台湾は第二の都市、高雄のホテルで目が覚める。週末、土曜日の朝。外はすでに晴れあがっている。

 今日は9時過ぎに駅に向かえばよい。まだまだ時間はあり、ゆっくりと身支度を進める。8時を過ぎてホテルの朝食会場へ。半分少々席が埋まっている。大陸の人が多いのかな?と思う。

 中華と洋食、割と充実している。食事を頂き、フルーツを頂き、コーヒーで〆。満足して自室に戻る。
 まだ少々時間がある。乗る列車まで間があるが先に駅に行こうかと9時前にホテルを出る。歩いて駅へ。

 5月に見学した旧高雄車站の駅舎を眺めてから

 現役の駅へ。今日はここから台湾の東海岸を回って台北に戻る。勿論、一筋縄ではいかない。
 駅構内をぶらっとしてみる。目ぼしい店は無かったのでもう改札の中に入ってしまう。今日の切符は指定券に関しては昨日のうちに用意している。

 これから乗るのは南下、とある南廻線の方へ向かう列車。ちょうど9:05に区間車、いわゆる普通列車がある。これに乗っても良いのだが、もう間もなく出る所。その後の台東ゆき自強を予約している。
 入換機関車が行き来するのを眺めていると時間が来て列車が姿を現す。

 黄色い顔つきの

 ディーゼルカーが現れる。
 どことなく日本顔のこの気動車。DR3000という車両。日本製のディーゼルカーであり、どことなくキハ20系を思い浮かべるような顔つき。でもステンレス車でエンジンはカミンズ。製作は1989年だそうだ。なかなか素敵な車両だ。

 車内に乗り込む。特急の自強は混んでいる事が多く、指定席を取れなくても乗りたい人には自願無座、日本でいうところの立席特急券を売るので混雑するような話は聞いていたが、それを地で行く状況である。
 指定席は予め取っているのだがその席、先客がいる。空いている席には座っていい事になっているから、指定券を見せると、向こうの席と変わってほしいとおっしゃる。窓側から通路側への変更。断りたいチェンジだが相手は子供連れ。断り辛いチェンジである。まぁ仕方がない。席を譲る。
 宛がわれた席は通路側。ひとまず座る。ぶるんと言って気動車が鋭く動き出す。二日目の台湾、移動開始。
列車は高雄の街中を進んでゆく。加速が鋭かった割に速度には乗らず、ゆっくりゆっくりの体だ。こまめに駅に泊まり、その度に乗り降りがある。案外と足の短い人が多い。こちらの特急は日本みたいに乗車券+特急券という運賃形態ではなく、距離で決まるので、特急を使うハードルが低いらしいが、それを地で行く光景である。
 列車はだんだんと郊外に出てゆく。外の景色が気になるが、通路側の身。撮れないなぁと思っていたら、窓側の人が写真を撮るので、じゃぁと一言断り、写真を撮らせてもらう。

 ちょうど大きな川を渡って行くところ。
 沿線には養殖池が目立つ。この辺り、ウナギ養殖が盛んなのだそうだ。あと一か月もすれば日本はうなぎのシーズン。今頃はこの辺りで大きく仕込まれている頃に違いない。

 パイナップルらしい畑が沿線を流れたり、どことなく西部幹線とは景色が違う台湾南部の景色。すでに台南で北回帰線よりも赤道の方に入り込んでいるから、まぁ日本と景色が違って当然ではある。

 高雄を出て小一時間。だいぶ車内が落ち着いてくる。まもなく枋寮に到着。列車はこの先、南廻線を台東まで行くが、今日はここで下車する。

 発車してゆく自強を見送る。構内には

 区間車で使われる客車が停まっている。もう一本、?古びた車両の姿も見えるが、それは後ほど。
 この先、台東までの切符は持っていないので窓口で買い求める。台東まで、Localでというと次の自強の切符が出てくる。それじゃないLocalでというと「あれか?」と改札の方を指さされてから別の切符が出てくる。台東までNTD94。
 切符の入手が完了したので、ちょっと街に出てみる。

 屏東線と南廻線の結節点である枋寮。割と大きな駅舎がどんと構える。そこから延びる道を少し歩いて行く。

 駅に対して街はのんびりしたもの。暑ささえなければ、なかなか楽しい街歩き。まもなく、防波堤にぶつかる。

 ここ枋寮は漁港の街である。シラスが?入ったオムレツが名物とも聞くが、当てもなく適当にぶらぶら。 

 河口は船溜まりになっている。この暑いさなかに漁には出ないのか、船溜まりは寝静まったような雰囲気。
 何となく時間をつぶそうと適当な店に入ってみる。できれば高雄で食べたくて食べられなかった湯包、みたいなものを食べたいのだが、どこに何が売っているかなんてまるで分からないから、結局適当な店で適当な食事。

