2022-05-02

 福岡市内というべきか、博多というと地元に人に怒られそうな、福岡市街の外れ、貝塚のホテルで朝を迎える。のだが、目覚めると3時過ぎ。いくら何でも早すぎで頑張ってもうひと眠り。何とか朝日の差す時間まで。

 ひとまず福岡ローカルの情報番組を見つつ身支度。朝食が付いているのだが、昨日の手続き時、フロントの方には
「6時だとスポーツクラブの団体さんがたくさんいて、8時を過ぎると家族連れの方で混雑するので7時頃がおすすめです」
 と言われている。頃合い合わせて7時ちょっと前に食堂に赴く。

 地元の物も混じるメニューを頂く。控えめと思いつつ、つい食べ過ぎる。納豆としてヤマダフーズのおはよう納豆が鎮座していたのが意外。
 一旦部屋に戻る。今日はある程度予定を決めている。8時半過ぎに部屋を出て駅へと向かう。途中、西鉄貝塚線の電車が貝塚駅に到着。そこそこお客さんを乗せていて、それなりには使われている事を知る。

 今日は、その貝塚線で出掛ける。東京の私鉄と違って逆ラッシュなんてものは無いから、貝塚へと到着した客が地下鉄へ乗り継いだ後は、閑古鳥が啼いている。


 昨日見かけた猫のラッピング電車に乗る。座席の柄まで猫になっていて、そこそこ気合が入っていることを知る。
 地下鉄の接続があったようで、少し客を増やして電車は出発。宇美川を渡り、東に向かう。地下鉄からのお客さんはJR乗換の千早下車。自分たちはもう一つ先まで乗る。降りたのは

 西鉄香椎。今日最初の目的地である。真新しい高架駅のその前に

 一本の桜の木。その横には

 顕彰碑がある。清張桜の文字。ここ香椎は松本清張の代表作の一つ、点と線の舞台となった地である。その現場を実際に歩こう、というのが今日最初の目的。
 小説が書かれた昭和30年代は当然ながら高架駅の訳が無く、地上駅であった。場所も少々違うようだ。とは言え、地上自体の西鉄香椎駅がどこだったのかまでは調べていないから、今の西鉄香椎と今の国鉄香椎。ん、言葉が変だが、それと心中死体が見つかった現場の香椎海岸の間を実際に歩いてみる。まずは国鉄香椎、今のJR香椎駅まで歩いてみる。普通に歩いて5分少々。ゆっくり歩いても7分と小説にはあったが、

 すぐに着いてしまう。時計で計ってみると5分も掛からない。だいぶ様子が違う。

 改めて西鉄香椎駅へ。そこから香椎海岸へと歩いてみる。
「ずいぶん、寂しい所ね」
 と声を出して言ってみたが、いささか無理がある2022年の香椎界隈をぷらぷら。賑やかな国道3号線を渡ると少々寂しい所になる。でもクルマは結構行き交う。

 海が見えて来る。香椎海岸と知れる。とは言え、2022年の香椎海岸、

 沖合に埋立島が出来ている。遠くには大きなショッピングモール。海岸は散歩する人、ジョギングする人。4つ足の獣を連れた人。賑やかである。とてもとても心中現場には思えない、2022年の香椎海岸であった。
 再び駅へと戻る。今度はJR香椎の駅。少々移動するので汽車に乗る。昭和30年代とは違うので、鹿児島本線は電車が行き交う。宇美線はデンチャが行き交う。

 下りの快速電車が来て、

 今度は下りの普通列車。その後で

 上りの快速電車が来る。こちらに乗る。座席がずいぶんと減らされていて、扉間に3列しかない。JR西の221系も5列に減らされた車両があるけど、3列まで減らされるのはさすがに奇異に見える。
https://www.nishinippon.co.jp/anatoku/question/785/ 
 評判も悪いようだ。
 沿線は鄙びてから都会になる。快速電車で1時間程。降りたのか西小倉。福岡市と北九州市。遠くから見ると似たもの同士だが、膳所から尼崎ぐらいの隔たりは感じる。
 小倉の駅は何度か利用したことがあるけど西小倉は初めて。事実上、小倉の中心市街地で駅からちょっと歩くと

 小倉城址の堀端に出る。さらに歩くと今日第二の目的地へ、

 松本清張記念館
www.seicho-mm.jp
があるのだが、今日は休館だった。よくよく考えると5月2日の月曜日、つまり平日。この手の所はお休みかぁ。下調べが甘いっちゃ甘いが、やってくれてもなぁとは思う。

