え客が2番線へと進む。自分は弘前には戻らず、いったん大館が目的地。
 大館の駅舎は80年代から変わらない。小坂鉄道の駅舎が無くなったけど、大館駅前の雰囲気も含めて変わらない。

 ちょっと時間があるのだが、それは意図しての事。その意図が

 こちら。大館駅構内営業花善さん。っーか建物が立派になった。建物にお金を掛けられる会社は、儲かっているんだよね。きっと。まぁコロナ禍で売り上げが減って減価償却が大変かもしれないけど。
立派な店舗はレストラン営業が中心。今の時勢なので持ち帰りも力を入れているが、その一角に祖業の駅弁売り場がある。そちらで名物の鶏めしを一つお買い上げ。食べるのは後程にする。
 もうしばらく列車の時間まで間が空くので、大館の駅前をぶらぶら。

 駅前にある秋田犬の像。

 コロナは犬にも伝染するそうで、銅像もしっかりとマスクをしていた。ソーシャルディスタンスは取れていないけど。
 駅の近くには

 秋田犬の里、なる展示施設が出来ている。


 ここの目玉は秋田犬とのふれあい、らしいけど今日は犬の出勤、ないそうだ。
 ちなみにこちら、物議をかもした東急5000系渋谷駅前撤去の移設先でもある。
www.asahi.com
www.sakigake.jp
本日渋谷から大館市へ「青ガエル」が移設されました!✨ | 新着情報 | あきたファンドッとコム
 駅に戻る途中。

 旅客駅のすぐ脇で貨物扱いをしている。こんな駅も少なくなった。膳所も石山も貨物時刻表には取扱駅として掲載はされているけど、実際の取扱は無くなって久しい。

 先頭にはEF510-11がいる。電気機関車が入替を担当するのだが、駅脇から見た貨物駅構内には架線は張り巡らされていない。
 よく見ると電化されているギリギリまで電気機関車が突っ込んでいる。

 一部を切り取ると非電化区間にパンタを降ろしてEF510が停まっているように見える。しかも火は入っているから補機音はしている。何とも変。
 駅に戻ったのだが、残念なお知らせ。次に乗る列車、8分程遅れているそうだ。この後は大館から鷹ノ巣に動き、秋田内陸縦貫鉄道に乗り継ぐのだが、乗り継ぎ時間は5分。いったん鷹ノ巣を通り越し、大館で鶏めしを買ってから、鷹ノ巣5分乗り継ぎで内陸線に乗り継ぐというのは絶妙だったのだが、成立性が怪しくなった。

 予告通りに8分ちょっと遅れてやってきた秋田行きの普通列車。大館で高校生をたくさん乗せたように見えるが、乗ってみるとそこまでではない。出発。
 先程来た道を戻る。遅れは戻せないまま時間が経つ。本来なら内陸線が鷹巣を出発する時刻を過ぎて、鷹ノ巣到着の案内。車掌からは内陸線、発車を待っている旨が告げられる。
 列車が着く。1番線の秋田寄りに内陸線の乗り場があるから平面移動で乗り換えにはなる。とはいえ、内陸線の駅員に切符を売ってもらうともう出発。

 バタバタと乗換になる。最後の一人を見届けて運転士が列車に乗り込むとドアが閉まる。

 ギリギリ過ぎて空きボックスは無かった。手元の駅弁はしばらくお預けになる。
 列車はエンジンを軽く吹かすと奥羽線の線路wから分かれる。すぐに西鷹巣の駅。ここでもお客さんがいて、1両の気動車はそこそこ賑やかになる。

 2時間ほど前に五能線から見た米代川を渡ると列車は阿仁谷へと分け入る細道を進む。早速山がちな中に入る。この辺は大館能代空港が近いところ。そんな中で列車が徐行。案内が入る。

 田んぼアート、だそうだ。地元の人、特に高校生は感心なさそうだけど、 
www.akita-nairiku.com
www.pref.akita.lg.jp
 こんなイベントで何とか集客しようと涙ぐましい努力中。
 列車は秋田杉の木立に囲まれた線路を少しずつ登ってゆく。

 こんな山の先に何があるのだろうと思えるような景色。それでも列車は進んでゆくとそれなりの街が現れる。合川到着。
 すれ違いの列車、急行もりよし、なんだけど

 車両は一般車。えぇ!という感じだが、2012年から行われている運用だそうだ。急行料金が必要な、優等列車なんですけどね。
 合川でお客さんが降りたので空いたボックスに移る。ようやく大館で買い求めた駅弁に手を付ける。

