愛知で迎える週末の朝、無理無理起き出したのが5時過ぎ。外は雨。予報通りの雨だが、予報では午後にはあがる事にはなっている。西に行けば行くほど回復は早いだろう。そんな訳で今日は出掛ける。始発の電車でまずは名古屋まで。

 名古屋には7時前の到着。ここでJRを降りる。

 何となく立ち喰いのきしめんを食べておく。
 今日の目的地は大阪の交通科学博物館。昔、東京にあった交通博物館と対をなす施設で、動力近代化初期の車両を展示している施設である。大阪の博物館でしか見れない車両もいくつかあり、一度は訪れようと思いつつも、今真mで機会がなかった。
 東京の交通博物館鉄道博物館へと発展したように、大阪にも別の博物館を作る話しが具体化していて、ならば今のうちに見学をしておこうかと思った次第。
 そんな訳で、今日は名古屋から大阪に向かう。
 名古屋からは近鉄の急行電車乗り継ぎ。ホームに出るとちょうど電車が出て行く所。次は7:31の鳥羽ゆきとなる。

 待つほど無く列車が入って来る。出発をクロスシートの座席で待つことになる。少しずつお客さんが増えてきて、さらっと席が埋まったところで定刻出発。


 外は相変わらずの雨。低湿地を走る列車の窓辺に普段よりも水っぽさを増した景色が流れて行く。土曜日とは言え、通勤通学の人も目立ち、名古屋から離れて行く列車でも桑名とか四日市とかに向かう人で列車はだんだんと混んでくる。四日市で一度人が入れ替わり、津でも一ラッシュある。名古屋から一時間少々。車内が落ち着いた所で大阪へ向かう乗換駅、伊勢中川に到着。

 大阪へは15分程待って急行に乗り換え、となる。赤福の広告が並ぶホームで待っているとがら空きの特急が行った後、上本町ゆきの急行が4両で現れる。4両?と思ったが普通に座れた。今度はロングシート
 列車は立派な複線の線路を快調に走って行く。今走るこの辺り、先月乗った名松線のすぐそばである。世界が違いすぎるので結び付き辛いが、外の景色は山が煙っていて何となく名松線のそれに通じる。
 立派な線路を通す需要がこのあたりに有るかというと、たぶんそんな事は無くて、立派な線路は大阪と伊勢や名古屋を結ぶためのもの。そして、その直通客の殆どが利用するであろう特急を通すためのものである。急行列車にも遠出風の人はいるけど、あくまでおまけ。


 まず西青山の駅で特急の待避。次は名張。ここで2両増結をする間にまた特急に抜かれる。特急が絶対優先の路線というと小田急を思い出す。小田急でも急行が特急を待避する光景はおなじみだが、近鉄は距離が長い分、待避する回数も多い。そして待避時間も長いようだ。名張の発車は10時ちょうど。伊勢中川から1時間乗ってまだ名張にしか着けないとは思わなかった。名古屋からだと2時間半が経っている。
 山の中にも住宅地が目立つようになってくる。このあたりから大阪の引力が強くなってくる。そして三重県から奈良県へと列車が進むと景色も平地のそれに化ける。辺りは一面の住宅地になる。
 大和八木でも特急の通過を待つ。車内は立客ばかりになり、伊勢中川で見たような人もすっかり人混みの中に紛れきってしまうことになる。ここからは急行らしい走りで、小さな駅をいくつも飛ばす。
 鶴橋でお客さんが大挙して降りてもう一駅、上本町に着くと11時15分であった。名古屋から3時間少々あれば着くかと思っていたが、だいぶ掛かっている。JRの新快速乗り継ぎなら3時間弱で行っただろう。接続をしっかり調べて行かないと、近鉄の急行乗り継ぎは具合が良くない事を身を持って知った事になる。

