2022-06-17

 目覚ましの音で起こされた。時刻は5時半過ぎ。普段からすれば十分に遅いが、やっぱり早い。

 外は曇り空と言うのか、霧と言うのか。梅雨のない北海道に来た筈だが、昨日に引き続き、札幌の天気はイマイチ。
 身支度をして朝食会場に行く。まだ6時過ぎだが、自分より早起きの人もいて、そこそこ賑わっていた。

 北海道らしく海鮮がずらっと並ぶ朝食メニュー。その中から海鮮丼を作る。

 海鮮丼に海鮮サラダ。昨日の夕食よりも明らかに華やか。

 色々と原価が上がっていそうなものばかりが並ぶ海鮮丼になる。提供する側は大変だろうなぁ。
 部屋に戻り身支度少々。天気予報を見ると曇りだったり晴れだったり。気温は20℃より上がりそうだ。ジャケットは着なくて良いかも知れない。
 7時ちょっとを過ぎてホテルを出る。札幌宿泊は今日まで。乗ったり乗ったりしながら移動する。まずは地下鉄で札幌駅に出る。スーツケースは一旦コインロッカーに入れておく。
 改札口に赴く。

 この後、乗るのは岩見沢行き。まだ時間に余裕があり、ならばと夕方予定していたバスの乗り場を確認しておく。できれば乗車券も手に入れたい。
 ESTAの脇にあるバスターミナルへ。札幌駅界隈は馴染みのある場所だが、ここのバスターミナルは初めて訪れた。沿岸バスの乗り場を確認し、切符売り場も見つける。切符も問題なく買えた。

 目の前には8:00に札幌を出る豊富ゆきが停車中。乗客はあまりいない様子。空いている。
 さて駅に戻る。平日のラッシュ時。列車が来るとたくさん乗客が降りて来る。ホームに上がると間もなく

 小樽方面から列車がやって来る。こちらがそのまま岩見沢まで向かう普通列車。大多数が降りて、空いた車内へ。札幌から乗る人もそこそこいて、席は埋まる。
 7:58、定刻出発。千歳線から石勝線に向かう特急とかちが並んで走る。一瞬こちらが先行したが、苗穂手前で特急が本領爆発。一気に追い抜かれる。
 降りる乗るを繰り返して札幌郊外を列車が走る。段々と車内が空いてきて、江別でがくんと減った。今乗っている車両には数人しか乗客がいない。6両を半分にしても勿体ない感じになる。

 45分で岩見沢到着。乗り換えとなる。ちょっと間があるのでいったん外へ。改めて

 構内に戻る。「改札中」の文字があったりなかったり。これから乗る列車の改札はまだ始まっていないが、自動改札なのであんまり意味なく。

 構内には721系が姿を見せている。F-1とあり、トップナンバーであった。この車両が出た時の事は記憶にある。当時各地で新車が続々出ていたけど、実見したのは721系が初めてだった。北海道で見たのではなく、甲種輸送の途中、秋田貨物駅に停車している様子を見たのだ。国鉄時代そのままの列車が闊歩していた中に通り過ぎたステンレス車は新しい時代の到来と、地元が取り残される歯がゆさを同時に覚えたものだった。
 当時の中学生が、もういい歳になっている訳で、目の前の721系も年季が入っているだろうが、あまり変わらず活躍を続けている事は、喜ばしい。
 そんな感慨に耽っていると、列車が到着する案内が入る。

 気動車が1両やって来る。こちらがこれから乗る苫小牧行きの普通列車になる。ホームで待っていた数人ぐらいが列車に乗り込んでゆく。

 JR東日本にそっくりさんがいるような気がするキハ150。4灯ものヘッドライトが物々しく、吹雪の厳しさを伝えている。

 そんな古い車両では無い筈だが、塗装の剥げ、その補修跡が目立つ。経営的な厳しさを伝えているようだ。

 車内はJR東日本のそっくりさんと一緒、なのだが、違うのは冷房が無い事。通風器があるのと、窓も上部が内側へと開くようになっているのだが、真夏はだいぶ暑いだろう。幸か不幸か、真夏の盛りに乗った事がないので、どんな感じになるのかは知らない。
 9時に街を出て郊外というか田舎に向かう列車にどれだけの人が乗るのか、想像つかなかったが、発車時刻が近付くと、ボックスが埋まり、ロングシートにもそこそこ人が座り、列車の体裁は整った。間もなく出発。 岩見沢の街を左手に臨みつつ、先程乗って来た函館本線の隣を並んで走る。田舎に向かう列車なんて失礼な書き方をしたが、こちらも室蘭本線。今でも旭川からの貨物列車は室蘭本線を通過する。没落はしきっていない大幹線を結構な速度で飛ばしてゆくと岩見沢の市街地を抜けた所で線路が分かれる。

