2020-08-01

 8月1日の土曜日。例年なら夏休みであり、今年もそれは変わらない。ここ数年、8月初旬の夏休みは妻と時期が合わないので、自分一人で海外に行く事が通例になっていた。ちょっと振り返ってみても
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 ちょっと距離があるところを体力に無理を言わせて深夜便で、というスタイルは取れなくなったけど、それでも長い目の距離を行くことには変わらない。
 コロナ禍の今となっては、海外何てとてもとても無理。そこで国内なのであり、6月のうちに予約は取っていた。それがGoToのごたごたがあり、第二波が来たと思われたりして、訳が分からなくなってくる。
 とはいえ、幸か不幸か、東京が旅程に入っていないので、出掛けることにする。行先はおいおい。
 当初は7時のフライトで予約していたのだが、第二波到来で減便になってしまった。振り返られたフライトに合わせて起きだす。会社に行くより楽な時間なので、気も楽である。
 歩いて膳所まで。

 京阪電車を眺めてから改札に向かう。今回も18きっぷは使う。折角なので膳所から空港でも使ってしまう。

 快速電車で1時間ほど。新大阪まで来る。隣に鳥取方面、特急スーパーはくとが来たが、気の毒なほど空いていた。
 バスに乗り換え。


 空港に向かうリムジンバスも空いている。6月初旬に乗った時よりもむしろ空いているかも知れない。
 空港に8時過ぎ。

 案外と人がいるというのが最初の印象。よく見ると全く持って少ないのだけど。航空業界、全速前進というわけには行かないようだ。

 国際線の窓口は閑古鳥が啼いたままだし。


 欠航便は殆どないのだが、クラスJが満席にならない便が目立つ時点でやっぱり辛い状況には違いない。
 保安検査を受けてラウンジに進む。6月には上級会員ばかりで専用検査場が混んでいて、むしろ一般の検査場が空いていたが、今日は専用検査場をスムーズに使えた。 

 お休みの朝なので一杯ビールを添えての朝食。後は飛行機を見つつ京王線恥辱の遅れ回復に努める。

 JA346Jがやってくる。50機いるJALB737-800もJTAに移籍したり、コロナ禍の影響で退役したりが出てきた。たくさんいるうちに撮っとく事があくまで鉄則。

 左JA321J、右JA848J。どちらも出発機。

 JA848Jの1時間後を行くJA847Jがやってくる。

 入れ替わりにスポットへ。伊丹-羽田はB787-8ばかりになった。伊丹でA350に乗る機会はあるのだろうか。

 伊丹の主みたいなERJ-190、JA248Jが来たのを最後に席を立つ。今日の搭乗口、ラウンジから遠い。
 20番台に向かっててくてく。

 遠くのスポットにJAC日本エアコミューターのATR42がいる。JA03JC。10年前はJACが伊丹で幅を利かせていたが殆ど姿を見せなくなった。ちょっと寂しい。

 JA254J。どうやらこちらが今日の搭乗機らしい。

JL2203 JA254J ERJ-190 ITM→SDJ


 今日は仙台に飛ぶ。海外に行けなくなって国内で選んだ旅行先が四国と東北。コロナの再流行を予見した訳ではないが、コロナと縁遠そうな所ばかりを選んだことになる。仙台から先はおいおい紹介。
 本来予約していたのは7時台のJA2201だったのだが一週間ぐらい前に欠航が決まった。その代わりに割り当てられたのはこのフライト。元々クラスJで取っていて変更後もクラスJの似たような座席を貰えている。2便を1便に集約したからか、そこそこ混んでいる。出発案内でもJL2203だけはクラスJ × 普通席 △だった。

 搭乗橋が遠くに延び、その先に見えるのは先程のJA254J。既に優先搭乗は終わっていたので順番を待つ。
 前方席に搭乗順序が廻ってきて機内に進む。先週松山から来たより1サイズ上のERJ-190が今日の機材。1-2列に並ぶクラスJの1列側を取れている。席に座って出発を待つ。搭乗率はまぁまぁ良い。
 久しぶりにしっかり席が埋まった飛行機を見た。それでも皆さん遅れることなく定刻前に全員揃う。9:07、Doorclose。9:09、Pushbuck。

