2021-04-10

 普段よりも早く起きた週末、というのが毎週続いているが今日も理由は同じく18きっぷを使った日帰り旅。旅、では無いか。
 気持ち早めに家を出る。膳所まで歩いて始発の普通列車。その直前に

 2063列車が来る。EF210-104号機牽引。
 間もなくやって来た始発電車に乗って西に向かう。パソコンを持ち込み、一昨日の京王線恥辱、北陸、九頭竜湖ゆきの一部始終を綴りつつ逆方向、西に進む。
 明るくなって大阪を過ぎて、なお西へ。

 神戸を過ぎて瀬戸内の海が見えてくる。瀬戸内の内海でも大きいなぁとつくづく思う。
 さらに西へ京王線恥辱を綴りつつ進むと姫路に到着する。この先の岡山行きは1分乗換。最後尾から歩くと途中で出発となる。もとより、この電車に乗るつもりはなく、姫路でいつも通りに1本落とす。
 改札に赴き、日付印を入れて貰ってからホームに戻る。先程、下りホームの駅そばが混んでいたようだったので、今日は上りホームに行って、やっぱり駅そば。

 今日は惰性の天ぷら駅そばじゃなくて、意志を持ってのカレー駅そば。¥470。先週ぐらいから何となく気にしていたもので。
 下りホームに戻って先に進む列車を待つ。間もなく

 黄色一色、岡山所属の電車がやって来る。115系4連の岡山行き。この時間、ひとまず席を選べる程度の乗り具合。それが大阪方面から列車が到着して、席が埋まる。早起きして姫路に早めにきたおかげで余裕が出来る。
 引き続き京王線恥辱を綴りつつの西ゆき。列車は相生を出て田園風景になり、船坂峠を越える。この春何度目かの岡山方面。

 すっかり葉桜になった桜の樹を見て里へと下りると列車も混んでくる。立ち客が出て街が広がる。先日も見た岡山気動車区に屯するキハ40系が見えるとこの列車の終着、岡山到着。再び乗換。今日は乗り換え時間が短い。

 構内に見える時代掛かった列車。正体は何のことはないキハ40系。先頭は国鉄一般色に復元されたキハ40。後ろ2両は国鉄急行色を纏ったキハ47。そんなコスプレ列車が次の列車。津山線快速の津山ゆき。

 3両の列車。先頭が空いていたのでそちらのボックス席に。写真を撮って戻るとそこそこ席が埋まる。大人しくしているとさらに席が埋まって、結構な乗車率になる。間もなく出発。ワンマン運転との事だが、岡山支社の名札を付けた人が添乗している。
 岡山の次の駅、法界院から先はICOCAが使えない旨、繰り返し案内があって出発となる。ゆっくりと動き出した快速列車は気動車区に屯するキハ40系を見るとカーブして山陽線と別れ、岡山市街地をゆっくりと走る。ICOCAエリアの限界、法界院でまた注意の喚起。この辺はまだまだ岡山市内。普通列車とすれ違いゆっくり動き出すと間もなく駅目の由来らしい寺院が見える。少し緑が増えてきて、次は金山と案内がある。
 
 車窓、右側に旭川が寄ってきて、つかず離れず、川沿いを走るようになる。金山がどこか、予備知識が無いまま駅を一つ、二つと通過する。駅通過時も速度をあまり落とさず、通過後も加速することなく、まぁ、そんなに元から速い訳じゃないけど、そこそこ飛ばして進む快速列車。
 延々20分近く無停車で走ったから結構な距離を飛ばしたことになる。ようやく金山に着く。そこそこの街で多少お客さんが降りてゆく。間もなく出発。旭川の本流が右手に離れてゆき、列車は支流沿いを遡る。次は福渡と案内。列車は支流から分かれて緩めの峠を越えると再び旭川の本流と見える。ちょっとした街が広がって福渡着。ここでもそこそこ人は降りてゆく。岡山から40分近く走って来たが、ここもまだ岡山市内だそうだ。

