日曜日の朝を旅先、青森のホテルで迎えた。時刻は6時前。外は既に明るくなっている。カーテンを開き、外を見ている。
外は曇り空。昨日歩いた青森の街が沈んでいる。
緩々と身支度を進める。今回はホテルの朝食を付けている。今日は混雑が予想されるそうで、レストランは6時から営業しているそうだ。少し遅れたが6時半過ぎに朝食会場に赴く。
レストランは7割ぐらいの入りだろうか。混雑では無いが、6時半とは思えないほどには埋まっている。
朝食には地のものも含めて色々取り揃う。せんべい汁なんてものもある。口にするのは初めてだが、飲んだ翌日だからだろうか。すっと体に入って来る。
注文するとミニラーメンなんてものも供される。青森は朝ラーメンという習慣があるそうで、一度試してみたかったのだが、一応は実現できた。
食事の後、一人で少々歩いてみる。昨日の夕方、歩いたようなエリアだが、まぁ良い。まずは昨日も行ったみなとまつりの方へ。
山車の製作現場には武者人形のいわゆるねぶた以外にもいろいろな山車が見られる。ねぶた祭をきちんと見た事が無いので、この人達にどんな役目があるのか、実は知らない。
昨日に引き続き埠頭には護衛艦が姿を見せている。曇り空の灰色、海の灰色に灰色の艦船が溶け込んでいる。
青森駅の方には青函連絡船八甲田丸が浮かんでいる。メモリアルシップと言う博物館的な扱いなので、もはや船と言う扱いでは無いかも知れないけど。
八甲田丸に近づいてみる。
青函連絡船戦災の碑、と言うのが目に付いた。真新しい石碑で最近建ったのかと思ったら2005年7月14日、とあったからもう18年経っている。6月23日、8月6日、8月9日と語り継ぐべき日が各地にあるけど、青森にとっては連絡船が全滅した7月14日なんだなと言う事を認識することになる。
その連絡船の近くまで。
船だけでなく可動橋が保存されているのは良いと思う。これがないと客載車両渡船、という八甲田丸の役割が後世に伝わらない。
そして連絡船と共に可動橋が日本機械遺産に認定されている。認定の意義については、対岸、函館の摩周丸側で
詳細が語られている通り、鉄道車両航送技術が遺産と認定されたのだろう。
さてホテルに戻ると8時前。荷物を括ると8時半前にチェックアウト。スーツケースを引っ張って、今日はこれからクルマを借りる。これから少々ドライブ。駅近くのレンタカーで手続きを済ませる。行先は色々と案があったのだが、最終的に下北半島へと行く事になった。
今回、青森に行こうとなったきっかけは13年前の夏の旅行。
この時に食べたホタテ丼が鮮烈だったのである。ホタテの本場、青森という印象が完全に頭にインプットされて、久しぶりに夏の青森に行きたくなった次第。ちなみにこの時に訪れた店は盛業中
13年ぶりに再訪、というのも良いなと思っていたが、色々と話をする間に、陸奥横浜に行ってみたい、となった次第。乗り換え案内で「横浜」と入力すると必ず候補に出て来る「陸奥横浜」である。それも面白そう、となり陸奥横浜の道の駅まで行ってみる事にしたのだが、陸奥横浜だけだと時間があまる。プラス1、と言う事で車を転がす。国道4号。盛岡193kmなんて標識を見つつ青森市内を抜けて郊外へ。陸奥湾が見えてくる。道沿いには「帆立直売」「帆立」「帆立」の文字。それがどこまでも続く。
野辺地の市街地手前で国道4号と別れて国道279号へと歩みを進める。いつの間にか下北半島にも高規格道路が伸びているようで、旧来の279号は車の数も少なく、久しぶりの運転でも心穏やかにハンドルを握る事が出来る。真っすぐアップダウンしつつ伸びる道。まるで北海道の道を行くが如く。
