2021-02-23

 4:15、時計のアラームが鳴り、次いでスマホのアラームが鳴る。定位置から枕元に動いていた時計は妻が準備してくれたようだ。感謝。
 思った以上に酔いが残っている。昨日は確か350ml缶のビールを飲んだ後に日本酒を少々飲んだはず。前なら全く問題ない量だが、ずいぶん弱くなった。
 緩々身支度。4:45には家を出る。始発電車狙いで膳所の駅へ。途中、酔い覚ましに水を買う。歩いてみるとまだまだと分かった。
 ホームに降りると内側外側、両方に接近灯が灯っている。ほぼ同時。内側に始発電車。外側に2063列車

 目の前に現れたのはEF66-27号機。予備知識なしに現れる古参機は心臓に悪い。
 始発電車に乗って京都まで行く。今日もこのパターン。2月の休日、朝のルーチンになりつつある

 117系の目覚めと貨物列車がこの後、2本。

 63列車はEF210-114号機牽引。

 65列車はEF210-172号機牽引。
 そして

 伊丹空港行きのバスに乗る。回数券を渡すと手元に残るのは3回分。今月買った回数券、今月使い切る勢いだ。
 今日のバスは空いている。眠いし寝てゆきたいが、京王線恥辱を進める。何とか定時運行のメドが立ち、空港到着となる。

 すっかり見慣れた欠航便の案内。102便、今日は×〇か。そこそこ人がいそうだ。手続きは無いのでそのまま保安検査を受ける。搭乗案内の紙、久しぶりに短い。

 朝からビール、という感じではなく今日は大人しく味噌汁とおにぎり。食欲もまだ無い。
 心がけて早めに席を立つ。

 17番にJL104が駐機している。今日はJA614J。

 14番にはJA710Jがいる。これは那覇行きのJL2081になるのだろう。
 先週土曜日とだいぶ様子が違うが、この影響。
www.bloomberg.co.jp
 一気に13機離脱なんて、B787の運航停止以来だろうか。機材が余りがちな状況なのが不幸中の幸い。
 さて、今日は16番搭乗口に向かう。ここ最近続いたJL102への搭乗ではなく

JL2181 JA211J ERJ170 ITM→HNA


 7:05、花巻ゆきに搭乗する。ちょうど事前改札が始まり、優先搭乗となる。さすがに対象者は少ない様子。まだ

 待っているのはJA211J。乗り慣れたERJ190より一回り小さなERJ170となる。モノクラス機なので選択肢なく普通席。後方座席を選んでいる。後ろのお客さま、という案内で機内に向かう。
 席が埋まらないまでも6割ぐらいは乗っていそうな今日の花巻ゆき。自分の搭乗手続きが33番となっているから、大きく外れていないだろう。
 7:01、Doorclose。上昇中降下中、揺れが予想されているのと、花巻空港強風のため着陸できない場合は伊丹空港に引き返す条件付き運航である事が案内される。搭乗橋が大きく離れてゆくと7:06、Taixing。16番から小型機の出発だと、ひと手間省けるのね、と認識を改める。手を振る地上係員に手を振ると、大きく振り返してくれる。これ、気付いて貰えた奴だ。
 飛行機は誘導路を南に、さらに南に。小さいエンブラエルだからA滑走路、32Rで上がるのかと思ったら、B滑走路まで足を延ばす。

 7:11、Takeoff RWy32L。途中でふんわり上がってそのままカーブに伊丹カーブに突っ込む。

 薄ぼんやりした伊丹の空。反転すると日が差してくる。

 何とも不思議な、そのままどこかに連れ去られるかと思うような景色が広がって青空の上に出る。7:18、ベルト着用サイン消灯。

 べたっとした雲の下は京都から琵琶湖に沿って飛ぶコース。晴れていたら真下過ぎて自宅近辺は見えなかっただろうが、湖南から湖東に向けての琵琶湖岸をなぞるようなルート取りをしている。長浜からさらに飛騨の方へと進んでゆく。
 飲み物のサービスが廻る。ワゴンが前から順々に廻って7割ぐらい行っただろうか。強めの揺れが来る。ガタガタと継続した揺れ。飲み物中断、ワゴンをしまい込むと7:31、ベルト着用サインが点灯する。

