2021-08-06

変な時間に目が覚めた。さすがに昨日は飲みすぎた感じがあり、少々違和感。少し寝る努力をしたが、あまり眠れぬまま朝になる。
 今日は盛岡連泊。もちろんホテル滞在ではなく、動く。荷物はまとめるだけまとめて置いて行く。少し早いが出てしまう。

 昨日は暗かった北上川を見てから駅に引き返す。それでも時間は余る。今日、最初の予定、いわて銀河鉄道の乗り場に赴いたが、

 予定より1本早い列車が停まっている。いわて沼宮内ゆき。列車は4両つないでいる。沼宮内まで行って戻る間にラッシュ時になるのだろう。朝の通勤客を迎えに行く列車は空いている。

 車内、一部区画がボックスシートになっていた。都会型電車で押し通してきた701系もお客さんの習慣には逆らえなかったという事か。登場から25年以上経ってようやく、という感じではあるが、ないよりは良い。

 空いているので遠慮なくボックスに座らせてもらう。昨今の流行同様に硬いシート。長時間乗車だと疲れるかも知れない。
 列車は空いたまま発車する。昨日訪れた青山の駅。この時間は窓口の営業時間外。郊外に出ると田園風景になる。

 この時間は曇り空。気温も低め。昨日の昼間は少々暑かったが、さすがに東北、朝晩は涼しい。
 7時前にいわて沼宮内に到着する。次の列車までは20分程、待ち時間がある。

 駅名票の隣駅表示、どこの言葉だろう。エスペラント語か?
 一度改札を出てみる。新幹線がやってきた際に立派な駅に改装されている。

 新幹線の改札。この時間は発着する列車が無く、閑古鳥が啼いている。まだ先程の列車が折り返し盛岡方面へと向かういわて銀河鉄道側構内の方が朝らしい光景であった。

 今年の夏はどこの地方に行っても、オリンピック出場、みたいな幟、垂れ幕、そしてこんな感じの号外風が出ている。一応、目に着いたら記録しておくけど。
 構内に戻る。

 先程乗って来た列車は折り返し北上ゆきとなっている。第三セクターになった区間からJRで残った区間への直通列車が朝の間はあったのか。
 下りホームには数人、次の列車を待つ人。盛岡とは逆方向なので、逆ラッシュ、ということになる。そんな需要があるのかと思っていたが、

 やって来た八戸ゆきはそこそこ混んでいた。逆ラッシュ、と言うべき人の流れがある事が初めて分かる。
 座れない事はないので、座って逆ラッシュの見学。この人たちはどこまで行くのだろう。列車は北上山地の山の中へと入ってゆく。昨日乗った山田線のような人煙稀なる、まではいかないが、そこそこの山の中。
 学生の頃、50系客車の写真を撮りに来た奥中山を越えて、列車は岩手県の県北へ。一戸で乗って来た人が半分降りる。残った人は二戸で降りた。盛岡から、一戸、二戸へ通う人がそこそこいるのか、と半分驚きをもってみる事になる。そして列車はがら空きに。
 この車両にもボックス席があったのでそちらに移る。断然、景色が見やすくなる。

 写真も撮る気になる。馬淵川に沿っての下り道。峠の位置と県境と人の生活圏が微妙にずれている。まぁ昔に遡ると盛岡も八戸も同じ南部だ。
 目時、という存在も良く分かっていなかった小さな駅が県境、そして岩手県内のいわて銀河鉄道青森県内の青い森鉄道の分岐点となる。単に県境にあるというだけの結節点なので、それ以上の意味はない。乗り降りも少なく、列車も八戸まで直通する。
 青森県内、青い森鉄道に入り、三戸からはお客さんが増えてくる。 

 途中、諏訪ノ平の駅。昔、一度、この駅で降りて歩いたことがある。確か2002年の夏だったか、東北新幹線八戸開業を控えた夏休みだ。青森を朝出て大宮まで普通列車乗り継ぎで向かい、その夜のムーンライトえちごに乗る予定で、何となく1駅、第三セクターになる区間で降りてみようと意図したのだと思う。単なる田舎町というふわっとした印象しか残っていない事が残念。

