2023-11-18

 目覚ましを鳴らして起きると4時。週末土曜日、普段よりも早い時間に1人起き出す。当然ながらまだ外は夜の続き。身支度を進めた。始発に間に合うように1人、家を出る。
 路面は濡れている。昨晩雨が降ったようだ。空を見上げても星は見えない。冷え込みは、そこまででも無いか。
 膳所の駅まで歩く。下りホームに降りると3番線が先に到着の案内。次いで4番線に通過の案内。

 通過の貨物列車は撮れぬまま、普通電車がやって来る。空いている電車でパソコンを広げ、昨日の京王線恥辱を進めておく。電車は逢坂を越え、東山を越えて京都。今日はそのまま天王山も越える。高槻乗り換えにして阪急電車へ。途中の商店街はまだ、夜の続きみたいな人たちがちらほら。
 阪急の駅、待避線にいる7300系が朝の始業に向けた準備に入っている。 


 うっかり種別幕の幕廻しみたいなものを撮ってしまう。途中からだったけど、それでもまぁこんなにあった?ってぐらいに種別が出て来た。

 改めてやって来た電車で南茨木へ。更にモノレールに乗り換える。

 数分の乗換が成立したから、大阪空港の駅に着くと6:26。京都からリムジンバスに乗るのと、殆ど変わらない時間に空港到着となる。
 出発の案内。

 羽田ゆきの104便、出発が30分延。出雲ゆきは8:50まで遅れるそうだ。昨晩、伊丹門限の影響で関空送りになった機体があったと見える。
 空港は混んでいた。連休ではないが、何があったのだろう。保安検査を受けてラウンジに進む。出発まで30分。時間は余りない。

 ラウンジの軽食で朝食を済ませる。この時間の伊丹は曇り空。

 薄明るくなりかけたスポットで102便の出発準備が進むのを見ていると、6:45を過ぎる。そろそろ搭乗口に向かった方が良い時刻。席を立つ。

JL2241 JA224J ERJ-170 ITM→KIJ

 今日はこの後、新潟に飛ぶ。


 7:10の出発。今日は新潟空港雷雨による条件付き運航との事。高槻市のホームで幕廻しを見ていたぐらいの頃に、JALからメールが来ていた。新潟に着いた後の状況、影響も気になるのだが、どうなる事か。
 既に事前改札が始まっていて、お手洗いに行く間に優先搭乗も終わる。まぁ、バスに乗るだけなので、優先も事前もないですが。
 1台目のバスに乗り、スポットへ。あと2台、バスが待っているようだ。スポットは少々遠目、41番まで運ばれる。


 待っているのはJA224J。ERJ-170に乗り込む。指定していたのは一番後ろの席。席に落ち着くと、

 2台目のバスがやって来る。半分ぐらい席が埋まっただろうか。少々間が置いて3台目のバスが来て、7割程の席が埋まる。7:03、Door close。乗務員の紹介があって、新潟空港雷雨と強風のため、着陸できない場合は伊丹空港に引き返す条件付き運航となる旨が伝えられる。また揺れが予想されるそうだ。
 タラップが離れてゆくと7:10、Taixing。飛行機は誘導路を南に向かう。伊丹の南端まで。ERJ-170は手前の短いA滑走路でも飛び立てそうだが、どうも東ゆきはB、西ゆきはAと使い分けている事にようやく気付いた。7:17、Take off RWy32L。

 伊丹を見下ろしぐるっと3/4周すると東に機首を向ける。曇った大阪の街が霞んでゆくと強めに揺れつつ上昇してゆく。

 機内が薄暗くなり、揺れに身を委ねていると右手の窓、その向こうが明るくなる。雲の上へ。

 まだ強い揺れが続くが段々と落ち着く。7:28、ベルト着用サイン消灯。

 いつの間にか雲が見下ろす高さまで上昇している。雲の切れ間もあるようだ。10分後にはベルト着用サインが点灯するそうで、飲み物はリンゴジュースと冷たい緑茶のみとの事。ワゴンが廻ってきて、