 真下には飛騨の山々。さらに北アルプスを横切るコース。じきに揺れもおさまると7:38、ベルト着用サイン消灯。飲み物のサービスも再開となる。さすがにワゴンは出さず、注文を聞いて配る方式になる。

 ひとまず、一息。隣が空席なので気楽に過ごせる。
 7:45、副操縦士から飛行状況の案内。現在、新潟県上空、37,000フィートを順調に飛行中。3分後には降下を開始し、ベルト着用サインを点灯させるとの事。花巻空港着陸時、山からの吹きおろしの風により揺れる事、着陸できない場合は再上昇することもあると説明される。花巻の天候は晴れ、気温は2℃と告げられた。
 そういえば、
ja.wikipedia.org
 この事故はウインドシアが原因だっけ。
 7:49、ベルト着用サインが点灯する。もうパソコンは仕舞って着陸に備える。

 窓外には雪景色が見えてくる。山形、天童のあたりらしい。一瞬見えて、そして雲に隠れて、さらに飛行機は北上しつつ降下する。

 雲が近づいてきて突っ込む。若干揺れつつなお視界の無い中を進む。 

 だいぶ高度が下がっている。もう水沢辺りまで来ている筈。再び雲が視界を奪い、次に目の前が開けると

 花巻の市街地が見えていた。飛行機は揺れつつ高度を下げてゆく。降りるのか、無理なのか、まだ判断付かないが、高度を落として落として滑走路が現れる。

 まだ降りる意志を感じるけど、なかなか着地しないな、と息をのむ。そして高度が下がって8:13、Landing、RWy02。心の中で拍手を贈る。Good Landing。

 飛行機は誘導路を進み、8:18、Spot in SP5、となる。前回花巻来たのは15年前の事。その時からターミナルの位置が変わっている。初訪問みたいな空港だ。

 ここまでお世話になったJA211Jを最後に一枚。制限エリアの外に出る。小さな空港だが、結構な賑わい。荷物検査に行列が出来ている。


 2月13日にあった地震の影響で今日まで東北新幹線那須塩原と仙台の間が運休中。常磐線東北新幹線の乗り継ぎ、なんてルートもあるだろうが、JALも羽田から臨時便を出している。

 小牧からはFDAがちょうどやってくる。千歳からのフライトもあり、ちょっとした発着ラッシュなのだった。
 バスの切符売り場にも少し行列ができていた。この時間、盛岡、安比高原、北上の三方面が出る様子。北上行きのバス、乗車券を買う。

 盛岡行きのバス、花巻空港駅にも寄る。空港駅を名乗っているけど駅があるのは滑走路の反対側。日本で一番役に立たない空港駅かも知れない。

 北上行きバスはマイクロバスだった。先客はおらず、小牧から来た人も乗らず。乗客1名が確定する。バス券売所の行列は何だったのだろうか。
 マイクロバスは自分一人を乗せて北上駅に向かう。

 今年は雪が多いと聞いていたが、このあたりで見る限りは大したことない。だいぶ溶けた感もあり、寒いといいつつも暖かな日も多かったのだろう。
 途中、北上工業団地で客扱い。工業団地からも乗車できるみたいなのだが、客はおらず。結局最後まで一人。乗り物は空いている方が望ましい、といいつつ、一人は気が引ける。寂しいし、今後の存廃が気になりだす。
 30分掛からずに北上駅は東口に到着。

