2024-01-07

 三連休の中日。早朝に心がけて早く起きだした。最小限の時間で身支度。今日は一人で少し出かける。今季の青春18きっぷ、1日分残っている。今季は年末に2回使い、会社の人に2回分使って貰ったのが年明けに手元に戻っている。つまりあと1日分残っている状態。今日は早めに出掛けて夕方自宅に戻るぐらいの感じで出掛けて来たい。どこに行くかは迷ったが、前回、12月23日の小松ゆきが

 雪の影響でメタメタになったので再履修をしてこようかと思う。1月1日に能登地震があったばかりの石川に足を伸ばすのはちょっと気がひけるが、被害が出ているのは能登半島の方。加賀の範囲であれば日常生活に支障は出ていないようだし、大丈夫と考える。
 会社に行くよりも早い時間に家を出る。膳所の駅まで歩くと無人の改札。前回、12月23日の同じ時間、遠隔の改札を通るのになかなか対応の順番が廻って来ず、えらい苦労した記憶がまだ鮮やかだったので気持ち早い目に出てきたのだが、今日はスムーズだった。18きっぷのピークは過ぎたと見える。
 上りホームへ。間もなく外側の列車線が接近、やって来たのは

 草津始発となるはるか3号の送り込み回送。その直後に

 始発の普通電車がやって来る。223系V7編成。この電車は米原から大垣、名古屋方面の接続が良くないので空いている。大阪からもつながらないし。
 明けない夜の中、湖東へと走る。何となく薄ら明るくなって米原到着。前回の12月23日には雪が散っていたが、今日は単に冷えているだけ。18きっぷに日付印を入れて貰うと北陸線へと乗り換える。

 この先は敦賀ゆき。交直流電車の521系に乗り換える。電車は割と空いている。2人掛けの席に座る事ができた。暖房が良く効いており、眠くなりそうな早朝の電車が間もなく出発する。
 2週間前の湖北は大雪だったが、年明けには雪が解け、枯れた田圃が車窓を流れる。余呉湖も冬枯れの景色。

 前回、雪にまみれた塩津もいつの間にか雪が無くなっている。近江塩津で乗車少々。湖西線からの接続電車があり、乗換客が結構いるのだった。試しに湖西線経由の乗継を見てみると、膳所をほぼ同じ時間に出て山科経由で同じ電車だったようだ。ちなみに大阪5:00の電車からのつながりはあるので、大阪からの人は湖西線一択となる。
 深坂トンネルを越えて北陸へ。こちらにも雪は無いまま敦賀到着となる。とは言え快晴という訳でもなく、冬の日本海側らしい鉛色の空が広がっている。
 敦賀定刻。すぐに出発する福井行きへ乗換になる。 

 湖西経由、湖東経由のお客さんに加え、敦賀から福井方面に行くお客さんもいるから結構な乗り具合になる。先程は2人掛けに1人だったが、今度はボックス席に相席となる。
 新幹線の高架を見て、北陸線の電車は動き出す。長い長い北陸トンネルを越えて今庄へ。この辺にも雪は無いが、山の上の方はうっすら雪化粧している。
 敦賀から少しずつ増えていたお客さんは武生でたくさん降りてゆく。その代わりに乗る人もいて、意外と複雑な人の動きを見つつ電車は東に向かう。
 新幹線が整備されてきて在来線を数多くの特急電車が行き交う、いわゆる特急街道と呼ばれる路線は減って来た。今進む北陸本線は大阪、名古屋と2系統の特急列車が行き交う、数少ない特急街道と呼びたくなる路線。そんな訳で朝から普通列車は特急待避が発生する。まずは鯖江で停車。大阪を朝出て来たサンダーバードを待つ。

 JRマーク入りの鯖江という駅名票が目に入る。この表記も今年の3月まで。この辺りの在来線。新幹線の開業と共に経営分離されることが決まっている。

 湿っぽい朝を突いて大阪6:30発のサンダーバード1号が突っ走ってゆく。大阪から普通列車を乗り継いできた人は1時間半の差をわずか177㎞で詰められた事になる。
 やって来た特急には道を譲るが、その後ものんびり停車、という列車は令和のご時世、珍しくなった。福井行きの普通電車も特急が過ぎ去るとすぐに出発となる。窓外に曇り空の田園を見て福井平野を行く。北陸新幹線の高架が寄ってきて、福井市街地へと入ると定刻に福井到着。今度も乗り換え時間が僅少。すぐに金沢ゆきが出発する。先程は平行移動で乗り換えだったが、今度は階段を使っての乗換。