 ご飯の上に鶏肉と菜っ葉。なんか普通に食事だ。こんな意図はなかったのだけど、まぁまぁ美味しく頂ける。すると

 サービスだと言ってマンゴーを出してくれた。これは濃厚に甘くておいしい。どうも御馳走様でした。
 さて、駅に戻る。

 改札の所には次の列車が案内されている。高雄方面はキョ光号。7分遅れとのこと。そして台東方面。今度の発車は普快車とある。これが次に乗る列車。坊寮始発のいわゆる、普通列車区間車も普通列車なのだが、運賃が違ってその差は冷房の有り無しである。ちなみに今度の列車は非冷房車。
 台湾の南の外れを走るローカル列車だが、改札が始まると地元の人というよりよそから来た雰囲気の人、観光客、そして鉄道オタ、こちらの言葉で鐡路迷というそうだが、が進んでゆく。
 先程、駅舎と反対側の留置線にいた車両が高雄側へと一度引き上げて行った後、入って来る。やっていたのは

 ディーゼル機関車に牽引された客車列車。まるで日本の旧型客車みたいなそんな列車がやって来た。これが台湾国鉄で唯一、定期列車として残っている普快車。


 ホームに着くと色々な人が乗り込んでゆく。どうみても地元の人らしい姿は無い。そして記念撮影やら何やらが始まる。


 一番前と一番後ろの車両は車両端にデッキを設けて車内には転換クロスシートが並んでいる。自分は乗った事がないが、旧日本国鉄のスハ44、それに近い雰囲気だ。そしてその雰囲気が物語る通り、出自を辿ると日本製の客車である。

 真ん中の車両は両開き二つドア、そしてセミクロスという少々趣の違う車両。こちらはインド製だそうである。


 冷房はないので窓が開け放たれ、そして扇風機が廻りだす。ビニール張りのシートが肌にべたつくのが難点。風が抜けるまでの我慢ではある。
 少し辺り見て回る。

 デッキの扉は手動、そして後部の扉は無く、実に開放的な空間になっている。日本国鉄の客車列車の旅、がここ台湾で楽しめるとは、実に楽しい。

 遅れていた南廻線のキョ光号。それに高雄からの区間車がやって来る。区間車からのお客さんが増えてどこか浮かれたような雰囲気が漂う普快車の出発時間がやって来る。

 デッキの向こうにレールが流れて、車内に風が?吹き込んでくる。暑さがすっと抜けてゆくと乾いた心地よい空気に包まれる。

 列車は何かの果樹らしい畑を望んで走り出す。貨物列車も担当するようなディーゼル機関車には客車3両は軽荷なのか、実に軽やかな走りで駆ける。
 枋寮の次、加祿駅でお客さんがわらわら外に出てゆく。下車多数、では無く、すれ違いのための停車。

 静かな駅が時ならぬ喧噪に包まれる。

 まぁいろんな人がいる。
 順行の莒光、花蓮から新左営に向かう306列車が遅れて通過すると「乗って〜」と声が掛かってお客さんが車内に戻る。まもなく出発。少し遅れたようだが、誰も気にする様子はない。

 列車が走り出すと海が見えてくる。南シナ海だ。いつもは飛行機のはるか上空から眺めるだけの海が、今、目の前に広がっている。その海を右手にして列車は軽やかに走って行く。底抜けに明るい台湾南部の海岸が流れてゆく。

 列車は左へと曲がって行き、暫く見えていた海岸線に別れを告げる。思いがけず険しい山。そしてトンネルの繰り返しになる。鋭角に南へと伸びてゆく台湾島の海岸線に最後まで付き合わずに険しい山の中を突き抜けて東海岸へと取りつくルートをこれから走る。

 トンネルの中ではまるで夜行列車のような光景が展開する。窓からは冷気が吹いてきて涼しくなるのも嬉しい。トンネルの続く区間もまた嬉しい。

 列車は信号所に停車する。側線に入ったので明らかに待ち合わせという風情。ホームは無いが車掌が地上に降りて何やらしている。

 信号所であるが、今までに止まって来た駅より立派かも知れない。今度はホームを乗客が闊歩する、なんてことはないから静かそのもの。その静寂を破ったのは逆行、つまり高雄から台東方面へと向かうキョ光号。普快は追い抜きされたのであるが、後ろのデッキで写真を撮る人以外は気にした様子はない。しばらく間をおいて、これらの列車も出発。遅れているのだろうが、気にする人はいない。