 何度目かの東北新幹線、高架橋が近寄ってきて終着の八戸になる。

 盛岡、に行先表示を変えて、居心地悪そうに日陰を間借りするいわて銀河鉄道の車両。

 同じ顔つき、同じ由来でも青い森鉄道の車両は日が当たる所でのびのびとしている風に見える。

 似たような色合いの車両はJR東日本所属のキハE130系八戸線の車両。昨年乗った時は京浜東北線みたいな気動車、と思ったが、こうして青い森鉄道と並ぶと青森→青→スカイブルーの短絡的な思考だったか。
 八戸では1時間程乗り継ぎ時間がある。日常生活で次の列車まで1時間待ち、なんてなると狂いそうだが、移動が目的みたいな旅先で1時間待ち、ならまぁ、そんなものか、という気分にはなる。不思議だ。

 時間はあるし、朝食がまだなので、ちょっと考える。事前に調べて八戸駅隣接のホテルにあるレストランが、早朝から営業していて、しかも、郷土料理も扱っている事を知る。しかし、行ってみると9時半までは朝定食のみの取り扱いだった。それは、ちょっと、と遠慮する。
 駅そばのスタンドは9時から営業開始。列車の乗り継ぎ1時間は待てるのに、駅そば開店待ち20分は気乗りしない。これも不思議だ。
 結局、

【今日の駅弁】八戸小唄寿司 ¥1,200 株式会社吉田屋



 そんな訳で八戸駅の有名駅弁、こちらの世話になる。定番ならでは、裏切らない味。
 ホームの待合室でお弁当を頂き、次に乗る列車の到着を待つ。


 9:20を過ぎて青森側から昨日さんざん世話になったのと同じ色合いをした気動車がやって来る。こちらがこの後、八戸から大湊に向かう快速列車。車両は1両。昨日乗ったキハ110よりも一回り小さいキハ100が1両となる。
 八戸で到着を待っていたのは数人だったが、そのうちどうやら、新幹線が到着したようでお客さんが増える。十数人乗っただろうか。待ち時間の1時間が何となく潰れて、列車も出発となる。

 新幹線の高架が離れてゆき、田園地帯の中を列車は速度を上げる。列車はローカル線風だが線路は大幹線。軽々と加速してかっ飛ばす。小さな駅は通過して、北へとひた走る。
 三沢の駅が新しくなっている。青い森鉄道自体は何度か乗っているが三沢駅、三沢の航空博物館は15年近くご無沙汰している。いつの間に変わったのだろう。今度は航空博物館も行かなきゃなぁ。
 季節や時間帯によっては寂しさが募るであろう青森の東側、荒涼たる小川原湖沿いの道。夏の日が高くなる時間帯はさすがに陰りも何も無い。底抜けに明るい。

 青い森鉄道というよりは東北本線という風情で50分。防雪林を左に見て減速。野辺地手前で停車。上り貨物列車が過ぎて行って改めて駅へと向かう。野辺地到着。お客さんが少々乗って来る。
 大幹線の第三セクター鉄道と別れて、ローカル線のJRに入る。大湊線、いつ以来だろう。確実に乗ったのは1994年の夏だったと思う。

 JR東のローカル線、何処に行っても立派な線路が伸びている。特別急行すら錆ついたJR北海道。ローカル線は25km/h制限のJR西日本普通列車にトイレをつけられないJR四国。草刈りの余裕がないJR九州。それに比べるとずいぶんと余力があるよなぁとは思わなくない。
 海の気配を感じつつ列車は北へ向かう。そして 


 陸奥湾が見えてくる。底抜けに明るい海。夏の青森は本当に明るい。
 しばらく海岸線沿いを北に向かうとまた少し内陸に入る。

 1994年には絶対無かったであろうものが風力発電機。大湊線の沿線にも目立つ。風が安定して強い所にありがちの風力発電。線路は立派な大湊線も安定して強風が吹く天候には勝てないみたい。冬を中心に運転見合わせとなる日も多い。