10時過ぎに陸奥横浜に差し掛かる。今日の目的地だが、ちょっと早すぎるので奥へと向かう。国道279号を北上。単調だった道に色々と現れるとむつ市街地。そこを抜けると山道に入る。結構な登り道を登り切り、下りに差し掛かって暫く。木々の緑がすっと失せる。景色が変調した所で車を止めた。
鮮やかすぎる水色の川に掛かる太鼓橋。川の名前は三途の川。どこかで事故にでもあったのか、あの世の入口に立ってしまった。。。。
訳ではなく、やって来たのは恐山。観光案内には三途の川と書かれた川にも正式には別の名前があるらしい。
さて、観光で訪れた恐山。あの世に行った気分で三途の川を渡る。折角だから見学してゆく。恐山菩提寺の参拝料、500円を払い広々、荒涼とした境内に足を進める。
恐山という所。自分は足を踏み入れた事は無いが、両親は一度訪問した事が有ると聞いている。それも結婚式を挙げた直後。つまり新婚旅行、と言う事になる。1970年代前半だから海外なんて事は無いだろうし、当時宮崎が新婚旅行先としてメジャーであったとしても秋田から宮崎まで行くのがメジャーだったとは思えないのだけど、かといって、恐山が新婚旅行先になるとはとてもとてもとても思えないのだが、とにかく、その話は何度か聞いたことがあった。そして父が亡くなった折に、妻もその話を聞かされて、ちょっと恐山に興味を持ったらしい。こ
山門を入った先の参道。広いな、という所と硫黄臭に違和感があるけど、まぁお寺さんだ。
風車に違和感があるけど、まぁお寺さんだ。
本堂で手を合わせたあと、広々とした境内を歩く。
急に景色が地獄になる。
やっぱりクルマで事故を起こして自分は死んだのかも知れない、と思える景色。
地獄を彷徨いつつ、その向こうに
水を湛えた宇曽利湖が見えて来る。そちらに足を向ける。
風車が無ければどこかのビーチリゾート。あるいは避暑地の湖畔。そんな風情。
極楽浜と名付けた理由が良く分かる。
小一時間掛け、一度渡った三途の川から戻って来た。再び握るハンドル。再び三途の川を渡らないよう、慎重に山を下るとむつ市街地を抜け、下北半島を南に。マサカリの柄の部分を行くだけの下北半島だが、次が目的地の陸奥横浜。三途の川を戻って50分程で来る時にも見かけた道の駅に着く。
1時間ぐらいは時間が取れそうだ。食事やら買い物やら、したい事はあるけどまずはず横浜の文字が見たい。
だが
折角駅名標みたいに整えた「よこはま」の看板。自販機に中途半端に隠されていた。勿体ないと思う。
仕方ないのでありきたりの地図でお茶を濁す。
さて、食事なのだが案外と混んでいる。時間をずらして13時にしたつもりなのだが、どうやら観光バスの団体が寄り道しているらしい。
食券を買って出来上がるのを待つ形式なのだが、これが全くもって順番が来る気配がない。今のうちに土産物売り場見てきたら、と妻に行ってもらったのだが、そちらも団体で行列ができているそうだ。
後の事を考えるとできれば13:45。遅くとも14時には道の駅を発ちたい。時間があれば鉄道駅も見たかったのだが、そんな余裕は無さそうで、さてと思う。
注文した品、先に妻のものが来る。後追いで自分の物が来たのは13:30を過ぎていた。
注文したのは火を通したほたて丼。帆立フライの卵とじ、というもの。ホタテの刺身丼があればいいのだろうが、道の駅だと難しいのかも知れない。まぁ産地まで赴いた帆立はさすがに大きく鮮度も良く、満足する出来栄えである。
さすがに団体バスも去った後となり、少しお土産売り場を見てからクルマへ。13:50陸奥横浜発。一路青森へ。今度は下道ではなく下北道を選ぶ。内陸へと入る分、距離は長いようだが、速度は出るし、信号や踏切も無いから良く流れる。何れむつ市内までつながるのだろうが、そうなるとJRの大湊線、さらに乗客が減るかも知れない。