 東北新幹線は今日まで地震の影響で運休。


 1時間に1本、仙台-盛岡を各駅停車で運行中。こまちはどうした?という感じだが、秋田-盛岡1日6往復の暫定運転。盛岡発9:04の次は12:35まで開いている。この時間に北上について秋田に向かうと秋田到着は14時だ。
 ひとまず切符を買う。何の企画乗車券も思い至らない行程、日程なので普通に普通乗車券だけを買う。3,080円。高いとは思わないが安くもない。普通に買うとこんな感じか。
 列車の出発時刻には間があるが、改札を通る。

 東北線、盛岡ゆきの電車が停まっている。まだまだ使い倒しそうな701系の武骨な姿を見る。701系が無くなる日も、いずれ何時の日にか来るのだろうが、惜しむのだろうか。何であっても無くなるものは美しくなる、のか。

 北上線キハ100系の姿が見える。これも新車と思っていたがまもなく30年選手になろうとしている。
 今日は北上線に乗る。次の発車は10:02だが、既に列車は停まっている。とりあえず乗ってしまおう。さすがに車内、先客はいない。


 2両の内装が違っていて、経年車であることを知る。

 東北線の下り、次いで上り電車が来る。姿は見ていないが、新幹線も上下とも来た筈だ。そんな訳で乗り換え客が三々五々、集まって来た。ボックスシートがさらりと埋まって、ロングシート部分もちらほら。スーツケースを持った人が何組かいる。新幹線が機能不全になっている分、長距離客が北上線を選ぶ、という事もあるのかも、知れない。

 出発時間が近づくと北上駅、雪が降り出す。ちょっとした吹雪。先程、雪は大したことないなぁと思ったけど、降る事は降っている。そして外に出ればそれなりに冷えている。
 助手席に保線員が乗り込んで北上出発。東北線の線路と別れる。走り出すと雪が結構激しくなる。

 わずか数分で景色も分からないような猛吹雪になった。景色も見えなければ前も視界不良。警笛を鳴らし列車は二人の目で進んでゆく。どこかの駅に停まる。意を決したお客さんが降りてゆき。乗る人は雪まみれになって駆け込んでくる。

 一駅ごとに雪深くなる今日の北上線和賀仙人の駅は列車が停まる所だけは綺麗に除雪されて、後は雪に埋まっている。

 錦秋湖の脇を通っている筈だが、ダム湖も分からぬまま列車は雪の中、雪の中へと分け入る。良く走ってくれると感謝するしかない雪道。

 ゆだ錦秋湖の駅も雪に埋もれる中、辛うじて駅へと続く道の部分だけ、しっかり除雪されている。
 少し行く道が気になり、運転席の後ろに立ってみた。

 行く手の線路、完全に雪に埋もれている。この列車、雪を除けつつ進んでいるのだった。
 温泉併設のほっとゆだで地元の人が入れ替わり、多少お客さんが減る。県境を越えた黒沢でようやく上り列車とすれ違う。ここまで行く手を凝視してきた保線員は上り列車に乗り換え。

 先程すれ違った列車が切り開いた道を下ってゆく。
 列車は秋田県内に入っている。昔の山内村いぶりがっこと山内杜氏の村も雪に埋もれている。途中、村の中心地、相野々でお客さんを少々集めると里へと下りてゆく。その里、横手の街が見えてくる。ここも雪に埋もれている。人が住まない廃屋が雪で潰されていた。
 終着、横手に定刻到着。これだけの雪を越えてきても定刻。

 列車の顔はすっかり雪まみれになっていた。
北上から乗り通した人を含めて下車する。

 横手駅。いつの間にか橋上の小ぎれいな駅になっている。記憶にある平屋の駅との違いに戸惑う。
 次の列車まで30分強、待ち時間がある。時刻は11時過ぎ。昼食には早いがお昼ご飯を頂こう。駅前にある焼きそばも出す店に入ってみる。

 先客が2組4人。寂しくはないが空いている。カウンタ席の境には立派な衝立があってにわか一蘭になっている。
 ご当地名物の焼きそばを注文。待つ事暫く。地元の人がやってきて晴れたり吹雪いたり変な天気だ、という事を店の人と言葉を交わす。もちろん意訳で少し聞き取りにくく、字面には表現できない、自分は何とか理解できる秋田弁で。
 案の定、焼きそばは早かった。

