2020-10-03

目覚めると外が明るくて違和感を感じる。何時?と思って時計を見ると6時。予定外の時間だ。
 今朝は旅先、弘前駅前のホテルにいる。朝一番の五能線に乗るつもりだったのが、既に発車した後だ。
 まぁ一本落としても何とかなるかぁと思い直す。それが意識の底に有って寝過ごしたのかも知れないけど。

 ホテルの窓外には弘前駅構内が見える。貨物駅の機能を残した旅客駅もだいぶ少なくなった。貨物時刻表には地元の膳所、石山が両方記載されているけど、発着する貨物列車は無くなって久しい。
 身支度。6時半にチェックアウトする。ホテルからすぐの駅構内へ。ホームに降りると

 快速の表示も凛々しくキハ40系がホームで待っている。8月にも乗った五能線快速、3524D列車である。
 2か月ぶりの五能線で同じ列車に乗るのは芸が無く、それが故に1本早めたかったのだが、何の因果か、もう一度この列車のお世話になる。
 8月よりも乗客は少々多かった。海側のボックスシートを探して1席、あったところに落ち着く。出発までの間、少し写真を撮る。

 車歴を物語る銘板、昭和54年製造。都合2度の改造を重ねている。41年選手も長くて来春までの命。
 発車時刻が来てドアが閉まる。重々しくのっそりと動き出す。少しずつの加速。馴染みのあるもっさりのそのそとした走りを楽しむ。
 五能線の終着駅となる川部に着く。列車は方向を変えるためしばらく停まる。早速のフォトストップ、といった所。

 五能線下りの始発、鯵ヶ沢からの821D列車と行違う。弘前への通学客を乗せるからか、4両つないだ素敵な姿。

 反対側には首都圏色、朱色5号のキハ48も姿を見せる。

 こちらの列車も間もなく出発。車内に戻る。列車は奥羽本線からカーブして別れる。細い細い五能線の線路へ。

 季節柄、リンゴの実が目立つ五能線沿線。リンゴの樹はいくらでも見た覚えがあるが、リンゴの実がたわわに鳴る光景は初めて見た。五能線、だいたい18きっぷのシーズンに乗るので秋に乗る機会は今まで無かった。
 土曜日だが高校生の流れはあってだんだんと列車は混んでくる。よそ者ばかりがボックスに座って申し訳ない。
 高校生のほとんどは五所川原までの乗車。

 向かいには深浦からの一番列車が停まっていて入れ替わりに発車してゆく。こちらにも首都圏色、朱色5号の気動車が1両。一度、この色で「快速」表示は見てみたい。


 列車はのんびり30分近く停車する。二度目のフォトストップ、なんだけど一度駅前に出てみる。少し歩いて駅前市場という所まで行ってみたけど開店は9時だった。早々に駅に戻る。

 津軽鉄道の列車が到着するのが見える。本当は五能線の始発で出かけて五所川原津軽鉄道を往復しようと思っていたのだけど。

 次に来るときの課題になった津軽鉄道。そろそろ出発時刻。車内に戻る。降りた代わりに乗った人も多くて、席はそこそこ埋まっている。向かいから鯵ヶ沢発の列車が来て入れ替わりに出発となる。
 五所川原で降りなかった高校生が隣の木造で降りるのは2か月前と同じ景色。列車は五能線二つ目の顔、田園地帯を走る。地味な景色ではあるけど

 五能線、秋に乗った事はないので、ススキの景色も初めて眺めることになる。

 黄金色に染まる田んぼも五能線では初めて。
 右手の車窓に海が見えてくると鯵ヶ沢の駅。ここで車掌は下車、この先、東能代までワンマン運転になる。

 「ワンマン」表示が加えられた五能線快速。少々停車ののち、出発となる。鯵ヶ沢でも少々お客さんが増えている。8月の盛夏よりも賑やかな今日の五能線、出発。
 ここから快速列車として運転。停車駅はほぼリゾートしらかみと一緒。そのターゲット通りに

 ごつごつとした岩が見えてきた千畳敷で観光客が降りてゆく。
 次は深浦まで停まらない快速列車。海沿いの寒村をつないで走ってゆく。深浦までの海沿いを行く区間。一瞬、内陸に入る。

