フラッシュバック、キハ22

キハ40 首都圏色

 朝、寝静まった青森の街を駅へと向かう。2週間前と同じ時間に駅頭に立つ。今日は弘前行きの普通電車。701系の長編成が待ち構えている。良く見ると後ろの3両はきりはなされているけどそれでも5両編成。長いな。ガラアキのままスタート。
 空いた電車が駅に停まる。音がピタッと無くなる。付随車故の静音性だけど、何か昔乗った50系客車を思い出す。701系も12年経って、慣れたと言うか諦めがついたと言うか以前ほどの悪い印象は無い。そんな自分が信じられない気がする。
 大釈迦の峠を越えると高校生が増えてくる。弘前にゆくのだろうけど、峠を越えてもまだ青森市なんだよね、本当に不思議。平成の大合併で聞き慣れぬ地名や考えても居ない場所で思わぬ地名に出会ったりする事が増えたけど、ここもその一つ。でもこれはほんの序章。
 川部で乗り換える。今度は五能線。10分ほどの待ち合わせ。20〜30人ぐらいは乗継客が居た。やって来たのは気動車の3連。また塗装が変わっている。これって3代目ぐらいかなぁ。車内に入ってまた驚いた、冷房が効いている。今じゃ当たり前だけど秋田支社でも冷房改造が進んでいるんだ。
 鯵ヶ沢ゆきの気動車が走り出す。本線と分かれると見事なまでのりんご畑の連なり。窓から手を伸ばせばりんごが取れそう、ってのは多少の誇張は入っているけど、観光パンフレットの記述なら許されるかなぐらいにりんご畑が続く。ん?、りんごって「畑」って言うのかな?良く分からない。
 りんご畑が車窓左右の一面に広がっているのは板柳までだった。その先は不思議なことに左側は相変わらずりんご。右側は水田になる。だんだんと水田が増えてゆく。水田の稲、心なしか生育が遅れているようで、やっぱり不作が心配になる。
 五所川原に到着。後ろ2両は弘前に引き返す。弘前行きには多くのお客さんが乗ってくる。
 このまま鯵ヶ沢まで行っても、その先の接続は3時間近くない。なので今日はこれから津軽鉄道津軽中里を往復する。津軽鉄道の発車は8:15。ちょっと時間があるのでまずは朝食。駅前で食堂がやっていたのでそちらへ。時代が停まったような店構え。冷房なんてものも無し。あんまり暑くないから気にならないけど、これまた少し時代掛かったお品書きが並ぶ中、カレーラーメンなるものを食べてみる。
 時計の針が止まったような食堂でメシを食い、時計の針が止まったようなバスターミナルを横目に津軽鉄道の駅舎に入る。中里までの切符を買おうとしたらフリー切符を勧められた。
 津鉄ホリデーパス
 http://tutetu.hp.infoseek.co.jp/holidyi.htm
 津軽中里片道運賃よりも安い。ありがたく使わせてもらう。
 津軽鉄道五所川原車両基地になっている。9年前に訪れた際に活躍していたキハ22やキハ21タイプの自社発注車は殆ど引退してしまったようで、車庫に憩うのは新型車が殆ど。申し訳程度にキハ22が2両、留置されている。それに機関車やストーブ列車用の旧型客車が並ぶ。雑多な雰囲気。でも87年に来た時にはキハ10タイプの車両が居たんだよなぁ。
 中里から列車がやって来る。20人弱が降りてゆく。新しい気動車。型式は津軽21と言うのだそうな、「まだまだ行くわよん」と宣言するかの如き名前だ。
 列車は数人の乗客を乗せて走り出す。車両は新しくなったけど、駅自体は昔そのまま。いや、一つ変わったのが駅名票。町村合併の波は津軽半島にも押し寄せているようで、所在地のところが白く乗る潰された上に改めて書かれている。手書きだと思うけど立派な文字だ。列車は金木に着く。五所川原市金木町だって。対向列車待ち。やって来た列車とタブレットを交換。
 再び列車は青々とした田んぼの中、北へと歩みだす。少しウトウトしてしまい目を覚ますと終点、津軽中里。おや、駅舎が綺麗になっている。以前来た時は小さな木造駅舎だったけど今日の中里はスーパー併設の小ぎれいな駅舎になっている。いや、スーパーに駅舎が併設されているのかな。中里町も小泊村と一緒になって中泊町なのだそうな。