 石狩平野の水田を見て列車は南に向かう。遠くに観覧車が見える。グリーンランドという遊園地があるらしい。旧炭田の跡地利用か何かの施設かなぁと想像してみる。
 岩見沢を出て一つ目。志文は万字線の分岐駅だった所。もはやジャンクションの面影は全くなく、その辺の無人駅と一緒なのだが、駅を出た所で明らかに鉄道跡のような敷地がカーブしてゆくのが目に付く。鉄道が消えて40年近く経つが、案外と痕跡が残っているもの。
 そんな炭田があった頃の微かなスモーキーな香りは漂ってこないが、列車は南に向かう。栗沢、栗丘、栗山。なぜか栗のつく地名が続く。岩見沢からのお客さんが少々降りるようになる。栗山は結構な街で、
多くの人が降りる。昨晩、ゴーアラウンドして2周したときに見えた大きな街明かりは栗山のものだったと分かる。駅前にはちょうど札幌ゆきの高速バスがやって来る。バスだと岩見沢を迂回する必要なく、まっすぐ札幌へ行く。
 降りる人は多かったが、栗山から苫小牧の方へ行く人はいないのか、車内は空いてくる。

 ずっと無人駅ばかりで、駅舎だけ見ているとローカル線なのだが、線路だけ見ていると立派である。長い有効長は石炭輸送の頃の名残だろうが、貨物列車を走らせるには好都合に違いない。
 長い列車同士がすれ違える立派な駅で

 普通列車同士がすれ違う。どちらも1両でローカル線そのものなのだが、相手の下り列車はそれなりに乗客を乗せている。こちらは年寄りが多かったが、向こうの列車は若い人が目立った。鉄道が相手にされている、生きている事が垣間見える今日の室蘭本線
 石勝線の立派な線路が寄ってきて追分到着となる。乗務員が交代、列車も少々停まる。 

 広い構内にぽつんと1両の気動車。石勝線の特急が並べば、また雰囲気が変わるのだろうが、今見える範囲で言うと、没落した名家という空気が漂う。

 没落する前を知って良そうな蒸気機関車が駅から少々歩いたところに展示されている。見に行ってみたいものだが、ここで列車を捨てると身動きが取れなくなってしまう。
 再び列車で苫小牧へ。追分で交代した乗務員は新人さんらしい。指導運転士が点いていて、指差呼称やら何やらの声が車内、良く聞こえるようになる。
 右手から千歳線が寄り添ってきて並走するようになる。

 一番右が千歳線の下り線。真ん中と右が室蘭本線千歳線上り線路は少々離れたところを通っている。先程来、室蘭本線の線路を立派、立派と褒めてきたが、JR北海道の最重要幹線になった千歳線と比べると、レールも細いし、枕木も違う。やはり没落した名家、というのが正しい言い方なんでしょうね。
 没落してもこちらが本線なので、千歳線と合流した沼ノ端から先は、室蘭本線を名乗る。その沼ノ端で多めの乗車。この辺り、住宅も立ち並ぶ苫小牧の郊外と言うべきところ。乗って来た人はたまたまやって来た列車が岩見沢からの列車だった、という体でしょうが。
 複線線路がまっすぐ伸びる区間に左手から単線の線路が寄って来る。日高へと延びていた日高本線である。その線路を

 列車が走ってゆく。苫小牧を10:32に出る鵡川ゆき。この列車の苫小牧到着は10:38なので、微妙な所で接続してくれない。日高本線、次は12時半近くまで空いている。苫小牧手前では札幌ゆきの特急列車が動き出すのが見える。岩見沢からの列車で苫小牧乗り継ぎ札幌に行く人もいないだろうが、こちらもちょっとの所で待って貰えない。苫小牧に行くためだけの列車が苫小牧に到着する。