 列車は再びトンネル区間へ。窓が開け放たれているのに、転換クロスシートが並ぶこの景色。日本国鉄スハ44の特別急行の景色と被るのだろうが、日本のものは世代的に全く被っていないから良く分からない。識者の意見を求めたいものだ。
 台湾島の脊梁山脈をトンネルと明かりのフリッカーで駆け抜けると再び右手に青い海が広がるようになる。

 並ぶ順番は先程と同じだが、列車は北側へと向きを変えている。見えている海は太平洋だ。この時間、太陽の光は山側から射している。東側の太平洋、青さを増して輝いている。
 そして太平洋へと注ぐ川。石ばかりが目立つ河原。ささやかな流れは茶色く濁る。日本の川そっくりだ。日本の川は世界基準からいうと滝となるらしい。脊梁山脈が海へと落ちる台湾島の南側も急な流れが一気に海へと注ぎ込む日本の地形と瓜二つ。
 13:30を過ぎて、列車は金崙に到着。側線へと入る光景にデジャブを覚える。案内はないがどうやら待避。パラパラとお客さんがホームに降り立つ。

 牽引機は先頭がホームギリギリに停まった。仕方ないのでこんな写真でお茶を濁す。そうすると

 今度は順行の莒光がやって来る。704列車。台東発新左営ゆきの列車である。長々と客車を連ねた列車は日本では見られない光景。実に素敵だ。
 列車はホームに降りていたお客さんを乗せると動き出す。道路と海岸線に沿って、青い海を眺めながら南廻線を北上。今度は知本で対向列車を待避。やって来るのは52列車別名環島之星。花蓮を出て東部幹線〜南廻線、西部幹線と台湾を3/4週して台北に向かう観光列車である。

 台鐡の萌えキャラですかね。今までの莒光とは明らかに違う雰囲気の客車がやって来る。ちなみに対になる51列車は先程、山中の信号所でこの普快を抜いて行った莒光である。
 知本の駅構内には架線柱が立っている。この普快やすれ違う莒光がディーセル機関車の牽引だった事からも分かるかも知れないが、南廻線は非電化。そして東部幹線も非電化なのだが、東部幹線花蓮から南の区間で電化工事が進行している。この7月にも花蓮から知本までの間が電化されるそうだ。ダイヤ改定も予定されているそうで、今乗っている列車にも影響が出るのかも知れない。
 列車は台東に向かっての最後の区間をひた走る。平地が広がって明らかに今までの雰囲気とは異なる中をひた走る。遅れているようだが、せいぜい数分。なかなか正確なダイヤで列車は飛ばしてゆく。康樂でお客さんを乗せると次は台東。この列車の終点であり、南廻線と東部幹線の結節点である。3両しかない客車を軽々と引っ張る機関車。遠く台東のビルを眺めて列車は速度を緩めた。今までにない大きな構内。そして列車はゆっくりと台東の駅へと入って行く。日本国鉄特別急行を思い起こす2時間もこれで終わりだ。


 列車が台東に到着すると早々に機関車が離れてゆく。3両残された客車はホームに放置なのかなと思いきや別の機関車がやってきて早々にホームを離れた。余韻に浸る暇もなかった。
 7月改定で東部幹線のダイヤは大きく変わったが、南廻線を1往復する普快。時刻は変わったものの存置されている。

 普快 3671 枋寮10:50 → 台東13:27
 普快 3672 台東16:08 → 枋寮18:21

 無くなる無くなると言われ続けている台湾の旧型客車。まだしばらくはその雰囲気に浸ることが出来そうだ。
 南回帰線の赤道よりに位置する台東。14時半の気温は35℃とのこと。暑くて暑くて、本当に仕方ない。次の列車は14:45の出発。本来は改札の外に出て待つのが正しいようだが、既に列車はホームに待機している。

 高雄から枋寮まで乗った列車と同じく自強だが、今度は最新のディーゼルカー、DR3100型による運行。列車は台北の郊外、樹林ゆきである。
 ドアが開いていたので涼しい車内で待っていると改札が始まったのか、お客さんが乗って来る。自強といえば満席が枕詞みたいだが、台東では満席にはならない。空席が目立つ。
 列車は定刻に出発。加速が鋭く先程の普快とは比べ物にならない。構外には大きな車両基地があって気動車やら客車やらが停まっている。
 街の外に出る。東部幹線は海岸沿いでは無く大きな谷というか回廊というか、そんなところを進んでゆく。広い平地には