 次の金沢ゆきは4両編成。後の方が空いていて余裕で座れる。間もなく出発。ここまで乗換時間が短く朝食は取れていない。

 福井駅には駅弁の自販機、なんてものがあるのだが、全く気付かず。この先も暫く食事は取れそうにない。
 窓外には福井平野が流れる。

 曇り空が明るくなったり暗くなったり、晩秋か初冬のような北陸線を電車が行く。3連休の中日、芦原温泉で降りる人、乗る人は無く、閑散としたまま県境を越える。
 特急街道の北陸線、次の特急が迫っていて、大聖寺で待避となる。

 先程の鯖江と同じく、3月にはJRから切り離される大聖寺の駅名票を見ていると米原側の踏切が鳴り始める。

 大阪を7時に出て来たサンダーバード3号に追い抜かれる。221㎞で2時間の差を詰められたことになる。特急はやはり速い。白い車体が消え去ると間もなくこちらの電車も出発時刻となる。
 列車は石川県内へと入っている。車窓には特に地震の影響を感じるものは無く、日常の景色が流れてゆく。時折雨か霙のような粒が窓を叩く中、列車は東に。小松あたりから乗って来るお客さんも増えて、都市郊外の感じになって来る。
 列車は金沢ゆきだが、今日は試しに西金沢で降りてみた。前回、金沢に来た時は北陸鉄道浅野川線に乗ったが、今回は同じ北陸鉄道石川線の方に乗ってみる。西金沢で乗換2分、野町ゆきというのがあり、乗れるかどうか定かでないが、やってみる。無理かなと思ったけど、実際には割と余裕で間に合う。 

 雨が降る新西金沢で待つ事、少々。踏切が鳴って

 凹凸の無い手作り感に溢れた電車がやって来る。元東急7000系の改造車。前に乗った浅野川線京王3000系から営団03系に代替わりしたけど、こちらには1990年代に地方転出した東急7000系の他、1本だけ京王3000系が来て、そのまま使われている。
 一旦、金沢側のターミナル、野町まで行く。2駅で数分だからすぐに到着。駅員に申し出て1日乗車券を買い求める。この後は折り返して石川線の終点、鶴来まで行く。
 折り返しの電車まで少々間がある。野町駅前をちょっと見てみた。

 金沢の中心市街地からちょっと距離がある中途半端なターミナル。市内へはバスに乗り換えて向かう事になる。10数人が電車からバスに乗り換えるべく、待合室に佇んでいる。

 一方で電車の改札口前。10:13に鶴来まで行く電車が出るが、それを待つ人は一人もいない。10分になって改札が始まる。先程買い求めた1日乗車券を見せて構内に入る。

 改札前が無人だったから、車内も始発の野町では無人。2両の電車が気の毒な感じになる。
 電車は来た道を戻り、北陸本線接続の新西金沢。ここから多少乗車があって電車の体裁が整う。2両で走るにはまだまだがら空きという感じだけど。電車はゆっくりゆっくりと急カーブを曲がって北陸本線と分かれる。
 金沢市郊外の住宅地をゆっくりと走り、細かく停まって時折乗り降りという感じで電車は進む。途中、すれ違った野町ゆきは石川線に1本だけ来た元京王3000系。どうせなら向こうの方が良かったかも知れない。金沢方面へ向かう電車は、混雑までは行かないが、そこそこ席が埋まっている様子。
 金沢の平野を30分程走ると山が迫って来る。まもなく終着の鶴来。以前はこの先、山間まで線路が続いていたが、2度の短縮を経て、平野の果て、鶴来が終点になっている。

 意外と広い構内は、昔、あちこちに線路が延びていた名残り。数人が降りて改札口に向かう。折り返しは11時過ぎの発車。少々間がある。

 駅前から見える丘には重たい雲が掛かっている。間もなく霙が降り出した。ちょっと辺りを見てみたかったが

 霙が強くなり諦める。カーブの向こうは廃線になった白山下へのレールが続いていた筈だが、その様子までは見に行けなかった。

 駅のホーム側を見ると先程乗って来た電車の他、東急7000系オリジナルの先頭車が2編成、並んでいる。

 改めて駅舎を見る。田舎町の田舎駅だが、思ったよりも立派な駅舎が建っている。今でこそ山間手前でこと切れる鉄道の終着だが、1980年以前は各地を結ぶ結節点。そのターミナルとしての威厳を今に伝えるような駅を見る。
 時刻は11時前。いい加減、朝ごはんを頂きたいところだが、軽く食事がとれるなんて都合のいい店は無かった。いい加減空腹なので駅にあった自販機で缶スープを買い、その場を凌ぐ。文字通り、凌ぐ。
 駅構内に戻る。間もなく改札開始。金沢方面に向かう人が10人ぐらいはいて、列車の体裁は整う。もちろん、混雑とは程遠い。
 霙がやみ日差し差す鶴来の街を後に、古びた電車はゆっくりと走る。時折無人、時折お客さんが待つ駅に止まり、少しずつお客さんを増やしてゆくのは曲りなりに都市郊外電車っぽい雰囲気。途中、先程も見かけた元京王3000系とすれ違い、速度を落とすと腫物に障るかのような新西金沢駅手前のカーブに差し掛かる。
 新西金沢で降りると5分の接続で福井ゆきの普通列車がある。とは言え、金沢駅まで行かずに金沢を去るにも少々心残りがある。この時間、霙が降っていないのを幸い、野町から金沢駅まで歩こうと決める。

