2021-12-11

週末の朝。会社に行くよりはゆっくり、でも普段の週末よりはだいぶ早く起きだす。今日もビワイチ。スタート地点は湖西線マキノ駅。だいぶアプローチに時間がかかる分、早く出なくては行けない。
 実は妻も同じ時間に起きて身支度している。一緒に歩く、訳では無く、同じタイミングで出掛けて行先は別々なだけ。
 6時を過ぎて家を出る。途中までは妻と行動が一緒。まずは

 京阪電車には一緒に乗る。膳所で乗り換え。東海道線のホームへ。妻は通勤定期を、自分は18きっぷで入場。
 普通列車を待つ間に貨物列車が通過する。

 4081列車。EF510-504号機牽引と

 5057列車。EF210-311号機牽引。
 やってきた東海道線の下り普通列車に揺られて京都まで行く。マキノとは反対方向に来たが、ここで一旦下車。伊丹に向かう妻を送った後、改めて京都駅構内へ。待っていると上り方向から

 117系S3編成がやって来る。折り返し湖西線近江今津行き。どうやら草津線柘植発京都行の折り返しらしい。柘植発京都経由近江今津行、って事にもなるのだが、まぁどうでもいいや。
 ロングシートを増やす改造を受けた車両が多い中、原型のまま残っている車両がいたのでそちらに座る。往年の新快速を思い起こす時間、となる。
 明るくなった琵琶湖岸を行く、と言いたいが

 冴えない天気の中を行く。天気が心配だが、出て来た後で今更心配をしても仕方ない。117系電車に身を委ねる。
 この列車は近江今津まで。乗り換える先は


 福井ゆき、なんて列車になる。このビワイチでは初登場、521系になった。手元の18きっぷを最大限生かしたくなる感じだが、今日はこの先のマキノまで。席がさらっと埋まったのでマキノまでは立ってゆく。自宅から2時間程でマキノ到着。

 ようやく出発点。琵琶湖の北側にやって来た。今日はマキノから海津大崎を越えて永原。更に塩津へ。賤ヶ岳の脇を抜けて木ノ本というコースになる。今までは平坦な道だったが、アップダウンのある、一癖ありそうな所。さてどうなるか。
 ひとまずマキノの駅からまっすぐ。湖岸に出てみる。 

 正確にはこの辺からスタートだろうか。まずは海津の集落を抜けるところからビワイチ4日目。

 海津の集落を北上。日曜日に歩いた漁港までの道の先には作り酒屋があったり、落ち着いた街ではある。

 珍しいのは琵琶湖岸に続く石垣。江戸期に作られた波除なのだそうだ。と言うかこの辺りの湖岸は古い時代のそのままなのか。大津辺りだと結構埋め立てが行われているから街中の思いがけない所に湖岸の跡があったりする。
 集落を抜けるとT字路。右に行くと桜で有名な海津大崎となる。そちらを選んで進む。間もなくキロポストが現れる。

 瀬田唐橋から80㎞。

 瀬田唐橋まで113㎞。
 今日は半分は絶対超える。どこまで残りを減らせるか楽しみだ。まずは海津大崎を廻り切る。
 湖岸のすぐ脇を片側1車線、歩道のない道を行く。とはいえクルマ通りは少ない。波音だけ聞こえる中を歩くのは心地よい。時折走るクルマにも穏やかな気持ちでやり過ごす事が出来る。
 道の脇には桜の樹。春になれば賑やかになるのだろうが、眠りについた海津大崎。固く閉じた船着き場がシーズンオフを物語る。

 トンネルが現れる。その入り口に

 猿がいた。数匹いたように思う。大津辺りを歩いていると湖岸にいる四つ足の獣は犬ばかりなのだが、湖北には猿もいるのか。
 トンネルに入る。膳所からのビワイチ時計回りルートでは初めてのトンネルか。