 素寒貧、という言葉が似合うというのは失礼この上無いが、そんな追良瀬の集落を見て再び海岸線へ。

 広戸から深浦の間は海岸線も自然のものになり、ごつごつした岩の並ぶ様子を眺めて列車は進む。


 窓開く列車からこの景色を眺めるのもあと少し、か。
 ちょっとした街が広がって列車は深浦に着く。

 向かいには東能代を朝出て来た下り列車とすれ違う。先頭には首都圏色、朱色5号のキハ48。結構数はいるのだけど、すれ違うばかり。
 深浦の駅。先日こんな事件があったばかり。
www.toonippo.co.jp
 少々停車するこの列車。同じことがあったら困るが、写真は撮りたいので、外に出る。

 東能代ゆき2両、弘前行きは3両。深浦の駅でそこそこのお客さんが列車を待っていた。東能代ゆ きの方が乗車が多いようで、弘前行きは空いている。昨日の晩、秋田に入って今朝五能線を下る案もあったのだけど、そちらの方が良かっただろうか。


 時間を忘れそうになる被写体を前にしていると「間もなく出発」という放送が聞こえてくる。駅側も先日の事件以来、ピリピリしているのかも知れない。
 席に戻る。

 列車はだいぶ混んでいる。乗車率にすると5割以下だろうから、混んでいる、という言葉には当たらないのだが、海側だけでなく山側のボックスにも人がいる状態。混んでいる、と言いたくなる。自分のボックスにも深浦からの老夫婦がいて、ちょっと考えて席を譲る。まぁ、たまには山側の景色を見るのも悪くない。

 とはいえ気になるのは海側の景色なんだけど。
 列車は観光快速、リゾートしらかみと同じ停車駅に停まってゆく。有名な不老不死温泉の最寄、艫作は通過して、次にある何度聞いても耳馴染みのないウェスパ椿山に停まる。そういう名前のリゾート施設があるらしい。
 駅前に不老不死温泉の送迎バスが来ていて、降りてゆく人、乗ってゆく人、差し引き少し乗客が多くなる。元岩崎村の中心地、陸奥岩崎は通過して、観光地の最寄、十二湖に停車する。ここでは深浦からのお客さんが結構降りてゆく。海側のボックスが1席空き、せっかくなのでそちらに移る。初志貫徹、というわけには行かなかった。
 相変わらず観光客が多数乗る秋の五能線。どうやら大人の休日倶楽部パスが使えるみたい。GOTOの東京解禁と相まっての賑わいらしい。昨日の新幹線の様子からすると違和感があるが、五能線のような細道までくると煮詰まるのか。
 青森県最後の一駅、大間越を出ると列車は減速する。8月はワンマンの運転士が減速運転の案内をしてくれたが、今日の人は無言で速度を緩めた。

 荒々しい海岸を五能線は行く。窓外を見る人から歓声が、とはならない。Withコロナの時代。静かに楽しんでいる。


 高い所から岩の目立つ海岸を見下ろすような10分の圧巻を楽しむと秋田県側最初の駅、岩舘になる。

 8月の時と同様、秋田から青森まで行く観光快速、リゾートしらかみとすれ違う。向こうの指定席、ほぼ埋まっているようだ。同じくシニア層が目立ち、事情はこちらの列車と同じと推察できる。
 五能線のエースを待たせて、こちらが先に発車する。再び、人の気配がするようになった土地を行く。

 このあたりでも前回、「海岸が見える最後」と案内があった記憶があるが、今日の列車は無言で別れを告げる。右手にいくつも見える風力発電の風車に海の存在を感じつつも松林を遠くに臨む田園地帯を進むようになる。
 人家はあって、駅はあっても列車は停まらず、次は能代まで無停車。元峰浜村の中心駅、沢目なんて所は、復刻版の時刻表で見ると東能代からの折り返し列車があったぐらいの駅なのだが、そんな歴史は踏み倒して先へと進む。

 大きな川は大きな街がある証拠。間もなく市街地が現れて五能線の「能」の由来、能代に着く。あまり多くない地元客が降りてゆく。

 リゾートしらかみのお客さんが興じるためのバスケットゴールも健在。今は次の列車に備えて係が一人、清掃をしていた。
 列車は最後の一駅。能代市内をカーブしつつ進む。市街地を抜けると奥羽本線の立派な線路が近づいてきて、終着の東能代到着となる。


 2か月ぶりの4時間乗り通しも飽きなかった。もう一度、東能代から弘前まで戻れと言われても喜んで戻る。でも今日はこの先があるので、早々に東能代から離れる。
 いったん改札の外へ。前回8月には東能代から奥羽本線、下る方面に向かったが、今日は上り列車に乗る。少々間があるのでいったん改札の外へ。