 同じ公の施設でも小倉城は営業していたけど、何に由来した差なのかは分からない。
 記念館を見てから昼食、ぐらいのつもりでいたが、ちょっと予定変更を強いられる。ひとまず小倉駅へと向かう。途中、妻のリクエストで駅手前のベーカリーに寄り道。
 記念館の代替でもう一つ、候補になる所へ行ってみる。

 小倉駅から電車。ホームに降りると間もなく、

 下関ゆきがやって来る。昼下がりの県境越え電車は空いている。がら空きなのを幸いに

 先程買い求めた中から一つご相伴に預かる。小倉のソウルフードらしい。購入した時も結構な行列が出来ていて、飛ぶように売れていた。
 電車を一駅、門司で降りる。ムーンライト九州が走っていた頃は、朝を迎える駅だったり、夜中に通る駅だったけど、真昼間に、しかも降りた記憶はあまりない。

 今秋に開業する西九州新幹線に因んだ展示をちらっと見て改札を出る。いつの間にか橋上駅になっている。海側にも出口が出来ていた。十数年前は日田へと移転したサッポロビールの工場跡地しかなかった所だ。その海側に出る。真新しいマンションが建っていて、いつの間にか雰囲気が変わっている。


 元サッポロビール工場も建物が少々残っていて、

 その一角が門司赤煉瓦プレイス、として再開発されている。
mojirenga.jp
 ビール博物館になっている。なんだけど

 こちらも休館日であった。今日は5月2日の月曜日。平日だ。仕方ないけどもう少し何とかならんかとは思う。
 そろそろお昼にする。福岡の名物にうどんがあり、ローカルチェーン店が幾つかある。いまいる北九州市発祥のローカルチェーン、資さんうどんに赴く。門司駅から一番近いのは大里店。そちらへと少々歩く。間もなく13時というたいみんぐで到着。なんだけど結構な行列。入店するまで少々間がある。

 店の裏には鹿児島本線415系が2本留置されている。車体に生気がなく、廃車か、廃車前提の休車のようだ。
 15分ぐらい待っただろうか。案内されて席へ。メニューにサッポロビールの文字がある。門司に工場があった名残かも知れない。同じくメニューにあるおでんと一緒に頂けば幸せだろうが、まだ日の高いお昼時。見合わせておく。 

 ごぼ天とかしわのうどんにしておく。うどんは腰がある方が好みだが、郷に入れば郷に従え。福岡だと柔らかめの方が気分が出る。
 ピークを外したのに思ったよりも順番待ちに時間がかかり、食事が終わると13時半になっていた。駅へと戻るがここだと小森江の方が近い。その駅直前で電車が来てしまう。この時間、鹿児島本線門司港に入る電車が少なく、何と30分毎である。仕方ないのでバス移動にする。

 左手に海峡。右手に山が迫る市街地。何となく香港島の東側を思い起こす雰囲気。昔は西鉄の北九州線が路面を行きかっていた筈。路面電車が残っていたならますますもって香港の香りが強かった事だろう。
 仕方ない事とは言え、バスは少々遅れる。

 10分程遅れて来たバスに乗り、関門海峡沿い、東に向かう。道は高台を走り、時折、ちらっと海が見える。

 そんな様子を見ていると門司港駅と共に14時が近づく。本当はこの先、乗りたい列車があったのだが

 その列車は門司港駅手前の踏切でバスの車内から見送ることになる。まぁ仕方ない。次は40分後。
 時間が出来たので、寄るつもりのなかった門司港駅構内へ。

 駅構内、三等待合室だった所を改装したスターバックスで少々休憩。
 この店、鉄道構内らしい遊び心に満ちている。中でも目を引くのが

 スターバックスのシンボルマーク、その変遷を示した展示。この球形が九州に見られたヘッドマークを模したように見える。ずいぶんと細に分け入るし、芸が細かい。


 駅構内をちょっと見てから、門司港にあるもう一つの駅に赴く。今日は

 観光列車に乗って和布刈まで進む。月曜日の平日だが観光列車は動いていて少々行列が出来ている。そちらに並び待つ事しばし。先程バスの中から見送った列車がやってきて折り返し準備と言う名の消毒が行われる。そして改札開始。 

 可愛らしい機関車には球形のヘッドマーク。先程スターバックスで見た形だ。
 客車というか貨車というか、に乗り込む。無蓋車を改装した作り物であっても野趣に富んだトロッコ。昨夏に乗ったしまんトロッコが近いが、こちらは先程見た通り、牽引するのはディーゼル機関車というか、入替機械というか、ようはちゃっちい。立派な列車よりは気分が出る。
 平日だけと案外と混んでいて、相席での利用となる旨、お詫びがある。

