2021-12-12

6時過ぎに目覚めた。日曜日の朝。昨日飲みすぎたからか少し胃が重い。
 今日もビワイチのつもりでいる。昨日頑張ったのでスタートは長浜まで近づいた。木ノ本まで行くのと比べるとだいぶハードルが下がっている。
 身支度を進める。長浜だからだいぶ楽とは言っても列車時刻ぐらいは調べなくてはならない。7時半過ぎの列車で良い事が分かったので、それに合わせて家を出る。
 外は曇り空。なのだが、少し歩くと異変を覚える。

 曇りと言うよりは

 霧の朝。琵琶湖一帯。完全に霧に包まれている。
 石山の駅に出るべく湖岸を歩く。もちろんどこまで行っても霧模様。瀬田川の橋梁に近づく。列車の音が聞こえたからどうやら動いているようだが、さて。

 下り列車は10分弱遅れている。上りは定刻では来ているようだが、この先遅れるのだろう。

 そんな霧の中を列車はやって来る。12両つないだ米原行き。米原からの長浜方面、北陸線の接続が心配だが、ひとまず乗り込む。
 ドアが閉まると間もなく、隣の外側線に列車。先頭にDD51、その後にチキが続く工臨。えっと言う感じで

 草津で待避していたところを無理やり撮っとく。日曜の朝からどこまで行くのだろう。
 途中、徐行が何度か入り、じりじりと遅れる。愛知川を渡ったところで視界が戻って速度も戻る。彦根に近づくとまた霧景色。結局、6~7分遅れただろうか。

 敦賀行きの普通列車は接続を取ってくれた。長浜までお世話になる。
 昨夕、離れた長浜に戻る。時刻は9時前。ビワイチ5日目は長浜から近江八幡の湖岸沿い、長命寺まで行きたい。昨日に続いて結構な距離となる。無理をすることになるが、琵琶湖の湖東、湖南側。彦根を離れると大津まで市街地と湖岸が離れるのである。駅が湖岸から離れ、バスの便も少ない。中継地として考えられるが、比較的バスの便が良い近江八幡近辺と琵琶湖がくびれる琵琶湖大橋、ピエリ守山の辺り。
 長浜もこの時間、霧である。
 昨日暗くなってから到着した豊公園へ向かう。

 復元城址長浜城を見て

 昨日も見た太閤井戸の碑を見る。ここから5日目スタート。まずは長浜港まで。少々南側へと下ってゆく。


 観光船乗り場に着く。竹生島までの航路があり、今津でも見かけたような比較的小さな観光船が出発を待っている。乗客らしい姿はあまり見かけない。この天気では船に乗っても、だろうが。この5日間、琵琶湖を巡っていると観光の姿が変わってきている事は良く分かる。観光船で名所見物、というよりは湖岸でキャンプとかそんな事を楽しむ人の方が多い。キャンピングカーも沢山走っていた。
 湖岸道路に戻り南下する。市街地を出ると霧の琵琶湖と霧の畑地に挟まれた道路をただ南下する事になる。非日常には違いないから、これも旅なのだろう。

 まずは彦根を目指して。2時間半ぐらいで着けばなぁとは思っている。
 湖岸を行く道路の名前がさざなみ街道に変わっている。南端は草津市というか、イオンモール草津の辺り。ほぼ「道なりです」という状況になっている。そんな道でも長浜から彦根のあたりは未知の世界。道が堤になっているのか、湖岸から少々高さがあるのが、大津のあたりと少々違う所。
 10時前、今日初めてキロポストを発見する。

 瀬田唐橋から125㎞。

 瀬田唐橋まで68㎞。2/3周まで行ったか。

 まだ彦根まででも6㎞、近江八幡までは31㎞あるから相当な距離だが、ぜひ行きたい。先を急ぐ。
 ここまで山の迫る辺り以外は穏やかな湖岸が続く琵琶湖の風景。霧に煙る眠たくなる景色と、身を襲う北風の緊迫感のギャップが激しい。

 琵琶湖には珍しい巨岩が湖岸にゴロンとしている。しめ縄が飾られているからご神体になっているのか。何となくのありがたさは感じる。
 時折リゾート施設が現れたり、企業の宿泊所があったり。1,2日目あたりの湖西の景色と少し被るようになって彦根の街も少し近づく。そして

 長い松原が現れてここが松原水泳場鳥人間コンテストの会場だ。さすがに発射台、というのか、ステージは仮設のようで、この季節には姿形全く見えない。

 滋賀大の学生がウインドサーフィンを楽しんでいる。膳所にいると、割と近くに滋賀大付属小中学校があり、石山の向こうに教育学部があるのは知っているが、彦根の松原にいるのは経済学部の学生、だろう。そう大きくない大学なのにキャンパスは二つ。想像でしかないが、距離もかなりあるし、交流は少なそう。
 彦根の街中へと入ってゆく。