 冷たいお茶を頂く。
 飛行機は新名神に沿うように東に向かうと名古屋の西で北東に機首を向け、飛騨谷と木曽谷の間を飛んで行く。
 7:36、副操縦士から飛行状況の案内。定時運航への協力感謝が伝えられたのち、新潟空港には定刻より10分早く、8:05頃にスポットに到着できる見込みであると伝えられる。今日の新潟空港、雨雲と強風の影響があり、着陸できない場合は伊丹に戻るとの事。新潟の天気は雨、気温は9℃との事。3分後に降下を開始すると強めの揺れを予想しているとの事。
 慌ただしくコップが回収されると7:40、ベルト着用サイン点灯。

 雲の切れ間から北アルプスの山並みが見えるようになる。山頂は白くなっているが、山の中腹はまだ雪が無い。冬の本番はこれから。妙高のあたりらしく、遠く視線を動かすと日本海が見えている。

 間もなく直江津。雨は降ってい無さそうだが、日本海には白波が立っていて、荒天と知れる。
 飛行機は日本海岸を見つつ東に向かう。今度は柏崎の街が見えて来る。その東には

 柏崎刈羽原発日本海の波と共に見下ろして飛行機は東に向かう。新潟の平野と信濃川が見えて来て、飛行機は降下。

 左手には新潟市街地が見えてくる。どうやら空港の北側へと廻り込み、着陸するようだ。冬の日本海だし北西の季節風かと思っていたが、そうは限らないらしい。新潟の北側へと廻り込んで旋回。再び旋回して新潟空港への最終コースに乗ったようだ。

 新潟競馬場が見えて、先程渡った阿賀野川を渡ると8:04、Landing、RWy28。減速して誘導路へ。8:07、Spot in SP6。
 準備が整い降機する。機体の外に出る。すると

 JA224Jの向こう、日本海に虹が掛かっている。降りて来たお客さんが何人もスマホで写真を撮っている。そういえば、大阪-新潟は虹の翼、JASの路線だった。
 少々早着。制限エリアの外に出る。今日は折り返しでは無く市内に出る。バスまで若干の間がある。その間に展望デッキに出てみる。

 折り返し準備が進むJA224Jを見る。そして気になるのは

 トキエアのATR-72。JA01QQがいる。ターミナルの反対側には

 もう1機、JA02QQ。今日は訓練飛行が無いのか、プロペラは固定されているように見える。本来ならもう新潟-丘珠に就航している筈なんだけど。以前帯広で見たエアァシェンペクスを思い出しざるを得ない。
 今日は新潟から折り返すことなく、駅に出る。次のリムジンバスは8:30。

 新潟駅南口まで25分というリムジンバス。乗り込んだのは10人ぐらいだろうか。途中、雨が時折窓ガラスを叩きつける。風も強そうだ。
 近そうで案外と時間が掛かる空港から駅。道は空いていたがバスはダイヤ通りに25分掛けて新潟駅南口まで行く。

 高架になってすっかり様子が変わった新潟駅まで進むと9時前。今日はこの先、陸路を取る。まずはネット予約していた切符の引き取り。少々の土産物を買い求めると在来線の改札へと赴く。

 先発の案内。豊栄、新津、吉田という調子。ちょっと先にしか行けない列車ばかりが並ぶ。そんな中から乗り込むのは

 新津ゆき。待っているのはGV-E400系。他に新潟駅頭、並ぶのは

 E653系E129系。いなほの向こうには上越新幹線も見えるが、こちらはE7系。高架になった知らない駅に、知らない電車が並ぶ2023年の新潟駅

 新潟駅頭に485系が顔を出していたのはわずか10年前なんだけどなぁ。
 さて。新津まで行く気動車というか、列車に乗る。車内は満席。雰囲気が少々独特で、簡単に言うとマニア率が高い感じ。人の事は言えないけど。その理由は終着の新津にある。

 待っているのは客車列車。その先頭に立つのは

 蒸気機関車。C58-180号機。今日はSLばんえつ物語に乗る。出発は10:03。出発まで20分弱。
 数世代遡ったような景色が広がる新津駅を甲高い汽笛が鳴って

 現代の汽車、EF510-2号機がやって来る。4095列車。ちょっと趣旨がぶれた感じがあるけど、改めてこれから乗る汽車を検分する。

 先程過ぎていった電気機関車と違い、蒸気機関を持つ機関車。ボイラーで石炭を炊き、その煙を駅頭に吐いている。

 その後ろに連なる列車は


 ボックスシートの12系。車内に入ると薬剤か消毒液かの何かの匂いがかすかにして来る。そう、国鉄の列車はこの匂いがしていた。
 出発まで少々。全部は見切れないが、多少連なる車両を見ておく。先頭と最後尾は展望車。若松寄りはフリースペースの展望車。新津側はグリーン車。真ん中4号車も定員外の展望車で