 久しぶりに停車駅。陸奥横浜。横浜在住だった身には、乗換の検索で候補に出るお馴染みの地名である。
hamarepo.com
 乗降少々、そして上り列車とすれ違い。待っていた列車はキハ100系の2両編成。こちらと同じく快速列車の八戸行きだった。2両とも軽く埋まった感じ。混んではいないが、閑古鳥もいない。乗る方としては有難く、乗せる方としてはもう少し乗って欲しい感じだった。
 さらに北上。次は下北まで停まらない。海から少し離れた所を国道と絡み合いつつ進んでゆく。
 乗って来たお客さん、下北で半分以上が降りる。バスの姿も駅前に見えて、交通の結節点は下北になっているようだ。次は終着の大湊。むつ市内をちょろっと走る感じで終着の大湊となる。

 前に乗った時の記憶がすっかりないが、小さく整えられた駅になっている。数人が降りて、散って行った。
 折り返しの列車までは30分少々待ち時間がある。


 今年で開業100周年という大湊駅。その飾りを見て、少し駅前を歩いてみる。今日は荷物をホテルに置いてきているので身軽に動ける。パソコンが無い事も身軽さにプラスに効いている。こんなに動くのが楽なんだ、とかなり新鮮な感覚。

 駅の脇にローカル線のアイコン、腕木信号機が保存されている。越前大野にあるものと違って、腕木部分だけを地上に降ろした感じ。雰囲気は出ているからまぁ良いのかも知れない。

 駅舎にむつ市内の写真があり

 反対側から見ると夜景に変わる。
 駅前から離れる。少し歩くとスーパーマーケットがある。ちょうど時間を潰すのによさげなので寄ってみる。東北まで来るとローカル色が強くなってスーパーも観光地になる。ちょっと気になるものがあってうっかり買い求めて駅に戻る。
 待合室に先客数人。間もなく改札が始まる。

 先程乗って来た列車がそのまま快速列車として野辺地まで戻る。大湊からの乗車は数組だけ。発車までの間に、先程買い求めた物を頂く。

 麦とホップの東北産ホップ仕様。
www.sapporobeer.jp
 サッポロビール工場最寄の名取をスタートしてホップの産地を通ってきたのだから、今回に相応しいと思う。
 さっと飲み干すと、列車は下北到着。やはり乗車多少で列車の体裁は整う。先程と同じ路線を巻き戻しつつ戻ってゆく。陸奥横浜で多少お客さんが降りて

 季節風から線路を守る防風林の中を進むと

 季節風を遮るものがない海岸線へ。今日は晴れて風もなく、平和そのものの中を進む。
 海が離れて野辺地の街へ。カーブすると東北本線の線路が寄って来る。
 終着野辺地へ。

 夏休みの午前中に一往復しただけじゃ分からないけど、もう少し乗っていても良いように思える今日の大湊線。乗り物は空いている方が望ましい、とは言えども、だ。

 一旦改札の外に出る。野辺地の駅、昔は駅弁も売っていたし、もう1路線、南部縦貫鉄道が乗り入れていたし、ジャンクションとしての存在感があった駅だ。その名残なのか、待合室には駅そばのスタンドがある。

 折角なので頂いて行く。冷たい蕎麦もやって貰えるみたいだけど、温かい蕎麦にしておいた。山菜そば、420円也。東北スタンダートなお味。
 乗継列車はそろそろやってくる。駅構内に戻って跨線橋を渡りホームへ。列車を待つ人、20人ぐらいはいるだろうか。間もなく

 普通列車が2両でやって来る。昨日来お世話になっているJR東701系の移籍車ではなく、青い森鉄道が新造で導入したE721系ベースの青い森703系
 1両目は結構一杯乗っていたが、2両目は空いていた。そちらのボックスに座る。今日は青森まで。陸奥湾を時折見つつ西へと進む。1か月前に訪れたばかりの青森まで50分程。
 14時前に青森。今日は荷物を盛岡のホテルに置いている。つまり最後は盛岡に戻る訳で、そろそろ括る事を考える必要がある。と言いつつ