 どこにも行けないから苫小牧で降りる。次は鵡川に行くつもりだったのだが、先述の通り、次の鵡川行きは12:25。2時間弱の待ち時間。出来が極めて悪いのだが、室蘭本線日高本線、組み合わせて乗ろうと
すると、どこか苫小牧での接続が極めて悪く、どうにもならなった。
 2時間の待ち時間。それを歩くことに使おうと思っている。今朝は食べ過ぎたし、昨晩も食べ過ぎた。多少歩いておかないといけない。2km程で苫小牧の漁協があり、食堂なんかもある事は下調べしている。
 寂れた感じの苫小牧駅前から海の方に向かって歩く。道は広く、歩道もしっかりしている。歩く人はいないが、歩く環境としても問題ない。
 今朝の札幌は曇り空で寒かったが、この時間の苫小牧、晴れて気温も上がっている。

 ずっと広い道を歩く事30分少々。海の感じはあまりしてこないが、どうやらこの辺りが目的地らしい。間もなく

 いかにも、と言う感じの食堂が現れて目的地であることを知る。

 結構大きな漁港があって、漁船が屯している。防波堤の向こう、貨物船が出港する様子が見えて、ただの漁港でない事も知れる。そして潮の匂い。たくさん水のある所が琵琶湖、という生活に慣れると潮の匂いは違和感すら覚える。
 地図で見て、目星を付けていた店はこの時間から大行列が出来ていた。この行列に並ぶ気力と時間は無いので諦める。他の店であれば

 他にも選択肢はある。ただ、そこまでお腹は減っていないし、呼び込みが煩い店は好みでは無いし。何か気力が萎えて、駅に戻ることにする。お昼は駅弁にしようかと考えた。
 改めて苫小牧駅へと戻る。途中、交差点の向こうに蒸気機関車の姿が見える。気になったので行ってみる。

 C11-133号機。案内板には深名線標津線釧網線で活躍とあり、苫小牧とは縁のない機関車っぽいが、なぜかこんなところで生き永らえている。そしてその後ろに

 ミール展示館、の文字。ミールって、ロシアと言うよりソビエトの宇宙ステーションの?
 ?がいっぱいなのだが、ちょっと覗いてみる。
 無料で見学できるというこの施設。入ってすぐの所、

 どんと宇宙ステーションが鎮座している。本物か紛い物なのか、半信半疑なんだけど

 紛い物だとしたら良く出来ている。
hokkaidofan.com
 苫小牧にいるミール。予備機なんだそうだ。実際に宇宙に行ったものは運用を終えた後、大気圏に突入し、燃え尽きている。本務機に不測の事態があった時に備えた予備機が1機あり、それがソビエト崩壊後のゴタゴタとバルブ景気が出会って日本にやって来た、と理解した。誤読は大いにありそうだけど。

 どちらが前でどちらが後ろか分からないが、反対側からも見てみる。一番手前は宇宙船と接続するための接続ポート。前か後ろかは別にして入口、と言う事にはなる。
 ロサンゼルスに居たエンデバー
podaka.hatenablog.com
 は外観を見るのみだったが、こちらのミールは内部見学もできる。

 接続ポートの手前に操縦席がある。操縦席があるならこちらが前か。大人二人が入るとすると、ずいぶんと狭く快適とは程遠そうだが、仕方ないのか。

 操縦席の手前、今いるところはダイニングキッチン兼食糧庫、とでもいえば良いのか。棺桶みたいなプライベートルーム、やはり体格を考えるとどうみても狭い洗面所もある。

 操作パネルは押釦で構成されているもの。80年代の匂いがぷんぷん漂う。

 予備機、とはいえ本務機は既に存在せず、貴重な存在だとは思う。偶然こんなものを見る事が出来たのは幸運。漁港の行列に感謝しなくてはならない。
 しかし、もう少し世に知られても良いのではないか。殆ど訪れる人がいないのはあまりにも勿体ない。
 思ったよりも時間を使ってしまった。そろそろ駅に戻る。来た道とちょっと変えて戻ると駅の手前、

