2022-12-23

 普段よりも心がけて早めに起きだした。まだ時刻は4時過ぎ。
 出掛ける準備と食事の準備。今日こそ妻は出勤するというので朝食用におにぎりも準備しておく。普段はコーヒーも用意するのだが、コーヒーの香りがあまりしない、と言うので準備はやめておく。
 少々早めに出掛ける。スーツケースを持っているが、中身は空っぽ。今日は時間の都合で京阪電車に乗る。
 最寄り駅にて

 年末年始の営業や終夜運転の情報が掲示されるようになった。もう今年も指で数えられる程度の日にちしか残っていない。特に師走は本当に早かった。

 電車がやってくる。がら空きの小さな電車に揺られて石山まで。今日は18きっぷを少々使う。1日目の日付印を入れて貰うと東海道線、始発電車に乗る。普段乗る電車よりは空いている。
 能登川を過ぎてようやく窓外が赤くなり始める。小雪がちらっと積もって白くなっている米原に7時前到着。乗り換え先は

 北陸線普通列車。先程の東海道線よりも暖房が強く効いた席に座る。眠くなりそうだ。
 窓外の雪は一瞬であった。長浜あたりも今日は雪がない。昨年の今頃は彦根が大雪で平和堂の配送が停まり、近所のスーパーでも品物不足になった事をふと思い出す。
 雪のないまま北陸線を進む。通勤通学の人は木ノ本あたりで落ち着く。5月に訪れた近江塩津も雪は見えない。少々お客さんが降りて行ったが、下車客なのか、湖西線への乗換なのか。
 深坂トンネルを越えると福井県側。雪の予報だったがこの時間、雪は降っておらず積もってもいない。そのまま乾いた敦賀の駅へ。7:30過ぎの到着。膳所から2時間近くが経っている。

 この先、福井ゆきの列車が出発を待っている。こちらも雪を纏った様子はない。この時間の敦賀を見ている限りは雪の影響はなさそうに見える。
 今日は敦賀下車。福井行きには背を向けて改札へ向かう。

 北陸新幹線の工事はだいぶ進んだようで、駅舎はそれっぽい姿を現し、架線柱も建っている。来春にも開業しそうな雰囲気だが

 開業日まで464日とある。まだ1年ちょっと先。
 7時半過ぎの敦賀。晴れていて雪も無いのだが


 天下の北陸本線なのに列車が少ない。もちろん、日常の姿ではなく

 北陸地方大雪の予報による処置。数ある特急列車が午前中は運休になっている。そんな訳でこの先の予定に影響を被ったのだが、それはおいおい。
 敦賀訪問の目的は戸籍謄本の取得。先週金曜日に郵送で依頼したのだが、昨日になって市役所から電話があり、もう行った方が早いと言う事で窓口が開く時間に行く旨を伝えている。ひとまず寒くて仕方ないので

 7時から営業している駅そばを食べておく。体の中から温まるのだが、汁の味が妙にしょっぱく感じる。4年前に食べた時にはそこまで味が濃いとは思わなかった筈。最近、妻が塩分に気を使い、すっかり塩気控えめになっているので、そちらに慣れたのかも知れない。
 駅から市役所までは2km程の道。戻りはタクシーかバスにするが、時間がある行きは歩く。晴れてはいるが、寒い。所々、水たまりは凍っていた。
 幼い頃に親に連れられて来た事がある敦賀の街並み。平和堂があったのは覚えている。同じ所に今はアルプラザと名前を変えた平和堂が盛業中。それ以外は、記憶と重ならない。

 川があったのは覚えているが、もう少し河原があって広々した川だった気がする。河原で遊んだと思うのだが、同じ川とは思えなかった。水の量が減れば記憶と一致するのだろうか。
 
 立派な市役所があってこちらに。窓口が開くのと同時に電話を頂いた担当の方と面会。年金や保険の手続きで必要となる最新の戸籍謄本の他、相続の関係で必要となる父の出生時まで遡る事が出来る戸籍謄本が必要なのだが、こちらが面倒であった。全部で4通になるのだそうだ。1通で分かると思っていたのだが、

最新  平成15年に電子化されたもの 父が筆頭者
一つ前 電子化される前のもの 父が筆頭者
その前 祖父が筆頭者のもの
更に前 曾祖父が筆頭者のものに父が孫として記載されている