【今日の駅弁】鶏めし ¥900 株式会社花善


 秋田名物を並べた秋田音頭には出てこないが、現代の秋田音頭ならば金萬28個と共に登場すること間違いなし、の大館鶏めし。

 昔はもう少し食べたくなったものだが、今ならこの分量で十分。甘味を覚える炊き込みご飯を上品なおかずと共に頂く。
 しかし、花善さんも苦労しているみたいで、
hanazen.co.jp
 なんてメニューがある。
www.youtube.com
 なんてものも出来ていた。
 列車は秋田の産物を横目に阿仁谷を進む。

 冷夏に負けずに育つ稲を見て

 秋田杉の木立を見る。

 阿仁前田の駅脇には製材所。河合だったかの協力工場とあったから将来はピアノが約束されている。

 葉タバコの畑も車窓を彩る。
 徐行が入ってまた田んぼアート区間。駅間にある場合はわざわざ減速してくれる。

 阿仁前田の先で減速し、

 小渕の先でも減速。何か、無かったことにしてあげたいアートが流れた。
 この列車の行先は阿仁合。そこから先、角館までは乗り換えになる。10分少々の接続だから良い接続ではある。

 様々な車両が姿を現すと阿仁合到着。鷹巣を出る時は接続待ちで少々遅れたが、阿仁合には定時の到着だったようだ。

 角館ゆきは右手に入ってきますと、運転士の案内があって間もなく、

 またもや原色に塗られた気動車が入ってくる。2両つないでいるが、後ろ1両は回送とのこと。
 鷹巣ではそこそこお客さんが乗っていたが阿仁合までにだいぶ降りている。そして、角館ゆきに乗り継いだのは

 自分一人で驚いた。後になって1人、鷹巣から乗っていた人が戻り、阿仁合からのお客さんが二人来たから全部で4人になったけど。
 もうちょっと間がある。

 後方の車両はオレンジ。これも一色。塗分けを単純にしてコスト削減を図っているっぽい。秋田内陸縦貫鉄道といえば

 この色なんだけどね。
 出発時間までもう少し。もう一両。見ておきたい車両が目の前に

 いる。AN8900形。全線開業時に導入された急行用車両だ。全線開通を機に急行が走り始め、女性運転士が登場した頃の内陸線には、もう少し未来があるように思えたのだけど。少なくとも秋田新幹線が開業する頃までは。
 列車は定刻に阿仁合を出発する。阿仁谷がより険しくなり、

 橋梁を越えるところで観光停車。先頭を見た後で、

 谷間を見るだけの余裕がある。地元の人が乗っていれば迷惑かも知れないが、今日の列車はそんな感じではない。
 阿仁川を跨いだ列車は笑内の駅に着く。すると、隣の道路に

 路線バスが現れた。
https://shuhokubus-gr.co.jp/local/201910/taka_5uttou.htmlshuhokubus-gr.co.jp
 秋北バスの打当ゆき。内陸線の米内沢から阿仁前田阿仁合、比立内を経て線路の通らないマタギ集落、打当まで入る路線。本数の少ない内陸線と、輪をかけて少ないバス路線が並走するとは思わなかった。

 停車中に抜いて行ったバスとしばらくデッドヒート。

 抜き返して

 離しに掛かるがこちらが駅に着くと差を詰められる。バスは乗客がいないので確実に距離を稼ぐのであった。最後は 

 比立内の駅に停まった所で離される。
 長らく国鉄阿仁合線の終着駅だった比立内の駅。宮脇俊三先生の時刻表二万キロにも描写が出てくるが50年近くを経て多少家が固まるだけの眠ったような集落になっている。
 この先は1989年に開業した新規区間。線路が格段に新しくなり、列車の速度も上がる。
 この先は1989年に開業した新規区間。線路が格段に新しくなり、列車の速度も上がる。比立内から国道と別れ、打当へと向かう谷に分け入る。

 阿仁川に架かる橋梁も立派になった。
 阿仁マタギの駅手前で徐行運転。田んぼアートかと思ったら、かかしコンテストだそうだ。

 かかしなんだけど、内陸線に向かってバンザイしているように見える。よく見るとかかしではない人が一人混ざっている。車内唯一のグループ客が笑い転げる。
 阿仁マタギでお客さんが増える。多少は列車の体裁が整う。

 列車は打当に向かう道路とも別れ、鉄路以外に林しかない山中へ。そして平らな土地が尽き、トンネルに入る。県北と県南を隔てる十二段トンネル。
 長いトンネルを抜け、またトンネル、トンネル。川の流れ、向きが変わっている。分水嶺を越えたのだ。米代川水系阿仁川から雄物川水系桧木内川へ。
 途中、上桧木内で今日4つ目の田んぼアート。列車すれ違いで時間があるので、降りてごらんください、との事。