 まるで北斗星やらトワイライトエクスプレスに連結されていたロビーカーのような車両も見える。懐かしの国鉄列車なのか、バブルの残り香漂う空間なのか、良く分からないが、とにかくこんな列車に乗る。向かうは会津若松。所要3時間半の結構な汽車旅が始まる。
 自席に戻る。先程は4人掛けに自分一人だったが、さすがに人気列車でボックス占有とはいかず、親子連れと相席になる。間もなく出発の案内。汽笛一声。長い一声でむしろ長声一発と言いたくなる汽笛が鳴り響く。そして汽車は静かに動き出す。滑らかな動き出し。非常に上手な引き出しだ。
 車内、ハイケンスのセレナーデが流れる。思わず顔を見上げ、オルゴールに聞き入る。列車の案内が流れ、車窓には新津の街が流れる。それと共に煙が流れてゆく。結構な煙だ。自分は蒸気機関車が現役の頃は知らない世代だが、無煙化、という言葉は知っている。蒸気機関車を廃し、電化、あるいはディーゼル化する事だ。字面では知っていたが、目の前を覆う蒸気の煙を見て、無煙化の本当の意味を知る事になる。
 蒸気機関車が牽引する列車はゆっくりと速度を上げてゆく。新潟平野の中ではあるが、列車を引き出す時には、それなりに蒸気の釜を炊くらしい。

 郊外に出ても黒い煙が流れてゆく。観光目的の蒸気機関車牽引の列車には何度か乗った事があるけれど、こんなに煙が出ていた覚えが無い。

 大井川鉄道では確か無煙炭を使っている筈で、こんな煙は見なかった。

 梅小路蒸気機関車館でスチーム号に乗った時も、煙は無かったような。街中だし、こんな煤煙を出したらクレーム物なのだろう。
 京王線恥辱にまとめようがない1990年、SLニセコのC62-3号機に乗った時も、煙は出してなかった気がする。
 列車は田や畑、人家に煙を吹きつけて進む。それでも地元の人は蒸気列車に向けて手を振ってくれる。地元の理解もあって続いている列車だという事が良く分かる。
 晩秋というか初冬というか、そんな時期の新潟平野。所々見える柿の色以外、明るい色の見えない中を進む。景色は地味だが、車内は賑々しい。前に行く人、後ろに行く人。子供の甲高い声。観光列車らしい光景が続く。車内案内が次の停車駅、五泉の紹介を始めるのも観光列車っぽい。さすがに五泉で降り支度をする人はいないみたいだけど。
 地元の人と着ぐるみが手を振り、写真を撮る人もちらほら見える五泉の駅に停まる。間もなく出発。蒸気を焚き付け五泉の街を行くと、新津と同じく、地元の人が手を振って来る。次は咲花。
 列車の中には売店がある。世の中の車内供食が縮小する方向であるが、ばんえつ物語では盛業中。折角なので買いに行く。三新軒の駅弁や新潟限定ビイル。グッズ類が好評販売中。その中から少々見繕って席に戻る。

 新潟限定ビイルと一緒に頂いたのは鮭の焼漬。新潟、新津、新発田の構内営業、三新軒謹製の一品。これがお酒によく合う。軽く酔いが回る中、

 列車の車窓には阿賀野川が寄り添うようになる。この先、トンネルがある区間を走るそうだ。窓を開けている方は閉めていただくように、と注意喚起がある。また、煙が車内に入りますのでご承知ください、との事。
 阿賀野川の谷間が狭くなると咲花に到着。温泉地であり、温泉旅館の従業員と思しき人達が手を振る。少しお客さんも乗ってきたようだ。
 列車は阿賀野川の谷沿いに登り坂を進む。黒い煙が何時までも流れ、蒸気機関車にとっては苦しい道なのだろうと想像ができる。試しに席を立ち、先頭の展望車に行ってみる。

 お子様用の遊び場だが、大人にとっても蒸気機関車、C58-180を見る絶好の場所である。

 ガラス張りの展望デッキ。石炭滓が付着しているが、その向こうにはデンターに山積みの石炭と運転台。そして煤煙を吹き上げるボイラーが見える。機関車の息吹がガラス越しにも伝わって来る。