戦前の戸籍まで遡ってしまった。大日本帝国憲法の頃は家長制度だったから、祖父が結婚した後も曾祖父が戸主の戸籍に入っている。
一番古い戸籍には更に先代の戸主、つまり自分からみると高祖父にあたる人の名前も記されている。その代は今の敦賀に転入する前になるそうで、敦賀市で遡れるのはここまで、との事だった。
時刻は8:50になっている。本当なら9:12に敦賀を出る特急しらさぎ4号に乗る事を考えていた。この時間なら、タクシーを事前に呼んでおけば敦賀駅まで楽勝で戻って間に合った筈。でも午前中の北陸線特急は運休となっている。その次は9:23の新快速になる。30分あるから歩いてしまう。
 駅に戻る。いつの間にか駅弁売場が開店している。お昼ご飯用に敦賀の駅弁を買うのも悪くはない。ついでに小鯛の笹漬けも。さてホームへ。

 北陸線を下る久しぶりの列車が停まっている。9:23の湖西線経由姫路行き新快速。ちょうど福井からの列車が着いた所で、乗換客が結構いる。特急が運転見合わせなのでこの時間に動こうとすると普通列車と新快速を乗り継ぐよりほかない。荷物の大きなお客さんも目立つ。
 4両の電車がそこそこ埋まって出発。敦賀を出るとループ線をぐるっと廻る。一度離れた市街地が目の前に現れ、そして山の中へと入る。深沢トンネルをくぐると今度は義父に縁がある塩津村。その近江塩津で乗り換えとなる。乗り換え客が40~50人ぐらい、ホームに降り立ったか。
 米原方面へは近江塩津始発の新快速まで30分弱待ち時間がある。

 駅前に出てみたが何がある訳でもなく、結局ホームに戻る。日が当たれば暖かな近江塩津の駅で少々。発車5分前になって

 新快速がやって来た。出発は10:07。
 今日は休暇だが、会社の打合せが一つある。10:15から。最初の心積もりでは、10時の段階では東海道新幹線に乗っている筈だった。新幹線の中でデッキにでも出てWeb会議に参加すれば、と思っていたのだが、1時間ずれてしまい、新快速の乗車中になってしまう。これでは対応は難しく、自分で説明するつもりだった内容は今朝のうちに技術営業の担当者にトスしている。昨日、ちょっと思って説明用資料を作っておいたのだが、やっておいて良かった。一応、手元のスマホで接続をして、会議の議事は聞くだけ聞いておく。時折声が途切れる事もあったが、まぁ何とか何とか米原まで議論を聞きつつ進む。
 乗換の間もヘッドフォンで議論を聞きつつ進む。 

 北陸線は雪の影響でダイヤ乱れ。

 東海道新幹線も雪の影響でダイヤ乱れ。関ヶ原かと思いきや、広島の雪で影響だとか。そのためか新大阪始発のひかりも少し遅れている。

 646Aも数分遅れて来た。G4編成。本来なら米原でのぞみを待避する筈だが、更に遅れているのか、のぞみが来ないまま、定刻発車となる。
 今日は東海道新幹線の中でWeb会議に参加する筈だったので、会社のパソコンを持ち歩いている。個人パソコンは置いてきたので京王線恥辱の編集は無し。電源は専らスマホ充電用となる。車窓を関ヶ原が流れる。雪の印象が強い所だが、今日は特に何もなし。あっけなく東へ進んでゆく。
 

【今日の駅弁】元祖鯛鮨 ¥1,200 株式会社塩荘

 さて、車内で昼ご飯。

 十数年ぶりに鯛鮨を頂く。パッケージが復刻版になっていて手にした時には、昔よく食べていた鯛鮨と結び付かなった。

 ここまでたどり着いて初めて、あっとなる。過去記事を漁ると16年ぶりみたい。

 新幹線は名古屋駅手前で停車。非常停止スイッチが使われたらしい。幸か不幸か10分弱の遅れに留まり名古屋駅到着。後続のダイヤが乱れているようで、名古屋でものぞみ待避が無くなった。本当なら米原岐阜羽島、名古屋と待避が続くはずだったが、今日は岐阜羽島での待避1回のみ。ここから先は646A、隠れのぞみとして飛ばす。次は小田原。良く晴れた東海道を東に飛ばす。
 会社パソコンを持ち歩いているので、休暇だけとちょっとだけ事務処理を少々。その間に新幹線は

