2021-06-20

 目覚めると外は暗く、灯りは点ったまま。テレビも点いていてが、既に停波している。いつの間にか寝落ちていた様子。
 改めて寝る、目覚ましは5時半。日本列島のだいぶ西側、九州は都城のホテルで朝を迎える。だいぶ西に来ているが、流石にこの時間、明るくなっている。

 昨日は暗くてよく分からなかったが、都城駅がホテルから見えている。手前に貨物の取扱所があるが、こちらはオフレールステーション。貨物列車の発着は途絶えている。
 時刻は6時を過ぎ。街中は人の姿が見えないが、時折、列車の走行音が聞こえてくる。
 荷づくりと身支度、6時半過ぎに朝食を取りに行く。ここのホテル、都城で一番の朝食、だそうだ。

 郷土料理なんかもいくつか見える中から、少し選んで

 こんな感じにまとめる。冷や汁が美味しい。お代わりをしてしまう程。
 さて、駅に向かう。改札の中に入ると駅のホーム、一番端に停まっている列車に向かう。 

 キハ40が1両。これが今日乗る列車。
 昨日は三角から宮崎まで特急を乗り継ぎ行程だったが、今日は普通列車でスタートとなる。乗車するのは吉都線、吉松を経由して隼人に向かう普通列車。7:30の出発。

 列車は先客1名。相当空いている。日曜日の朝に都城から吉松に行く人、なんていないだろうし、こんなものだろうか。

 側面に着くサボ、行先票。都城発吉松経由隼人ゆき、というのをクソ真面目に表現している。昔は秋田辺りでも運用を表現した行先票があったと思う。画像検索を掛けたら「羽後境→土崎→羽後牛島」なんてものが出て来た。この列車はどこに行くのか理解しかねるに違いない。
 日豊本線の上り列車がやってきて、多少は乗り継ぎ客がいたのか、お客さんが増えてこちらも出発時刻となる。ドアが閉まってエンジンが吹き上がる。走り出しはまぁまぁ。九州のキハ40系列、エンジンを換装しているのでそこそこ鋭い走りではある。
 日豊本線と別れて吉都線のか細い鉄路を走る。開業は先程別れた日豊本線より古く、開業当時はこちらが日豊本線を名乗っていた。とはいえ1両だけの列車が空気を運ぶ状態で、没落感は免れない。
 列車は一つ一つ駅に停まる。その度に1人、2人とお客さんが乗って来る。都城からのお客さんが降りたりもして、一応は機能していることが伝わる。 
「次はまんがつか」と案内があって、漢字変換が出来ないまま次の駅に着く。

「万ヶ塚」でしたか。なるほど。
 列車は高崎新田に到着する。上下すれ違いが出来る駅で、上り列車を待ち合わせる。運転士に一言断り、外に出てみる。


 昔は賑やかだっただろう駅もだいぶうらぶれた感じになっている。そんな中

 上り列車がやって来た。列車が通る線路、雑草が生えるがままに。吉都線にはお金を掛けない、というJR九州の姿勢が徹底している。都城停車中からずっと冷房が掛かっていたのは、窓を開けさせないため、かと思う。
 列車は多少お客さんを集めた。ボックス席が一通り埋まるぐらいにはなり、都城出発時の閑古鳥がどこかに飛び去った感がある。出発。

 田植えをしたばかりの水田を見て列車は走る。6月も下旬の田植えは遅いけど、多分、一回収穫した後の、2廻り目なのだろう。
 高原に到着。少しお客さんが降りて、代わりに乗って来る人もいる。高校生とか中学生が多くて、日曜日といえども通学列車の一種になっている。ここでも列車行き違い。

 駅の設備はすっかり捨てられた感があるが、乗客は多少いて、列車を待っている。完全に捨てられた路線では無い事は都城からの1時間で良く分かっている。

 草生した線路を2両編成の列車がやって来る。入れ替わりにこちらも出発。都城から1時間程。乗り降りを小さく繰り返す間に乗客は増えていて、それなりに列車の体裁は整っている。

 田圃の向こうに霧島連山を見つつ列車は進む。ちょっとした市街地が現れて小林の街。ここまで乗って来た学生が降りてゆき、車内が落ち着く。代わりに中高年の団体が乗ってきて、思った以上に使われていると思ったが、この人たちは一駅、隣の西小林で降りて行った。
 えびの辺り、京町温泉で残った乗客が降りると列車内に閑古鳥が舞い戻る。次の鶴丸は鹿児島県内。見事に県内というか生活圏の中で利用が完結している。