下北道は野辺地まで。4号線をいったん盛岡方面へと行く。千曳、とか天間林とか、南部縦貫鉄道で見聞きした地名を見つつ進む。このままだと青森から離れる方向だが、天間林で右折。山間へと入ってゆく。みちのく有料道路を突っ切って一気に青森市郊外へと舞い戻る。ガソリン満タンにする時間も捻出出来た。レンタカーを返却すると15:25。予定していた時刻の5分前となる。上出来。
スーツケースを引っ張り青森駅に赴く。10分間、妻と別行動。妻がコーヒーを買いに行く間に、自分はビールを買いに行く。待ち合わせは
青森駅の改札口。この先は列車で移動する。と言っても
五能線は今日も深浦-能代で運休。リゾートしらかみも深浦までしか行かない。そんな訳で乗る列車は
昨日も乗ったような列車。特急つがる。青森発秋田行きのつがる6号となる。
妻と落ち合い、改札の中へと向かい列車へ。今日は元々つがる6号の利用を予定していて、指定券、トクだ値で用意していた。事前予約で気合を入れて予約した列車だが、
2号車、普通車指定席に人影がない。
指定した1号車の普通車指定席は無人。
その先、半室のグリーン車指定席も無人。
3,4号車の普通車自由席は確認しなかったが、極めて寂しい状態で特急つがる6号は発車を待っている。出発間際になって1人乗って来たから貸切にはならないけど、寂しい事には変わりない。
15:56青森出発。昨日の15:22に青森に着いているから弾丸トラベラーがごとくの24時間滞在であった。昨日同じ列車で青森に着いた外国人観光客はまだまだ青森を満喫しているだろうが、日本人旅行者は慌ただしい。
列車は新青森到着。自由席車からは新幹線乗換のお客さんがいたのかも知れないが、次の東北新幹線、東京ゆきは16:38となる。
さて、青森で買ったビール、陸奥横浜の道の駅でかった帆立の唐揚げ、そしてつまみ。ふと1988年の奥羽本線に記憶が飛ぶ。18きっぷを使って青函連絡船の復活運航に乗りに行った帰り、青森からは客車列車だった。88年3月の時刻表は復刻版が手元になるから確認できるが、15:54に急行津軽、上野ゆきが出た後に16:03の普通列車秋田ゆき、という順番だった。普通列車は50系客車。当然冷房は無く、あまりに暑く、ホームのキヨスクで冷凍ミカンを買って乗った。それが35年経つと冷房の効いた特急列車でビールにつまみと変わるのか。
津軽平野に出ると窓外にはうっすら岩木山が見えて来る。弘前到着。一人二人乗車があったか。グリーン車も今日初めてのお客さんを迎えた様子。こんな閑古鳥が啼く中、列車は青森と秋田の県境へと向かう。北国の学校は夏休みが始まりが遅いから、まだ多客期ではないのだろうけど、こんな調子で10年後の奥羽本線は大丈夫だろうかと心配になるレベルである。県都同士を結ぶ列車。もう少し乗っても良さそうだけど、秋田で言うと山形との間は直通列車が絶えて久しい。新潟との間も僅かな列車しか残っていない。
津軽平野が尽きて来ると碇ヶ関である。88年に乗った普通列車は碇ヶ関の駅で寝台特急日本海2号に抜かれたと記憶する。当時と駅の雰囲気は変わらないけど、人気は本当に減った。当時はもう少し賑やかな駅だったと思う。そんな記憶を残して列車は矢立峠を越えてゆく。
2本のビールが効くのは来る時と一緒。帰りも大館を出たあたりで記憶が途切れがちになる。鷹ノ巣に停まった記憶がなく、二ツ井で意識が戻る。白神山地への玄関口という扱いだろうが、何で停まったんだろうと思う程に人の乗り降りが無く、出発する。
わずかな乗客を乗せた特急つがる6号。人の動きはどこまで行っても無く、東能代で南に向きを変えるとそろそろ夕方の気配が濃くなる時間。
まだまだ日差しは強いが赤味を帯びている。時折現れる杉の木立が日を遮り、影を長く伸ばす。