 富士川を渡る。青空バックに富士山が見える。こんな天気なら飛行機からも富士山はしっかり見えたに違いない。

 頂上に掛かる雲がちょっとだけ残念。
 名古屋を出る時には10分弱遅れていたはずだが、熱海通過の時点で小田原には2分延と案内。だいぶ巻き返している。新横浜は1分延。そして品川では定時到着と案内。ずいぶんと飛ばし、よくぞ戻した、と言う感じ。
 今日はこの後、溝の口に行く。父が逝去したことに伴う年金の手続きに立ち会う。本当は実家に寄ってから母と一緒に行くつもりだったが、新幹線が1本遅れて、その余裕がなくなった。溝の口で待ち合わせと予定変更の連絡をしている。新幹線から溝の口なら、新横浜から第三京浜を使う路線バスが良いのだろうが、今日は何となく 

 京浜東北線で1駅、大井町まで。1215A、E233系167編成で移動。そして


 大井町線溝の口へ。井の頭線と同じ5両編成の小さな電車、というイメージだったけど急行は7両になっている。中央林間という行先も自分には目新しい。こんな姿になってからはそこそこ年月が経っている筈だけど。溝の口へは急行先着というのでそちらに乗る。大井町では空いていたが、途中、そこそこ乗ってきて二子玉川でだいぶ埋まる。田園都市線のバイパスとしては、あまり役に立っていないように見えた。
 溝の口到着。待ち合わせより少々早い。時間が中途半端でコーヒーで休憩、と言う感じでもなく、かといって外は寒い。結局日向に立って風を凌いで過ごす。
 母と待ち合わせて年金事務所に赴く。14時半からの予約だったが少し早めに受け付けて貰える。担当の人は物腰柔らか。前回、区役所の人もそうだったが、年寄りに対する態度は、どこも押しなべて柔らかい。しかし年金事務所の書類記入は同じような事を何通も書く感じで、担当の人もその度にチェックがあって、効率面からいうとお宜しくない。改善の余地が大ありだけど、年寄りには手書きの方が良いのかしら。
 遺族年金の手続きに1時間弱。無事に手続きが終わる。帰りは溝の口から直行するバスに乗る。ダイヤ上は45分ぐらいで行くらしいけど、これが渋滞、渋滞、又渋滞。結局倍の90分掛かる。実家に着く頃には日暮れの時間帯だった。
 二週間ぶりに実家。本当は今日はこちらに泊って母の飲み相手でもしようと思っていたのだが、つい先週、コロナの濃厚接触者から明けたばかり。さすがにどうかと思い、今回は日帰りにする。軽く食事を頂くに留める。それでも話をし出すと色々とあって、新幹線の予約を途中で後に動かした。
 父の形見、ではないが父が来ていたジャケットを頂いて帰る。行きは空だったスーツケースにジャケットを詰めて帰路に就く。

 小田急で町田まで。伊勢原ゆき準急なんて電車が来て、しかもメトロ車だったのが目を惹く。そんな運用があったんだ。事実上の各駅停車だが、がら空きでスーツケースを持つ身にはありがたい。一方、

 横浜線は打って変わって遅れと混雑。

 1818KはE233系H015編成。15分ぐらい遅れている様子。少し早めに出て来たのが幸いだった。新横浜には19:20過ぎに到着。新幹線は37分の出発。

 この時間、400番台の臨時列車と思しきのぞみが目立つ。折角なので少々買い物をしてから新幹線のホームへ上がる。間もなく

 445Aがやって来た。G3編成。来る時の編成と連番だ。
 列車は6割程度の乗車率。2人掛けの窓側席に座る。間もなく出発。

【今日の駅弁】シウマイ ¥640 株式会社崎陽軒



 先程覗いた新横浜の崎陽軒売店。19時を過ぎると駅弁の類はだいぶ売り切れ。残っているのはシウマイお弁当だけであった。実家で軽く食事を出して貰った事もあり、駅弁は見合わせてシウマイだけにしてビアホールのぞみに添える。早々にシウマイは無くなってしまったので追加のつまみを車内販売から買い、追加のアルコールを車内販売から買い、の繰り返し。京都までだいぶ強か飲んで過ごす。
 21時半近くに京都到着。この時間の京都は底冷え。さっさと去りたいのだが

 何があったが地味に電車が遅れている。1本早い電車に乗れるわけでもなく、遅れている電車を律儀に待って逢坂を越える。膳所に22時近く。もう少し早く帰って来たかったが仕方ない。歩いて帰宅。
 今日から出勤していた妻は既に帰宅している。隔離期間は終わったが今日までは台所は使わないようにしていて、食事は総菜を買って済ませたとの事。寝室を分ける運用も今日までは取っとく。
 ビアホールのぞみで強かに飲んだが、もう少し追加で飲む。ベットまで入った所は覚えているが、その直後から記憶が怪しい。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は20,375