 彦根港を通る。こちらにも竹生島行きの観光船乗り場がある。この時間、船は出払っているのか、影形見えなかった。
 11時を過ぎてショッピングモールで小休憩。普段は積極的に飲まない甘ったるい缶コーヒーが美味しく思える。昨日からのカロリー消費量、とんでもないに違いない。歩き詰めだが、ちょっと座ると十分に回復した。先を急ぐ。湖岸沿いに彦根の街を離れる。彦根城を見ていないが、また今度だ。
 彦根市街を離れる。前に一度来たことがある滋賀県立大のあたりまではバスがあるのは知っている。その先も少々路線はあるようだが、そこを過ぎると近江八幡の近くまで、バス路線は途切れる。何かトラブルがあったら、何とか東海道線の駅、稲枝や能登川のあたりまで辿りつくしか道が無い。ビワイチの中で、大変だと思っていたのが2か所あって、最初が海津大崎から木ノ本への道。もう一つが滋賀県立大から長命寺までのルート。その大変と思ったルートに差し掛かる。

 近江八幡25㎞の文字が見える。さっきは31㎞だっけ。近江八幡の市役所があるあたりまでの距離だとしたら、今日の目的地、長命寺までとは少々違ってくるが、それにしても遠い事には違いない。時刻は11時半を過ぎた所。今回は1時間5㎞のペースで歩いており、歩き詰めで5時間掛かる計算、近江八幡に着くと夕方17時。暗くなる所か。
 間もなくキロポストが姿を現す。1時間に1度の楽しみ、の筈だが前回から2時間経っている。

 瀬田唐橋から135㎞。

 瀬田唐橋まで58㎞。どこかで130㎞ポスト見逃したな。時刻は12時の少々前。
 見覚えのある滋賀県立大の前を通り過ぎる。いよいよ公共交通稀薄地帯に足を踏み入れる。できれば1時間ぐらい早く長浜を出て、余裕をもって臨みたかったけどなぁ。昨日もう少し酒を控えればよかったかなぁ。

 12時を過ぎて朝の霧は晴れたが対岸が見える程の視界は無い。見えている島影は竹生島かと思ったら多景島らしい。竹生島沖島は滋賀に来る前から知っていたけど、多景島はビワイチを意識して調べるようになって初めて名を知った。
www.ohmitetudo.co.jp
 基本、お寺さんの境内ということになる。
 しかし川の向こう、島だけ浮かんでその向こうが霞んでいると、琵琶湖はほぼほぼ海にしか見えない。
 さざなみ街道を外れ、より湖岸寄りを行く旧道に入る。三津屋と言う集落があるようで、ここまでは彦根からバスが来ているようだ。

 青いラインが敷かれており、ビワイチコースもこちらの旧道。眠ったような集落を歩く。時刻は12時半。いい加減昼食の時間だが、ちょうど良さげな店、なんてものは無い。地図を見るとこの先、1軒かもう1軒かある様子。そちらに期待して歩く。

 湖岸に佇むローカルバスの終点、三津屋バス停に12時半過ぎ。
 湖岸に佇むローカルバスの終点、三津屋バス停に12時半過ぎ。13時前に彦根に行くバスがある。足回りにトラブル、雨に降られた、とかがあればここまでは撤退手段があった。この先はもう長命寺までゆくしかない。
 集落を離れて更に西。まもなく1時間に1度のペースメーカにして楽しみ。キロポストの登場となる。

 瀬田唐橋から140㎞。

 瀬田唐橋まで53㎞。
 湖岸を歩くとラジオ送信所がある。NHKKBS滋賀、二つの名前が併記。KBSは京都だと思うのだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/KBS%E6%BB%8B%E8%B3%80
 彦根にスタジオがあるのか。知らなかった。彦根辺りまで来ると新聞は中日新聞が強くなるようだし、大津とは少々雰囲気も文化も違ってくるように感じる。
 13時近くなって、小ぎれいな店を見つける。食堂と言うよりは料亭に近いかも知れない。入ってみると本当にちゃんとした敷居の高い店。こんなところに?と思うが

 晴れていれば琵琶湖を一望できる店のようだ。
 ランチの定食があったのでそちらを頂く。

 5日目にして蕎麦が途切れる。ちょっと高めのお食事。飲みながら琵琶湖の景色を楽しむ高級店、という風情。歩いてビワイチしている時にはあまり似合わない店だった。
 食事を終えるとビワイチ再開。旧道はさざなみ街道に合流し、西に行くとまた集落。旧道が離れてゆくのでそちらに従う。薩摩という集落らしい。バス停があったが稲枝から来るバスは平日だけの運転。
 集落を離れると何度目かのさざなみ街道。その途中にキロポスト。今度は

 瀬田唐橋から145㎞。

 瀬田唐橋まで48㎞。残り50㎞を割り込んだ。長々と続くさざなみ街道に折れそうになる心の支え。
 広い広い彦根を歩く事、4時間以上。新幹線なら東京から広島まで余裕で行けるほどの時間を掛けてやってきたのが愛知川に架かる橋。そして