 9:13、Taixing。定刻よりも早い。航空便と航空旅客が減って、飛行機の定時性は上がっている、ような気がする。まず遅れない。
 誘導路を南へと進む。B滑走路端へと進んでいって、9:19、Take off RWy32L。

 伊丹のカーブで左に左にと向きを変える。何時もの3/4周が少し多めになって東へ。淀川のちょっと南を飛んでいる。すると

 羽田に行くときよりも大きく大津界隈が見える。膳所城址も良く分かるぐらい。
 9:26、ベルト着用サインが消灯する。飛行機は信楽から甲賀の上空を東に向かっている。
 飲み物のサービスが始まる。先週の松山便ではパックのお茶だったけど、今日はアイスコーヒーや冷たいお茶等5種をコップで提供する方式。

 つまり従来に戻った。
 飛行機は岐阜から愛知にかけての中部エリアに差し掛かっている。

 木曽川に山が迫っている。日本ラインが見えているようだ。飛行機は東京をショートカットすべく北へ逸れる。
 最初は初日、羽田に降りて品川から常磐線に乗って仙台に行こうと思っていたのが、その後の日程を色々と秤にかけて、仙台直行という選択をした。羽田経由だったら、今頃怖くてキャンセルしていたかも知れない。目糞鼻糞を笑うかも知れないけど。

 雲が切れて盆地が見えてくる。滑走路が見えたので松本平だろう。梅雨が明けてくれたのでフライトの楽しみが三倍増している。とはいえこれから向かう東北は梅雨明け宣言がまだの筈。  

 松本平を最後に地上が見えなくなった。雲の上となる。位置情報で見るとそのまま東に群馬県から栃木県へと抜けるコース。
 9:54、あと15分でベルト着用サインが点灯する旨の案内が流れる。窓外は雲だが、だんだんと切れてきた。

 南会津のあたりまで来ているらしい。白河以北に来ている。
 雲の切れ間から川の流れが見える。茶色い濁流は阿武隈川。福島宮城県境は昨年豪雨に襲われたところだ。6月に乗った阿武隈急行の事に思い至る。10:09、ベルト着用サイン点灯。15分で着陸との事。

 飛行機は太平洋上に出て旋回。仙台空港へのファイナルとなる。10:18、Geardown。

 海岸線が見えると間もなく空港。10:22、Landing、RWy27。10:25、Spot in SP 8。

 降機する。思ったよりも晴れている今日の仙台。これなら夏といっても良いぐらい。
 伊丹で預けた荷物を返してもらうと

 制限エリアの外へ。少し早着だったのね。とはいえ、仙台空港発10:35という電車は無理だった。もともと間に合わないつもりでいたので構わないが、中途半端に時間ができる。

 ソーシャルディスタンスに気を付けつつ、少し空港内を歩く。

 もちろん、マスクも着用。

 展望デッキに出てみた。J-AIRが来る。JA249J。福岡からの便らしい。

 先程乗って来たJA254Jの姿も見えている。
 そろそろ駅に向かう。先程見た通り、小型機しか来ない仙台空港にも鉄道アクセスがあって、仙台駅まで直通できる。さすがに10分毎、は無理。10:35の次は

 10:59、11:21という具合。概ね20分程度に1本あるのかしら。次の列車は既にホームで待っている。列車は仙台まで直通するが、途中の名取までは第三セクター仙台空港鉄道。もちろん、青春18きっぷでは乗れないので名取までは別に切符を買う。¥420。

 改札に近い側の後ろ2両はJR東日本E721系

 前2両は仙台空港鉄道所属のSAT721系。同じ電車なんだけど塗装が違うと印象もちょっと変わる。

 後の出発となる列車が2両でやってくるとこちらの仙台行きも出発となる。滑走路をトンネルで潜ると向きを変えて東北本線の名取へ向かう。途中に乗っているお客さんの方が多く、名取からの東北本線で乗って来るお客さんはもっと多かった。
 仙台到着。乗換となる。昔のイメージでいたら仙台駅構内で迷ってしまった。仙石線、どこ?