 上本町からもう少し先。近鉄難波線のホームに降りると尼崎行きの列車が来る。これで西九条まで行ってしまおう。難波までは立ち客大勢、普通に混んでいる列車。阪神線に直通する難波でたくさん人が降りて、車内はちらほら程度。三宮まで直通する電車だと多少は乗るのかもしれないけど、尼崎って中途半端な行き先なのかなぁと思う。
 人の動きの無いままに地上に出て、西九条に到着。ここで下車。近鉄名古屋で入ったときのスイカをタッチすると何事も無かったように¥2,500を引かれる。近鉄線が2,300円の阪神線が200円である。先週の北海道でも当たり前のようにスイカが使えたし、便利な世の中になった。
 さて、交通科学博物館。ここで勘違いが発覚する。最寄り駅を勘違いしていた。西九条が最寄りだと思って居たのだが、実際には一つとなり、弁天町が最寄り駅。大阪環状線で一駅移動しなくてはならない。これなら鶴橋から環状線の方が早かったかもしれない。

 東京ではすっかり見かけなくなった、201系に乗って一駅移動する。駅で降りると、ホームから展示車両が見えて、間違いなくこの駅が交通科学博物館の最寄り駅。

 雨は相変わらず降り続いたまま。基本屋内の施設だから大丈夫と思ったのだが、外を歩く場所もあるので若干やれやれである。ひとまず入場料¥400をスイカで支払い。中に入る。
 全部に触れるのは大変なので一部掻い摘んで。

 まず目にはいるのは宮崎のリニア実験線で活躍していたマグレブJR東海中央新幹線をリニアで引くと言っているのはここ10から15年の出来事で、自分が子供の頃にリニアモーターカーと言ったら宮崎の実験線で活躍していたこの無人車両だった。UFOみたいな車両が印象的で、実際に走っているのに、どこか非現実的な感覚を思い出す。

 こちらは初代気動車特急、キハ81。この世代の車両は写真では見たことがあっても実際に見る機会が無かったものが多い。そんな車両がごろごろしている交通科学博物館は有る意味貴重である。はつかり気動車化に伴い新製されたキハ81はその後、各地を転々とし、上野ー秋田を結んだいなほにも一時期使われていたそうだ。とはいえそんなことは文献で知るのみ。阪和線紀勢線のくろしおを最後に引退し、この博物館入りとなっている。

 同じ意匠のクハ151もカットボディではあるが展示されているので比べられるのは面白い趣向。

 こちらは80系の先頭車、クハ86の初期型。これも一世を風靡した車両だが、自分の世代には少々早かったから、実物を見たことが無い。


 実物を見たことがないシリーズ、DF50。初期世代のディーゼル機関車がこの博物館にはしっかり残されていて、隣はDD13。こちらも自分には縁がないが、同型機が各地の臨海鉄道にいるから現物の活躍はみたことがある。DF50も各地で活躍していたけど、80年代のはじめには宮崎とか四国とか、紀勢線だっけ、に集約されて廃車にされているので、こちらも文献で知るのみの車両である。そして

 DD54。少々狭苦しい所にいるのが気の毒だが、トラブル続きで薄命だったこの機関車がしっかり残されたのは英断だと思う。その英断のおかげで2013年になってこうして目の当たりに出来るのはありがたい事だ。

 交通博物館にせよ、交通科学博物館にせよ、鉄道に限らず船舶や航空にも視野を向けた作りになっている。鉄道限定の博物館に再編されると心配なのがそういった展示物。

 この車両は東名高速バス、ドリーム号の初代。今、時々お世話になるあの二階建てバスの始祖だ。

 こんな展示物の行く末は少々心配ではある。
 
 最後に。交通科学博物館でのお楽しみといったら

 ナシ20。20系の食堂車がレストランとして使われている。そこで食事を頂いてみよう。

 12時半ぐらいの食堂車。一度満席になったが、一巡が終わればほぼ待たずに入る事が出来る。テーブルやイスは当時のものではないだろうが、何となく雰囲気は近い。
 メニューはカレーやらカツランチやらといったものが並ぶ。決して、、、、とみてきたので一番カレーでいいやと注文。待つほど無く運ばれてくる。