 ただの立体駐車場に見えたものの1階が

 バスターミナルの廃墟、だった。バスの本数が減って、大きなターミナルを維持する必要が無くなった、のかも知れない。2階から上にある駐車場は盛業中だから余計ややこしい。
 駅前ロータリーに停まるバスを見て構内に戻る。まずは食べていないお昼ご飯用に駅弁を買う。

 改作口から近い売店で売っているのだが。買い求めようとすると食券を、と仰る。よくよく見ると

 券売機の中に駅弁のメニューも選択肢があった。これは想像の斜め上で気付かない。
 とにかく駅弁は買う。店の人に「気を付けてお出かけください」と声を掛けられた。既にだいぶ遠く出かけているが、この先も気を付けよう。
 今度は切符。苫小牧から鵡川区間は手元の切符の範囲外となる。鵡川まで片道750円だそうだ。思ったよりも高価。ほんの5駅ゆくだけだが、距離はあるから。往復で1,500円。これは昨日と今日使っているフリーきっぷと同じ値段になる。

 改札を通る。鵡川行きの案内はまだ出ておらず、ホームに降りると札幌方面の普通列車が出発を待っている。この列車が出てゆくと

 鵡川行きの案内が出る。苫小牧について2時間。ようやくだが、これはこれで良かった。間もなく、鵡川行き到着の放送が入る。やって来たのは

 先程、数分の差で苫小牧を出て行ったのと同じキハ40。自分が苫小牧をふらふらする間に、鵡川を往復して車庫に引き上げていたらしい。
 列車がドアを開けると地元の人と思しき人が数人乗り込んでゆく。ボックスシートが埋まり切らない程度の乗車。自分も後から乗って余裕で席を確保できる程度。

 出発直前に札幌から特急列車がやって来る。一応、接続は取るのね。この列車に乗るのに、どうやっても苫小牧で待ち時間が出来ると思っていたが、ごくごく普通に札幌から特急に乗っていれば、何のことは無かった様子。
 特急からの乗換客がいたのかどうか分からないが、ボックスに1人ずつ。ロングシートに少々ぐらいの乗車率だから十数人程度か。地元の人が多いとは思う。時間柄か、何か食べ始める人が多い。田舎汽車の景色に久々に触れる。

【今日の駅弁】サーモン寿司 ¥800 株式会社まるい弁当

 苫小牧の街、駅の様子を見ていると、駅弁が残っているのが奇跡に思えるが、何気に生き残っている。苫小牧だけでなく新千歳空港で営業できるから、なのだろう。
 先程の漁港では北寄貝が名物で、北寄貝の駅弁もあるのだけど、そこまで空腹ではないので、軽そうなサーモン寿司にしてみる。

 時代掛かったパッケージが歴史を物語るようだ。

 中身はスモークサーモンの押し寿司。若い頃なら物足りなく思っただろうが、今ならこれで十分満足できる。昨日の巻きずしもこのぐらいの量ならちょうど良かった。
 駅弁を頂く間に列車は動き出す。鈍重なキハ40の加速を楽しみ、小さく開けた窓から入り込む風を楽しむ。

 窓の向こうに一足早い夏の空。あとどれほどの間、この空気を味わえるのだろう。 

 車内の青いモケット。がら空きなのでつい足を投げ出したくなる。

 列車は太平洋の雰囲気だけがかすかに匂う中、つかず離れず、淡々と走ってゆく。
 忘れられたような駅に着く。

 駅にも人の営みにまつわる気配は感じない。ドアの開け閉めの音がだけが聞こえて、非力なエンジンが唸りだす。ゆっくりとゆっくりと列車が動き出す。
 遠く遠く、様似まで続いていた本線を名乗る線路も2022年の現代はわずか5駅、鵡川で潰える。この先の線路、災害の影響で長い事、運休が続いた果てに廃線となっている。

 かつては富川線との分岐点であり、富川線亡きあとも日高本線の拠点であった鵡川の駅。延々続いていた線路はなくなり、一日に数本、苫小牧からの列車が折り返すだけの駅になっている。
 地元の人が散ってゆく。駅に残る人もいて、鉄道に乗りに来たお客さんが一定数いた事を知る。