 GOTOトラベルの電子クーポン使用可能となっている店に初めて遭遇する。何の事はない、ニューデイズだけど。折角なので駅弁、飲み物、秋田県限定っぽいランチパック、
takeyapan.co.jp
 じゃなかったたけや製パンのフレッシュランチ 、と1000円を超えるように買おうとしたら
QRコードが届いていないので」
 との事。電子クーポン、まだ準備中であった。こんな調子で6,000円分の電子クーポン、使い切れるのだろうか。
 次の上り列車は秋田行きの特急。手元の五能線パスでは特急列車には特急券を買わないと乗れない。いざ買おうとしたら指定券券売機に行列ができている。大人の休日倶楽部パス、を持っている人が指定券を出そうと悪戦苦闘しているらしい。それが数人。駅員がつきっきりで対応している。他の駅員が寄ってきて乗車券券売機でも特急券を買える旨、案内してくれるが、折角Viewカードを温存しているので、使える時ぐらいは使いたいのよね。
 特急の時間が迫る中、1台だけの指定券券売機に行列ができて慌ただしくなる東能代駅。結局、時間切れ。特急券は車内で買い求める事にして乗ってしまう。やって来た特急つがる。行列ができていたが、乗ってみると座れる程度の乗車だった。

【今日の駅弁】三種の鶏めしいなり ¥590 株式会社花善


 東能代駅構内のニューデイズでは花善の駅弁を扱っていて、普通の鶏めし以外にもラインナップが揃っている。さすがに8人前の特盛は無かったけど。
 普段なら鶏めし一択なのだけど、今日はちょっと変わり種に手を伸ばしてみた。

 本当に鶏めしベースの稲荷ずし。とはいえ変わり稲荷はなかなか難しいお弁当である。前にも豊橋駅構内営業壼屋で何度か食べたけど、悉くイマイチであった。今回についても果敢なる失敗、という言葉が付いて回る。
 遅れ始めている京王線恥辱に手を掛けつつ、50分弱で秋田まで運ばれる。

 今日はこの後、膳所の自宅まで帰る。秋田空港から飛ぶのだが、感染第二波の影響で予定が変わり、最初の心づもりからはだいぶ違う事をすることになる。まずは

 目の前には男鹿線に投入されている蓄電池式電車がおり、非常に興味をそそられるけど、そちらは次回以降に譲り、改札の外へ。
 昔のステーションデパート、未だにトピコという名前は馴染めないけど、そちらに出るところに秋田駅構内営業、関根屋の売店がある。場所が悪くて可哀想なのだが、気になる駅弁があるので見てゆくと、
www.sekineya.jp

 わっぱ舞茸、一つだけ残っているというので衝動買い。「これ、大好きなんです」とついつい言ってしまう。
 関根屋の売店はGOTOトラベルの電子クーポン利用可能で、初めて処理するという店員さんと悪戦苦闘しつつ、使わせてもらった。店頭にあるQRコードを読み込まないと使ったことにならず、先程、東能代の駅で「QRコードが届かない」と言われた意味がようやく分かる。
 この先、移動があるのでお弁当は後で食べる事にして、駅前に出る。その途中、

 8月には振られたババヘラが駅構内に居たのでこちらも衝動買い。
babahera.net

 つい買ってしまって買ってから食べる必要がある事に思い至る。普段しない衝動買いを2回連続。「秋田の着倒れ、食い倒れ」とはよく言ったものだと苦笑い。
 さて。今日は土崎に行く。土崎駅なら奥羽線が便利だけど、行きたいのは港なのでバスに乗る。秋田駅前から土崎方面に行くバス、いくらでも走っていたと思うけど、昨今は本数が減っているらしい。直近で来るバスは12:05。

 市営バスの頃は寺内経由土崎線、と言っていた路線が先発。20分に1本ぐらい走っていた印象が強いが、秋田中央交通に移管されて15年近くが経った2020年には1時間に1本、あるかないか、という所。しかも終点が土崎駅というのも馴染みが無い。自分の中では上飯島駅から比較的近い北営業所が土崎線系統の終着点である。
 寺内経由は旧国道7号線を行く。秋田に住んでいた頃にはあまり縁のないエリアだが、それでも面影橋で渡る草生津川や、帝石前というバス停に、嘗ての八橋油田を思い起こし、秋田城址の近くを通ったり。まぁまぁ楽しめる。
 土崎市街地に入り、秋田港が近い筈の港中央一丁目、で降りる。