 そんな盛岡への道にまず選ぶのが秋田へ向かう奥羽本線。この時間、五能線経由で秋田に向かうリゾートしらかみが姿を見せている。隣の弘前行きは5両もつないでいる。
 先発はリゾートしらかみ。さすがにこれに乗ってしまうと盛岡へは全く戻れそうにないので、発車を見送る。席は半分も埋まっていないだろうか。

 留置線には津軽線に入っているらしいGV-E400系の姿も見える。1両では短いだろうと思う。でも、他のローカル線同様、津軽線も縮んでいるのか。

 ホームの待合室には思いがけない告知。運休が続き、っていつの話かと思ったら今年の冬だった。今年の冬は雪が多かったようだが、鉄道がダメになる程だっただろうか。
 5両つないだ弘前行き。先頭はそこそこ乗っていたけど、最後尾にのったらがら空きだった。奥羽本線、青森と弘前という2つの都市を結ぶ電車、と言えども昼間の5両は輸送力過剰。コロナ禍の今ではありがたいけど、採算的にとか、いつもの心配が頭に浮かぶ。
 最後尾に車両1人、乗客3人。列車は弘前へ。新幹線接続の新青森でも増えもせず減りもせず。大釈迦峠を越えてゆく。
 動きのない最後尾が動いたのが浪岡の駅。自分以外が降りてゆく。浪岡では改札口に一番近い車両が最後尾だったようだ。一人になるのかと思ったら、代わりに浪岡からのお客さんが乗って来た。
 霞む岩木山を右手に見る津軽平野。川部で、先程青森を先発したリゾートしらかみ4号と見える。向こうは弘前まで行った後、改めて五能線へと入る所。乗り遅れても追いつける、って鉄道ミステリーみたいなダイヤだ。
 弘前に定刻到着。この先は

 さらに701系普通列車。今度は2両になる。車両が減る分、お客さんが煮詰まるのか、座れるけど、人と人とがちょっと近いな、というぐらいの乗り具合。満員ではないから、まぁだいぶマシ。
 18きっぷを使っているらしい、大きな荷物の人が目立つ。十数年前だとこの時間の乗り継ぎで、村上からのムーンライトえちごに間に合ったから、東京行きの人なんだろうな、と思ったけど。夜行列車なき今、午後の奥羽北線を行く18きっぱーはどこを目指すのか。
 弘前を南下。特急停車駅の碇ヶ関がいつの間にか無人駅になっている。中学生の頃だったか、乗った普通列車碇ヶ関寝台特急日本海を待避した様子が不意に頭に浮かぶ。あの頃と駅の建物は変わっていないと思うけど、寂しさは倍加している。
 青森県から矢立峠を越え、秋田県に抜けて里へ下ると大館の駅。列車は秋田まで行くが、自分はここで降りる。まぁ盛岡に行くには大館から花輪線に乗るのが、鉄道では真っ当なルートなので。

 接続は恐ろしく悪い。小一時間待ってやって来るのは盛岡ゆきでは無くて、鹿角花輪ゆき。盛岡まで行こうとすると17:35まで待たねばならない。
 とにかく、今日の行程は出来が悪いのだが、出来が悪いなりに楽しむ。
 まずは改札を出る。

 出た所に青ガエルの案内。一番目立つところに置いている。鉄道のお客さんに良く聞かれるのかも知れない。
 昨年の8月、大館を訪れた時にちょうど移設が行われた青ガエルこと東急5000系のカットモデル。
podaka.hatenablog.com

 ハチ公つながりで青ガエルとはゆかりがない大館の地に連れてこられている。ひとまず見に行く。荷物が無いから身軽だが、この時間の大館、大館とは思えないほど暑い。

 「澁谷」「櫻木町」どちらも縁遠そうな山間の街に青ガエルがいる。

 車内も公開されている。

 澁谷時代には見れなかったはずの左側面も大館では確認できる。一応こちらが裏という扱いなのか、クーラの室外機が地味に置かれている。電車と同じ萌黄色になっていて、目立たないように考慮はされている。
 駅に戻る。 

