2022-05-21

 6時過ぎには目が覚めた。昨日一日を休暇にしたから変な感じだが週末の土曜日である。
 昨日から妻の実家、ご両親と妹さんが大津に来ている。今日も一日一緒に過ごす予定。昨日借りたクルマで琵琶湖を一周する予定になっている。
 外は曇り空。天気予報はあまり良くない。近畿南部は雨、北部は曇り。中部は、どっちつかず。大津は中部だろうけど湖北は北部だろう。その事にちょっと期待する。
 一日クルマなので、歩きは間違いなく足りなくなる。朝のうちに少し歩く。

 どうせなら晴れた青空の琵琶湖を見てほしかった。
 少し膳所界隈を歩く。


 京阪電車を見つつ、小一時間の散歩道。自宅に戻ると朝食を頂く。身支度少々。約束の時間に合わせて家を出る。
 この時間の大津は曇り。その中を琵琶湖ホテルまでクルマを転がし、御実家一行と合流する。今日の予定は琵琶湖一周だが、湖西経由で琵琶湖の北端、近江塩津を目指す事にする。途中、マキノのメタセコイア並木ぐらいは寄り道しようかと思う。
 昨日、義父から塩津のお話は伺っている。夜、酒を飲みつつも自分なりにも行先の事を調べてみた。聞いたところによると地名としては沓掛という所。集福寺という寺があるそうだ。調べてみたら集福寺も集落名。沓掛は近江塩津新疋田との間、深坂トンネル入口付近になった信号所の名前であった。現在は北陸線湖西線の分岐点であるが、近江塩津駅構内という扱いらしい。
 義理の祖父は戦争前、深坂トンネルの工事技師として赴任していたそうで、工事用の宿舎があったところが沓掛らしい。ひとまずその辺に行ったら、記憶が蘇る事もあるかも知れない。
 クルマで湖岸道路を西大津。ここから内陸に入ると湖西道路へ。この道は初めて走る。2車線でたいそう走りやすいと思ったら早速渋滞。雄琴の手前で1車線になるらしい。渋滞を抜けるまでだいぶノロノロしていたが、その後はまた流れ始める。12月に歩いてビワイチをした時よりもだいぶ内陸を通っていて、琵琶湖はたまに遠くに見えるだけ。
 北小松で湖西道路は尽きる。見覚えのある161号線に合流する。この道を歩いた、なんて話も交えつつ湖岸を行く。目的地は塩津なので白鬚神社は車窓観光。
 歩きでは二日掛かった膳所から近江高島。クルマだと1時間掛からないぐらい。この先はまた内陸を行く自動車専用道となる。湖岸が遠ざかり、安曇川の三角州を横切るように。湖西を行きつつもあんまり琵琶湖の姿を見せていない事が気にかかる。
 ナビの目的地はひとまずマキノ駅にしている。その手前で道を逸れ、メタセコイア並木のある通りに入る。ちょうど雨が降り出したが、道の両脇に続く並木、クルマの中からでも見事だった。これはみんな、見に来るわと納得の景色。クルマのビワイチ。だいぶ様子は違うが、これはこれで楽しめる。
 マキノ駅を過ぎる。ナビの目的地を変えなくて行けないが、そのまま走る。海津大崎を廻るか、国道経由にするか。景色が良いのは海津大崎経由だろうが、かなり遠回りになる。国道経由と決めて真っすぐ。何となく、順路が近江塩津と思って走っていたが、気が付いたら国境スノーパークなんてものが見えている。途中で右折するのが正解だったのだが気が付かなかった。戻るよりは疋田経由で塩津に行くと決める。最初から海津大崎を廻った方が良かっただろうけど。
 だいぶ遠回りをしてしまい。国道8号線敦賀から下る形で塩津の方へと近づく。沓掛と言うバス停が現れてそろそろこの辺り、と注意する。どうしたものかと思っていたら、「左折深坂トンネル入口」というJR西日本の看板が目に付く。ここへ入れと即断。ちょっと強引だったが、左折する。
 国道からの道、僅かな家々を抜けると深坂トンネルの入口真上を通る。その先には集落の墓地があって、後は行きどまりのようだ。トンネルの上にクルマを止め、さて、と思う。

 ちょうどサンダーバードが通過してゆくところ。列車が通り過ぎると静寂が訪れる。辺りを見ても何もヒントは無い。
 近くの墓地にお参りに来る人が見える。義父はあの人に聞いてみよう、とみんなが制止するのも構わず、行ってしまった。さて。
 なかなか戻ってこないのでみんなで様子を見に行く。すると地元の方という人と話が続いていた。この方も親御さんが深坂トンネルの工事に従事していたそうで、この辺に官舎があったんですよ、なんて話してくれる。