 歩道もないような道だが、クルマ通りが少ないのでこの季節なら気にならない。トンネルを抜けると山がそのまま琵琶湖に落ち込むような所を進む。

 よく切り開いたものだと思いつつ先を急ぐ。岬を廻ると琵琶湖の湾の向こう

 葛篭尾崎が見えてくる。その先には竹生島。天気が冴えず何とも微妙な景色なのが残念。とは言えこれも琵琶湖の景色か。
 そして、

 高島市から長浜市へと。大合併で長浜市になったところだから、長浜はまだまだ先だが、少し進んだ気分にはなる。
 少し開けて来る。リゾートホテルや別荘らしきもの。人家もある。畑があるが、四方も天井も思いっきり囲った中で持ち主が手入れをしている。その理由は道の真ん中に。

 また、猿。しかも道を塞いでいる。通り抜けようとしたら威嚇された。さっきの畑、猿対策なのか。お気の毒に。

 大浦の集落が近づいてくる。駅の名前で言うと永原が最寄。今まで歩いてきた道がT字路にぶつかる。左に行くと先程見えていた葛篭尾崎のぐるぐるっと廻る奥琵琶湖パークウェイ
http://www.koti.jp/contents/park/index.html
 右に行くと永原駅の近くを通り国道303号に出る。琵琶湖のすぐそばを廻るなら奥琵琶湖パークウェイだが、ビワイチルートは左に行って国道303号。ご都合主義だが、ここはビワイチルートをなぞる。奥琵琶湖パークウェイ冬季閉鎖に入っているし。
 ビワイチルートに従って大浦の集落を進む。途中、
www.koti.jp
 北淡海丸子船の館、という展示施設がある。琵琶湖で水運で使われた丸子船という和船の展示施設だそうだ。大津にはこんな展示はないなぁと思い見学してゆく。先客は無く、見学料を払うと係が照明をつけてくれる。


 百石積という和船。全長17.2m、全幅2.8mとあるからちょうど鉄道車両1両分か。モータリゼーションが発達する昭和30年代までは琵琶湖の水運も機能していたそうだ。帆があって帆船だがエンジンも持っている。エンジンが付くようになり、木造ながら一部鋼板で補強されている。
 江戸期には琵琶湖全体で1,400隻の丸子船が行き交っていたそうだが、現存するのはわずか。その貴重な現物をわずか300円で独占されてもらえるのは有難い。
 大浦の集落を離れて山側に向かう。遠くに永原駅が見えてきて、白い電車が通り過ぎてゆく。2時間ぶりの湖西線国道303号線に合流した。

 国道8号線まで、あと5㎞。長浜市内29㎞。ここも長浜市内だけどな。
 国道8号までは葛篭尾崎へ続く山地を越える峠越えの区間となる。歩道があるのはありがたく、そちらを歩く。時折、ビワイチらしいバイクや自転車がやって来る。

 トンネルで峠を越える。幸い歩道が整備されているので歩く分には差し支えない。トンネルを抜けると塩津の盆地へ下る。時刻は11時を廻った所。坂を下るとビワイチルートが国道から離れる。そちらに忠実に歩くと11時半過ぎ、道の駅に寄り道。マキノ駅から3時間。そろそろ昼食にする。過去3回、蕎麦で通しているのでそろそろ意識してしまう。結局、

 鴨そば、なんだけど、一緒に添えられた川エビのかき揚げが案外と美味しい。とはいえ川エビのかき揚げ、単品での持ち帰りは不漁なので中止、なんて案内が出ていたりする。不漁かぁ。
 蕎麦を頂きお手洗いを済ませる。午後の歩き再開。次は賤ケ岳をトンネルで越えて木ノ本へ。なんだけど道の駅を出てビワイチルートに戻ると間もなく、雨っぽいものがちらっと落ちて来る。塩津の北側、敦賀の方の雲行きが怪しい。12月も中旬に差し掛かる所。冷え込んでいたら雪がちらつくところか。