 目玉焼きと福神漬けが添えられた太麺。横手焼きそばを頂く。昔から横手には定着していた食べ物。でも秋田市内に住んでいた自分は知らなかった。本当のB級グルメってのはそんなものかも知れない。
 出てくるのが早ければ食べるのも早い。乗換30分でも十分に余裕をもって食べきれる。駅に戻る。

 駅の脇、コンテナが積まれている。貨物扱いがあるのだが、貨物列車の発着は無い。自分が秋田に居た頃は秋田貨物-横手の区間列車があってDD51が牽引していた。今はトラック代行の筈。

 横手-秋田貨物 自動車代行 とフロントに表示したトラックが停車している。トラック輸送をする区間はいくつかあるのは知っているけど、わざわざトラックに明示する扱いは初めて知った。

 改札脇には東北新幹線運転見合わせの案内。この時期、受験を控えて上京する人は大変だろう。自分も25日の受験に先立ち、23日には秋田から東京に行った覚えがある。
 東北各駅、列車別改札が建前だと思うが、横手駅も自動改札になっているので、駅構内には入ろうと思えば入れる。案内は無かったが入っておいた。


 ホームに降りる階段にマスク着用のマナーポスターがいくつも。バカやってんなぁと思うけど、全力でバカが出来る職場は素敵だ。
 この時間の横手。日が差している。吹雪いたり晴れたりの吹雪いたりターンか。まもなく

 701系2両の普通列車がやってくる。1993年生まれだから28年目になる所。同い歳の車両には少なくとも転機が訪れているけど、この車両はしばらく置き換わる気配を何にも感じない。
 横手に出て来たお客さんを降ろし、入れ替わりに乗る。列車は空いている。

 ゼロではないのだけど2両目に座る人は数人だった。先頭の方が人の姿が多く見えるが、それでも全体人数は知れている。
 昔は上野直通の特急が走り、仙台行きの急行、上野方面の夜行列車が数多く行き交った奥羽本線。高速化の波に取り残され没落した区間に姿を見せるのは701系のみ。だいぶ寂しい区間だが

 途中、臨時列車か何かを見かける。今年の小正月はどこも開催縮小で、そもそも23日だと小正月の期間でもないが、さて。

 沿線、晴れたり、

 吹雪いたり。目まぐるしく変わる天気。風は強く、遮るものの無い区間では列車が少し変な揺れかたをする。まぁこんな吹雪の中を歩かなくて済むだけ、ありがたい。
 お客さんが増えてきて秋田に13時過ぎ到着。北上から3時間が掛かっている。この高速化時代に何という鈍足ぶり、なのだが、新幹線が機能不全に陥っている今日、10時に北上にいるひとが秋田に来ようとすると北上線経由が最速だった。秋田新幹線を待っていると秋田到着は1時間遅れて14時になる。

 ここまでお世話になった701系も顔に雪を纏っている。今日はこの先、もう少し移動がある。乗換列車は1番線に見えている。跨線橋を渡ろう。

 「きたかみ」「きたぐに」「おが」「千秋」懐かしい名を記したサボのレプリカが飾っている。ラミネートされているから紙製だろうが、よく知っている人が作ったに違いない。

 秋田を行きかった寝台列車たちのヘッドマークも模されている。

 「あけぼの」「天の川」「津軽」「かもしか」

 学生時代、帰省で乗った津軽

 高校の修学旅行で京都から乗った日本海
 何か、デスマスクが並んでいるような気がしてきて、少し居た堪れなくなる。これだけたくさんあった優等列車も全て消えてしまった。記憶を一気に80年代に戻すような演出から目を覚まし、そこにいるのは

 1977年投入。あの頃を知るキハ40。2両編成の気動車が1番線で発車を待っている。北側に切り欠きで設けられた1番線は男鹿線の指定席、みたいな印象が強い。装いは違えども、あの頃を思い出すには十分な景色だ。