 そう、この辺。
 小学校の分教場の話、サブの婆さんという共通の知り合いの話。ぱっと見、戦前の事なんか知らなそうな比較的若い人に見えたのだが、御年80だそうだ。義父とは3年違い。
 地元の方の親御さん、鉄道の軍属としてフィリピンで戦死しているそうだ。墓碑にはフィリピンで戦死した旨、刻まれている。義理の祖父も同じ運命だった。深坂トンネルの建設は戦局の悪化で中止。義理の祖父は南方で鉄道建設を行うために軍属として戦地に向かい、フィリピンで戦死している。義理の祖父だけが戦地に行ったのではなく、深坂トンネルの工事関係者がほぼ全て送り込まれたのね。そういう目で見るとこの墓地。フィリピンで戦死、という墓碑が目につく。
 急に押しかけて迷惑じゃないかと心配したが、地元の方も当時の記憶が思い溢れて感極まっている。最後にお礼を言って、お墓に手を合わせてお暇頂く。この地元の方、普段は滅多に墓地には来ないのですよ、と言っていた。何の巡り合わせだろう。道を間違えるミスに墓地を訪れる偶然が重なったこの出会い。
 事項はお昼近くになっている。朝から休憩なしなので、いったん道の駅に行くことにする。集福寺の集落、義父はそういう名前の寺があるというが、には後程行ってみる事にして、国道8号線を下る。塩津の駅前を通り過ぎ、

 見覚えのある道の駅へ。12月のビワイチ。4日目のお昼に休憩をしたところだ。
 お手洗いと少々買い物。サンドイッチが美味しそうだというので人数分用意される。結構なボリュームでこれを食べたらお昼ご飯がどうでもよくなった。
 義父に集福寺には行きますが?と聞いたらもういいと仰る。先程の沓掛があまりに劇的で色々な事があり過ぎて、気持ちの整理が付かないのだろうなぁと想像する。
 塩津で最後に、琵琶湖岸に出る事にした。

 12月と違い水が張られた田園を見てから

 静かな湖畔を見る。青空に映える琵琶湖を見てほしかったが、これで良かったんだよと思う。
 帰路は湖東を廻る。女性陣のリクエストで近江八幡のラコリーナ。歩けば1日半かかるけど、出発。12月には雨が降りそうな中、歩いた道を進む。そんな話をしつつ対岸が解けて消えそうなさざなみ街道を時計回り。今日も雨が降り出しそうな中、長浜、彦根を越えて、1時間半で近江八幡のラコリーナへ到着する。

 雨が降るのに、観光客大勢のラコリーナ。関東での知名度はほぼゼロで、最初、会社の下見ツアーで連れてこられた時は「ラコリーナって何?」と思った話を妻がする。
 あまりに混みすぎ、足の悪い高齢者を連れて回るには不向きだった。バームクーヘンを出すカフェも行列。結局、フードコートみたいなところで


 お昼ご飯の補填だけ。多少の買い物をして貰って、帰路に就く。再び湖岸道路。12月の歩いてビワイチでは1日で歩き切った道を戻る。1時間ちょっとで琵琶湖が狭まって来る。対岸に大津のビル群。大津が一番都会に見える辺りだが、半分、霞に溶けていた。
 スーパーに寄る、というリクエスト、足が悪い高齢者にはイオンモールの駐車場よりは優しいだろうと平和堂石山に寄り道。折角なので唐橋まで廻ったのでクルマでビワイチ、ほぼ成立。時刻は17時を過ぎている。歩いて6日掛かったビワイチもクルマなら1日か。
 夕食は逢坂の鰻屋にした。今日は座敷の方を予約している。

 新緑の庭を見て座敷に上がる。お昼が結局いい加減だったので、その埋め合わせ、みたいになる。

 名物のきんし丼を頂き、暗くなる頃、琵琶湖ホテルに戻る。一日連れまわしてお疲れだった様子。元気なら比叡山から大津の夜景でも、と思っていたがそんな感じではなかった。ホテルの部屋から花噴水を見て貰おう。
 クルマで自宅に戻ると20時だった。今日を振り返る。酒を飲みつつネットで見つけた塩津の歴史を書いた資料を見る。現地を見た後だとしっかり頭に刻まれる気になった。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は14,611