 こんな通りだっけ、というのが第一印象。もう少しにぎやかな街だと思っていたけどなぁ。
 バスが通る旧国道から、新国道という名の現在の国道7号線を渡り、秋田港の方へと足を延ばす。港のあたりは記憶と一致する景色になる。漁港のある手前、

 生きている線路に当たる。今日二つ目の目的地。秋田臨海鉄道秋田港駅にやって来た。というのも、寝耳に水のこんなニュースがあったから。
www.sakigake.jp
 土崎から伸びる秋田港への貨物線。その先に続く臨海鉄道はごくごく普通、ありふれた景色だったのだけど、急に無くなると言われると心さざめくものがある。本来なら
response.jp
 こちらのイベントに参加したかったのだけど、ツアー申込当日は全くつながらなくて結局、キャンセル待ちしか出来なかった次第。落ちてくる気が全くしないので、まずは秋田を通る今日、休日で列車は走っていないとしても、秋田港駅界隈を見ておきたかった次第。

 海上保安庁の船を見つつ港を歩く。昔の景色とあまり変わらないのだけど、明らかに違うのはこちら。

www.selion-akita.com
 ポートタワーのセリオン。94年開業なので、結構年は経っているけど、秋田を離れた直後の開業なので縁がない。
 ひとまずタワーの上に登ってみる。秋田港駅を見る定番スポットになっているらしいのだが、何せ縁が無いから見たことが無い。
 タワーの方へと歩くと

 バスの姿。秋田駅からセリオン前までの新国道セリオン線という路線が出来ている。秋田駅前発11:50という便があったようで、秋田駅で弁当を買わず、ババヘラも食べずに一目散にバスを目指したなら乗れたかも知れない。
 目の前にあるタワーの上に登ってみる。早速、秋田港駅の方を見てみる。

 眼下に秋田港駅が広がる。30年前は小坂からやってくる濃硫酸列車が発着したり、車運車を見かけたりもした秋田港駅。現代ではコンテナ列車と廃車置場、となっているように見える。

 手持ちの望遠レンズで拡大すると明らかに除雪車が停まっている。何か作業が行われているようにも見える。


 有名だから自分が詳しく書かなくても良いだろうが、2014年3月改定で旅立った寝台特急あけぼのに使われていた車両が線路上に残っている。隣にはディーゼル機関車

 旧雄物川秋田運河沿いに南へと向かう秋田臨海鉄道南線の線路。所々コンクリート枕木になっている区間もあって、廃止が決まった路線とは思えない程に手入れされているのがわかる。

 対岸の向浜まで線路は伸びているのだが、さすがにそちらまではよくわからない。

 こちらは港の北側。秋田臨海鉄道は北側にも伸びていて小坂からの濃硫酸は北線で秋田製錬まで運ばれていた、その輸送がなくなり、北線は休止中である。
 先程の除雪車が気になるのでセリオンタワーの滞在をいったん打ち切り、駅の方へと向かってみる。

 わざわざ貨物駅の場所を示す立派な案内が出ている。秋田港駅をクルーズ客のために活用しようという動きがあって
 https://news.mynavi.jp/article/20180418-akitacruisetrain/
 そのための案内、だと思う。案内に従って先に進むとポートトレインではなくて

 除雪車、DE15が両方にヘッドを取り付け、停まっていた。よく見るとナンバープレートが外されており、除籍済と分かる。

 解体作業中、みたい。
 なんだけど一つ一つ丁寧に部品を外してゆく感じ。


 2020年の秋田港駅は何とも奇妙な廃車置場になっている。国鉄民営化の前後は秋田操駅の機能を喪ったヤードに大量の旧型客車が置かれていたし、土崎工場でもDD51の解体が行われていたが、あの頃の景色と重なるものがある。
 ついつい目の前の除雪車に目が行ったが改めて