 地下ホームに行くのにいったん高架に上がってそれから降りるという発想はなかった。こんなのだっけ?と思いつつ、自分の下敷きにある仙台駅は、国鉄監修交通公社の時刻表に記載されている駅構内図だ。
 仙石線は15分毎。膳所と同じだ。18きっぷを生かして始発のあおば通へ。そこから、第一の目的地に向かう。

 東塩釜までの電車に乗ると仙台で乗車少々。時々名前が変わる球場(だから固有名詞を書いても後々分からなくなる)最寄の宮城野原で降車多数。イーグルスの試合でもあるのだろう。その先は4両の電車を持て余す感じに。本塩釜で降りる。
 本塩釜で列車を降りる。

 駅前で工事が始まっていて様子がちょっと違う。19年6月以来だからご無沙汰ではないが、変わる時は短期間でも変わる。
 時刻は12時を過ぎており、昼食時。そんな時間にこれから向かうのは昼食である。そしてその昼食は

 「ほや唐揚げ」「ほや春巻き」気違いと紙一重か一重じゃないのか、そんな文字が並ぶこの店。そう、ほやをどうにかしたい店。ほやほや屋。
hoyahoyaya.com
 先客1組2名。お昼時としては寂しいが、テーブル2つという小さな店なので、待たされずに済んで助かる。前に来たときはおっさん2人で切り盛りしていたが、今日は女性が1人増えている。
 注文はほや塩ラーメンとほや飯のセット。ほや刺し。ハートランドビールの3品。

 ビールとほや刺しが先に来る。つーかほや刺しというメニュー、去年は無かったのだが、よほどリクエストがあったのか、メニューに加えられていた。その代わり値段は上がって¥650。

 出されたとおりに写真を撮っていると店員の女性が何かに気づいた。ホヤの向き、違っていると。

 公式にはこうなります。

 ほやが前。
 この後で、最初に出したおっさんにダメだしをしている。ほやは前でしょ、と。あなたの行く居酒屋でも前にだすでしょ、と。
 今年初ほや。出汁醤油と塩と調味料を二つ出されたが、最初は何も付けずに頂く。ほやの香りが濃厚に広がった。東北に来たなぁと思う。
 刺し二皿あってもいいのだが、次に

 ラーメンとほや飯のセット。

 ラーメンにほやを乗せるタイミング、変えたなと思う。去年は直前にほやを乗せた感があったが、今日のはラーメンに馴染んでいる。

 ほや飯も思った以上に有り。
 ほや3品にビールで2,150円。今度は夜の予約制と言う奴に行ってみたい所。
 駅に戻る。あと10分で石巻までの直通が来るところ。考えていたより30分程早出しで動いている。

 再びの205系に乗る。今度も空いている。列車は北上すると松島湾沿いを進むようになる。

松島海岸の駅で観光客と思しき人たちは殆ど降りる。松島をゆく遊覧船の姿も見えた。ここの遊覧船、小学校の修学旅行で乗って以来ご無沙汰だ。
 前回、仙石東北ラインに乗った時は仙台から高樹町に来てそのまま仙石線本塩釜に行ってしまった。よって仙石線の高樹町から先は震災以来初の乗車となる。この区間津波にひどくやられた所で線路を移設して復旧している。全線完乗を維持する観点からは、もう少し早く乗っておくべきだった。

 列車は松島湾のすぐそばを行く。この辺も津波でひどい被害を受けた所だろう。海岸線に設けられた堤防が真新しい。
 明らかに大正年代、宮城電気鉄道が敷設したとは思えない線路に進む。移設区間だ。街から離れて山の中へ。途中、小高い所に移設された駅に停まると

 今度は田圃の中を高架で進む。ほぼ新線。
 減るばかりだったお客さんが乗るおうになって増えてくると石巻市内。駅がこまめにあって、乗るばかりでなく降りる人も増える。意外と複雑な使われ方を目にして石巻に到着。