 立派そうな駅舎があるが、人の気配が無い。降りてゆくお客さんも駅舎には用事が無いのか、その脇を通って街へと散って行った。

 鵡川駅。過去にはこの先、バス路線との結節点であったようだ。しかし道南バスの時刻は消されており、僅かにあつまバスの路線が1日2本だけ。

 列車が苫小牧に戻るのは13:05。街から駅に来る人はおらず、列車に接続するバスもない。残した鉄路を生かす取り組み、鉄道側からも行政側からも、何の取り組みも垣間見えない北海道のローカル線。
 苫小牧からの30分少々。過去に戻るような、穏やかで豊かな時間を過ごせるよい時空だが、長い事は続かないだろうなぁとも思う。

 勝手に判断するのは申し訳ないけど、命運尽きたなと思う30分だった。
 折り返し列車の時間になる。

 帰りの列車は折り返しのお客さんだけを乗せて鵜川を出る。来た道と同じ景色を見るのも難なので、帰りは山側の景色を見る。この辺の日高本線は良く言えば穏やか。口悪く言うと見どころが無い。

 札幌からの距離は手頃。手練れがいれば何か仕掛けらせそうだけど、残念ながら観光路線になる気配も感じられない。

 鉄道ファンには豊かな時間だけどな。吹き込む風も、鈍重な走りも。
 立派な線路が近寄ってきて千歳線と並走し、ようやく街の気配になると苫小牧着。

 往復70分。苫小牧に戻る。時刻は13:30を過ぎている。そろそろ札幌に戻る。幸い、今度の接続はそこそこ良い。駅構内で過ごす。
 列車を待つ間に 

 貨物列車がやって来る。3059列車、DF200-10号機牽引。

 今度は特急列車。特急北斗9号は261系の6両編成。
 ここまで迎えると隣のホームへ。手元の切符は普通列車と快速列車しか乗れないので、乗るのは札幌までの普通列車

 721系の3両編成が出発を待っている。階段に近い車両は、席がそこそこ埋まっていたが、最後尾は空いている。

 3つドア、デッキ付き、転換クロスという独特な空間に納まる。座席のクッションはだいぶへたっている。登場から30数年。仕方ない所ではある。窓もだいぶ汚れていて、試しにホーム側から拭いてみたが、全く効果が無い。席に戻る。
 普通列車のへたった座席に座り、京王線恥辱を進める。この列車、札幌まで乗り通すと札幌到着は15:30過ぎ。快速エアポートの方が圧倒的に早く、曇り空の南千歳で乗り換える。辛うじて座れた快速は同じく721系。今度はWifiが使える。札幌に着くと15時。30分早く着いた。

 8時間ぶりぐらいに札幌に戻る。手元の切符を使うのはここまで。改札を出ると大丸の地下。六花亭で自宅用と会社用を少々買い回り。
 時間は少々余っているが下調べがついているバスターミナルへ赴く。

 市内路線と一緒に高速バスも乗り入れする札幌駅前のバスターミナル。今日はこの後、留萌までバスで行く。ずっと汽車で来て、なぜバスに乗るかはおいおい。

 バス乗り場には出発を待つ人がちらほら。係員が老婆を案内している。「静内行きのバスは次の次に来ますからね。」静内は日高本線鵡川の先にあった街である。17:10に出るらしいから、まだ1時間半も待ち時間がある。「2台来ますけど、後ろのバスに乗って下さいね。今日は50人お客さんがいるんで、1台だと足りないんですよ」
 この50人。昔だったら日高本線の急行に乗って静内に向かった筈だ。
 自分の乗るバスはまだ来ない。