 何時までも眺めていたい景色だが、あくまで共用スペース。譲り合いながらが基本。数分間、機関車の息吹を楽しむと自席に戻る。
 新津から1時間ちょっと。津川に停まる。ここでは17分停まる。機関車の整備を行うそうだ。折角の時間なのでホームに降りる。



 デンターの上では石炭を均す作業。水の補給も行われているようだ。足回りの点検も行われている様子。乗務員の紹介があった折、機関士、機関助士と共に整備担当者が紹介されていたが、今年喜寿を迎える老婦人、手厚い看護を受けての活躍である事を知る。
 駅のホームでは地元の名産品の販売が行われていて、こちらも賑やか。磐越西線、2014年に乗った時に

 野沢で停車時間があったのだけど、あの時とはずいぶんと違って賑やかな駅になっている。

 地元産品として「幻の駅弁」なんて仰々しい宣伝が出ている。野沢駅弁では無く、一つ隣の駅、日出谷の駅弁。とりめし。日出谷磐越西線の運転拠点駅だった所で、駅前旅館が調整する駅弁が売っていた。駅前旅館は10年以上前に廃業していて、日出谷の駅から駅弁マークは消えているのだが、駅弁だけは町おこしの一環か何かで、調整元を変えて復活を遂げている。

 そんな訳で折角なので1個買い求める。手元にある国鉄監修交通公社の時刻表1982年6月号によると日出谷のとりめしは¥500との事だが、40年経って復刻版のとりめしは¥1,100。そりゃ、そうか。
 まだまだ停車時間はある。駅弁を自席において、もう少し見る。
 先程の展望車はもぬけの殻になっている。自席を離れて動き回る人達はみんなホームに降りていると見える。
 
 この車内には郵便ポストがある。ここで投函するとSLばんえつ物語に因んだ風景印が捺印されて届くとの事。郵便車がある頃の国鉄を観察眼をもって見ていないので、実体験としての郵便と国鉄の関係を語る事が出来ないが、2023年の世の中で、車内で郵便が投函できる事例は稀だろう。しかもポストがある列車、なんて他に知らない。京都駅構内には駅ホームに郵便ポストがあるけど、それと並んでレアな存在だと思う。

 最後尾のグリーン車まで行く。グリーン車内はグリーン券所持者専用で立ち入りも制限されている。価格差はどれだけあるかというと普通席の指定券840円に対し、グリーン席の指定券は¥2,000。乗車券代まで含めると差は微々たるもので、結果、グリーン車は大人気なのだそうだ。今回もグリーン席を第一希望、普通席を第二希望にしていたが、グリーン車は事前予約でも確保できず、普通席に乗っている。
 最後尾だから、蒸気機関車の汽笛一声は聞こえづらく、煤煙も進入もあまりないのだろうが、復路では展望席の目の前に蒸気機関車が構える景色を独占できることになる。

 改めて先頭に立つC58-180号機の元へ。
 そろそろ整備作業は終わった様子。記念写真タイムもおしまいで出発を告げる案内が流れる。いい加減、自席に戻る。長声一発。ごとりと列車は動き出す。

【今日の駅弁 番外編】とりめし ¥1,100 いとう屋旅館


 日出谷時代の調整元はご主人がお亡くなりになり、廃業していて、2023年では別の旅館が駅弁、ではないのだろうが、の調整を担当している。そちらを頂く。掛け紙のデザインもだいぶ変わったのだと思う。

 中身は鶏そぼろと卵そぼろの親子そぼろご飯におかずが少々。季節で変わるのかも知れないが、鶏の照り焼きに舞茸の煮物が控える。紅葉を象った飾りの下にはきゅうりの浅漬けが顔を覗かせている。
 そぼろご飯は食べづらいのだが、それに考慮してか、間伐材で作ったと思しき木製スプーンも付いているのが、現代の駅弁インスパイヤ系お弁当らしい。外国人観光客も見かけたし、このぐらいの配慮は求められるのだろう。
 無茶苦茶美味しいわけではない。昔食べたような記憶も朧気なのだが、蒸気機関車が現役だったころの汽車旅に想いを馳せて、新潟限定ビールと共に頂いた。
 列車は新津を出て2時間。煙を纏う汽車の旅。トンネルに入るとどこからとなく煤煙が車内に立ち込める。スモークされていぶりがっこになる大根はこんな気分なんんだろうかと思いつつ、阿賀野川を遡り、会津へ向かう汽車の道。
 煙に燻されたせいじゃないだろうが、眠気を覚える。むしろとりめしと新潟限定ビイルの副作用だろうが、眠くなる。汽笛と景色をお供に居眠り少々。意識がしっかりと戻ったのは山都駅停車。今度も整備のため10分停車との事。この間に窓外の景色、冬を思わせる鉛色の雲がなくなり、青空が広がっている。