 秋田臨海鉄道日本貨物鉄道の共同利用駅、秋田港駅


 その隣には思った以上に立派な旅客用の秋田港駅が出来ている。何となく秋田港駅にあった貨物用ホームを使って旅客の乗り降りをしているものだと思い込んでいたので、気合の入り方に目を見張る。
 秋田港駅というか秋田臨海鉄道に旅客列車が走ったのは国鉄時代に一度ある。86年の夏に開催された地方博覧会、秋田博86の観客輸送。秋田駅から旧雄物川を渡った辺りにあるスケート場の近くまで、1か月ちょっとの会期中、毎日運転されていた。
 DE10が50系客車を引いて、というのが通常だったのだが、数日だけ寝台車が使用されたことがあって、それに乗りに行った記憶がある。肝心の記憶が断片的だが、秋田港駅では国鉄から臨海鉄道へ直行できず、入替をしたような。上り列車は秋田港駅での入替に加え、土崎駅でも上りホームにつけるために、秋田港線から中線に入った後、青森側へと引き上げて上り旅客ホームに転線していたと思う。まぁ乗る事自体がイベントだったから。
 当時の写真は探せば多少はネガが出てくると思うけど、面倒なのでパス。その代わり
ameblo.jp
blog.goo.ne.jp
 当時を紹介したブログの記事を貼っておく。
 もう少し秋田港駅を眺めたい。

 秋田港駅を最終目的地とする貨物輸送は残っていない筈で、あくまで秋田臨海鉄道への中継駅という位置づけ。コンテナ車がだいぶ止められているが、土日は動きが無い様子。生きている駅、生きている鉄道を見るなら平日に来るしか無いようだ。

 再び除雪車、DE15の所に戻る。先程まで付いていたヘッドライト、タイフォンが外されている。

 一度駅から外れる。港の方へ。タワーのあたりも現役の港であり、岸壁には小型のばら積み船が停泊していた。
 今日は午後から雨の予報だったが、幸い天気は持っている。先程、秋田駅で買い求めた駅弁を食べてしまおうかと思う。

【今日の駅弁】わっぱ舞茸 ¥950 株式会社関根屋


 「あきたこまち使用」と謳う駅弁はあきたこまちが世に出て間もなくの登場だったと思う。だから結構なベテランの域に達している。その割にメジャーでないのは発売が舞茸のシーズンである秋に限定されるから。舞茸もすっかり栽培するものになってスーパーではどこでもいつでも買えるけど、天然の舞茸は見つけたら舞いたくなる程に嬉しい、という舞茸の名称そのものの存在だった。


 ちょっと印象が変わった中身。いぶりがっこが無くなっているような気がする。食べてみると少し薄味。もともとしょっぱ口の秋田県民向けに味付けされていたのが、首都圏向けにチューンナップしたようにも思える。
www.ekiben-ajinojin.com
 このイベントにも参加しているみたいだし。
 もう一つ、気になる所があるので出向く。セリオンの中にあるこちら。
www.selion-akita.com
 うどんそば自販機。
 この手の自販機、たくさんではないが、スケート場とかにもあったような記憶があるが、秋田港のこれはすっかり有名になった。
www.nhk-ondemand.jp
 多分、この番組の影響。


 自販機はこの時間、お湯切れでお待ちください、になっていた。観光客がそんな居るようには見えないけど、すっかり名物になっている。
 ちなみに記憶にあるスケート場のハンバーガー自販機。
www.sakigake.jp
 ついこの間まで現役だったそうだ。
 セリオン内の道の駅で少し買い物をしてゆく。野菜が安くてつい月曜日からの弁当用に少し買い求める。いぶりがっこも小さな真空パックが250円だったり、こちらも安い。ちょっと荷物が増えたが、もう少し秋田港駅界隈を歩く。

 セリオンタワーから見えた南線。改めて近寄りてみるとコンクリート枕木も白く、とても廃線を控えた線路には見えない。しっかりこの先も鉄道を続けるつもりでいたように思え、突然の荷主撤退という事態に直面した無念さに思い散れぢれになる。