 右手に行く手を阻むような矢岳の山が見えてくる。肥薩線が越えてゆくその山並みが近づいてくると

 茶色く錆びついた線路が寄り添ってくる。人吉、八代へと続く肥薩線。その肥薩線と合流すると吉都線の終着、吉松となる。ここからはまたお客さんが多少乗って来る。鹿児島県側の生活圏に入ったのだろう。
 肥薩線が不通となり、観光列車の火も消えて寂しくなった吉松の駅。ホームにある売店も営業をやめたようで固くシャッターを閉じている。間もなく出発。
 吉松の駅周辺より賑やかそうな栗野で乗客を少々集めると列車はちょっとした山越え。山間のちょっとした平地に律儀に水田を作る様子を眺めて列車は南に下る。

 霧島温泉の駅で上り列車とすれ違い。都城以来、こちらが待って先方を迎える事が多かったが、初めて相手を待たせることになる。
 空港から近い嘉例川の駅に着く。観光地になっている駅で

 見学客が少々。降りてゆく人も一人だけいる。
 鹿児島空港脇の谷間を列車は海岸線に向かって降りてゆく。谷間が広がり、街が現れると終着の隼人。都城から2時間半。霧島連山をぐるっと3/4周しての到着となる。

 都城から乗りとおしたのは運転士と自分の2人だけ。運用の都合で2つの列車を合わせました、的な列車であった。

 向かいに鹿児島中央ゆきの列車が来ている。思いがけず国鉄形の415系ロングシート、適当なところに座る。鹿児島中央までは遅れている京王線恥辱を進める事に時間を費やす。途中、上り列車待ち合わせで何度か停まり、鹿児島中央についてみると11時になっている。
 昨日の朝、博多から延々続けてきた鉄道旅行も鹿児島中央が終着。帰路に就く。中央駅構内の食品売り場で適当に土産になりそうなものを買い、バスターミナルに向かう。空港行きのバスは減便されていて、待ち時間がだいぶあったからもう1軒、イオンにも行って少々買い物。うっかり地元産の野菜を少々買ってしまう。

 12時前、バスで空港に向かう。減便されていても席は半分弱しか埋まらない程度の乗り具合。京王線恥辱を綴りつつバスに揺られて空港には12時半前の到着。2時間程、待ち時間がある。

 空港にある足湯に浸かってみる。
www.koj-ab.co.jp
 割と大きな施設だが、先客はおらず自分一人。単に足を浸けるだけでも泉質は分かり、本格的に浸かった気分にはなる。現役の火山があちこちにある温泉県を巡ってきて全く温泉には縁が無かったのだが、多少は帳尻を合わせた。
 展望デッキに出てみる。YS-11が現役だったころの鹿児島空港は良く知っている。2021年の鹿児島空港、展望デッキに柵が出来て、写真を撮るにも不自由になった。

 目の前にはJ-AirのERJ170がいる。鹿児島といえばJACの本拠地だが、Q400を減らしてERJを増やした感があり、鹿児島からの奄美、徳之島なんて路線もJ-Airになっている。


 ノーズカウルが目を引くのはちょっとした展示施設のもの。
www.koj-ab.co.jp
 ちょっとした、といったが

 現役で使われていた到着案内が展示されている。こちら、10分毎に動作する。少々待っているとパタパタという動作音がして一通り表示が変わる。JASANKの表示ににやりとしてしまった。
 13時近くになり、軽く食事。

 鶏飯を頂く。この二日、鶏ばかり食べ続けて来たような気がするがまぁ良いや。ビールも飲み続けたかも知れないけど。
 さて、そろそろ制限エリアの中へ。

 こちらが現役の出発案内。鹿児島空港JACの表示が無いのは悲しい。JACJALが共同運航となって便名はJAL、という事になっている。
 出発までは間があるが、先に飛行機だけ見ておく。

 JA216Jがいる。来る時よりも少し小さいERJ170に乗ることになる。ひとまずサクララウンジ

 緊急事態宣言の対象外となる鹿児島は空港ラウンジ、通常営業中。4社の銘柄が揃ったラウンジで先程と同じくサッポロ生ビール黒ラベルを頂く。
 14時を過ぎてそろそろ搭乗口に向かう。