 ホームを歩くと線路が尽きてそのまま改札口へと続く。平面構造の駅が、出自を物語るかのようだ。そんな駅に

 今まで乗って来た仙石線の電車と

 仙石東北ラインの気動車がいる。さらに

 貨物列車も姿が見えた。これは東北線、小牛田から石巻線を使ってやってきた列車。非電化の石巻線ではディーゼル機関車が貨物列車を牽引するが、

 進行方向を変えるべく機回しをしていたのは新鋭の入替機、DD200。もうDE10って時代じゃないんだ、と寂しさを覚える。
 今日はこれから石巻線に乗る。多少間があるのでいったん改札を出る。
 石巻石ノ森章太郎の出身地。よって

 駅構内にも

 街の中にも至る所に先生が生んだキャラクターが構えている。しかし仮面ライダーは毎年新作が増えるから大変だね。
 付き合いだすとキリが無く、そこまでの思い入れはないので駅に戻る。待つ事暫く、

 石巻線の列車がやって来た。キハ110系の2両。石巻線=キハ40系の印象が強く、この人なの?と思ってしまう。後で調べると2015年には置換が終わっていた。どうも自分の知識、経験は震災前後を境にアップデートされていない。
 2両の気動車は学生さんやら年寄りやらを乗せ、程よく埋まったところで出発。加速鋭く速度を上げる。

 茶色く濁る旧北上川を渡ると石巻市の郊外。一駅毎にお客さんを下ろしてゆく。前降りのワンマンカー、降りる時の順番待ちができる駅もある程。
 右手の車窓に海が見えてくる。

 湖のような万石浦。内海であり津波の被害は少なかったのだろう。海が人の目の届くところにある。

 二駅、三駅、ついて来る万石浦を眺める。その万石浦を離れると列車は牡鹿半島の小さな峠を越える。そこを下ってゆくと終着女川。なんだけど、女川は震災と津波でやられた街。駅も高台に移転している。

 真ん前には高台移転した今の女川が広がる。

 震災前は海の近くまで線路が伸びていたのだ。その海が遠くに見えている。
 ダイヤが良くなければ女川の街を歩きたいところ。しかし折り返しは8分後。

 今日はすごすごと駅に戻る。ほやほや屋と女川を秤にかけて、今回はほやが勝った次第。何人か先程来る列車にも乗って人が同じ行程を取っている。

 スクエアなキハ110に揺られ来た道を戻る。同じ景色を見ても仕方ないので先程とは逆側の座席に座る。

 ついササニシキ、と言ってしまいそうになる田圃をみて進む。今の宮城、代表的な銘柄米はひとめぼれだっけ?。自分の中の銘柄米はあきたこまちきらら397あたりで止まっている。お米に関する知識もアップデートが必要だ。

 石巻まで戻る。今日はもう少し石巻線に乗るけど列車はゆっくりと停まる。ダイヤが石巻中心に作られていて、仙石線との接続もあるからだろう。需要に見合った動きだと思うが、石巻の停車時間を女川滞在に宛がえたらなぁ、と思わなくはない。
 石巻でお客さんが入れ替わって、列車は小牛田方面へと向かう。

 再びの田圃、なんだけど転作で枝豆を作っているところも目立つ。横浜に居た時は秋田産枝豆、なんてのも出回ってた。お米同様に枝豆も産地間競争、銘柄枝豆なんて世界になるのかしらん。
 前谷地に着く。気仙沼線との乗換駅。街とかではないので鉄道の結節点、Junctionと言いたくなる駅。今日はここから気仙沼線に乗り換える。

 気仙沼線の列車、柳津ゆきが既に出発を待っている。今度はキハ110系の1両。気仙沼線といいつつ、柳津までしか行かないのだが、とにかく乗り込む。列車は石巻線からの乗換客を含めぱらっと埋まる程度の乗り具合。すぐに発車する。
 気仙沼線も震災と津波の影響を大きく受けた路線で、結果、鉄道としては復活しなかった。被害が少ない柳津までは鉄道として。その先、気仙沼まではJRが運営するバスとなった。JRが運営するので18きっぷで乗る事は出来るし、通しの乗車券も買えるけど、バスはバス。
 東北の被災地は2011年の夏に少し回ったけど、甚大な被害を受けた三陸のあたりはまだ見たことがない。その辺も含めて、辿ってみる。今日は気仙沼まで。
 柳津までしか行かない気仙沼線に揺られる。全通するまでは柳津線と言っていた区間。40年近く経って1977年よりも前に戻った事になる。
 18切符のお客さんが半分ぐらい。地元の人がぱらっ、ぱらっと降りる程度の乗り具合。なかなか運営が大変そうな状況。