 山都駅到着。時刻は12時半を過ぎている。ひとまずホームへ。

 3時間半の間に2度目の整備作業。デンター車で石炭を前に持ってゆく作業が行われると共に足回りの点検が行われている。

 自動給炭機は装備していないようで、津川で行われたのと同様、石炭を前の方に動かす作業が行われている。そして

 可動部に対しては給脂作業。ナットは増し締めが行われていて、何と面倒のかかる機械だこと。時折、ドレンから水が吐き出される。蒸気機関車を生き物に例える事はあるが、本当、生きている機械だ。

 逆光の中で、新津、津川に続いての記念撮影タイムになっている。
 ホームに人がたくさん出ているので、これを良い機会に先頭の展望車を見ておく。

 やはり、元気に遊びまわっていたお子様は外のホームに出払っていて、ほぼほぼ空っぽであった。折角なので車内を撮っとく。
 10分なので短い時間、撮影もほどほどに席に戻る。
 列車は会津に入っている。新潟で見た鉛色の空はどこかに消えて

 青空が広がる下を汽車は進む。写真を撮る人も目立つ。立派なカメラを持つ人でなく、スマホで撮るお手軽組も沢山見かける。

 時折、車窓を煙が流れてゆく。きっと煙が青空に映えて、良い写真になったに違いない。
 列車は会津盆地に降り立つと喜多方へ。降り支度をする人が少々。新津から3時間。そろそろ目的地、とする人が出て来る。喜多方で降りると同時に乗る人も少々。隣のボックスの2人組も降りて行って、空きボックスがちらほら見えるようになる。その代わりに喜多方から乗る人もいて、空いたボックスを埋める。空席を作らない、よくできた仕組みだと思う。
 喜多方を出る。会津盆地に平坦な区間だが、7両の客車を引き出すには力がいるようで、黒い煙を吐いて進む。車内検札があって、喜多方からのお客さんは指定券を持っていない様子。指定券の発券を受けている。乗車券は?とやり取りの中でお客さんがスイカで入った旨を申告する。と車掌さん「したら、Suicaでそのまま出て下さい」と方言混じりの案内。新潟訛りだろうが、変に直さない方が好ましい。

 盆地の向こうに会津磐梯山を見て、SLばんえつ物語は最後の走り。軽く流す感じで会津若松へ。3時間半の旅が終わる。
 この辺りの鉄道の結節点、会津若松。まるで終端駅、終着駅風の駅に到着する。先頭に立つ蒸気機関車の向こうが改札。 

 乗客と共にその改札へ向かう。その終端からは

 越後国、新津から磐城国の若松へ。磐越をつないだ3時間半にピリオドが打たれる。何度か乗った磐越西線、そして遥か昔になりつつある日本国有鉄道に想い焦がれた3時間半の旅路が終わる。
 会津若松に13時半過ぎ。今日のうちに膳所まで帰るのが予定である。帰りは羽田18:50の139便を予約している。少しは会津若松で観光をしてから、鉄道で帰宅するのが、JR東の想定プランなのだろう。が、気ッと滋賀の膳所からばんえつ物語に乗りに来た人、なんて考慮していないに違いない。
 会津若松から遠く遠い近江国膳所城下。そちらまで帰るには、動きは早いに越したことない。そんな訳で会津の象徴、鶴ヶ島城も見ないで空港に向かう事になる。そのための答えはこちら、