 沿岸バスがやって来る。これは到着便。折り返しになるかと思ったら、そのまま回送で引き上げてゆく。

 道南バスがやって来る。これは16:00の洞爺湖温泉ゆき。
 16時を少々過ぎたのち、

 16:10出発、留萌駅前ゆきの特急ましけ号がやって来る。先程到着したバスは高速はぼろ号だが、こちらは「特急」で「ましけ」。そして留萌駅前ゆき。高速道路を通らず、浜益、雄冬、増毛と下道だけで留萌まで行くバスになる。
 並んでいた人、十数人少々が乗り込む。予め乗車券は買っているが、座席指定ではない。運転士に降りるバス停を申告して乗り込む。留萌市街、駅前まで行かない方がホテルは近い筈だが、良く分からないので駅前と申告する。
 今回の日程決めではこのバスが一つカギになっている。一日1往復、朝、留萌を出て来て札幌へ。夕方、札幌を出て留萌へ。浜益、雄冬、増毛の人を札幌へと連れだす事が役割のバス。なのだが、コロナ禍で利用者が激減したとの事で、今年の4月以降、週三回、月水金の運転となっている。最初は土曜日夕方のバスか、日曜日朝の留萌発、と思っていたのだが、金曜日夕方のバスにのるしかない。金曜日16:10札幌を軸に前後、興味のある所を繋いでいったら、今回の旅程が出来た、と言う感じではある。
 そしてわざわざ留萌まで時間のかかる遠回りルートにしたのも理由。雄冬から増毛という道自体に興味があった。自分が小学生の頃に見た時刻表、索引地図に「雄冬」と言う地名は出ていて、増毛から赤い線が円弧を描いて通っているだけだった。増毛から船でないと行けない場所だったのである。陸伝いなのに船でしか行けない。そんなところはそんなに無かった。しかも「冬」なんていかにも寒そうな名の付く土地。だから強烈な印象を持っている。今はバスが通るぐらいだから、船なんて通っていないが、どれだけ厳しい所なのか、一度見てみたい。
 バスは曇り空の重たい札幌駅前を離れて市街地を北に行く。途中、乗車する人もいるので座席に荷物は置かないで、と案内があるが、2人掛けで空いている所もちらほらあり、つまり、空いている。あまりに乗らないと路線自体が無くなってしまいそうで、好ましくはないが、今日の所はありがたい。
 車両にはWifiも電源も無いので、京王線恥辱の続きは諦めて窓外を眺める。札幌の市街を外れると

 30分少々で田園地帯に差し掛かる。既に国道231号線浜益、雄冬と日本海岸へと続く道を走っている。札沼線のさらに海側に相当するようだが、時折人家があるものの、寂しい所に差し掛かっている。ここまで停車するバス停は無く、下道の流れに乗って淡々と走ってゆく。

 海と見間違えそうな大きな水のありかは石狩川。もうちょっと下流まで行くと河口なのだが、この辺でも石狩川は曲がりくねっていて、海は近い筈なのに、石狩湾まで見通せない。
 札幌駅を出て1時間が過ぎる。左手の車窓に海がちらほら見えるようになる。

 畑地の向こうに暗い石狩湾が垣間見える。向かう先は黒い雲が被っているのが見え、まるでこの世の果てにでも連れてゆかれる気分。
 札幌駅を出て1時間。厚田支所前から停車が始まる。今は大合併して石狩市という曖昧な名前になっている厚田、浜益のエリアは降車乗車どちらも出来る。厚田からは乗車があった。どこまで行く人だろう。
 次は「ごきびる」と案内がある。漢字で書くと濃昼だそうだ。これは読めない。

 国道から海が見えたり消えたりを繰り返して北へ進む。漁村と言う体裁の濃昼では乗降無し。乗降が無いと、バスは速度を緩めることなく飛ばす。
 ずっと海沿いを走っていたバスが山の中へと入り込んでゆく。

 ずいぶんと高い所まで来て、谷を越えると今度は海側へと下る。淡々と海沿いを走る、と言う訳に行かない複雑な地形の中を行く。
 旧厚田村から旧浜益村のエリアに入った辺りから、札幌乗車のお客さんが降り出す。

 行く手に岬が見えて来る。その向こうは黒い雲。長いトンネルに入り、ずっとトンネル。一瞬抜けたところが、旧浜益村最後の集落、千代志別だった。乗降無し。次は雄冬と案内。またトンネル。長い長いトンネルでしかもトンネルの中がカーブしていて真っすぐではない。
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 丁度走る道、開通までに苦労したところ。ふと昔の事故を思い出す。積丹半島だっけ、トンネルの崩落にバスが巻き込まれたのは。
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 一番厳しい所をトンネルで抜けたようだが、トンネルを抜けるとさらに暗い海が見える。

