2024-03-16

 目が覚めると6時半になっていた。既に北陸新幹線敦賀からの一番列車が動いている筈の時間。
 以前にも書いた事が有るが、亡くなった父は敦賀出身であった。その父親、少し北陸新幹線と絡みがあったと聞いた事が有る。と言っても相当昔の話。父は大学で地質学を学んでいたのだが、その頃、アルバイトで北陸新幹線のルート候補地の調査をした事が有るそうだ。具体的に何時なのか聞かなかったが、1972年の整備新幹線計画決定よりも前の事だと思われる。昭和40年代半ばだろうか。
 学生バイトで調査?って感じなのだが、まだ新幹線の計画が明確になっていない頃。調査があるとなると建設予定地の地価が上がるとかの影響があるので、あくまで候補地と言う事は隠しての調査だったそうだ。もし地元の人に「何をしているの?」と聞かれたら「大学のフィールドワークです」と答えなさい、って指示されていたとの事。
 そんな関わりもあり、北陸新幹線には一度乗って貰いたかった。北陸新幹線の建設。1997年の高崎-長野開業から金沢延伸まで18年。敦賀延伸がさらに9年。27年経っている。新大阪までの全線開業は2046年と言われているけど、それもどうなるかという状況。父が若い頃に北陸新幹線に携わってからは50年以上経ってようやく敦賀まで。全線開業が仮に2046年だとすると、1997年に社会人になった自分はその頃、現役を退いている筈だ。
 いくら何でも時間が掛かりすぎる。
 とにかく起きだして流れで朝食は自分が支度する。何となく雑煮を作っていたら、妻から「お正月の匂いがする」と言われる。まぁまぁ雑煮っぽく出来たものを頂くと、午前中はちょっと出掛ける。貨物時刻表を買いに、年に一度の一里山詣で。

 今日は良く晴れ、気温も上がっている。コートは着ずにジャケットだけで琵琶湖岸を南下。春全開という所だが、今の所、琵琶湖岸の桜、まだ蕾が堅そうだ。
 瀬田川の橋梁に差し掛かる。1055列車が来る時間だが

 それらしい列車は現れず、普通電車が来たので、先を急ぐ。一里山はまだまだ先。瀬田川の対岸へと渡り、川沿いに少々下る。その先、目に入るのは琵琶湖の水位を示す表示。 

 水位-12㎝。だいぶ回復した。先程の瀬田川橋梁でも-70㎝の頃には見えていた陸地が水の下に沈んだ様子は見ている。ようやく何時もの琵琶湖が帰って来た感がある。
 旧東海道の近く、建部大社の脇を通って一里山へと向かう。自宅からは1時間とちょっと。10時過ぎ、開店直後のモールは意外と空いている。その中にある書店へ。本日発売、貨物時刻表が平積みになっていて1冊お買い上げ。
 毎年1回訪れるたびに書店に併設されているカフェの割引券を貰う。毎年の事で毎回、これでコーヒーでも飲もうかと思うのだが、今年も結局行かずしまい。その代わりに一里山名物、新幹線テラスを見てゆく。

 大津市街を背景に通過する東海道新幹線をちょっとだけ見てから、自宅への戻り道。来る時とは経路を変えて、今度は国道1号の橋で瀬田川を越える。その途中、

 1071列車だと思う。EF210-142号機牽引。そして

 1070列車が来たようです。EF210-168号機牽引。
 瀬田川から少し歩いて、石山駅の神戸側、何時もの踏切へ。次の貨物列車がやって来る。

 5060列車が来る。EF210-315号機牽引。

 直後に普通電車が追いかけて来る。225系I11編成。Iは1と識別しずらいから使わない、というルールはJR西には無いようで、遠目には111ともIIIとも読める編成がやって来た。
 改めて自宅に戻る。途中、

 京阪電車

 京阪電車

 京阪電車。自宅に12時前。
 昼食の後、少し貨物列車を見ておく。15時前に改めて家を出ると今度は膳所の方へ。駅近くの跨線橋に立つと間もなく

 5061列車。EF210-319号機牽引。
 次の列車はちょっとだけ場所を変えて


 8865列車を迎える。ダイヤ改定で運用が少なくなった吹田のEF66だが、この運用は継続、で良いのだろうか。EF66-123号機が先頭に立つ。後ろにはEF64-1022号機が続く。
 自宅の方に戻りつつ、湖岸に出る。 

 湖岸に植えられた河津桜が一足早く咲き誇っていた。暖かさと相まって春本番と思えるが、来週はまた寒くなるらしい。
 帰宅して一度買い物。夕方、暗くなる前に帰宅。酒が入ったが、京王線恥辱、今日の分は進めておく。

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