 7割ぐらい座席が埋まっただろうか。日本で一番短く、一番速度が遅い鉄道と紹介があって、14:40、出発。ゴツゴツゴツ、突き上げるような衝撃が来る。元々が貨車、しかも砂だの石だの、そんなものを運ぶ貨車だから、乗り心地なんてものは全く考慮されていない。ただ速度もジョギングぐらいの速さだから、乗っていても不快ではない。
 元々貨物線だったという線路、門司港レトロの街並みを見て、

 関門海峡関門橋を見て、走る。トンネルがあって視界を奪われると

 天井が光りだす。乗っている間はどこか必ず見どころがある観光鉄道。
 10分程で終点の和布刈に着く。

 乗る時に見なかった先頭車両はこの列車の名前、潮風号の名が入った普通のヘッドマークだった。九州スタイルの球状ヘッドマークでもなんでもなく、拘りという点ではスターバックスに負けている。

 和布刈の駅で下車。折り返しは15:00に出発するが、そちらには乗らずに少々歩く。

 前に一人で来た時には、このEF30を見て引き返したと記憶している。関門の主は潮風を浴びてずっとこの地で保存というのか、放置というのか。窓なんぞが消えていて手入れはされていないのだが、車体は輝きを保ったまま。さすがにステンレス製。
 もう少し歩くと道路の反対側に川が見える。

 対岸が近く、流れも速い。瀬田川の方が広いよね、なんて話をしたが、もちろん関門海峡、立派な海である。

 だから、ちょっと視点を動かせば、海らしい景色になる。

 潮の流れは目に見えて速い。タグボートだろうか、流れに逆らい航行していたが、殆ど進んでいるように見えない程。
 川のような関門海峡を見えていると目的地というか、そちらに着く。

 関門人道トンネル。今日は歩いて渡れる海峡を反対側へ、つまりや山口の方まで行ってみたい。まぁ門司港で切符を紹介した時点で意図はバレバレだと思う。
 トンネルまではエレベータで降りる。自転車も使えるので荷物用かと思う大きなエレベータで下へと降りる。あっけなく地下まで降下。

 周辺の案内図。関門海峡が一番狭くなる所に関門トンネル関門橋が通っている事が分かる。新幹線の新関門トンネルもこの辺を通っている。在来線の関門トンネルだけが仲間はずれで門司ではない大里と下関を繋いでいる。

 人と自転車、スクータぐらいしか通れないトンネルだが、一応は国道である。国道2号線の表記に目が行く。

 じゃぁ行きますか、下関へ。
 下関に向かって下り勾配となる人道トンネル。意外と人が行き交っていて、日常利用というよりは観光名所として歩いている感じの人が多い。そんな中を歩く。瀬田川の方が広んじゃない?と言っていたぐらいなので

 数分で福岡と山口の県境に到着。ここを境に上り勾配になる。さらに数分で下関側のエレベータホールに到着。

 国道2号線表記は下関市みもすそ川町となる。

 向こうは門司の表記。
 エレベータで地上に上がる。割とすぐにドアが開く。

 あっけないがこれで海峡横断。本州上陸。県境越え。色々な称号が手に入る。名誉は全く無い。
 本州側には料金箱があって、スクーターで通行する人は通行料金20円だそうだ。歩行者は無料。

 頭上には門司側から何度か見てきた関門橋が見えている。

 海岸線にはクラシカルな大砲が並ぶ。下関戦争を偲んで設けられたものだろう。こんな至近距離でやり合ったのか、と認識を改める。そしてここは壇ノ浦の戦いが行われたところでもある。大河ドラマは見ていないが、粟津の戦いの舞台から壇ノ浦の戦いの舞台へとやってきた事にはなる。波の下の都の更に下を通ってやって来たのか。
 門司港に戻るのだが、ルートは別。切符が示す通り

 唐戸へとバスで向かう。平日だからなのか連休だからなのか分からないが座れない程度に混んでいる。5分少々で市場と船乗り場がある唐戸まで。市場は営業を終えていて

 船乗り場から対岸の門司港を目指すことになる。

 巌流島ゆき、という船も気になるがこちらの周遊船は15:45が最終。ちょっとの差で間に合っていない。大人しく門司港への直行便を選ぶ。20分毎運航の連絡船。行列が少々出来ていてそちらに並ぶこと暫し、