 秋田港駅へと続く線路を追って少し歩いてみる。線路沿いには道はないので地図を見つつ迂回。すると車庫の脇に出る。

 DE101250。現役の機関車は北風から身を隠すような車庫に佇んでいる。その一方で


 廃車になった機関車もたくさん並ぶ。

 その後ろに先程も見た寝台車。白帯金帯混じり、みな錆が浮き出て痛々しい。もう5年近く、北からの潮風に痛めつけられているらしい。
 踏切のある所まで足を延ばす。

 生きている貨車が留置中。何の変哲もないコンテナ車が



 架線が無い所に細い線路が幾重に分かれ広がってゆく。こんなところ、身近な所には無くなったよなぁと思う。
 寝台車、再び。


 遠目には現役の車両が停まるいい景色なんだけど。

 よく見るとJRFマークを塗りつぶされたDE10-1673。

 最後に再びDE10-1250。今日はそろそろ打ち止めにする。よく考えると秋田港駅というか秋田港線の去就は明らかでなく、来春なくなるのは秋田臨海鉄道の方。秋田港駅から向浜に向けて伸びる線路を眺めて感傷に浸るべきであった。
 秋田港駅の近くにスーパーがあったので寄り道。味噌やら出汁醤油やらたけやパンやら稲庭うどんの乾麺やら雪の茅舎の酒粕やら桧山納豆やらだまこもちやらを買ってしまうとますます荷物が重くなった。
 空港に向かうべく、まずは秋田駅前に行く。旧国道から路線バスのつもりでいたが乗換案内を調べると土崎駅まで歩いて列車、と出る。バスはしばらくないらしい。戸惑いを覚えつつ、土崎市街地を歩いて駅まで足を延ばす。


 駅舎は小ぎれいになり、自動改札も導入されているが、駅舎自体は古いままの筈。
 1時間に1~2本、ランダムに走るこのあたりの奥羽線。13:53の次が14:36、14:48という具合。国鉄からJRになった頃は男鹿線は毎時1本綺麗にあって、奥羽線はそこまで綺麗には揃っていなかったけど、毎時1~2本という感じだったが、現代はむしろ減便されている印象がある。とにかく

 下り列車がやってきて

 上り列車もやってくる。正午前に秋田駅で見かけた蓄電池電車、EV-E801系であった。土崎から同じタイミングで乗った人が「新しい」なんて会話を交わしているから、まだまだ馴染みなく、そして新鮮な車両らしい。
 列車は土崎から秋田まで7.1㎞、無停車で走る。旅客駅が無く停まりようがないのだ。国鉄分割民営化の頃は各地に新駅が誕生しており、秋田-土崎の間にも、駅ができる噂はあった。それが30年以上経ってようやく実現することになった。
www.city.akita.lg.jp
 もともと秋田操駅があった所の秋田側。操車場と秋田機関区の境目あたり。思ったところはちょっと違うけど、30年以上前の妄想が少し現実になる。
 列車は秋田駅は1番線に到着する。


 一気に最先端になった感があって馴染めないが、来春からはこいつが男鹿線の全部。急に最先端がやって来る。ずっと過去を振り返って来たのでなんか妙な気分になった。
 持ち時間はだいぶ短くなっている。最後、駅前から少々歩いて秋田銘菓を買いに行く。
jp.neft.asia
 「28個食べました」で余りにも有名。銘菓って色々あると思うけど「秋田銘菓」という言葉は金萬の枕詞。そして「金萬」は28個の枕詞だ。


 最近はハローキティーも28個食べるらしい。
 28個買って帰りたいところだが、色々と買いまわった所なので生10個、普通の10個で許してもらう。金萬もGOTOトラベルの電子クーポンが使える店。先程の関根屋で使い方は学んだので今度はスムーズに使える。
 大体の買い物を済ませて駅前のバス乗り場に戻る。外に出ると

 雨が降り出していた。予報では午後から雨、ではあった。予報通りであり、秋田港駅フェーズで降られなかった事は感謝しなくてはいけない。
 夕方の飛行機に乗るべく、リムジンバスで空港に向かう。

 バスの乗客は10人弱ぐらい。前回はわずか2人と寂しい思いをしたが、少しはお客さんが戻っているのかも知れない。2か月前に通った道をなぞり、空港までは30分少々。16時前には到着となる。