 琵琶湖の北端、塩津園地に着く。大津から見るとここが極北。
 この辺りの国道8号。歩道が無く歩きにくくなっている。塩津浜の集落には旧道も通っていたのでそちらを歩く。なんだけど、国道と旧道が交差点になっていて

 ビワイチルート。国道を横切るようになっている。国道には信号は無く、横断歩道すらない。ここを渡るのかと思うと少々腹立たしい。
 何とか国道8号を渡ると再び旧道。クルマの音は消える。琵琶湖の波音だけが聞こえる中を歩く。これで小雨でなければ良いのだけど。
 国道がトンネルで抜けるところを、旧道は湖岸を丹念になぞる。飯浦の集落で国道に交わる。バスが国道を通り過ぎてゆく。木ノ本から塩津を経て福井県境、新道野までゆく湖国バスの深坂線であった。

 道案内に大津の文字が出た。とはいえ対になるのは福井。まだまだ遠い。そしてテンションを下げるのがこの時間の雨。
 雨がどうなるかで撤収も考えなくてはならないが、ひとまずバスという飛び道具もあてに出来なさそうなので、続行。雨がどうなろうと木ノ本駅までは辿り着く必要がある。
 飯浦からも旧道。国道を見下ろしそして

 琵琶湖を見下ろす眺め。晴れていればいい景色なんでしょうが。今日は濡れ鼠。さらに登ると

 琵琶湖の景色も分からなくなる。

 煉瓦積みの旧賤ケ岳隧道に入る。雨降る中ではほっと一息、という所。少々距離があるのも今日の所はありがたい。トンネルを抜けると木ノ本側となる。

 日本史の教科書には必ず出て来る賤ケ岳の文字、初めて見る。琵琶湖の周辺、日本史の表舞台でちょっと歩くと教科書に出て来る言葉にたくさんぶつかるのだが、新たな言葉に当たるとちょっと感慨深くなる。
 木ノ本からの列車時刻も気になるが、坂を下る。この辺で雨が上がる。上がっちゃうと少し気持ちに余裕が出て来る。欲の多少も出て来る。そこに現れる長浜20㎞の文字。4時間か。17時過ぎには着くのか。今日、長浜まで行ってしまえばこの先楽だな、と。そんな訳で木ノ本駅ではなく、長浜市街を目指して右折。
 この辺り、琵琶湖岸に沿う道が無く。しばらくは田園地帯を歩く事になる。一駅、高月まで琵琶湖を見ずに進む形になる。今日はもともと高月かなぁと思って歩き出している。時刻は14時半。駅からはだいぶ離れた道を歩いており、駅に向かったら到着15時。歩行6時間半で、今までのペースから言ったら上等なところ。とはいえ気持ちは遠路長浜へと向かっているから、高月の駅とは反対側、琵琶湖湖岸に出るべく歩く。トンネルを抜けると 

 賤ケ岳で霧の中へと消えていった琵琶湖に巡り合う。1時間半ぶり。
 この先は長浜まで湖岸に忠実に歩く。時折、望遠レンズを持った人が何人もいて、大津には無い景色。野鳥観察好適地らしい。カモフラージュも兼ねてなんだろうけど、超望遠レンズに迷彩柄のカバーをかけて、水っぽい中、立ち続けるのはお気の毒だ。自分も濡れながらマキノから長浜を歩いている訳で、お互いさまではある。
 また雨が降り出す。今度は避難先となる駅は遠い。バス路線もない。幸い道の駅があったから休憩を兼ねて立ち寄る。

 塩津から3時間。鯖のトルティーヤという不思議なものを頂く。琵琶湖に鯖はいないけど、若狭湾が近いからか、鯖寿司や鯖そうめんとか、鯖に因んだ料理は多い。
 幸いに通り雨だった。15分程休む間に雨は上がる。長浜で向かって歩く。17時前に長浜始発の新快速があるから、それに乗りたいが、ちょっと難しいかも知れない。
 天気は回復傾向。南に下ったからなのか、時間が経過したからなのかは分からない。ひとまず