 柳津の手前で北上川を渡る。結構長い橋梁だ。この橋がダメになっていたら、気仙沼線は柳津までも残らなかった、かもしれない。
 折り返し点の柳津に着く。

 残っていた人が街に散ったり、ホームの先へと歩いて行ったり。歩いた先には

 BRT乗り場がある。線路敷だったと思しきところに通路を設け、その先にバス停がある。平面乗換ができるようになっている。
 バスの姿は見えない。気仙沼行きの出発まで15分ぐらい間があるのだが

 真っ赤なバスが2台、駅前広場に待機していた。JRの表記があり、国鉄バスが帰って来たような錯覚。
 先程乗って来た列車が柳津を発車してゆく。もうしばらく柳津の様子を見る。

 線路敷が舗装されてバス道路になっている。入口にはゲートがあって、認証されたバス以外は開かないようになっているみたい。

 ゲートが開き、16:44の気仙沼行きBRTがやってくる。「気仙沼」とだけ書かれた行先が新鮮だ。気仙沼駅、とかでなくて気仙沼

 車内はバス。いたって普通のバス。長距離乗ることが前提だし、もう少し何かあるかと思っていた。期待した方がバカだった。
 車内は柳津に着いた時の人たちが乗っている。ほんの数人であり、公共交通機関としては寂しい所。とはいえ混雑することは嬉しくないし。

 反対側からバスがやって来た。前谷地と行先がある通り、BRT区間の外にはみ出して運行となる。さっき列車が出たばかりだしね。接続取れればいいと思うのだけど、何か都合があるのか。
 バスが発車する。鉄道だった所をバスで行くのは妙な気分である。

 1車線、すれ違うこともできない細道なのに道路を高架でまたいだりする。バスに乗っているのに鉄道の視点。いや鉄道の視点ともちょっと違う。少し低いか。

 所々にゲートがある。通常は閉まっていて、バスが来て停まると感知して開く。改めてバスが動き出すという体裁。一応60㎞/h走行なのだが、時々そんな感じで停まる。速度は落ちる感がある。
 いつの間にか霧が出てきた。海霧だろうか。いわゆる、やませ、だ。
ja.wikipedia.org
 石巻や女川は晴れていたのに、先が見えないほどの霧。っーか8月になってやませで気温が上がらないようだと今年は不作決定だ。コロナ禍に冷夏の不作か。
 先程から元気仙沼線の線路敷を生かしたバス専用を走っていたBRT。志津川の手前で一般道に出る。太平洋に向かってラッパのように広がる湾を持つ志津川の街。大震災の時は手ひどくやられている。

 道路沿いでは盛り土の工事がまだまだ続いている。その向こうに海とを仕切る大堤防、霧の中に霞んでいる。

 震災遺構として残された建物だろうか。4階建ての3階の上に津波の高さを示す青線が入っている。
 志津川の街は大改造の真っ最中。以前の駅も何も関係なく街全体が作り替えられていて、よって従来の線路、なんてものは何の意味も成していないのだった。高台に散った街の要所要所に寄り道。

 病院の入口には台湾の支援に感謝する石碑が建っている。
 バスは病院や団地に寄り道する。高台までくると海霧は入っておらず、視界が晴れる。高台移転にはそんな効能もあるのかと思う。
 志津川の街を離れる。

 ちょうど専用度を上り柳津方面へ向かうバスがやってくる。専用道でのすれ違いを旨い事、回避しているようだ。鉄道ダイヤみたいな魂をバス路線に感じる。
 バスは専用道に戻ると調子よく走り続ける。志津川市街の柔軟なルート取りにはバス化の利点を感じたが、目的地に一目散、となると専用道の方が良い。バス停も基本、昔の鉄道駅に相当する所だけ。