 去り際最後にJACのATR42を見かけて搭乗となる。

JL2410 JA216J ERJ-170 KOJ→ITM

 今日は伊丹に戻る単純行程。14:35の2410便を予約している。

 出発20分前、既に優先搭乗が始まっている。機内に進む。前方左手窓側の席に落ち着く。搭乗が進むと案外、席が埋まる。ぱっと見た感じの印象で7割ほど。
 14:26、Doorclose。上昇中、降下中、雲の影響で揺れが予想されるとの事。14:28、Pushbuck。14:32、Taixing。

 僚機を見て誘導路を北に進む。駐機場にスカイマークが3機いるのは妙な光景だが、長期運用離脱中の機材を鹿児島に逃がしているのか。

 滑走路に出ると14:36、Take off RWy16。午前中、山裾をぐるっと回った霧島連山が見えてくる。

 ローカル線の普通列車で3時間近くかけて回った霧島連山。上昇中の飛行機といえども段違いに早く、霧島が見えたかと思ったら

 鹿児島湾が見えて左に旋回。まもなく見える景色のどこかが都城。早々に

 宮崎平野が見えて日向灘へと飛行機は進む。
 14:43、ベルト着用サイン消灯。飲み物のサービスが始まる。

 小さなERJ170でも昨今はフルサービスとなる。ワゴンが廻って、大型機と遜色ない選択肢があって、その中から今日は塩気を志してスープを1杯。

 いつの間にか窓外には分厚い雲が出てきている。この二日間、良く晴れて夏のような天気だったから忘れかけていたが、日本列島は梅雨の真っただ中だった。四国は雲に隠され分からないまま東に進む。
 14:58、あと15分でベルト着用サインが点灯する旨の案内がある。降下の感触の後、15:15、ベルト着用サイン点灯。外の景色、雲が切れて淡路島が見えてくる。紀淡海峡を越えると飛行機は北上。

 関空を横目に高度を下げてゆく。伊丹へのコース、少し東寄りの進路を取るのかと思ったら割と近道をして飛んでゆく様子。

 今度は前方後円墳が見えて来る。地上から見てもさっぱり分からない特徴も、空飛ぶ飛行機からならしっかり分かる。

 続いて百済貨物駅。そして針路を変えると伊丹への最終コースに乗る。

 大阪城を見て高度を降ろすと淀川を渡る。左手に滑走路が見えて、さらに高度を落とし、15:29、Landing、RWy32R。15:33、Spot in SP14。
 降機となる。3段階に分けて、というのをかなり強めに案内していた。なかなか浸透しない降機のルール。真面目に守ったら一番前なのになかなか降りれない、なんてことになる。

 ようやく降りて制限エリアの外に向かう。

 乗継の案内。案外と東北方面に乗り継ぐ人がいる。それと但馬も意外っちゃ意外。
 預けた荷物は無いのでそのまま外へ。

 気持ち早い目の到着であった。今日はこのまま帰宅、なのだが、少々時間調整を入れる。展望デッキに出てみた。珍しく南側の展望デッキに行ってみる。

 目の前に搭乗機、JA216Jが駐機中。この辺りに停まる機材は南からの方が撮りやすい事が初めて分かる。
 次いで北側に。

 B737-800、JA316Jがやってきて、これが羽田からの到着便、125便だった。羽田-伊丹でB737-800は無いなぁと思うけれども、昨今の状況ではなりふり構わず機材適正化に努めなくてはならない、と理解はする。
 そろそろ先程の到着口に戻る。間もなく妻と合流。土曜日の朝、伊丹のラウンジでバイバイして、日曜日の夕方、伊丹の到着口で合流となる。ここから自宅へは二人で帰宅。

 京都までのリムジンバスを捕まえる。中国道工事中での迂回運行。微妙に混んでいて、京都駅八条口まで50分少々。案外と掛かる。時刻は17:30近くになる。

 京都からは始発で座ってゆこうとわざわざ0番線、草津線直通を選ぶ。久しぶりの113系、久しぶりの外側線で膳所まで進み、

 最後は京阪電車で自宅まで。18時過ぎの帰宅。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は14,965