 そこに貨物列車がやってくる。2093列車。EF510-4号機牽引。あの頃ならばEF81だろうが、赤い電機だから、雰囲気は崩していない。
 貨物列車は早々に出てゆく。代わりに上りの普通列車が入って来たので見に行く。

 こちらの列車には「ありがとうキハ40・48」のヘッドマーク。あと3週間で秋田局管内でのキハ40系の命運も尽きる。あの頃の秋田駅も、全て潰える。 さて、秋田駅といえば秋田駅構内営業関根屋さん。相変わらず駅の隅っこに追いやられたままなので、焼きそばを食べた後だけどお弁当を買っておく。そんな訳で

【今日の駅弁】あきたこまち弁当 ¥1,000 株式会社関根屋



 要するに幕の内弁当。あとは鶏めし的なまねっこ弁当した残っていなかったので。
 駅弁なので冷まして売っている。だからご飯も冷たい。けど美味しい。冷めても美味しいあきたこまち、と、登場当時は売っていた事を思い出した。

 さて、列車は男鹿行き。キハ40が2両。先頭車セミクロス車だが、後の1両はロングシートに改造されている。前の方はそこそこ乗っており、後ろは空いている。普通、改札に近い方の車両が混むものなので、本来なら後ろの方が混むはず。ロングシートは嫌われている、という事が良く分かる構図になっている。
 幸い、ボックスに空きがあったのでそちらに座り出発を待つ。13:38の出発になる。国鉄末期からJRになった頃、男鹿線の秋田出発時刻は毎時40分と綺麗に整えられていた。今も概ね1時間毎ではあるが、昼間は12:07の次が13:38、その後は15:28とだいぶ減らされ、覚えにくくなっている。30年でだいぶ退化してしまった。まぁ秋田県の人口も2割減っているし、お客さんも減っているのだろう。
 定刻に列車は秋田駅を離れる。構内をゆっくりと進むと本線に出て緩加速。車体が重たくなった割に非力なままのエンジンを積んでいるので、なかなか加速しない。JR後にエンジンを換装した場合もあるけど、秋鉄局にいるのは非力なままのオリジナル車である。
 手形を抜けてカーブして、旭川を渡る頃になってようやく速度が乗ってくる。この先、昔の秋田操駅。今後の改定で新しく泉外旭川駅が出来る所。キハ40系列の場合だと、ようやく速度に乗ったところで減速する事になった筈。
 秋田から土崎は隣駅だが、距離は7.1㎞もある。京王線なら新宿から桜上水だ。とはいえ、このあたり、泉も外旭川も昭和の頃から住宅街になっていたところで、駅開設を願う声が高かった。民営化の前後には、新駅設置予定とした住宅広告もあった筈だ。
 当時は全国各地、新駅を作って客を増やし、列車の運転頻度を高めて利便性を高める動きがあった。当時の秋鉄局。奥羽北線の動きに関して言うと、男鹿線が毎時40分になり、奥羽線八郎潟までは概ね1時間毎の運転になっていた。秋田市内、秋田-追分で見れば概ね30分毎の運転は確保されていた。後は駅の問題。小学から中学に上がる頃の自分にとっては、根拠もなく駅が出来て当然と思っていた。最低2駅。できるなら4駅ぐらいあっても不思議はない。旭川橋梁の手前に一駅。天徳寺のあたりに1駅。操駅のヤードが尽きて上下線が合流する辺りに1駅。最後に将軍野の自衛隊前へ続く通りのあたりに1駅、と。
 平均駅間距離2㎞弱なら、世の中的には不思議はないと思う。住宅も多いから沿線人口は問題ない。問題は走る列車だったかも知れない。何しろ非力はキハ40か、古いキハ22。それに電気機関車が牽引する客車列車だ。先程の通り、加速途中でブレーキとなる。所詮は中坊の妄想だったのである。
 年月が流れに流れ、妄想が一つ現実になる。
news.mynavi.jp
 駅名は泉と外旭川、二つの地名を合成したもの。場所は秋田操駅だったところ。正確に言うと秋田機関区だったエリアとヤードがあったエリアの境目ぐらいである。自分が住んでいた頃には夢にも思わなかった。上下線が離れており、駅が出来るとは思えなかった所である。
 ようやく速度が乗った列車は既にできている泉外旭川のホームを通過すると、縮小された秋田貨物駅を通り過ぎる。この辺りも自分が住んでいた頃とは線路の様子はだいぶ違う。非力な速度のキハ40も走りに走って土崎までの7.1㎞を8分程。京王線の急行よりは速いぐらいで土崎に着く。
 土崎で早くも乗り降り。列車は市内の北側へ。この先は3㎞ぐらいの間隔で駅がある。だからこそ、何で秋田-土崎は駅が無いの?状態。
 列車は追分を出ると松林の中を走る筈だったのが、林がなくなっている。鉄道防雪林だった筈だが、雪が少ないから不要になったのか。代わりにあるのが、太陽光パネル。羽刕街道の7号線を挟んだ海側には松林が残っていて、その向こうには風力発電の施設が並んでいる。原発でないだけ良いけど、人がいなくなって電力を供給するだけの土地になりつつあるのは寂しい。車窓にようやく松林が現れた所で奥羽本線と別れる。か細い線路を走るようになると、なぜか加速の悪さ、エンジンの非力さが気にならなくなる。3㎞毎ぐらいに駅はあり、記憶にない、真新しいけどこじんまりした駅舎が現れる。