 その手前に「東近江市」の標識が出ている。八日市=東近江と思っているが、旧能登川町のエリアも平成の大合併東近江市になっている。そんな訳で思いがけない地名に琵琶湖岸で出会うことになる。

 愛知川は滋賀県民が、「愛知川を境に雪が降る」と言うぐらいに存在感のある川。太い川が大量の砂を運び、琵琶湖に三角州を作っている。今渡っているさざなみ街道の橋が一番湖岸寄りなので、三角州の向こうを律儀に歩く必要は無いのだけど、結構大きな三角州。無視する事は若干心が痛む。
 東近江を歩く事、数十分。

 15時前に近江八幡市に入る。彦根からの25㎞を歩き切った、訳でなく近江八幡市の隅にたどり着いた、というレベル。ここから先がまだ長い、遠い。
 15時過ぎ。コンビニで少々休憩。この先、

 さざなみ街道が左に大きく曲がり、内陸へと入るのに対し、右に折れる道がある。右に曲がると湖岸に忠実に進み、長命寺に至る。ビワイチの公式ルートはさざなみ街道経由みたいだけど、ここは右を選ぶ。ビワイチルートに逆らう、従うが適当な気がするが、歩いてビワイチには定義もルールもない。自分が納得する歩き心地よい道を行けば良い。

 近江バスのバス停が現れる。堀切港は琵琶湖唯一、というか国内唯一、湖沼に浮かぶ有人島沖島への渡船が出る港。しかしながら残念な事に、ここに来るバスは平日のみの設定。休日は運休となる。ちょっと前までは1日4往復土日も走っていたと思ったけど。

 堀切港が見えている。伊崎山の影に隠れた入り江のような港。今まで琵琶湖を廻る間にいくつもの漁港を見てきたが、堀切港は実に立派な港であった。ただ、あいにく沖島への通船は姿が見えない。

 この辺り、紅葉がまだ赤い葉を湛えている。時折日差しが差し込むと逆光の中で案外と映える。日差しが無いと少々くすんだ感じ。
 長命寺交差点まで8㎞という案内が0.5㎞ずつ減るのを見て西に向かう。少々アップダウンのある道で平坦路での平均時速5㎞は難しいかも知れないが、17時には長命寺に何とか着けそうな感じにはなっている。

 琵琶湖の湖面が見えると目の前には沖島。案外と大きな島が浮かんでいる。これなら住もうか、となる島。その本土側は結構な山。

 急に山道になる事も多く、そうなると視界を塞がれる。時折クルマが通り過ぎて、稀に自転車。走って来た人がいたのには驚いた。幸い、猿は現れない。
 休暇村なんて施設が現れる。目の前はちょっとした砂浜。夏は湖水浴で賑わうに違いない。この時間も駐車場にはそれなりに車が来ている。
 確実に時間が経ち、その代わり、確実に長命寺までの距離が減る。段々と沖島が離れてゆき、西の方の視界が晴れる。

 濃霧に始まった一日。夕方にはさすがに視界は戻ったが眠たげな景色の一日も暮れてゆく。薄暗くなる頃、辺りが開けて長命寺に到着となる。

 時刻は16:50すぎ。今朝、彦根を出たのが8:50頃だから8時間が経っている。
 バスの出発まで15分程。もう1バス停ぐらい歩けそうだが、バスの姿をみたらすこんと落ちた。今日はここまで。週末、また長命寺から再開に決める。

 バスの折り返し場のすぐそばに港がある。旅客船用と思しき桟橋もある。長命寺に発着する観光船は無いけど。

 折り返し近江八幡駅まで行くバスに乗る。長命寺からは数人。その後も案外とお客さんが集まる。立客が出る程の乗り具合。ラコリーナから八幡堀を経由するという、近江八幡観光の定番コースを結ぶ路線だけに、観光シーズンの恩恵に多少なりとも預かっているようだった。
 駅に着く頃には日が沈み、暗くなっている。先発は普通列車だったから安心してビールの仕入れ。

 案の定、普通列車は余裕をもって座れる程度の乗り具合。ビアホール東海道線を開催するに至る。帰宅は18時過ぎ。
 妻の帰宅まで少々間があり、その間に夕食の支度を簡単に済ませてしまう。2人そろった後で夕食。食後、先日の北海道で買って来た最中を食べる。ひとつ鍋という六花亭の商品なのだが

 時刻表復刻版、昭和43年10月号を見ると帯広駅構内販売品として駅弁と一緒に掲載がある。

 この頃の時刻表って銘菓も載せていたのね、と言う発見と隠れたロングセラー品ってあるのだなぁと改めて思った次第。マルセイバターサンドは有名でもひとつ鍋、殆ど知名度ないだろうし。

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