 搭乗手続き。今日はちょっと面倒である。元々の予約がダイナミックパッケージでJL2176を取っていた。秋田18:20というフライト。それが感染第二波の影響で9月になって運休が決定。振替先はJL2174、秋田15:05という案内が来た。秋田15:05だと13:30には秋田駅を出なくてはならず、今日の秋田港駅フェーズは成立しない。
 そこで一計を案じ、乗継便に振り替えて貰えないかとお願いをしたところ、認められた。秋田18:20ではないが、JL166 秋田17:00で羽田まで。そこからさらに伊丹というのが今日の行程。
 イレギュラーな扱いらしく、有人窓口で航空券番号を伝えて手続きして下さい、との事。自分のマイレージからはそれらしい予約は見えるけど、座席指定は出来ない状態でここに至っている。
 話は通り、搭乗手続きをしてもらう。もともとがクラスJで取っていたので、秋田-羽田、羽田-伊丹。どちらもクラスJ。窓通路選べるとの事で窓側にしてもらう。羽田-伊丹も窓側で出して貰えた。
 ここまで済ませるともう一つ。GOTOトラベルの電子クーポン、まだ4千円分残っているのである。このクーポンは旅行期間中、宿泊地とその隣県で利用可能というもの。秋田空港を離れた瞬間に意味のないものになる。
 空港のお土産売り場なら使えそうなものだが、地元運営の大きなお土産店では紙クーポンのみの取り扱い。仕方ないので青い方の物販店で買い物になる。4千円分って買おうとすると意外とハードルが高い。
 すっかり荷物が重くなり切った所で展望デッキに出る。

 買い物をしている間に羽田からの下り便が到着している。JA324J。

 30分前に保安検査を受ける。この時間の出発はJALの東京行きだけ。1時間ほど後にANAの伊丹ゆきがある。今更そうかと思ったが、まぁ乗らんし。次に来る頃にはちゃんと予定した便が飛ぶ世の中になっていて欲しい。
 30分前に保安検査を受ける。この時間の出発はJALの東京行きだけ。1時間ほど後にANAの伊丹ゆきがある。今更そうかと思ったが、まぁ乗らんし。次に来る頃にはちゃんと予定した便が飛ぶ世の中になっていて欲しい。

JL166 JA324J B737-800 AXT→HND


 そんな訳で2186便から1時間20分繰り上がって166便に搭乗する。最初の予定では午前中五能線フェーズ、午後は男鹿線フェーズでキハ40系列と一日という心づもりだったのだけど、飛行機の運休や秋田臨海鉄道の事もあり、こういう行程になった。正直やり残した事は沢山ある。遠くないうちにまた来たい。
 待合室で少々。160人は乗れる飛行機だが、待っているのは40~50人ぐらいだろうか。思い思いに散っているからそこそこ人は要るようには見える。
 17時出発の20分前には事前改札が始まり、まもなく優先搭乗。早々に乗り込む。
 クラスJの一番後ろ、3人掛けの窓側に座る。大して席が埋まらないうちに16:48、Doorclose。前線の影響で離陸時、着陸時に揺れが予想される旨の案内。
 3人掛けのクラスJに一人で座る。数えてみるとクラスJは20席のうち9席しか埋まっていない。普通席は推して知るべし。
 16:54、Pushbuck。雨の降る中、出発準備が進んでゆく。

 16:57、Taixing。誘導路を進む。他に飛行機は来ておらず、管制の指示で出発を遅らせる、という事もなく、滑走路端へ。

 17:02、Takeoff RWy10。滑走路の途中で軽々と上がるととたんの揺れる。

 窓外には秋田市南郊というか、もともとの河辺郡、そして由利郡のあたりを上昇してゆくと雲の中に入る。早速大揺れが続く。

 雲の上に出ると揺れは落ち着く。なおもベルト着用サインは点いたまま。飛行機は南へと下ってゆく。

 西に傾いた太陽に日が機内に差し込んでなおも南下。17:15、ベルト着用サイン消灯となる。

 夕日が赤みを帯びてきて17:19、副操縦士から飛行状況の案内。現在、仙台上空を飛行中。この後17:30に降下を開始すると揺れが予想されるとの事。10分後にはベルト着用サインが点灯するそうだ。羽田には18時着陸。駐機場には18:10の到着を見込んでいるとの事。
 飲み物のサービスが始まっている。今日は冷たいものに限るそうだ。

 頂いた飲み物をさっと飲み干す。窓外を見ると雲が切れてきた。暗くなる地上に秋元湖が鈍く光っている。視線を動かすと猪苗代湖の姿も。

 外がだいぶ暗くなった17:33、ベルト着用サインが点灯する。飛行機は秋田からまっすぐ南下。大子を通って首都圏へ。17:40、着陸態勢の宣言。だんだんと街明かりが目立つようになる。千葉を迂回して北風の着陸コース。17:53、東京湾に差し掛かるといよいよ高度を落として17:56、Landing、RWy34R。
 C滑走路からだいぶ時間を掛けてちょうど10分、18:06、Spot in SP 08。降機となる。