 ここが雄冬だった。到着の案内があって、大別苅までのバスは乗り換え、と案内。一瞬、海岸沿いに路線バスが停まっているのが見える。路線バスの運転士がこちらのバスに向かって手を上げるのが見える。
 雄冬のためのバス何だろうけど、雄冬下車の人はいなかった。これより増毛町内に入りますと案内があって、増毛町内の降車バス停が告げられる。

 相変わらず海と空は暗く。岬が突き出ている所を長いトンネルでショートカットするコースを進む。雄冬と増毛の間はこの道路が出来るまで、船で行き来するしかなかったはずだが、道路が通年通れるようになり、航路が無くなったのは1994年の事らしい。ずいぶんと長い事、陸の孤島だったのだ。
 再び長いトンネル。一瞬明るくなってもまたトンネルと言う調子。雄冬を挟んだ国道231号線。建設費があまりに高額でダイヤモンド道路、と言うそうだ。襟裳岬へ通じる道は黄金道路と言うか、その上か。
 トンネル区間を抜けると辺りが開ける。増毛市街に差し掛かる。ずっと海のすぐそばまで暑寒別岳が迫る景色を眺めた身には広い平野が広がる栄えた所に見える。もちろん過疎の街であり、鉄道もなくなる街なのだけど。
 旧増毛駅、というバス停がある。

 駅が綺麗に整えられ残されている。増毛までの留萌本線、1994年の10月に乗った。ちょうど雄冬までの道路が開通した頃。増毛では折り返しに少々時間があり、駅の様子は記憶と一致している。駅の後ろに灯台が見えるのも記憶にある。でも雄冬までバスが通るようになった、とかそう言う事は一切知らなかった。まだインターネットが一般に普及する前の事である。大学でインターネットに触れたのは翌年、1995年の事。
 増毛市街で大多数のお客さんが降りて行った。留萌まで乗り通すのは数人の様子。

 暗かった空の向こうに明かりがさすようになる。28年前に通った線路の脇をバスは淡々と走ってゆく。増毛市街から見ても栄えているように見える、でも寂しい留萌の街へと入ってゆく。留萌十字街、なんて時刻表のバス路線欄でしか見た事が無かったバス停を通る。市街地の手前にある交差点であった。 
 わずかに残った客も留萌市街地の便利な所で降りてゆく。終点の駅前は市街地の外れ。駅前には入らず、駅からちょっと離れたところがバス停であった。


 バスはすぐに回送となる。誰もいない留萌駅前の通りに一人残された。
 時刻は19時前。6月の北海道なのでまだ外は明るい。市街地に戻るようにキャリーバックを引っ張り、予約していたホテルに投宿する。

 宛がわれた部屋は2階。海は見えないが西向きなので夕陽が見える。雄冬の暗い空が嘘みたいに夕焼けが広がっている。
 部屋に引きこもっていても仕方なく、軽く飲みに行く。

 午後7時過ぎの留萌市街。飲み屋の明かりは見えるけど、人は歩いておらず、寂しい限り。5月の香椎で散々使った「寂しい所ね」なんて言葉が良く似合う。
 ホテルで貰えた割引券が使えるところから、海鮮が食べられそうな所へ。ひとまず

 ビールは大ジョッキで。3時間ほどのバス旅。あまりに厳しい景色に息をのみ込みすぎ、喉が渇いた。
 海鮮、なんだけど

 かすべのぬた。ホヤ酢。ホッケの切子。海鮮で思い浮かべるものでは無いかも知れない。
 大ジョッキが早々に無くなってしまい、このおつまみ好適品だけが残される。あまりに不憫で

 増毛で醸す国稀をお願いする。明らかに酔いが廻るコースでお冷も一緒にもらっておく。

 更に海鮮感はあるツブ刺しと、メニューに「かんかい」というのがあったので気になり注文。

 北海道では一般的に氷下魚と呼ぶ魚。なぜか留萌では「かんかい」と言うそうだ。
 こんな調子で飲んでいると早々に潰れるので切り上げる。続きはセイコーマートで買い出しして部屋で。そして案の定、潰れる。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず 
 万歩計は20,348