 若松から郡山まで、バス。
 いやぁ、悩みました。蒸気機関車単体では採算が取れない事は重々承知している。前後に新幹線に乗って初めて蒸気機関車の復活運転は採算として検討しうるものだと、知らんわけでは無いので、飛行機で新潟に乗り付けて、若松からは鉄道を離れるのはどうかと、さすがにどうかと、痛いほど分かるのだが、後々の行程を考えると仕方ない。会津若松からの磐越西線、接続が悪いのである。JR東の皆さん、きっと、東京からのお客さんだけ見ているに違いない。でも私は東京から東海道五十三次の五十二番目の宿場町、大津宿のちょっと手前、膳所まで帰るのだよ。
 次のバスは13:50。駅前にある会津バスのターミナルまで行き、郡山までの切符を買うと、間もなく出発との事。乗り場で待つ事しばし

 郡山まで向かうバスがやって来る。乗客は15人ぐらいだろうか。間もなく出発。会津若松駅を離れると郊外にあるインターチェンジへ。磐越道を一路、東にひた走る。登り坂を避けてカーブが続く磐越西線と違い、トンネルを駆使して真っすぐに走る高速道路は早い早い。磐越西線の電車が会津若松を出る頃、バスは既に中山峠を越えている。
 郡山のインターチェンジを降りたのが14:40過ぎ。この調子だと早着だろうかと思っていたが、甘かった。

 郡山市内、ずっと渋滞。ノロノロ運転が続く。どこまで行っても道が混んでいて、土曜日の午後と言う事を差し引いてもちょっと混雑しすぎ。結局

 郡山駅前に着いたのは所定の15:10から10分弱遅れた15:20前。まぁ何とかなる範囲ではあったけど。高速バスの利点不利点を見た1時間半となる。

 さて、鉄道に戻る。郡山からは新幹線。久しぶりに北へ向かう新幹線に乗る。次の出発は

 15:31。1か月前に割引料金で取ろうと事前予約をしたのだが、枠が一杯との事で全く取れなかった次第。土曜日とはいえ午後の中途半端な時間なのだが、見通しが甘かったらしい。
 ホームに上がる。すぐに通過線をはやぶさ・こまちのペアが通過する。郡山では320km/hでの通過らしい。とんでもない勢いで線路1本分離れているのに、ホームの人達がどよめいた。

 ついで144Bがやって来る。もはや影が薄くなったE2系が先頭。前が盛岡編成、J67編成。後ろは

 新庄編成、L55編成。
 折角のE2なので、最後になるかも知れずと盛岡から来た、やまびこに席を取っている。一か月前の予約で、3人掛けの窓側席を取っていたのだが、郡山で乗り込んでみるとB席に先客がいる。どうやらほぼ満席になるらしい。東北新幹線の速達便じゃないやまびこが、こんなに混んでいるとは思わなかった。
 混んでいるが、ビアホールやまびこの準備はしている。遠慮しぃしぃビールを頂く。

 会津は晴れていたが、中通りは曇り空。E2の全力で南へ駆けてゆく様子をビールを飲みつつ眺める。曇り空が白河の関を越える頃、晴れて来る。黒磯まで来ると

 青空というか夕空が広がる。東北に入った途端に雪が降ってきて「急にらしくなってきた」と思う事が何度かあるが、東北から関東へと入って晴れて来るのも「急にらしくなってきた」というのかも知れない。
 宇都宮で通路側にも人が来て、3人掛けの席は満席になる。それが大宮まで来ると、通路側の人は降りてゆく。ネット予約で短距離でも指定券を買うようになった影響だろうが、もう少しうまい運用は無いものかとは思う。
 大宮を出ると軽く流す感じに走り、それでも郡山から1時間20分程で東京到着となる。一気に到着した感じ。
 今日は羽田空港まで行く。山手線で浜松町を志すのだが、

 山手線、渋谷駅工事の影響で今日の山手線は大崎まで。まだ夕方なのに大崎ゆきなんて電車が闊歩している。

 本数も減っているそうだが、お客さんも山手線を避けているのか、電車は空いていた。座れる程度の乗り具合で浜松町に17時過ぎ。
 今日のフライトは18:50。少々時間に余裕が出来た。何となく、東京で居酒屋に行きたく、ちょっとだけ足を伸ばす。のだけど、目星をつけていた浜松町の居酒屋、

 今日はお休みだった。少々の失意を覚える。そうなると他の店が考え至らず、結局、羽田空港へと向かう事にする。モノレールの駅へと戻ると17時を少々廻ったところ。

 1本、普通をやり過ごした後

 空港快速で羽田まで向かうと17時半になっている。出発まで1時間20分。若干中途半端な時間になってしまった。
 東京の居酒屋、と趣旨が違うが、羽田空港で少し寄り道。