 折り返しまで時間があるのでちょっと歩く。ここにもキハ22が居る。こちらは倉庫代用なのか、車体はブルーシートを被せれれたまま放置。顔だけを覗かせている。以前乗ったことがある車両かもしれない。心の中で手を合わせた。
 帰りの列車は少し乗客多め。少し強くなった日差しを感じながら五所川原へと戻ってゆく。金木でも乗客を集めて席は一通り埋まる。日曜日の午前10時に到着となる上り列車らしくなった。
 五所川原で20分弱の待ち合わせ。さっき到着した津軽鉄道気動車は2両編成に組み替えしている。1両には団体の表示。そんな作業を遠目に眺めていると深浦行きの気動車がやって来た。タラコ色の2両編成。いまや懐かしの首都圏色だ。
 国鉄がJRになった頃、首都圏色は沈滞の象徴だった。盛岡の白地に赤帯や、新潟のトリコロールカラーが眩しく見えたものだった。首都圏色がみんな無くなって、郷愁の対象になった事自体驚きだし、そんな列車がやって来て「わぁい」と喜んでいる自分も不思議だ。
 列車は混んでいる。いや座れないわけじゃないのだけどボックスに1グループなら混んでいるって言ってもいいよね。弘前からのお客さんが降りたけど五所川原からのお客さんも多い。帰省って感じのお客さん、ちょっと遠出って風の地元客。明らかに趣味の人。まぁ夏だし。
 気動車が走り出す。冷房が効いているから当然窓は開かない。タラコ色なのに冷房車、激しい違和感があるけど、まぁいいか。涼しいから。まとまってお客さんが降りる駅があったり、全く誰も動かない駅があったり。少しずつ客が減ってくる。海が見えてくると鯵ヶ沢だ。ここで席替え。海側のボックス確保。
 改めて気動車を眺める。乗務員室真後ろの客用扉、ガラスを覆う金網が物々しい。タブレット避けだけど、久しぶりに見た。この小道具が付くと車両が物々しい雰囲気になる。何気に好きだったのだけど、好きだったことすら忘れてしまうぐらい長いこと見る機会が無かった。時間があるので買い物。折角なのでビールを確保する。
 対向列車がやってくる3両だったか繋いでいる。塗装は見慣れぬ色。現秋田色なのかな。秋田支社の気動車、色が変わるのは遅かったけど、一度変わった後はコロコロ変わる。正直下手なのだろう。盛岡が民営化前後に決めた色を踏襲しているのとは対照的だ。
 この先、五能線一番のビュースポットへと歩みだす。空はイマイチ雲が取れ切れないけど光は輝いている。夏というには中途半端だけど、まだ梅雨は開けきっていないし、雨にならないだけ良しなのだろう。光が輝く分だけ海も光る。エメラルドグリーンの海。昨日、時速800km/hで高度10,000mの上空から眺めた海を今日は時速60km/hの気動車から眺めている。ちょっと不思議な気分になる。ところどころ、海岸線にはパラソルの花。短い夏を謳歌している。
 途中、リゾートしらかみとすれ違い。満員御礼の様子。秋田新幹線開業と一緒にスタートしたこの列車も定着したようでまずはご同慶の至り。1日6往復しか列車の無いこの区間に観光列車が2往復、満員で入ってくるというのは、五能線のためにも良いことだし、そんな浮輪があるからこそ、今のようなビール片手に寂れた日本海を眺める旅が出来るんだよね。リゾートしらかみに感謝、感謝。
 千畳敷を過ぎる。さすがに賑わっているけどこの列車から降りる人は居ないな。みんなクルマの人かな。さっきのリゾートしらかみで来た人もいるかも知れない。なんか気動車から眺めているのも気持ちよいけど、一駅降りて海でも眺めてゆかないと勿体無い感じもする。残念ながら1本落とすと予定している飛行機には乗れないので出来ないのだけど。
 深浦で乗り換え。乗り換える人、結構多い。今度も2両編成。隣のホームに止まる列車に乗り込んで、今まで乗ってきたタラコ色のサボ交換なんかを眺めていると2分経って発車。深浦の街なんかも一度ゆっくり歩いてみたい、北前船の資料館でも見てみたいななんて思ってはいるけど中々叶わない。気動車は深浦の街を少し見せてくれた後に再び日本海岸へ歩みだす。
 何時の間にか知らない駅が出来ている。ウェスパ椿山って何だ?