 琵琶湖の向こう、日が差してくるから大丈夫なのだろう。後は長浜までしっかり歩き切る事を考えて進めばよい。
 久しぶりにキロポストに遭遇。

 瀬田唐橋から110㎞。いつの間にか大台を超えた。

 瀬田唐橋まで83㎞。いつの間にか大台を割り込んだ。
 天気が回復してきて、淡い日差しが差し込んでくる。とはいえ12月の15時半。そろそろ夕暮れ模様を帯びて来る時間帯。右手に湖面と西空を見つつ歩くと少しずつ色彩が変わってゆく。単調な湖岸の景色に彩りと移ろい。

 淡い青空と淡い夕暮れの時間、午後4時を迎えた。長浜まであと1時間で着けるかな。ちょっと難しそうだ。
 先程から1時間弱。5㎞進んだ証が現れる。

 瀬田唐橋から115㎞。

 瀬田唐橋まで78㎞。この5㎞は56分で来ている。時速5㎞をちょっと上回るペース。
 湖岸の景色に目もくれず、一目散に歩けば長浜始発の新快速に間に合うかも知れないけど、時刻は日暮れの時間帯。

 次々景色が変わるので、足を止める機会も増える。もう長浜始発の新快速は諦める。
 遠くに長浜の街が見えて来た。ホテルらしい建物が見えると大きな街の証拠だ。今津の時もそうだった。平和堂も見えてよさそうだけど。姉川の橋を渡る。姉川の戦い、の姉川か。

 また、夕暮れの景色が表情を変える。
 すっかり薄暗くなる頃、長浜の市街地へ。今日はどこで打ち切るか、迷ったが、長浜駅近くの豊公園長浜城址に入る。

 湖畔に石碑が立っている。太閤井戸という秀吉の頃に使われた井戸跡だそうだ。本来は湖の中に石碑が立つらしいが、この渇水で水位が下がり、見えるようになった遺構の一つ。
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 そんな景色ばかりを見続ける2021年晩秋のビワイチ。4日目は太閤井戸で完了となる。
 ついこの間、訪問したばかりの長浜駅に戻る。

 駅は混んでいた。高校生の姿が目立つ。どこかで部活の大会でも行われいたのだろう。やって来る新快速は米原まで4両。座れる気がせず、ビアホール新快速の仕込みはしないでホームに立つ。そんな時に限って案外と座れる。
 高校生で混雑した列車は米原で大量に下車。降りたのか前8両の増結車両に移動したのかは定かではない。前8両の米原始発も18きっぷのお客さんで混んでいるに違いなく、大人しく石山まで揺られる。

 京阪電車に乗り換えると自宅には19時帰宅となった。今までよりだいぶ遅いが、どうせ妻は明日までいないので問題ない。帰宅して多少の家事を済ませてから、夕食を兼ねて飲みに行く。ビワイチは折り返し点を大きく通り越した。中祝いぐらいしても良いだろう。

 京阪電車を見てお気に入りの居酒屋まで行ったのだが、満席であった。12月の土曜日だし開店早々に入らないとだめだろうなぁと半ば諦めての訪問なのだが、案の定だ。木ノ本手前で長浜まで足を延ばす事に決めた時、帰宅が遅くなると店に入れないなぁと思ったのだが、やはりダメだった。
 出直す事にして、膳所駅の向こうまで歩く。居酒屋の予定が

 瓶ビールを頂きつつ出てくる料理、


 インド料理になる。インド料理店で一品頼んでビールを飲むのも好きなんだけど、最初の心づもりからはだいぶ離れた。料理2品と大瓶2本で2,000円で釣りが来るのもありがたい。
 この後、居酒屋に入るつもりで飲みすぎない、食べ過ぎないようセーブして頂き、1時間少々で最初の店に戻ってみる。やはり満席。ラストオーダー22時の店で、21時半からもう少し待ってもう1度、という気にはさすがになれなかった。

 京阪電車を見てさめざめと帰宅。続きは家で。少々深酒。

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