2022-12-08

 早朝、早いうちに目が覚める。一度二度寝たが、結局起きだす。母は先に起きだしていた。父が入院する前、夜中看病で起きたりして、眠りが浅くなっているそうだ。
 今日は父を送る日になる。ごくごく身内で集まり、宗教色は抜いて送る事にしている。簡単に朝食を済ませてから身支度。斎場に9時には着く必要がある。喪服を着て身支度を整えると7時半過ぎ。母と妻と3人、家を出る。外は良く晴れている。この時期の関東らしい好天だ。斎場まではタクシー。通勤ラッシュの小田急線を見つつ、世田谷通りというか津久井道というか、そちらを進む。タクシーを呼ぶタイミングが少々早く到着も思った以上に早くなる。まぁ、遅れるよりは余程良い。
 9時ちょっと前、葬儀社の方が来て挨拶。妹家族と親戚が来る。そして安置所からも父がやって来た。日曜日に安置所へと持って行ったスーツに着替え、伸びていた髭も整えて貰っている。気のせいかこの一週間で少し細くなった気がする。
 火葬前、最後の見送り。棺を花でいっぱいにする。葬儀社にお願いしていた分に加え、会社からも思った以上にたくさんの花籠を頂戴したので辺りが花の香りに包まれる。最後にぜひお顔に触れて下さいと声を掛けられる。親の顔を触る習慣は無かった。妻は祖母の顔を良く触ったというけど。折角、最後の最後なので手を触れる。冷やっとして死を意識する。
 荼毘に付すべく父を送り出す。骨になるまで70分程だそうだ。一番恰幅が良かったころは80㎏以上あった筈だが、亡くなる前には50kg台前半だったと聞く。11月5日に実家に見舞いに行った時は、まだ細くとも食欲があり、それなりに体重もあったようだが、息を引き取った1か月弱の間にすっかり細くなってしまった。
 控え室で昔話をしつつ待つ。 

 窓外には青空。12月になってからバタバタしていてすっかり失念していたが、自分たちが式を挙げた日も過ぎていた。父母はコロナ禍の間に金婚式を迎えていたのだが、闘病の事もあり、こちらもすっかり失念していた。
 1時間少々で父は骨と灰になる。母と二人、代表と言う事で確認。癌が骨に転移したというその骨を目の当たりにする。腰のあたりの骨をまじまじと見つめてしまった。
 骨壺に入った父を膝に乗せてタクシー。宗教色は抜いたから精進落としという概念はないけど、せっかくなので集まって頂いた面々で食事をする。その食事会の間、母と伯母が昔の話を色々としてくれる。この一週間、父が息を引き取ってから母は昔の話を急にするようになった。それが伯母の話と重なるようで重ならないので、お互いが知らない話も出て来る。従妹も目をまん丸にして二人の話を聞き続ける。
 午後一番に散会。実家に戻る。父、入院後の11月26日。面会に行った妹からは自宅に連れ帰ってくれと懇願されたと聞いていたが、結局は今日8日、骨となって連れ帰ることになってしまった。
 何をしたわけではないけどさすがに疲れを覚える。今日で一つ区切りは付いたが、まだ必要な手続きは色々とある。その辺は明日行う事とする。

 よく晴れた一日が暮れてゆく。今日も自宅泊。この時間で今日は4,000歩少々した歩いていなかったから、薄暗くなってから少し歩くことにした。

 12月1日、夜に降り立った時の駅前と同じくイルミネーションが輝いている。一週間前はこんな日に何でこんなに煌びやかなんだろうと思ったが、今日はカメラを向けるだけ気持ちの余裕が出来ている。
 少し大回りして実家に戻る。昼に色々と頂いたので夕は軽く。簡単にビールだけ頂いて母から昔話を聞く。朝が早かったからか、夜は少し早めに眠くなる。

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