 田圃が広がっている。既に実りの時期を迎えているようだ。沿線には駅弁で有名な池上もある。この辺り、美味しい米が獲れるそうだ。それが故に駅弁も美味しく名物なのだとか。
 その池上。駅弁の立ち売りが出ているそうで短い停止時間に買い求める乗客も多いと聞くが、15時過ぎという中途半端な時間だからかデッキに向かうお客さんの姿は見えなかった。立ち売りの姿も見えなかったようだ。

 池上米の看板が富里米の看板に変わり、玉里米へと変わる。地名は変われど米どころには変わりない。そして列車は玉里に到着。


 列車は台北まで行くし、今日は台北まで行くけど、この列車は玉里で降りる。
 自強がホームから出てゆくと、中線にはどこか懐かしさ感じるような車両が停まっている。

 小田急顔、というか何というか。伊豆急の初代100系にも似ているかも知れない。というより、そっくりな車両。
 この車両、DR2700という気動車。元々西部幹線の特急車両として導入されたもの。1966年で東急車両で製造されたものであり、同年代の日本国内の車両にそっくりなのはそのためでもある。
 東部幹線に転じたのち、格下げされて今は東部幹線、花蓮から台東の間で普快として使用されている。東部幹線の普快は玉里を境に系統が分割されていて、この時間、3運用分、合計6両のDR2700系が玉里で夕方までの惰眠を貪っている。

 こちらは登場当時の姿に戻した車両。DR2700系は東部幹線の電化延伸に伴い引退が決まっているそうで、その前にという取り計らいらしい。先程、南廻線でも鐵路迷なんて言葉を出したが、ファンサービス、なんですかね。
 この先、花蓮まで行く列車は17:25の出発。それまで1時間半の間、少々間がある。少し玉里の街を歩いてみたいと思っている。

 台湾が1945年まで日本統治下であった事は周知かと思う。その日本統治下の台湾に母方の祖父母が終戦後まで在住していた。その地が玉里なのである。ちなみに母が生まれたのもこの玉里であり、つまり母親の出身地にやってきたと言う事になる。
 10年ほど前、母と妹が2人で玉里を訪れた事があって、その時は母親の口から出てくる通りの街並みであったと伝え聞いている。この1時間少々でその経験を追体験できればと思いながらの街歩きである。
 旅行者向けのWifiサービス、iTaiwanが使えたので母にメールする。玉里にいると伝えると間髪入れずに驚きの返信が帰って来る。台湾全土で使えると聞く割には高雄とか台北でなかなか出会えないiTaiwanのWifiだが、ここ、玉里で使えるとは思わなかった。

 コンクリートの駅舎は日本時代の物ではないだろうが、ここが街歩きの起点。さてどう動こうか。小さな街と言う事と、玉里麺というのが有名という事が自分の玉里に関する知識の全てである。
 寝ているような街中を少し歩いてみる。駅からちょっとでるとロータリーがある。真ん中に池を持つラウンド型の交差点である。建物はどこか日本的な雰囲気が漂っているが、当時の物かどうか、自信は持てない。

 玉里麺の店は何軒がある。そのうちの一軒に入ってみる。


 外は暑くて街に人はいないが店には先客がいる。玉里麺はメニューの一番外れなのか先頭なのか。一番安いので外れという扱いかも知れない。5月の高雄で頼み方は何となくわかったのでその通りに注文してみる。
 ここでもiTaiwanが通じた。玉里麺を食べていると母親にメールを打つと、「おばあちゃんが食べたがっていた中華麺を孫が食べるのも一興ね」と返信がある。我が家はビーフンを食べる習慣があり、これは台湾で覚えた習慣らしいのだが、玉里麺を食べる機会がなかった理由は何なのだろうか。
 合わせて、当時の家は警察署の近くだった、なんて情報が飛んでくる。警察署か、行ってみますか。

 あっさりとしたスープの玉里麺を頂く。汁無しで頂く事もあるそうで、味を自分で好みに作りこむのが玉里の流儀らしい。NTD45の麺を美味しく頂くと、警察署目指して歩いてみる事にした。
 先程眺めたラウンド型の交差点を左手に進む。玉里麺の店やコンビニもあるのだが、家のつくりが明らかに古くなった。これ日本の物だなぁと判断できる建物が幾つか現れる。