 http://www.wespa.jp/
 そんな観光施設が出来ててそこそこ賑わっている。ココから乗るお客さんも居て車掌を捕まえ「秋田まで」とか切符を買っている。十二湖の駅も綺麗になっている。昔はコンクリートブロックを積み重ねた、まるで公衆便所のような駅舎だったのに。ふと20数年前に乗った五能線を思い出す。十二湖まで家族旅行で五能線に乗った。キハ22の暗い車内。小さな窓から見える明るく青い海。今でもその対比が鮮烈に蘇る。
 大間越から県境を越える。五能線で一番寂しく、豪快な眺めが広がる。道路が遥か下になる。よくぞココまで高いところに線路を敷設したものだ。気動車はゆっくりと海岸線を眺めさせてくれる。
 岩館でふたたびリゾートしらかみとすれ違い。こちらも概ね満席。ヲタが運転士と話している。運転士の声は聞こえる。「来年には三本目を青森側から……」リゾートしらかみ、3本目投入するのか、な?
 秋田側にも新駅がある。あきた白神だって。こちらにも観光施設。
 http://www.akita-train.jp/station/akitashirakami.html
 乗客が増えだす。能代への流れだ。少しずつ人が増えてくる。座席が一通り埋まり、能代東能代で散ってゆく。
 東能代からはいつもの701系。珍しく長いなと思う。5両編成だ。でも後ろ3両は回送だって。よく見ると後ろ三両のうち3両目のクハ、運転台のガラスにひびが入ってる。
 奥羽線を走る。貨物列車がやってきたり、なぜか583系とすれ違ったり。50系客車列車が消えても奥羽線奥羽線なんだなぁ。変な感想。でも旧秋田機関区に広がる廃墟は悲しい。
 2003年正月に来て以来の秋田である。殆ど時間ないから通り過ぎるだけだけど。駅は97年の秋田新幹線開業ですっかり装いが変わっている。それから何度かは利用しているけど、やっぱり別の駅みたいで馴染めない。
 駅前の様子もすっかり変わってしまった。なかよしの跡地にホテルが建っている。アゴラ広場へ向けてデッキが延びている。何時の間にかスターバックスが出来ている。折角なのでコーヒーを飲んでみる。駅前に発着するバス、秋田中央交通がほとんど。秋田市営バスの中央交通への移管が相当進んでいる。聞くところによると06年3月で移管完了だそうな。
 空港へ向かうバスの中から広小路を眺める。こちらは空き地だらけになってしまった。マルサンもセントラルも協働社も無い。産業会館も無い。キャッスルホテルの一階にローソンが入っている。反対側を眺めると千秋公園のお堀は工事中。何か悲しい。
 空港はえらい遠かった。こんな時間が掛かったっけ?。一度近所の餓鬼どもが連れ立って自転車で空港まで行ったことがあるけど、よくやったよなぁ。当時の自分に感心してしまう。
 空港に到着する。バスの中の自動放送「全日空日本エアシステム日本航空をご利用頂きまして有難うございます」と流れる。他所の人には????な順番だけど一時期を秋田で過ごした人間には納得が行く並びだ。80年代は東京便は全日空。大阪と札幌が東亜国内航空で、日本航空が参入したのはずっと後の事だったから。
 手続きを終えて展望デッキに出る。ちょうどJAノL塗装のエアバスがやって来るところ。JA016D。JASが最後に導入したA300-600Rだ。Dのレジを持つ最後の機材でもある。これに当たったのは初めて。