2022-12-01

 目覚ましの音が鳴り意識が戻る。少々布団の中でもぞもぞ、観念して起きだす。部屋の中は冷えている。16℃ぐらいしかない。
 身支度を進めると理想より少し遅れて出勤。この時間、東の空も暗い。まだ3週間、日が短くなる方向だ。駅へと急いでも暗いまま。

 膳所の駅前、京阪電車を見る。乗り換えを急ぐ人を横目に自分のペースでホームへ赴く。下りホームへ降りる途中、705Mが発車してゆく。

 その後を追うように69列車も通過する。
 上りホームに移動。やって来た普通列車。ボックス席に座る。東に行くにつれて薄ぼんやりと明るくなる。曇り空だったようだ。バスに乗り換え、会社に7時。仕事に取り掛かる。
 朝礼の場で辞令を貰う。兼務になって漢字ばかりが長々と続く辞令だ。名刺も貰ったが逆にこちらはシンプルだった。席も変わり、景色も変わった。仕事は変わるがこちらは今までの仕事にアドオンと言う感じ。
 昼前、私用携帯が鳴る。普段は気付かないけど今日はなぜか着信に気が付いた。母から。普段は取らないけど、とっさの判断で取る。病院から連絡があり、父の状態が良くないらしい。これから病院に向かうとの事。
 自分も遠いが今から向かうことに決める。最低限度、やるべき事だけやって午後は休暇にする。お昼に出るバスに乗れた。ひとまず米原に出て新幹線を志す。

 昨年のダイヤ改定で減便を喰らった時間。新快速が無いので普通列車になる。少々待ち時間。その間に会社で食べるつもりだった弁当を食べておく。久しぶりに冷たいままのご飯を食べたが、あきたこまちって冷めても美味しい、が売りだったな、なんてことを思い出した。

 東に向かう普通列車がやって来る。12両つないだがら空きの列車に乗る。頭に浮かぶのは2018年、滋賀へと両親に来て貰った時の事。近江八幡で、安土で、ふと記憶が蘇る。
 米原に着く頃、母から改めて連絡がある。面会してきた事、医者からは何時何があっても不思議ではないと言われたこと、明日、改めて面会の機会を貰えた事など。母と擦り合わせ、長期戦に備えて準備をしてから実家入りすることに決める。  

 米原まで来ておいて難だが、一旦膳所に戻る。1時間程電車に揺られて、自宅に15時過ぎ。
 この後、どう動こうか、今日のうちに母の所に行っておくか、明日朝移動にするか。若干迷っていると16時を過ぎて母からまた連絡。病院から連絡があり、父の心臓の動きが弱まっているとの事。改めて病院に向かうそうだ。こちらもひとまず動こうと決める。
 膳所の駅に出て 

 列車、EF210-327号機牽引が通過した直後、妹から連絡がある。先程、父が息を引き取ったとの事。16:51に心肺停止。17:05、死亡確認。結局、間に合わなかった。
 ひとまず実家には向かう。京都に出て新幹線。


 40Aに乗る。X66編成。平日夕方ののぞみは8割近くの席が埋まっている。ひとまず到着すると色々とありそうなので今のうちに食事はしておこうと駅弁にする。

【今日の駅弁】JR貨物コンテナ弁当 神戸のすき焼き編 ¥1,500 株式会社淡路屋




 乗換の間に買い求めた駅弁で夕食を済ませておく。販売されて以来気になっていた品物を。温かい方が美味しそうな駅弁だったが、見た目も含めて楽しめた。
 13時過ぎの東海道線では父と出掛けた近江路の思い出が頭を廻り続けたが、外が暗くなった新幹線の中ではそんなこともなく、東へと急ぐことになる。急いでも仕方ないのだが、のぞみに身を委ねる。
 京都から二時間弱。新横浜に着く。この時点で父は病院に安置されているそうだが、この後、葬儀社の安置所に移動するとの事。病院に間に合えば良いのだけど、どうなるか。

 まずは横浜線、1907KはE233系H023編成。東京の夕ラッシュを久しぶりに味わう。鶴川駅からの少々奥に入った山の中に病院はある。青葉台かこどもの国からタクシーで飛ばせば、と思わなくはなかったが、病院から安置所に移ったとの事で、今日は会えないとの事。母と妹に合流する事にした。横浜線を町田まで乗り、小田急へと乗換。病院を引き上げて来た母と妹家族と合流する。食事を頂きつつ、父が亡くなった後の様子を聞く。姪っ子も父に会えたそうだ。
  明日、父と顔を合わせる事として、今日は実家に泊めて貰う。妙に煌びやかなイルミネーションを横目に実家までの道を行く。自宅で母と軽く飲みつつ昔話を聞く。今まで聞いたことない話もある。酔わないと出てこないのだろうけど、酔って聞くような話ではなかった。心の片隅に留めておく。

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