 1時間半ほどで戻って来た野町ターミナル。バスを待つ人がちらほら見える中、金沢駅へと向かうらしい路地を歩き出す。

 地図で調べた最短コースの道。軽自動車1台ぐらいが通れそうな道のわきに律儀に水路が残されている。今時だったら水路を暗渠にして道を広げるのが常だろうに。ほぼほぼ初見の金沢市街地。こんな事で好感度が上がる。
 犀川を渡ると中心市街地に近い所。金沢に無縁な自分でも片町や香林坊という地名は知っている。そのほんのわずかに外れた路地を進む。どうやらちょっと逸れると観光地の武家屋敷があるらしい。

 ちょっと整えられていて、予備知識が無くても観光地と知れる。3連休の中日、観光客で大賑わいになる筈の金沢市街地だが、今日は閑古鳥が啼いている。能登での地震でキャンセルがたくさん出ているに違いない。加賀の金沢には地震の影響はほぼ無く、自粛されていしまうのはお気の毒としか言いようがない。とは言え、余震が無いとは言い切れず、これで大きな余震が来て北陸本線が運転見合わせになる、なんてことがあれば後ろ指をさされるに違いないのだが、今の所はコロナ禍再来、と思ってしまうようなエアポケットが広がっている。
 歩く間に霙が降り出す。傘を差す程でもないので濡れていたら、そのうちに結構な降りになった。金沢駅前に建つ高層ホテルが見えてきているので、程なく金沢駅前だろうと歩き続ける。

 結局、野町駅から30分ちょっとで金沢駅到着。時刻は12時になっている。
 金沢駅。そこそこの人がいたが、3年前の冬、GoTo効果が爆発して、物凄い勢いで新幹線から観光客が降りて来たような景色は無い。ひとまず改札に向かう。

 福井、大阪、米原方面という案内も、大阪行きの特急列車もあと2か月で消える在来線の金沢駅。そんな様子をちらっと見る。次の普通列車までは30分弱、待ち時間。

 能登へと向かう七尾線の案内は「高松」という行先が並ぶ。地震の影響で今の所、金沢から26㎞弱、能登半島の付け根、高松までしか列車は走っていない。被害が出た七尾はもちろん、その手前の羽咋も運転見合わせの区間に入っている。
 さて、福井行きの普通列車まで25分。ふと思い至って朝食兼昼食を食べてしまう事にする。駅構内にある回転寿司店に行ってみた。

 以前、余りの行列で金沢での食事を諦め、福井まで逃げ出した事が有る。そんな店も今日は空いている。
 時間に限りがあるので注文は速攻。有難いことにすぐに供される。寿司はファストフード、そんな成り立ちを思い出す。

 のどぐろとブリとサッポロ生ビール黒ラベル。時間が無いので写真もいい加減。

 富山湾三種盛りを頂く。

 カニ味噌を頂く。ここまで6分。順調。

 あん肝を食べたくなり頼んだが、これはイマイチだった。
 時間切れになる。早々に会計を済ませると改札へ。ホームに上がる。発車時刻の3分前ぐらいだろうか。

 ホームには七尾線の高松ゆきと北陸線の福井行き。2本の521系が停まっている。

 福井行きは2両編成のワンマン列車。朝来る時は4両で車掌も乗務していたが、昼間の閑散時間は、金沢郊外の電車も短く軽くなるようだ。
 そこへ通過列車注意の案内があって

 赤い電気機関車を先頭に貨物列車が通過する。4076列車。夕方16時に膳所に現れる列車である。金沢-膳所は貨物列車で所要3時間半程。今日はEF510-9号機牽引。
 間もなく普通列車も出発時刻となる。先程の北陸鉄道石川線と同じ2両編成だが、比べ物にならない程にお客さんを乗せた電車が軽々と金沢駅を離れる。
 何度か通った西金沢界隈を抜けて金沢の西郊へ。途中、野々市という駅がある。同じ名前の駅は北陸鉄道石川線にもあった。場所は全く違いややこしい。古いのは北陸鉄道の方らしい。
 徐々にお客さんが減って小松までには半分ぐらいの乗車になる。すると粟津で特急待避の案内。