 車窓、窓外には鉛色の雲。八郎潟調整池へと続く船越水道の水色も鉛色。人の恰好も地味で、鮮やかなのは二田ですれ違った、新型車両、EV-E801系の車体だけである。
 脇本の駅も見覚えのない、真新しい、小さな駅舎になっている。脇本は親に連れられて寒風山に登った時に降りた事がある。当時は新車だったキハ40に揺られて、脇本まで来て、帰りも男鹿線だった。駅舎は木造の古びた立派な駅舎だったし、キハ40の朱色、キハ58の国鉄急行色。鮮やかな車体が青空によく映えていた。残念なのが、当時の脇本駅、貨物も扱っていて、日本でも数少ない原油の積み出しをやっていた事に全く気付かなかった事だ、
 脇本を過ぎるとちょっとした峠を越え、昔は男鹿半島観光の玄関口だった筈の羽立駅。今はそんな機能はとっくに喪っている。観光バス会社の車庫があるけど、名残はそのぐらいかも知れない。
 秋田駅から55分。非力なキハ40が終着の男鹿に着く。

 こちらも見覚えのない駅になっていた。古い駅舎は辛うじて残っているが、駅の位置が変わって、真新しい駅舎、そして道の駅が出来ている。その代わりに船川港まで伸びていた貨物線の痕跡はない。
 男鹿線の折り返しは15時半過ぎとなる。1時間待ち。ちょっと男鹿の街を歩いてみようと思っている。下調べをしたら珍しいものがある事に気づいていた。
 昔は船川港まで伸びていたであろう跡地沿いに歩く。

 線路がぶつ切りと残っていてドキッとする。なおも歩く。このあたりの道路、舗装も新しく、線路跡を整備したエリアらしい。線路跡の向こうには船川の港。なんだけど、船の姿も少なく、寂しさが募る。

 港を横に見て、日本海を渡る風に身を凍らして先へと進む。男鹿駅から1㎞程。歩数稼ぎには良い距離。目的地らしいところに着く。

 「うどんそば」の自販機。秋田県内だと土崎港に設置されたものがあまりにも有名。
www.nhk-ondemand.jp
 NHKドキュメント72時間にも取り上げられ、今は道の駅で動態保存みたいな感じになっている。
 男鹿の物は地図に出てきたから認知はされているのだろうが、それほどでもない様子。ならばと思って楽しみにしてきたのだが、