 また向かいからバス。今度は専用道内でのすれ違い。トンネルの向こうから

 志津川ゆきが出てくる。不精をして一番後ろの席から座ったまま撮ってみた。上りバスが去った後、こちらも動き出す。長いトンネルへ。
 防潮堤が海霧に霞む陸前小泉のバス停を出ると、また大々的な盛り土の現場に差し掛かる。 

 茶色い工事現場とそれを大きく跨ぐ道路。海霧の向こうに消えてゆく。元線路の専用道からそんな景色を眺めると現実感と生活感の無さが窓越しにどっと押し寄せてくる。
 内陸に入った本吉駅の周辺は津波の影響はなかったようで昔ながら街並みが広がっている。線路はここから世代が古くなる。柳津-本吉は1977年の開通だが、本吉-気仙沼は 年の開通。その分、線路の規格も下がる。

 地面が急に身近になった。
 ほぼ専用道を走って来たBRT、

 突然専用道が尽きて一般道に入る。そうなると路線バスとほぼ一緒だ。大谷海岸、なんて駅名というかバス停というか。鉄道が健在だったころの大谷海岸は何となく記憶に残っている。松の合間に海岸線がみえるような海が間近の駅だった。このあたり、気仙沼線がすぐ海岸の脇を通っていたところで、専用道として復旧する事も叶わなかったと見える。
 このあたりから地元の高校生がちらほら乗るようになってきた。外来の観光客ばかりでは申し訳ないようなバスだったが、ようやく公共交通機関が機能している様子を見ることになる。たまにすれ違う気仙沼発の便も乗客の姿が見えている。
 このまま一般道を走るのかと思ったが、気仙沼市内に入った松岩から専用道に戻る。バスは気仙沼の海沿い、つまり津波でやられたエリアを走る。

 昔、南気仙沼駅近くのホテルに泊まった事はあるのだけど、その時の記憶は全く役に立たないぐらいに変貌している。かさ上げで盛り土をしているのだろうか、まだまだ工事中という感じで復興なんて言葉を安易には使えない感じだった。
 バスは鉄道線路らしい弧を描いた専用道を走る。隣から線路が寄ってきて大船渡線。そして気仙沼の駅に到着する。

 気仙沼の駅に到着。鉄道駅とバスターミナルの合いの子みたいだ。18きっぷをバスの運転士に示す。改札口は特にチェックが入らない。平面移動で駅まで歩いてこれる。

 出発の案内も鉄道とバスが同等扱いであった。
 気仙沼に18時半。今日はここまでにしている。宿泊するのは駅前にあるホテル。宛がわれた部屋からは

 駅前広場が一望できる。
 19時が近くなり、そろそろ薄暗くなっている。夕食を兼ねて少し歩く。

 この辺りは古い町並みが残っているが、それはそれで寂れた感じ。霧とあいまって寂しさが倍加する。
 居酒屋に入る。店は混んでいたが、入口の普段は使わなそうなテーブルを無理やり用意してくれた。一種の隔離席みたいになる。奇跡のソーシャルディスタンス。

 そんな訳で飲み始めたが

 常連さんなのか何なのか、やんちゃな感じの集合写真やら、出張できた人の名刺やら、そんなものが嫌でも目に付く。


 安い店なので皿いっぱいに色々なものが盛られて出てくる。三品で瓶ビール3本。さっと飲んだら切り上げる、が今の世の中、鉄則かと思う。続きは部屋で。退散。

 すっかり暗くなった。来た道はさらに寂しくなっている。途中コンビニに寄ったら、地域限定のポテトチップス。青森と秋田が売っていた。ここはどこだっけ?って宮城か。地元の方が先に売れるんでしょうか。謎。

 部屋に戻って飲みの続き。まだ20時すぎだが深夜のような気仙沼の駅前で少し飲むと早めの就寝。明日も朝は早い。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
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 万歩計は13,688