 だいぶ山間に入ったがまだまだ雄大旭川の本流が今度は左に分かれてゆく。この川をさかのぼると2週間前に乗った姫新線の中国勝山へとつながる事になる。列車というか線路が目指すのはそれより東の津山。今度は水系を跨ぐ峠越えになる。
 列車は国道を行くクルマと伍して走る。今日の快速列車、ことぶきという名前が与えられている。その前を遡るとJRで最後まで残った急行列車だった。その時は「つやま」を名乗っていた。が、昭和の時刻表愛読者には岡山-鳥取を結ぶ急行砂丘の頃が思い出される。手元の1988年3月号、復刻版を改めて見返すと、4往復が設定されており、グリーン車も連結していた。山陽の岡山と山陰の鳥取を結ぶ、陰陽連絡線として機能していた事が分かる。2021年の現在は、岡山と鳥取を結ぶ機能は、新参者の智頭急行線に譲り、特急いなばが6往復設定されている。宙に浮いた形の津山を岡山につなげるのが、今日乗っている快速ことぶきの役割。
 列車は一つ駅を通過しては次に停まり、また一つ二つと駅を通過してという感じで割と細かく停まるようになる。停まる度にお客さんがそこそこ降りてゆく。岡山と美作エリアの行き来の脚として機能している事が良く分かる。考えてみると岡山から津山を直接つなげる高速道路は無かったりする。1980年には亜幹線と言われた1日数本急行列車が通るようなクラスの路線、その殆どは高速道路の開通でやられまくって没落した。が、今乗っているエリアは奇跡的なエアポケットになっていた。
 列車は大きな盆地に入ってゆくとそれなりの市街地が現れる。2週前に乗ったばかりの姫新線の線路が現れると終着の津山。岡山からは1時間9分で到着。1988年の急行砂丘は1本だけ岡山-津山無停車という列車があり、61分で走っていた。それからすると脚は鈍るが5駅停まっての数字なので立派だろう。

 この塗装色が当たり前だった昭和50年代前半の列車に乗ったような錯覚を意識しつつ下車。
 津山まで乗りとおしたお客さんも結構な数がいた。それぞれ改札口から市内に散ってゆく。今日は津山の先があるけど、ちょっと間がある。その間を生かして少し歩く。津山の街は駅から吉井川を挟んだ反対側。新見も同じだったが、川の向こうという事はもともとは市街地の外れだったのだろう。その市街地には背を向けて速足で線路を渡るとそこにあるのは
www.tsuyamakan.jp
 津山まなびの鉄道館 
 津山駅の裏手、元津山機関区の転車台と扇形機関庫を生かした博物館。車両はご当地にゆかりのある機関車、気動車交通科学博物館が閉館した際に、京都に移管されなかった車両も収蔵されている。

 乗り換え時間35分の中でここまで来ているので、鉄道館に費やせる時間は20分弱。15分がタイマーになる。さっと見て撤収になる。

 さっと見て、のつもりだったけど、なかなか

 見応えがある。DE50の実車を見る機会に恵まれるなんて思っていなかった。小学生の頃、1両だけ試作された機関車、なんて機関車百科で紹介されていたのを思い出す。

 今日はDD16と貨車移動機が機関車庫から外に出ている。出てくる車両は時々入れ替わるらしい。

 DF50とDD13は交通科学博物館閉館時に津山に来た異動組。
response.jp
 展示終了、廃車なんて訳の分からない事にならなくて良かったね、と津山の青空の下で思う。 
 DF50やDD13は本で見るだけだったが、

 キハ58、28は思い出があり、思い入れがある車両である。まとまった数がある割には、残された車両は少ない。国鉄急行メークのコスプレ車両は先程乗ったばかりだが、久しぶりに実車を見た。

 キハ52D51という不思議な組み合わせが隣りあわせ。でも昭和40年代、動力近代化道半ばの頃には割とみられたかも知れない。

 柵を挟んで向こうは現役の留置線。キハ47とキハ120の姿が見えている。
 さっと見て撤収なんて施設では無かったが時間に限りはある。最後、アンケートを答えてお礼に煎餅を貰うと駅に戻る。早足早足、何とか何とか

 津山から先に向かう因美線普通列車の智頭ゆきに間に合わせる。
 因幡と美作の頭文字で因美線。ありがちな名前のローカル線。前述のとおり、岡山と鳥取を結ぶ機能は90年代まで有していたが、より新しく高速走行できる智頭急行に奪われている。津山から先、智頭急行と合流する智頭までの間は、没落して今日に至っている。
 智頭まで行く列車は座る所に困る程度に混んでいた。立ち具合の良い所も先客がおり、中途半端。何とか適当な席に座る。18きっぷの最終日、というのはありそうだが、半分ぐらいは地元の人らしい。間もなく出発。
 列車は東津山姫新線と別れると津山の盆地を北上してゆく。岡山と鳥取を結ぶ国道53号も山間へと別れてゆき、