列車は広々とした秋田平野に差し掛かる。車窓右手は八郎潟の干拓地。その向こうには
狂乱吠え立つ男鹿半島の山々が姿を見せる。狂乱とは言うが干拓地越しに見える男鹿の姿は穏やかそのもの。
山が少しずつ姿を変えて遠ざかると共に、風力発電機の羅列が近付いてくる。現代のモアイ像みたいに並ぶ風力発電機。この10年でずいぶんと姿を増やした。現代、田舎が供給すべきものは人材でも食糧でもなく電力なんだなと認識していると松林の中から男鹿線が近付いてきて、秋田市内へ。様子が変わった郊外、ロードサイドを見て市内へと入ってゆく。速度を保ったまま線路が広がり秋田貨物駅が流れてゆく。そして速度が緩むと線路が広がり、秋田駅が姿を見せる。定刻到着。
最後まで閑古鳥が啼いていた特急つがる6号。もう2週間もすれば東北は夏祭り。その頃には賑わいを見せて欲しいと思う。
隣のホームには特急いなほに使われるE653系も姿を見せている。優等列車が行き交った30年以上前の秋田駅。その名残を最後に僅か垣間見た気分になる。
今日は秋田泊まり。ホテルは駅前から歩いて行けるがすぐではない。先に駅前にあるスーパーに寄り道。例によって調味料やらパン売り場やらを見てゆく。
そんな中、急告と言うべき重大な告知。膳所でも見かけるきりたんぽに比内地鶏スープ。そちらの供給元が火災で被災との事。これは大変と比内地鶏スープを多少買っておく。
色々見て回る間に時間が経ってしまった。夕食の予約時間もあるので、先を急ぐ。スーパーから仲通りを歩いて西へ。自分が秋田にいた頃は、自分には縁がないおしゃれな店がある街、と思っていた仲通り。その頃の残り香はあるけど。だいぶ廃れた匂いが濃い。
ホテル投宿。青森にはインバウンドの波が来ていたが、秋田までには及んでいない。少々遅い時間だからかもしれないが、ホテルも空いている。宛がわれた部屋に荷物を置くと、予約時刻に間に合うように川反へと向かう。
水嵩はだいぶ減ったが、まだまだ茶色く濁る旭川の流れを見て秋田随一の歓楽街、川反へ。
日曜日は定休日となる店も多く、店選びには困ったのだが、青森が魚中心だったので、秋田は比内地鶏一択に絞った。予約した店。普段使いという感じの店構え。結構賑やかだった。カウンターに通される。
そんな訳で今日もサッポロ生ビール黒ラベルから始める。ここの店。そんなに大きくないのに
中身の有無は分からないが20Lのビア樽が大量に置かれている。本当に秋田の人は良く飲む。
比内地鶏の出汁巻き卵を頂く。自分は甘い玉子焼きを好まず、実家の母も玉子焼きは甘くしない人ではあるが、ここの味付けは甘さ全開。秋田の味わいだとは思うが、義実家の味わいと大いに異なる事に妻は戸惑っていた。
比内地鶏を串でも頂く。
秋田風サラダ、というメニューがあり何が秋田風だろうと頼んでみたら、いぶりがっこととんぶりが乗っていた。秋田食材サラダには違いない。いぶりがっこ、ついにポテト以外のサラダとも契ったか。
そして秋田と言ったら日本酒である。
まずは地元代表、と言う事で高清水を頂く。基本中の基本。必修2単位。
そして、くじ引き利き酒三種、というのに挑戦する。引いた籤は
両関、ちよみどり、カエル の3種となる。
写真を撮っていたら瓶を並べてくれた。ちよみどりは微妙が微妙に余る。そちらはどうぞ、と置いて行かれる。
引き続き鶏ばかりを頂き、日本酒を飲む。そんな調子だったから2時間弱で相当出来上がる。
さて、ホテルへ戻る。記憶も曖昧だが写真が何枚か残っていた。ホテルに戻ってからも部屋から見える夜景なんぞを撮っていたが、見せられる写真では無かった。
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