 乗り継ぎ案内。西日本各地、割と全うな目的地が並ぶ。人数が少ない割に、結構乗り継ぎ客が混ざっていたのね。JA324Jはこの先、那覇に飛ぶようだ。

 これから長駆那覇へと向かうJA324Jを見て、乗継便へ。ちょっと間があるので一度ラウンジに寄る。

 この時間、空港は空いていて、ラウンジも同じく空いていた。

 伊丹ゆきは12番搭乗口からだったので南側のラウンジに入る。ビールと軽食を頂く間に時間はすぐ経つ。
 出発20分前を目途に席を立つ。12番搭乗口へと向かう途中、

 11番搭乗口にはJA8978、B777-289が駐機中。この後、福岡へと飛ぶ。8977が退役してB777-289では最古参。古い機材を退役させる動きは続くだろうから、あと何度見る事が出来るだろうか。
 そして伊丹ゆきは

 先程、秋田から来た時よりも小さな飛行機が駐機中。

JL137 JA241J ERJ190 HND→ITM

 18:35を過ぎて優先搭乗が始まる。90人乗りぐらいの小さな飛行機なので対象者の絶対数が少なく、いつもの行列は発生しない。

 さっさと機内へ向かう。隣のスポットには国際線機材のJA701Jがいる。後で調べると福岡行きの貨物便だった。
 こちらで待っていたのはJA241J。昨日朝、JL102で乗った機材だった。自分が東北を廻っている間、JA102Jは羽田-南紀白浜を一日2往復ずつしていて、最後に伊丹の基地に戻る所らしい。

 機内はさすがに乗っている。先程、秋田からの便のように、クラスJまで空席多数、ということはない。一番最後、偉いオーラを醸し出す人が最前列に乗ってきて18:45、Doorclose。18:47、Pushbuck。定刻よりも早い出発となる。
 18:51、Taixing。飛行機は誘導路を南、海に突き出たD滑走路へと向かう。本来なら夕方の出発ラッシュだろうが、空港の様子、ラウンジの様子で分かるように、前後を遮る機材はいない。
 18:59、Takeoff RWy05。東京湾を小さく旋回すると

 先程飛び立った羽田界隈の夜景が見えてくる。ついで

 横浜エリアの夜景。B767以上の大型機より、心持ち北側というか陸寄りを飛んでいるようだ。普段と見える景色が違う。
 19:13、ベルト着用サイン消灯。間もなく副操縦士から飛行状況の案内が入る。現在、静岡の上空9,750mを対地速度750km/hで飛行中。10分後には降下を開始し、揺れが予想されるとの事。伊丹の天候は曇り、気温は23℃。伊丹着陸は20時頃になる見込みとの事。
 飲み物のサービスが始まる。今日は冷たいものの提供に限るそうだ。が、ワゴンがコーラのペットボトルまで含めてフルラインナップでやってくる。

 クラスJ限定の野菜ジュースまであった。その割に半分ぐらい人は寝入っているから、早々に順番が回ってくる。
 飛行機は静岡を過ぎ、三河湾から伊勢湾へ。19:29には降下を開始した旨の宣言が入る。19:34、ベルト着用サイン点灯。15分程で着陸する旨の案内。飛行機は伊賀を渡り、奈良盆地の街明かりを見て高度を下げる。生駒山地を越えると伊丹空港への最終コース。

 大阪の夜景を見て高度を下げる。淀川を渡るともうすぐ伊丹。地上が近づいて来て19:45、Landing、RWy32R。19:48、Spot in SP16。

 羽田からのフライトだが、ちょっと辺鄙な所に到着となる。降機して制限エリアの外へ向かう。

 本来なら秋田を18:20に出てこのぐらいの時間に到着する筈だったのだけど、まぁ仕方ない。今後しばらく、予定が途中で変わってしまう事があるかもしれないと思う今回の1泊2日。弾丸旅行はしばらく難儀がつきまとう。
 重い荷物を持っていたので京都まで楽をしようとバスに乗る。

 京都までのバス、半分ぐらい席が埋まっただろうか。案外と高速が空いていて、45分程で京都駅まで運ばれる。

 20:50に京都駅八条口。もう少し早ければ2:53の普通列車に間に合ったのだけど、それはさすがに無理だった。大人しく15分後の普通列車に揺られる。膳所から

 京阪電車。帰宅は21時半。重たい荷物を全部広げると普段は爆買いしがちな妻にすら呆れられる。

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