 線路は吉井川の支流に沿って山間へ。駅が現れると多少降りるお客さんがいて、一応は地元に相手にされている事を知る。

 現れる駅舎が各駅毎に開業当時であろう建物を残していて、雰囲気は良い。一度降りると動けなくなり大変だが、それでも降りたくなるような、そんな魅力はある。
https://www.westjr.co.jp/life/region/pdf/okayama/20210318.pdf
 5月にはこんなイベント列車も走るそうだ。つい先程、岡山から津山まで乗って来た国鉄色のキハ40系が使われるらしい。
 列車は美作と因幡を分ける峠に差し掛かる。

 速度が緩んだのは峠越えが厳しい訳ではなく、線路が良くないから。最後はトンネルを抜けて鳥取県側に出る。この辺り、まだ桜が咲いている様子が見える。下り坂に足取りも軽くなり、離れていた国道も寄ってくると右手から線路が寄って来る。上郡からの智頭急行線だ。
 智頭に到着する。津山から68分。津山-岡山の快速とほぼ同じ時間乗っていた事になるが、移動した距離は40㎞程に過ぎない。

 ホームの屋根に杉玉がぶら下がっている。酒造りが盛んな土地、という印象は無かったが、
www.hyoito.net
 杉玉作りが盛んな土地、らしい。斜め上の答えに驚く。
 ここから先、同じ因美線でも乗換となる。鳥取まで行く普通列車はすぐの発車だが、姿は見えない。待っていると

 智頭急行の車両がやって来た。鳥取からの普通列車で智頭で折り返し鳥取ゆきになる。
 智頭からのお客さんも目立つが、車両が大きくなり、2両に増えたので余裕で座れるようになる。列車は間もなく出発。
 お昼もだいぶ過ぎている。そろそろ空腹だが、まだしばらく食べる場面ではないので、先程、津山で頂いた煎餅を食べておく。


 何となく塩っ気のある煎餅のイメージでいたら甘味のある方の煎餅だった。待ち構えていたものと違うものが口に入って少々戸惑う。
 別の路線になったような因美線は千代川に沿って鳥取を目指す。前回の18きっぷでも乗った区間。冬の季節で雪の景色と、春も進んだ今日の景色。印象がだいぶ違うので、それなりに楽しめる。
 途中、列車すれ違いとの事で待避。没落したローカル線では無い案内が入る。 

 やって来たのは特急スーパーはくと京阪神鳥取を結ぶ最重要列車だ。智頭から北の因美線鳥取にとっての目抜き通り。その豹変ぶりと列車の速度に呆気に取られる。
 列車は再び北上を始める。一駅毎に多少のお客さんを集めて進む。

 川の向こうにもう1本、橋梁が見えて、線路が寄って来ると郡家の駅。今日は鳥取まで行かずに郡家で乗り換え。この先は若桜鉄道に乗ってみる。

 郡家の駅に、智頭急行若桜鉄道、2つの第三セクター鉄道の車両が並ぶ。一応、JRの駅なんですけどね。
 若桜鉄道、97年8月に乗って以来だから24年ぶりだ。この時は雨に降られた。乗換の郡家の駅で滑って転倒した事が一番記憶に残っている。こんな事があると印象に残るが、逆に前後の記憶があまりない。
 今日の郡家は良く晴れている。駅舎は建て替わったのか記憶にない建物。この後、若桜までの列車は1時間待ち。この間に昼ご飯を済ませておく。駅前に喫茶店があったので入ってみる。

 お弁当のようなランチメニューは\600。でもこれと別に幕の内弁当¥400というのがあった。だいぶ安価な店であった。味はまぁまぁ。
 お昼を済ませても次の列車までは30分ちょっと待ち時間がある。その間に少し先の駅まで歩こうと思う。2駅ぐらいは行けそうだ、と目星をつけて歩き出す。
 地元は選挙があるらしく、最後のお願いなんて選挙カーが1台、また1台。歩いている(多分この辺では)若い人は珍しいのだろう、声を張り上げて最後のお願いをされるのだが、いや、関係ないしなぁ、反応に困る。
 若桜鉄道最初の駅は