 予備知識がないと何が何だか分からないアートだが、

 地元のお祭り、紙風船上げを模したもの。
www.city.semboku.akita.jp
 
 冬のお祭りなので季節外れではあります。
 すれ違う列車がなかなか来ないのでじっくり取り組む。

 ホームに咲くひまわりと絡めてみた。8月、秋田は辛うじて夏。

 列車がやってくる。2両つないでいる1両は貸切のようで、お客さんで賑わいでいた。一般向けと思しき1両もそこそこ混んでいる。
 入れ替わりにこちらの列車が角館へ向かって走り出す。里へと下る列車が軽やかに走ると谷が段々と広がってゆく。最後に

 田んぼアートで徐行運転。流れたのは某放送局の人気キャラ。
 角館を手前に

 窓外に青空が広がると田沢湖線の線路が寄ってくる。コンクリート枕木の白さが眩しく光ると終着の角館となる。

 阿仁合を出る時の3倍以上のお客さんが降りてゆく。ってかそれでも10人ちょっとだけど。折り返しは15:33。帰りは2両で来た意味あるのかな。
 暑い盛りの時間に角館着。

 大曲方面は普通列車1時間以上待ち。

 盛岡方面はすぐにやってくる。数少ない盛岡直通の普通列車を捕まえるのが正解だったなぁと思ったけど、今日のホテルは秋田に取っている。
 1時間以上待って普通列車乗り継ぎで秋田に向かうのも面倒で、つい新幹線の切符を買う。モバイルスイカ、と思ったけど既にサービス中止。eチケットは使いにくい上に安くなく、結局紙の切符を買う事になる。スマホになる前からモバイルスイカチケットレスやってきたけど、12年以上経って脱落するとは思っていなかった。

 盛岡ゆきの普通列車を見送り


 3023Mがやってくる。Z17編成。途中まで進んだeチケットの画面でがら空きと理解していたが、2~3人ぐらいしか乗っていない。東京12:20→16:08秋田という列車。午後半日がつぶれる移動だけど、本来なら竿灯まつりの見物客で満席になっているべき列車である。昨日の青森もねぶたが無くて寂しい街になっていたが
www.kantou.gr.jp
 竿灯も中止。秋田の街も寂しかろう。
 閑古鳥無くこまちに揺られ秋田に16時過ぎ到着。さすがに早かった。そして何年振りかの秋田の街、

 知らない駅、知らない街化が加速している。駅前の秋田鉄道管理局だった所は秋田放送、ABSが建っている。NHKは駅東だっけ。どこ?って感じ。

 逆にアゴラ広場と緑屋の組み合わせは変わらない。でも、明らかに時代に置いて行かれた感がある。
 駅近くのホテルに投宿。ちょっと遅いかなと思いつつ、中土橋へ足を延ばす。広小路は自分の知る秋田からだいぶ変わったけど

 千秋公園のお堀は変わらないまま。
 ここに来たのはババヘラを頂きたかったから、なのだが、

 普段は要る筈のババヘラは残念ながらおらず。しかもこの界隈。県民会館も県立美術館もなくなっている。何か建て替えるらしいのだが、やっぱり自分の知っている秋田ではない。
 駅近くのスーパーで秋田味噌やら出汁醤油やらを買って一度ホテルに戻る。時刻は18時。まだ早いけど軽く食事に行く。
 山王大通りだった道の名前は竿灯大通りに変わって久しい。その竿灯初日なんだけど、先程の通り、竿灯も中止。

 竿灯会場からほど近い川反の街も閑古鳥が啼いていた。単なる月曜日、と思うとそうなるか。

 赤れんが館通り、と名のついた通りには川反から程近い所に蔵を構える新政が広告を出している。先代の頃はごくごく普通の日本酒で、地元ラジオ番組のスポンサーなんかもやっていた。売場から蒸発してしまうようなブランドになったのは、良い事なんだろうけど、ちょっと寂しい感もある。
 観光客向けっぽい店に入る。昨日の青森でもそうだったがよそ者向けの店は苦戦している。こちらも長いカウンターが無人だった。
「かすべとはた寿司、ギバサにジュンサイを下さい」という注文はよそ者の注文かどうか分からないが

 こんな感じになる。やっぱりよそ者の選び方か。後で追加で

 こんなものを食べる。馴染みが無いのだけど男鹿の名物、棒アナゴ、だそうだ。
oganavi.com
 カリカリの皮の中にコリコリの身がなかなか美味しく頂ける。気に入ったのだけど、好き嫌いの激しい食材らしい。
 閑古鳥の啼いているうちにホテルに引き上げる。昼間やり取りした昇格論文の話をWebで。便利な世の中と言ったら便利になった。以前なら論文を面倒みる時には出掛けるわけには行かなかったけど、ひとまずどこにいてもやり取りできるようになった。その代わり、何処にいても捕まる。
 終わった後は部屋で軽く飲み。朝早かった分、夜も眠くなるのが早い。明日は遅く起きても良いんだけど。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は21,394