 到着階にあるサッポロライオン。東京の居酒屋感は全くないけど、膳所には無い選択肢なので。

 軽いつまみで軽く1杯のつもりが、ついつい

 際限なくなりそうなので、いい加減、2杯でやめる。席を立ち、改めて出発階へ。

JL137 JA849J B787-8 HND


 出発まで50分を切っている。制限エリア内へと進む。保安検査を受けてラウンジに。出発まで若干の間はあるので

 夕食代わりの軽食と軽い一杯を頂く。出発は18:50。18:30には搭乗口にいた方が良く、それに合わせて席を立つ。
 搭乗口に着くと18:35。もう搭乗が始まって良そうな時間だが、まだ始まっていない様子。


 事前改札の始まる様子もない。そして

 スポットは空っぽ。。。。。。
 搭乗口にいた係員を捕まえて聞いてみたが、まだどうなるか分からないらしい。要領を得ないので、ラウンジに戻る。受付で改めて状況を聞くと、正式には何も決まっていないが、今日は欠航する可能性が高い、との事。
 とは言え、現時点では何も決まっていないので動きようがない。ひとまずラウンジに戻って、次の案内を待つ。その間に

 飲み直し。
 19:10ぐらいになってラウンジ内で案内。伊丹ゆきの137便、139便。両便ともに欠航決定とのお知らせ。振替は明日だそうだ。ラウンジ受付で手続きを承りますが、現在、お時間を頂く状況です、との事。どうしようかと思い、結局、制限エリアの外に出て、搭乗受付に赴く。こちらには行列は無い。既に出発時刻を過ぎているから、当然か。
 選択肢は宿泊して翌日振替、新幹線への振替、そして無手数料払い戻しの三択との事。上限は国内線ファーストクラス利用者は25,000円、クラスJと普通席は20,000円だそうだ。一瞬、翌朝でも良いかと思ったが、ちらっと宿泊予約で当日を見ると¥20,000で泊れる宿はパット見た感じ残っていない様子。ならば新幹線で今日のうちに膳所に戻ろうかと思う。交通費精算用の書類を貰って手続きとしては完了となる。
 さて、予定外に品川へ進む。京急線

 09K運用、3152編成。
 新幹線の予約は少々時間に余裕を持たせておいた。中途半端に時間がある。どうしようかと思って浜松町の仇を取るべく高輪口を出て横断歩道を渡る。その先にある

 あきた美彩館へ。ダイニングは満席だそうで、こんなのを楽しんでみる。


 1,000円で3杯日本酒を楽しめるという立ち飲み。迷いそうなラインナップだったが、3杯、しっかり頂いてゆく。そして、掘り出し物だったのは根っこのついた芹。湯沢市三関産と言う事で、秋田直送である。膳所まで連れて帰る事にする。明日の夕食はきりたんぽ鍋だ。
 さて、そろそろ新幹線に。既に20時を過ぎている。東京で東北新幹線からそのまま東海道新幹線に乗り継いでいたなら、既に膳所には着いていただろうが、いまさら言っても仕方がない。

 20時を過ぎて広島まで行く列車は既に出た後だが、岡山までまだ行ける、という時間帯。ホームに降りると間もなく91Aがやって来る。写真は撮り損ねた。いい加減、酔いが回っているのかも知れない。G24編成。羽田空港にいる時点で3列席に窓側を抑えていたが、1時間少々経って乗り込んでみると3人掛けの真ん中席まで埋まる勢い乗り具合。

 何となくビールを飲んで新幹線に身を任せる。新横浜に着いたところは覚えていたが、そのまま寝入ってしまった様子。一度、名古屋で目が覚めたが再び寝入る。気が付くと、のぞみは米原で停車中。何かトラブルがあったらしい案内が聞こえたが、間もなく動いた様子。また寝入る。
 結局、数分遅れて22時半過ぎに京都到着となる。JL137が定刻に飛んでいれば21時半前後には京都到着だっただろうか。定刻なら乗れたはずの普通電車に間に合わず、寒風吹く京都で20分弱の待ち時間。東山を越え、逢坂を越えて膳所に戻ると23時を廻る。

サイトアップ アクセスカウンタ

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は20,831