 八頭高校前。甲子園に出ていたから聞き覚えのある名前だ。すぐ脇が高校。国鉄時代にはもちろんそんな小回りが利かず、駅が出来たのは1996年。比較的新しい駅である。
 郡家からは900mしか離れておらず、まだまだ歩ける。もう少し行く。
 しばらく緩やかな坂を下ると川が現れる。1時間弱前に因美線で渡った八東川だ。

 今度は東側から若桜鉄道の橋梁を眺める事になる。
 間もなく道は若桜鉄道を踏切で渡る。

 向こう側に二つ目の駅が見えて来た。歩けるのはここまでだろうか。その二つ目、因幡船岡で列車を待つ。
 集落に入ると駅舎が見えてくる。

 人の気配は無いが、人の手は感じる。古いながらも手入れされ、地元から愛されている事が伝わる駅舎だ。

 駅舎の中も綺麗に手入れされている。歩いてきてよかったと思える駅舎。

 線路の脇から駅を眺める。まるで模型の田舎駅。
 少々待っていると遠くから列車の走行音が聞こえて遠ざかる。因美線の列車らしい。そして次に別の走行音が聞こえてきて近づく。

 先程、郡家の駅で見かけた若桜鉄道の車両がやって来る。こちらに乗車。途中駅からなので整理券を取って乗り込む。
 車内、そこそこ乗っていた。

 1ボックスに1組ずつなので混んでいる訳ではないが、見放されている訳でもない。そこそこ、という言葉しか見当たらない乗り具合。車内は木目調でデザインはどこかで見た風。昭和をイメージした水戸岡鋭治氏のものだそうだ。
 途中で席が空いたのでボックスシートに移る。

 ボックスにはテーブル。ブラインドも木製になっている。観光仕様だが、乗っている人は大半地元の人だろうか。

 列車は先程来の八東川に沿い、谷間を遡ってゆく。だんだんと谷が迫まり、行く手を山が遮るようになり、さらに先へと進めるのか不安になる頃、終着の若桜となる。どん詰まり、という感じだが、計画だけなら当初の意図は「鳥取県郡家ヨリ若桜ヲ経テ兵庫県八鹿附近ニ至ル鉄道」だったからこの先は山越え区間になっていた。
 一度駅の外に出る。

 古びた駅舎は昭和初期に開業した当時のもの。沿線各駅、古い施設が大事に使われていて、一見の価値はある。
 折り返し時間は15分。駅前にスーパーがあったので入ってみる。変わった食材か何かがあればと思って持ち帰れそうなものを物色。ちょっとした蟹が1杯丸ごとで480円なんて値段で売っている。お土産としてはネタになるが、流石にナマモノを持って帰る準備はしておらず、諦める。帰りのボックス席で飲むビールだけ買って退散。
tottorizumu.com
 駅構内にはカフェがある。京都丹後鉄道の宮津駅にも待合室にカフェが出来ていたし、そういうのが流行っているのだろうか。アルコールなんか買わずにコーヒー持ち帰りの方が良かっただろうか。
 帰りの切符を買って構内へ。

 今度の若桜発は鳥取まで行くからか、2両に増結されていた。席に余裕があり、適当なボックス席を取る。もう少し駅構内、気になるものがあり、時間の許す限り見てみる。

 艶やかに塗られ維持されているディーゼル機関車蒸気機関車。車籍は無く本線走行できないそうだが、動かせるそうで、体験運転できるそうだ。

 構内には12系客車も留置。こちらはいつの日か蒸気機関車が営業運転できる日に備えて準備したものだとか。
 車内に戻ると間もなく出発。来た道を巻き返す時間となる。2両編成になったからか車掌が乗務している。途中駅、乗ってくるお客さんもちらほら。夕方というには早い時間帯だが、割と使われている。
 途中駅、

 貨車が保存されていたり、撮り損ねたけど客車を使ったライダーハウスがあって、一緒に北陸鉄道で使われていた電気機関車が保存されていたり。もう少し時間を掛けてみてみたい鉄道ではあった。30分程で郡家に戻る。乗り換え。

 若桜鉄道の列車を降りて

 因美線の智頭ゆきに乗る。JRの路線なのに他社の車両ばかりが走る因美線。今度も智頭急行の車両だった。昼間の道を戻る形になり川をさかのぼってまた30分程。3時間半ほど前に乗り換えで使った智頭まで。津山ゆきは乗り換えの案内があって、割と接続良く、因美線のこの先、津山まで行く列車がある。さすがに津山に行ってしまうと、今日戻りがとんでもなく遅い事になるので、ここからは短絡を志す。