 駅名標なんて普段は撮らないけど、変わるとなるとついカメラが向く。

 やって来たのは特急しらさぎ。白地に青帯、プラス更に細い橙帯がアクセント。まぁ名古屋まで行かないしらさぎだけど。間もなく出発。更に後から来る特急から逃げるように普通列車は特急街道をひたひた走る。寒々とした県境を越える。18きっぷのお客さんと思しき大きな荷物の人が少々目立つ。
 福井県側、芦原温泉の駅に着く。温泉最寄りだが午後に入ったこの時間、乗って来るのは地元の学生さんが中心。少しずつお客さんが増えて福井市街地に。定刻、福井到着。乗換は階段を使って隣のホームへ。
 来る時には気が付かなった駅弁自販機に気が付いたけど、1時間半ほど前に金沢駅で昼食を頂いたばかり。さすがに遠慮しておく。
 次の列車は敦賀行き。

 敦賀ゆきの普通電車が2両編成で待っている。車内はそこそこ席が埋まっている。出発まで少々間があり、

 特急が先行する。隣のホームにやって来たサンダーバードは12両。良く乗っている。
 特急が出発するとこちらの普通列車も出発時刻となる。混んでいるが所詮2両編成。絶対数としては特急>>普通。この特急が新幹線に移ったら、残された鉄路の維持は大変だろうと同情する。
 列車は福井市街地を離れ、また鉛色の空の下に広がる田園地帯を進む。少しずつ降りたり降りたりはあるが、そんなに空席が増えないままに武生到着。また乗って来る人がいて、それなりにお客さんは残る。
 嶺北から嶺南へと立ちはだかる「嶺」を越える。嶺を越えても空の雰囲気は変わらずに速度だけが緩む。カーブの途中、線路が膨らみ敦賀ジャンクション到着。昔ながらの鉄道の街だが、その街の外れに長城が如き高架橋が完成している。今年3月に晴れて開業を迎える北陸新幹線である。 
 敦賀から大津まで残り1本。乗り換え時間は20分。折角なので改札の外に出る。

 いつの間にか駅舎が新幹線仕様にブラシアップされた感じがある敦賀駅。昔から続く「敦賀駅」の青いサインの横に

 3月16日開業の文字が見える。中途半端な部分開業の感が拭えないけど、敦賀にとって福音になるのか。この先のルートはどうなるのか。大阪まで全線開業するのはいったい、何時やら。
 とにかく、駅前のコンビニでビールとつまみを買って、新快速に乗る。駅構内に戻ると数年前に出来た跨線橋でホームに向かう。

 新幹線の高架が尽きる向こうに軽く雪化粧した山が見える。今日はあの雪山の先まで行く。

 新幹線の連絡通路。1月の段階では塞がれている。次に来る時はこの先へ向かう事になるのだろうか。
 ホームへ降りる。まもなく新快速がやって来る。

 223系V21編成。折り返し湖西線経由の姫路行きとなる。4両の電車。普段は空いている敦賀始発の新快速も冬休みの連休には少々混んでいる。辛うじてボックス席に座れた。
 出発を待ってビアホール新快速を執り行う。

 大津京までの1時間半でビールを何本用意するかはいつも悩む。少なすぎると寂しいし、酔い潰れるのも好ましくない。今回は最後に1本追加して3本用意している。敦賀を発車し、元機関区のエリアが流れる頃に1本手を付ける。山間へと入ってループ線に差し掛かり、一度遠ざかった筈の敦賀の街が近付いてくるのをビールを飲みながら眺める。割とゆっくり1本目を行けた。2本目に手を付ける所で琵琶湖が見えて来る。この時間の湖北は晴れ模様。一人前に太平洋岸の空が広がっている。
 近江今津で新快速は少々停車。前に8両増結して12両になる。前は空いているので引越し。

 敦賀と違って日が射しこむ今津の駅で増結する間、今日何度目かの特急通過を見送る。間もなく出発。3本目のビールに手を付ける。敦賀から40分。ちょうど良いペースである。

 改めて乗り込んだ増結編成。がら空きでがら空きで今津から改めてビアホール新快速を仕切り直したくなる。あと1本しかないけど。やはりビールの本数は難しい。
 新快速はこの先、近江舞子まで各駅停車。

 琵琶湖を望みつつ湖西線を行く。ビールも無くなり、湖岸の景色、相変わらず冴えない別荘が並ぶ景色を眺める間に新快速は快速運転に。琵琶湖大橋が見えてくるともうそろそろ自分の生活圏になる。遠くにプリンスホテルの高層ビルがちらっと見えるようになる。
 夕方、17時前に大津京到着。まだ外は明るい。歩き足りないので自宅までは歩くことにする。京阪電車沿いに歩いて膳所まで。

 京阪電車を見て、線路沿いをてくてく。

 浜大津まで来るとさすがに薄暗くなる。途中買い物により1時間程で帰宅。最初予定していた通り、夕食時には家に戻れる。

サイトアップ アクセスカウンタ

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は19,435