 天ぷらそば、天ぷらうどん共に売り切れの文字。残念。
 駅まで戻る。その手前、道の駅が整備されていたから寄ってみる。

 道の駅、駐車場の一角に踏切が保存されている。もともと別の所にあったようで、先程見かけた線路とは90度向きが違う。

 道の駅、物産館にも寄ってみた。野菜とか魚とか、買って帰れば安くてよいのだが、さすがにナマモノは持ち帰り辛い。そんな中でうっかり買ってしまったのが蕗の薹。ばっけ味噌を作りたいのだ。
 駅に戻る。折り返しの秋田行き。発車10分前に改札開始だそうだ。
 真新しい駅舎。2階が展望デッキ風になっていて駅構内を見る事が出来る。


 先程乗って来たキハ40が停まっているその横には

 入れ替わり男鹿線で活躍することになるEV-E801系。その増備車が試運転で来ている。昨年、膳所で増備車の甲種輸送を見送ったけど、その運用開始は3月の改定を待つ。ひと冬走り込んで、満を持してのという扱いみたい。
 改札が始まり、構内に進む。


 新旧の車両を改めて眺める。701系の例を見ても分かるように、EV-E801系もこの先、30~40年のスパンで使われることになるのだろう。恐らく、この車両の終わりを見届ける事はそろそろ難しい。その時まで男鹿線が、いや、秋田県という地が根を生やし生き永らえる事を願ってならない。
 さて、と。秋田に戻る。帰りはゲテモノ改造車のロングシート車輌を選んでみよう。

 二つドア、デッキ付きだったキハ40が長ロングシートになっている。キャセイパシフィックのラウンジならロングバーなんて優雅な感じになるが、秋田は男鹿のキハ40ではそんな優雅なものにはならない。

 不思議なのはこの立席スペース。登場当時のプレスリリースではデッキに立客が滞留するのを防ぐため、とあったように思う。あくまで記憶だから違うのかもしれない。でも、それを見て、わざわざ車両の奥まで入って立つ人いるかなぁと思った記憶がある。デッキに立つのは降りやすさを求めてであり、立ちスペースを求めてではないのでは?と。実際有効だったのだろうか。秋鉄局に於かれては総括して頂きたい。
 列車は空いている。わざわざこの超長ロングシートを選ぶ人は、それほどいないか。でもゼロではない。
 出発時刻。汽笛が鳴って列車が動く。先程、船川港を歩いた時には晴れ間が見えて、寒風山が見えていた。この時間の男鹿。雪が降り始めている。結構な勢いで景色が白くなり始める。

 脇本の田んぼも寒風山は姿を消し、白くなり始めていた。
 列車は船越で乗客を集める。ワンマン扱いなのでドアが開くのはこちらの車両。だんだんと長ロングシートもお客さんで埋まってゆく。

 船越水道。先程とは逆側の景色。鉛色の空の下、鉛色の水道があって、コンクリートの水門が見えている。来るときの海側と景色としては一緒だった。
 二田でまたEV-E801系と会う。昼間は2本の列車が行き来しているだけのダイヤらしい。男鹿線の真骨頂は朝晩か。二兎は追えないので仕方ない。先程来た道、先程来た駅をなぞり返す。今度は秋田まで1時間。最後は土崎からの7.1㎞を緩々と全力で疾走する。貨物駅を抜けると今日二度目の泉外旭川駅を通過。速度が緩むと本線をガタガタと渡る。
 16:40、もといた秋田駅1番線に戻る。 

 キハ40自体はまだまだ、JR西日本にはいっぱいいる。まだ機会はあると思うけど、自分の中で一つの時代が終わるような、そんな感傷を覚える。
 勝手にピリオドを打つような感想を持ったが、秋鉄局のキハ40は最期まで全力で働いている。今日は祝日だが、平日であれば夕方の通学時間帯。この後、男鹿に向かう普通列車