 数分前になって門司港からの定期便がやって来る。下船が終わると早々に乗船が始まる。慌ただしいが

 3分半で折り返し便、出発。実に手際が良い。

 唐戸と門司港の間は瀬田川よりは幅が広く、従って流れも先程見たようには速くはない。関門海峡の水の流れと船の流れを横切って連絡船は進んでゆくから

 目の前に貨物船が現れたりする。上手にかわして先へと進むと門司港が近寄って来る。速度が緩んだ。

 10分弱の船旅は香港島と九龍の間を行き交うスターフェリーを彷彿とさせる時間。何より妻が喜んでくれたのは幸いだった。
 2時間程で門司港の駅に戻って来た。

 間があると思えば間があり、慌ただしいけど九州鉄道記念館を見てゆくことにする。
 http://www.k-rhm.jp/  
 13年ぶりの訪問だと思う。17時閉館の所、40分前に入場で非常に慌ただしいが、そんなにたくさん展示車両がある訳ではないので駆け足で回る。

 ちょっと記憶にないエリアがまずある。EF30-3、ED76-1と写真に入らなかったがクハ481の顔だけ並んだ展示。この手の展示はデスマスクみたいであまり好みでは無いのだが、全て破棄されるよりはよほどましか。

 C59-1にあさかぜのヘッドマークが付いている。思いがけず点と線ごっこが復活した。東京駅頭のつもりで歩いてみるのも良い。

 EF10-35は関門トンネルで活躍した機関車。海底トンネルで鋼製ってどうだったのだろう。大丈夫だからこうやって展示されているのか。

 九州電化で活躍したED72-1。機関車大百科みたいな本でしか見た事がない車両。グラマラスなボディと紹介されていたと思う。子供には何のことだかさっぱり分からなかったけど。

 クハ481が姿を見せる。以前は車内も見学できたと思うのだが、コロナのせいか、外から見るだけなのが残念。


 寝台車、スハネフ14と寝台電車クハネ581。どちらも残念ながら見学不可となっている。最も寝台車に座り込んだりしたら時間がいくらあっても足りないかも知れない。

 先日、国の重要文化財に指定されたキハ04。こちらも内部は見学不可。文化財保護の観点からは望ましい処置なのかも知れない。前は椅子に座ったり、運転席にあるクラッチレバーを眺めたりした記憶があるが、もう二度と出来ないかも知れない。

 記念館内部も駆け足で眺めると17時の閉館時間となる。さすがに慌ただしかった。一度か二度見ているから、こんな駆け足でも良かったけど。
 門司港の駅に戻る。そろそろ博多に戻る事にしたい。


 幸い、門司港始発の快速電車が捕まる。18きっぷで九州に行っていた15年以上前は、鹿児島本線の快速電車って1時間に2~3本、走っていたと思うが、昨今は妙に本数が減って、快速に乗るなら合わせて出て来る、みたいな感じになっている。
 門司港帰りのお客さんがそこそこ乗ったが、改札口から遠い車両であれば空いている。その空いた車内から今日、歩いたりバスで眺めた門司の街、大里の街を眺めて西に進む。小倉で大勢乗ってきて立客も出る。北九州の各街に停まり、多少乗り降りを繰り返しつつ進む。黒崎までで30分以上経っているから北九州市は広い、いや長い。街が尽きて遠賀川を渡っても車内はそこそこにお客さんが乗っている。北九州市から福岡市方面への需要もそこそこあるようだ。
 夕方迫って午前中歩いた香椎を通る。さすがに一日、歩き疲れた。博多駅に着くと18時半近く。
 市街地で夕食を食べてからホテルに戻ろうかと思う。今日は昨日のようにはきちっと決めていない。適当に歩いて何となく餃子を食べようと櫛田神社の近くにある店に入ってみる。結構賑やか。

 エビスビールがあったので頂く。大瓶で出て来た。
 餃子、焼1、水1にする。餃子を待つ間

 カウンタには手羽先があって、こちらは自分で取って会計時に本数を申告する様子。お昼に行った資さんうどんのおでんみたいなシステムになっている。


 10分程で1人前10個とう餃子が供される。美味しんだけど、思った以上に小さい。まだまだ食べられそうだが、ここは締めて別の店に。
 今度はローカルうどんチェーン、博多本拠のウエストへ。ウエストは一部店舗で居酒屋メニューを出したりしているので今日はうどん屋としてではなく飲み屋的な使い方をしてみる。

 ビールはサッポロ生ビール黒ラベルが出て来る。

 うどん屋さんだが、もつ鍋がメニューにある。それで軽く飲んでみた。面白いが専門店や居酒屋とは少し居住まいが違う気がする。話のタネぐらいにはなるかも知れない。腹は膨れる。
 帰りは中洲川端から地下鉄で。

 地下鉄には通勤客がちらほら。急に混雑、と言う訳では無いが、昨日の夜とちょっと雰囲気が違う箱崎線に揺られて貝塚の終点まで。ホテルに戻ると21時過ぎ。少々増えた荷物をまとめて軽く飲み、深酒になって早々寝落ちる。

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