 カレーライス¥700。
 自分も食堂車全盛期は知らないので何とも比較しがたいけど、20年前の上越新幹線。ビュッフェで食べたカレーが確か¥700。こんな雰囲気だったかなぁ。味までは比較できない。
 ナシ20に対して寄付をしたつもりで食事を終える。ビールもメニューにはあったけどここではパス。
 見学を終えて帰路につく。ひとまず大阪駅へ出る。

 屋根の出来た大阪駅。ずいぶんと雰囲気が変わっていて、もちろん屋根が出来ただけでは無いから、様子もずいぶん変わっている。ちょっと歩いても自分の知っている大阪駅とは違っていて苦労する。
 ちょっと行ってみたい飲み屋があって、足を延ばす。時刻は14時を廻った所。

ちょうど開店するかしないかという所。

 頂くのは大瓶の赤星。しかも値段が¥330。

 二本飲んでも¥660ですからねぇ。
 まだ14時過ぎだけどお客さんが次々入ってきて「赤星」と頼んでゆく様子は実に愉快だ。大阪は伝統的にアサヒとサントリーが強いのだと思っていたが、これだけサッポロが出る店もあるのねと少し酔った頭で考える。
 30分程でお暇。二品と大瓶二本で¥1,110。いわゆるセンベロからは脚が出たけど、まぁ満足する。

 さて帰宅。JR線の切符を買い求める。近鉄より少々高い。で、電車に乗るのだが、その前に何となくうどんを食べたい。飲み過ぎたわけではないのだけど塩分が欲しい。大阪駅環状線ホームにはうどんやがあったような気がするけど、綺麗になった大阪駅には似合わないと判断されたのか無くなっている。仕方ないので一駅移動。


 新大阪駅でうどんを頂く。その間に米原までゆく新快速が行ってしまったが、まぁ良い事にする。まだ15時過ぎ。東京まで帰るならいざ知らず、今日は名古屋のちょっと先で良いのだ。
 うどんを食べた後でやってきた快速電車、野洲行き立ったが乗ってしまう。京都へは新快速が先着と案内されたが、その新快速、湖西線廻りの敦賀ゆきなのである。
 京阪連絡の役目を新快速に譲った快速電車は空いていて、高槻までに概ねお客さんは降りる。途中で新快速に抜かれるのだが、その新快速、3分遅れているようで、抜かれたかどうか定かでないままに京都到着。湖東線方面は快速が先着なので大挙してお客さんが乗ってくると発車となる。
 一駅一駅、全部に停まりつつ終着の野洲まで。ここで新快速に乗り換え。大阪で30分の差があった電車が5分後に迫っている。

 中程は混んでいた新快速。後ろにゆくと空いていて余裕で座れる。乗ってしまえば非常に早い。そして快適。近鉄とJRを比べると近鉄の方が¥800ほど安くなるのだけど、その分の差はあるなぁと思うことになる。
 米原に17時前の到着。うどんで30分ロスしているが、上本町ー伊勢中川よりは早い。うどんのロスがなければ圧倒的に早いことになる。

 この先の乗り換えは同じく新快速。始発の豊橋ゆきは空いていて余裕で座れる。18きっぷのシーズンだとこうは行かないけど、18きっぷのシーズン外にそれなりの運賃を払った余得とも言える。
 17時過ぎに列車は出発。この先の時間がおおよそ読める。名古屋に18時過ぎ。そして19時過ぎには帰宅できそうだ。暗くなってきた関ヶ原を越えると外はまた雨となる。今回の雨、降り出しが早まった癖に上がるのは遅れている。
 最後の接続がうまく行かず考えていたより遅くなったが、それでも19時半前には帰宅する。さすがに最後は少々疲れた。
 帰宅して、今日の恥辱と先週の分を少々進めようとPCを点ける。起動しないでその代わりに「Operetion System missing」なんてエラーが出る。スマートフォンで症状と対応方は調べられたけど、う〜ん、横浜戻らないとどうしようもないなぁ、、、、