あけぼの 上京 その2

 列車は弘前に到着。乗り込んできた乗客はあまりいなかたようにも見える。が、普段と違うのはさよならのお客さんが青森から上野まで通しで乗っている事。突然用事ができてあけぼのに乗ろうとしても簡単に寝台券が取れる状況ではないから、弘前であけぼのを迎えるお客さんが少ないのは、仕方ないことかも知れない。

 向かいのホームから回送表示の701系が入れ替わりに出発して行くをの寝そべりながら眺めると、こちらの列車も出発となる。ガタンと小さな衝撃が来て列車はゆっくりと動き出す。街明かりが消えると外は再びの漆黒。

先程、日の高いうちに降り立った大鰐温泉の駅も暗闇に沈んでいた。小さな街の小さな駅から、大都会東京へと直行する列車が走るのもあと1ヶ月少々ではあるが、その列車のチケットは最早プラチナ化している。誰にも迎えられることなく列車は動き出す。
 三本目のビールをちびりちびりと飲みながら、青森秋田の県境を越えて行く。効き過ぎだった暖房は切ってしまう。ふと思って前の方の車両を見に行ってみる。個室は数室まだ空いている。でもこのまま空室、と言うことはないだろう。秋田から山形にかけて乗ってくるお客さんがまだいるという事。

 2号車、通路の補助いすに所在なく座っている人が何人か。上段寝台の主だろうか。一方下段の中にはカーテンを閉じている所もあったりする。寝台が使用開始されるなら上段の人も下段に腰かけてよい筈ではあるが、今の世の中、見ず知らずの人の寝台に腰かけるというのも煩わしいのかも知れない。

 折戸のデッキには外の雪が侵入し、吹き溜まり状態に。青森から1時間半ほどした経っていないのだけど、扉の隙間から容赦なく雪は侵食する。折戸になっている鉄道車両って寝台車には多いのだが、冬は大変だったに違いない。

 こちらは中間に封じ込められた車掌室付きの車両。目の前にあけぼののヘッドマークがどんと構え、格好の被写体になっている。コマを回すとあけぼのに集約される前の、さまざまな列車たち、或いは東北線日本海縦貫線に散った列車たちの輝かしいマークが出てくるのかも知れないが、この車両はもはやあけぼの専用。それもそう遠くない日に任を解かれる事となる。
 部屋に戻ってビールの続き。つまみは先程青森駅構外で買い求めた鮭とばを頂きながら、となる。時折、真っ白な駅が現れる。

 東能代の駅に到着。定刻より少々遅れを引きずったままのようだ。向かいの下りホームには寄せられた雪がうず高く積もる。その向こうには一日の仕事を終えた701系が灯りを落として休んでいる。まだ夜の8時半過ぎだが、何だか深夜のような雰囲気ではある。
 狭い個室のベットにごろりと横になる。何となく睡魔に吸い込まれていった。頭上のスピーカからは秋田到着までは森岳八郎潟と案内放送があったはずなのだが、全く気付かなかった。秋田の2分停車も全く覚えておらず、羽後本荘で4号車の指定席扱いが解け、寝台車に変わってもなお寝続けた。TDK企業城下町仁賀保の乗り降りも知らぬまま、有耶無耶の関を通り越し、庄内地方の代表的都市、酒田を発車した後に、寒さで目が覚める。
 毛布を被らぬまま、暖房を切って寝転んでいたしまったので少々体が冷えている。さすがに不味いなぁと思って暖房をつける。ビールは全部開けていた。最後に買った日本酒が一本残ったままだがさすがにもう飲む気にはなれない。
 折角なので浴衣に袖を通す。個室に閉じこもっていると列車の中の動きは良くわからない。外の様子を見に行けばB寝台満席の盛況特急が見られるのだろうが、個室を宛がわれ、酒が入ってしまうとその元気もない。余目の停車は覚えていたが、鶴岡の記憶はなく、また夢の中に引き込まれる。
 新発田を出たところでまた目が覚めて、もう一度眠る。その次はどうやら越後湯沢の手前であった。そんな調子で完全な熟睡ではないのだけど、割とよく眠れた。昨日が夜行バスでいい加減な眠りだった事もあろうが、今日のあけぼの。しっかりと眠れるよい夜になる。