 この建物は明らかに日本家屋だ。

 ちょっと微妙だが、日本建築かなぁ。日本の田舎にいけばありそうな店舗の雰囲気。

 檳榔屋だが、元々は日本家屋で間違いない。
 そして警察署の手前には


 手入れされたような日本家屋そのものが残っている。お洒落カフェ的な位置づけらしい。想像以上に日本統治下の建物が生かされている事が分かる。
 時刻は間もなく17時になる。そろそろ駅に戻ろう。

 異国の街と思えない玉里の街をぶらぶら歩きながら駅へと戻る。まだまだ暑いが日差しは少しだけ弱くなった。 

 途中、こんな武骨なトラックを見かける。三菱のマークが付いているけど、本当に三菱製なのかなと思いつつ見送る。
 駅に戻ると17時に玉里を出て台東に向かう普快が1番線、駅本屋よりのホームに停まっていた。

 冷房がないので窓を開け放った状態である。間もなく出発してゆく。自分が乗る列車は17:25の出発。しばらく間がある。
 改札が始まって中に入る。先程の中線に停まっていた3編成6両のDR2700型。1編成が先程台東に向かって出発した。次は真ん中に停まっていた1編成。

 昼間ずっと玉里に停まっていて暑いのか、ドアを開け放った状態で中線に停車中。まもなく花蓮側に引き上げたのち、ホームへと入って来る。

 相変わらずドアを開けたまま。出発準備が進む。
 元々特急用に製作された車両なのでドアは後よりに一つだけ。地元の人が数人。そして明らかに少なくとも10人は鐵路迷がいる。割合では鐵路迷の方が多いかも知れないが、先程の南廻線で乗った普快は程度の差があれ、乗る事が目的の人しかいなかったから、この列車の方が健全といったら健全ではある。

 往花蓮、なんとも粗末な行先板をつけられたデッキから車内に乗り込む。先程まで炎天下で窓を閉めて停まっていたから、中はとんでもなく暑い。先客が所々窓を開け、扇風機を回してくれたから多少は状況が変わる。
 出発までの短い時間。10人少々いる鐵路迷は思い思いに写真を撮っている。自分も少しDR2700の中を観察する。


 元々が特急用として投入されたDR2700。冷房は無いが、優等車両らしく転換クロスシートがずらっと並んでいる。黄緑のデコラはどこか日本国鉄の内装と通じるものがある。
 車内、運転台が半室で運転台と反対側は、

 展望席となる。車長座、と書かれていたので乗客は座る事は出来ないらしいのが残念といえば残念。
 そしてふと目に着いたのが、

 運転台後ろの機器類。更新されたり、追加されたりしているのだろうけど、殆ど制御盤同然の姿に少々唖然。
 列車は玉里を離れて速度を上げている。軽やかに東部幹線の立派な線路を駆けてゆく。走り出してしまえば涼風が吹き込む。夕方日が傾きかけた時間なのである程度は楽になる。5分10分走ると駅が現れ、お客さんが降りて行ったり乗っていったり。
 ゆっくりと側線に入って行く駅があったから待避としれる。試しにホームに降りてみる。

 
 改めて黄色い顔に銀の顔を眺める。実に整った顔立ちである。日本のどこかのローカル線、思えるがここは異国の地。なんか不思議な気分になる。

 対向列車でやって来たのは特急自強。DR3000もやはり日本顔。
 青かった空に雲が出てきて陰りが目立つ中を列車は再びの疾走となる。6月の下旬だが暖かな台湾ではすでに実りの季節、らしい。たわわに実った田圃の中を走る日本出身、日本顔の気動車
 だいぶ暗くなって鳳林に到着。大きな駅の駅舎寄りのホームの停まる。鐵路迷が何人かホームに出てゆく。どうやらしばらく止まっているらしい。試しに一人の鐵路迷を捕まえて「How long stop」って聞いてみたら「10min」と答えが帰って来る。それならば、と礼を言って

 ホームの反対側に行ってみた。
 どうやら順行逆行両方の自強とすれ違うようだ。自強がやってくる側のホームには駅弁売りも立っている。池上弁当の包みだったので反射的に買い求める。価格はNTD70。

 普快のホームに戻ると、241列車、台東発の台北方面樹林ゆき、自強がDR3000型でやってくる。日本顔の気動車が顔を合わせる。この自強に乗り換えると花蓮には19:07の到着、台北には22:14の到着となる。
 上下二本の自強がすれ違った後、改めてこちらの普快が発車する。