 駅前に仮囲いが出来ている。バス停だった所だ。タクシー乗り場や秋田犬の像もどこかに行っている。大館の駅も建て替えだそうで。
www.hokuroku.co.jp
 大館駅は87年3月31日、日本国有鉄道最期の日に利用した懐かしい駅である。何か知っている駅がみんな知らない駅に変わってゆくなぁ。
 さて、もう一つ。大館にいるからには

 花善さんに寄って鶏めしを買うのは義務となる。空腹であろうと無かろうと、そこは関係ない。お弁当を買い、駅に戻って構内へ。昔は厳密な列車別改札で、時間前に入場なんて叶わぬ事だったが、今は自動改札。改札機が使える切符なら入出場は自由にできる。

 上りホームには顔はめのパネルはある。前にあった筈のハチ公神社は工事の関係か、撤去されたようだ。 
www.sakigake.jp
 こちらで記事にもなっていた。
 花輪線のホームに向かう。

 ちょうど貨物列車がやって来る。4075列車。EF510-15号機牽引。昨晩、百済を出て1日かけて東青森まで行く列車。前夜21時半には膳所も通過している。途中で貨車を切り離したのか、ずいぶんと寸足らずな列車になっている。
 思いがけない貨物列車で少々ぶれたが、花輪線に乗り込む。

 まだ30分程出発まで間がある鹿角花輪ゆき。

 車内は空いている。ひとまず先程買い求めた駅弁を頂く。

【今日の駅弁】鶏めし弁当 ¥900 株式会社花善



 朝に引き続き、定番を頂く。定番と言うより絶対必食の1品。もっと足繁く通いたいけど、年に一度の逢瀬か。
 食事をすると隣のホームに何か列車が来る。


 DE10-1647号機。どこまで行くのか分からないけど、大館で運転士交代。さらに北上していった。思わぬ眼福。
 機関車の登場に少々ぶれたが花輪線である。多少お客さんは乗って来たけど、閑古鳥の啼くまま、発車時刻が来る。
 花輪線に列車は右にそれたのち、わざわざ奥羽線を跨いで分岐してゆく。

 米代川の支流、長木川を渡ると東大館。駅名と真逆でこちらが大館の市街地には近い。本大館と言いたくなる立地で、高校生がたくさん乗って来る。列車の体裁が整った。
 列車は帰宅の高校生を乗せて米代川沿いを遡る。温泉地だった筈の大滝温泉駅周辺はもはや温泉地とは言えない感じに廃れている。何とも居た堪れない気分にはなる。
 高校生を少しずつ降ろしながらの東ゆき。

 十和田湖観光の玄関口だった十和田南も見る影はなかった。ここで向きを変えるとあと二駅。ロードサイド的な店が時折見えるようになった後で市街地へと入る。50分程でこの列車の終点、鹿角花輪に到着する。

 時刻は17時過ぎ。花輪まで来たからと言って、この先の列車はすぐにはない。大館を17:35に出発する列車を待つ事になる。その代わり、時間が少し遅くなっていて、居酒屋が開店する時間にはなっている。今日は待ち時間を使って軽く飲む。
 持ち時間はあまりないので下調べはしている。目星をつけていた店に赴く。

 このホルモン屋さんが美味しくらしいので入ってみる。先客は無く、ひとまず安心して黙飲に打ち込む。

 安定のサッポロ生ビール黒ラベルを頂く。サーバの状態も良い。

 ホルモンにキャベツと豆腐がここの定番らしい。量が多いかと思ったけど案外お腹に入る。ビールが進み、つい2杯となる。
 すっかり満足したが、意外と時間が余った。駅に戻ってみたけど、

