奥羽線筋の夜行列車に明確な変化、というか衰退が見られるようになるのは88年以降の事である。変化点は二つ。一つは列車本数が減って今までの2本の列車で分担していた役割を1本の列車に集約するようになった事。もう一つは山形新幹線の工事が進んで、奥羽線福島‐山形が通過できなくなった事である。
まずは88年3月改定。青函トンネルの開通で寝台特急北斗星が運転を開始した時であるが、この時点で秋田まで運転だった特急あけぼの5号が無くなる。
★奥羽線経由 秋田・青森方面ゆき
特急あけぼの1号 上野19時半頃→秋田6時前後→青森9時前後 奥羽北線 秋田〜弘前をターゲットとする設定 24系寝台車
特急あけぼの3号 上野21時前後→秋田7時前後→青森10時前後 奥羽南線 湯沢〜秋田をターゲットとする設定 24系寝台車
急行津軽 上野22時前後→秋田9時前後→青森12時前後 奥羽本線 山形〜弘前をターゲットとする設定 14系座席車
★羽越線経由 酒田・秋田方面
特急出羽 上野22時前後→秋田8時前後 羽越線 酒田‐秋田をターゲットとする設定 24系寝台車
あけぼの2本、出羽1本、それに急行津軽が定期列車。おがは運転期間を減らしているので記載を外す。それ以外に繁忙期には臨時あけぼの、臨時津軽があったから最大では7本体制と言う事にはなる。
また、ライバル交通機関の状況は次の通り。昼間列車の着実な整備が一つ。そして県都レベルで成功した夜行高速バスの設定が地方中心都市でも行われた事が挙げられる。
●88年 3月 特急たざわ増発(9→13往復)
●89年 3月 特急たざわ増発(13→14往復)
●89年 3月 秋北バス 池袋−鹿角・大舘・能代 ジュピター号 運行開始
●不詳 羽後交通 横浜−横手・大曲・田沢湖 レイク&ポート号 運行開始