 キハ40を5両連ねている。昔は夕方の男鹿線、50系客車を8両連ねた列車があって、先頭にはDD51が立っていた。鈍足のキハ40よりもさらに10分だったか15分だったか遅かった記憶がある。それに比べると5両で輸送力列車とは認め辛いのだけど、キハ40を5両連ねる列車何て、今やなかなか無い筈。もしかしてミャンマーあたり行けば5両連ねたキハ40なんて運用があるかも知れないけど。

 自分がいた頃は輸送力列車は客車だったからなぁ。JRになった後でも奥羽線には50系10連がいたし。気動車を5両連ねる列車。あったかも知れないけど、記憶にない。
 今日は秋田市内に泊まる。明日の事を考えると、土崎の方が都合が良いのだが、ホテルを調べていたらキャッスルが安価に出ていて、ついプチっとしてしまった。なので、明日はちょっと動きづらいが秋田駅の近くに泊まる事になる。
 秋田駅前、人が少ない。その人気の少ない街を歩いて予約したホテルに投宿する。こちらもあまり人の気配がしない。そろそろ日の暮れる時間。夕食を兼ねて軽く飲みに行く。 

 先程までは雪の無い秋田市内。ホテルに入った数十分の間に道が凍った。雪は降るというか、飛ばされている。ブリザードといいたくなる天気。雪が堆く積もる横手は非常に気の毒だが、この時間の秋田も天気は決して嬉しくない。
 凍り始めた道を歩く。多少の心得はあるから、30年秋田を離れていても、雪道は普通に歩ける。

 川反にも人は少なく、やっている店も限られている。こんな調子じゃただでさえ大変な経済がもっと廻らなくなるようなぁと思う。
 一通り廻ってみたが、入れる店も限られ、前回も訪れた所に安全サイドで入ることになる。

 ヱビスビールを生でいただく。食事は郷土料理を少々。単なる観光客にした見えないだろうなぁと思いつつ。

 ヱビスビールを生でいただく。食事は郷土料理を少々。単なる観光客にした見えないだろうなぁと思いつつ。

 ハタハタ寿司、ハタ寿司下さい、とお願いして出して貰う。

 今日のおすすめというだだみの天ぷら。ビールじゃないなぁと思い詰めて

 日本酒に切り替える。酒は天下のヴィクトリア・ピーク、じゃなかった太平山。

 前回、感激した棒アナゴを頂く。薬味の準備が色々あるけど、これはこのまま何もつけずに食べるのが美味しい。

 日本酒をもう1本。今度は心に響く四季の酒、高清水を1合頂く。
 ちょっとピッチが速いのでいったん店を変える。次は制約が解けるので適当に店を選ぶ。けど振り幅が非常に大きくなった。

 老舗のオーセンティックバー。先客が二人、カウンターの両端にいる。ロングシートの三人目みたいな感じで座る所に迷うが、王道で真ん中へ。
 先程、ビールにハタ寿司なんて冷えるものを食べてきたので、

 アイリッシュコーヒーを頂く。お通しにビーフシチューが出てきて、これまた外のブリザードから身を守る貴重なものを頂いた気分になる。
 ついでに

 サンドイッチをつまみ、もう一杯何か、が散々悩む。メニューが声に出して読みたい状態なのである。まぁ声を出したら思いっきり迷惑だけど。散々悩んだのに

 結論は地元貢献。そふと新光でおなじみ、秋田県醗酵工業のジンを使ったジントニック。散々ウイスキーで悩んでおいて、ジントニックって、バーテンダーさんにはどう受け取れられるか。とは思うものの、見た瞬間、飲みたかったのである。秋田杉ボタニカル。
 早くから飲んで出来上がってしまった。本当なら秋田駅頭、去り行くキハ40系列を迎え見送り、とすべきだろうが、そんな感じではなくなる、飲んで出来上がりホテルに戻ってなお飲む。明日に差し支えないように、とは思うものの、さてどうなるか。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は22,238