 30分近く時間に余裕がある。ちょっと考えて近くのスーパーへ足を延ばす。軽く見てみる。面白いのは秋田県内でメジャーな筈のヤマキウ秋田味噌
shop.kodamajozo.jp
 のなまはげ柄が見当たらない事。その代わり、地元花輪の福寿というブランドが幅を利かせている。
www.fukuzyu.com
 花輪、というか鹿角市の歴史をたどると明治維新の前は南部領。旧国名で言っても出羽ではなく陸奥となる。
common3.pref.akita.lg.jp
 明治維新のドタバタで秋田県になった地域であり、独自性が強いのは確か。秋田市内に住んでいた頃も、花輪は遥か彼方という印象だった。
 少し荷物が増えて重たくなる。駅の戻るとそろそろ盛岡への列車が来る時間。

 駅構内に蒸気機関車の動輪が飾られている。鹿角花輪の前の名前、陸中花輪駅の文字が見える。動輪の持ち主は花輪線で活躍した8620形機らしい。

 大館からの列車がやって来る。キハ111とキハ112の2両は先程の区間列車と同じだ。高校生が降りてきて代わりに乗り込む。車内、数える程しか乗客がいない。

 下り列車もやって来る。盛岡を16:40に出て2時間弱で花輪まで。高速バスの1時間40分よりは遅いが、そこまで差がある訳ではない。とはいえ、降りてくる客は殆どいない。
 列車が出発する。

 先程、スーパーで買い求めたエビスビール、それに日本酒を頂きつつ、盛岡に向かう。
 日暮れ時の米代川上流を列車は走る。谷が迫ると湯瀬温泉の駅。こちらにはまだ温泉ホテルらしい建物が見て取れる。
 列車は秋田と岩手の県境を跨ぐ。ただ、先程挙げた理由で県境=峠ではない。岩手県に入っても米代川は相変わらずついてくる。
 田山の先で米代川が尽き、峠を越えると荒屋新町の駅に着く。盛岡から荒屋新町始終になる列車がある程度の拠点駅。蒸気機関車時代にはもっと存在感のある 

 下り列車と待ち合わせがあって少々停まる。折角なので外に出てみる。昼間の大館は滅茶苦茶暑くて何かと思ったが、この時間の荒屋新町は、まぁまぁ、過ごせる。

 盛岡を18時に出て来た下り列車がやって来る。列車はやっぱり、空いている。車内に戻ると上り列車は出発。あと盛岡まで1時間少々。
 荒屋新町馬淵川の上流になる。今朝、東北線の線路から眺めた、八戸へと流れる川である。ここからまた登り坂。途中、坂のピーク、安比高原で多少お客さんが乗って来る。スキー場で有名なリゾート地だが、夏のこの時期、しかも、夜の7時半にリゾート地を出る列車。こちらに乗って来た人はどうみても地元の人に見えない観光客風であった。
 列車は北上川へとつながる支流に沿って下ってゆく。さすがに外の景色は分からないまま、時折、小さな駅に停まる時だけ、何処にいるのか分かる程度。
 北東北に描いた円弧が一周廻って東北線好摩到着となる。ここからは列車はいわて銀河鉄道に乗り入れ、という形になる。改めていわて銀河鉄道の割高な運賃を払う事となり、花輪線が競争力を失った原因の一つではある。
 空いていた列車も盛岡郊外通勤列車の一員となって、多少乗って来る。寂しさがまぎれる所で終着の盛岡到着。

 今朝6時過ぎに盛岡を出てから14時間が経っている。
 ホテルに戻る。部屋は狭いのでこのまま籠る気にはなれないが、食事も酒も多少頂いている。盛岡名物を頂いておこうかと、冷麺が有名な店を訪れる。
 冷麺屋ではなく焼き肉屋なのだが、一人客を固めているらしい大型の丸テーブル席に通される。

 アクリルで完全に分割されて、感染対策ばっちり、という感じ。一応は1人で2席を使えるようになっていて、隣の存在はあんまり気にならない。ひとまずメニューから冷麺を。

 うっかりビビン冷麺にしちゃったけど。

 ほやのチヂミ、なんてものも食べたので、だいぶ満腹になる。今回の東北で、まだホヤ刺し食べていないなぁという事は気になるけど、きょうはもう無理。
 ホテルに戻る。今日、スーパー2軒で買ったものを荷造りして明日に備える。早めに就寝。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は13,335