 津山ゆきの気動車を見送り

 智頭急行のホームへ。先程、因美線で乗って来た同じ車両が停まっている。これが16:35の上郡ゆきとなる。智頭急行では18きっぷは使えないので別払いで近道をする事になる。
 因美線では2両だった列車、こちらでは1両編成。それでも1ボックス1人程度の乗車で空いている。同じように18きっぷの利用者なんだろうなぁという人が目立つ。

 列車はトンネルと橋梁を繰り返しつつ谷間をまっすぐと進んでゆく。お昼に乗った因美線の山越えが嘘みたいな勢いで普通列車であっても十分に早い。何しろ杉玉の街、智頭から1時間15分で新快速の始発列車もある上郡まで着いてしまう。その割にはお客さんが少ないが、沿線、人家は少なく、鳥取から岡山の県境を抜け、更に兵庫へと進むという線形。高校生が県境を越える事は滅多に無いから、地元の流動とは合っていないのだろう。
 そんな高規格の鉄道を使う人は鳥取から他県に向かう、長距離移動の人が中心。途中、大原の駅で上下2本の特急列車を待避する。

 下り列車は京都からのスーパーはくと。上りは岡山に向かうスーパーいなば。特急は当然普通列車よりも断然早く、智頭から上郡まで39分しか掛からない。 
 2本の列車の行き違いを見送った後、こちらも出発となる。吉井川へと続く支流の上流域、わずかな盆地からトンネルで兵庫県側へと進む。川の向きが列車の進行方向に変わって下ってゆくと今度は姫新線接続の佐用となる。
 今日は佐用まで。この先、列車は上郡までゆき、山陽線への乗換となる。ただ上郡で20分程待ち時間があり、姫路に着くのは思ったような時間ではない。ちょっと気になって試しに姫新線の時刻を調べてみたら、姫新線の列車も直近にあって、姫路には上郡まで出るより、僅か2分だが早く着く事が分かった。それならば姫新線経由の方が面白い。別払いの運賃も安くつくし。

 そんな訳で2週間前も見たような列車を同じ場所で眺める事になる。時間は前回より1時間程遅いが、日の長さも変わっているので、雰囲気もさほど変わらない。
 列車は何とか座れる程度の乗り具合。定刻に発車となる。智頭急行から姫新線に乗り換えると線路が二世代ぐらい古くなり、カーブも多くて走りの雰囲気が変わる。それでも姫新線の姫路から佐用を経て一つ先の上月、兵庫県区間は線路に手が入っており、多少飛ばせるようにはなっている。車両の持てる力を振り絞って、ではないが、持て余しつつも日が暮れて来た山間を進んでゆく。
 揖保乃糸の工場が現れて播磨新宮。この列車もここで乗り換え。

 接続はよく、姫路ゆきの列車は発車を待っている。1両が2両に増えて、途中、それ以上にお客さんが乗って来たから結構な混雑になる。これは二週間前と同じ景色だ。
 日が暮れてきて、右手から山陽線が近づいてきて高架に上がる。18:42、姫路着。山陽線のホームに上がると岡山からの黄色い115系が到着する。確かに姫新線経由、わずかに早かった。
 姫路では儀式としての駅そばを頂く。スタンドに入ったのが山陽線からの列車が着いた後だったので少々混んでいる。  

 混んでいても出てくるのが早いので捌けるのも早い。今回は変化球ではなくストレートに天ぷら駅そばを頂くと新快速のドア位置へ。姫路始発の電車は空いていて

 やって来た列車を待つ行列も短い。余裕で座れて無事にビアホール新快速も開催できる。

 先程、姫路で買い求めたビールを2本。それに適当なつまみでビアホール。加古川のちょっと先までには飲み干す。明石を過ぎるとさすがに席も埋まるので、ビアホール続行は気が引ける。乗っている間中ビアホールを続けたいならば、1日2本の座席指定車を抑えるしかないだろう。
 姫路から2時間弱。大津で下車。

 すぐ脇の線路を特急はるかがやってきて?と思うが、この春の改定で京都から野洲まで延長された列車だった。有料列車を一定間隔で走らせて、感染対策と共に増収を狙っているらしいが、この時間のはるかは空気を運んでいた。
 はるかの停まらない膳所まで1駅、後続の普通列車を待って帰宅。それなりに早く帰ってきたつもりだったが、家に着くと21時は過ぎている。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は22,749