悪運が強い、のかなぁ

 週末金曜日。今日は歓送迎会があって最初から定時と分かっている一日。ずっとやって来た仕事が一応火曜日で区切りがついて以来、どこかやる気が減衰中なのだが、今日は括るべき仕事、括らねばならない。

 何時もの99運用。1643編成で 文庫へと出る。文庫からはバス。天気が良く道もまぁまぁ空いていて、バスは気持ちよく走ってくれる。
 さて、仕事。月曜日の出張準備やら何やら。必要な部品を手配して現地に送る手筈を整えたり。一応午前中のうちに終わらせる。午後は別件の検討やら。始まってそろそろ2時間。コーヒーでも飲もうかと思ったその矢先の事だった。
地震 震度3 50秒後」
 先週もあったばかりの緊急地震速報である。震度も時間も先週と全く同じ。空振りかも知れないと思いつつ、一応自分の頭上を見上げる。落ちてくるものは無い。図面は保存しておこう。まだコーヒーを買った訳じゃないからひっくり返すものも無い。50秒は長い。ここまで考えても十分時間がある、筈だった。
 カウントダウンが30秒を切るぐらいからゆっさゆっさと妙な揺れが始まる。早いって事は近い。そして揺れはだんだん大きくなる。可動ラックが右左に動く。建物が明らかに歪んでいるように見える。幸い落ちるものは無いけど、妙に酔っ払ったような感じで気分が悪くなる。
 揺れが収まるまで随分長かった。今のはどこだろう。東北か、中部か。ネットで見ると再びの宮城県沖である。そして大津波警報が出ている事を知る。東京湾は、対象外だ。
 避難という口コミがあって移動する。グラウンドに全員揃う。現場、物が倒れたとかそういうことは無いらしい。
津波注意報が出ているので引き上げて下さい。」
 というので再び自席へ。何か仕事を進めようという気にならない。呆然と言う感じだ。
地震 震度3 50秒後」
 また来た、余震か。その余震が妙にでかい。また酔ったような気分になる。総務の放送が入る。落ち着けとか言っている本人が冷静さを失っている。そのうち「機械類は全て止めて下さい」と。初めて具体的な指示が出た。
「避難できる人は避難して下さい」なんて放送に戸惑う。揺れさえ来なければ高い所に居た方が安全な気がする。それでも一応明確な避難指示が出たから再び移動である。今度は携帯電話を忘れずに持ち出した。
 途切れ途切れのワンセグでどうやら大変な事態が起きている事を知る。社内は工場棟で壁が崩れた所があるらしいが、物が倒れたとかそういう事は無い様子。そのうち本社で帰宅命令が出たとのことで工場も帰れる人から帰って下さいと。まずは歩いて帰れる人から、だとか。
 自宅まで歩こうと思えば、まぁ歩けない事は無いと思う。でも気になるのは津波東京湾の中だし、大丈夫だろうが、杉田までは埋立地の海抜0m地帯である。あんまり動かない方がいいような気もする。ひとまず見合わせ。次に車の人に帰宅許可が出た。道路はまぁ込むだろうなぁ。電車は全て停まっているそうだ。
 ひとまず席に戻る。

 目の前の東京湾にも津波警報が出ている。沖に浮かぶ船。何時にも増して数が多い。POLICEの文字が書かれた高速艇が海岸線を舐めるように過ぎてゆくのは海岸線の人たちに避難を呼びかけているに違いない。自衛隊のヘリが千葉方面へ向かうのが見える。
 残っているのは主に電車組。歩いて帰ったグループのうち、一人が会社に電話をくれる。コンビニが閉店していて、停電で信号が消えているとの事。文庫に出る道は空いていたそうだが、16号は大渋滞と言う。クルマで洋光台まで帰ったグループは2時間ぐらいしてから電話をくれた。大渋滞だったそうだ。時間差のせいなのか、聞いてみるとコンビニは営業しているとの事。
 定時になる。総務からの放送。「電車は停まったままですが、定時になりましたので帰れるようなら帰って下さい」と。無責任な言い方だが、彼を責めても電車が復旧するわけではない。薄暗くなった空の向こう。対岸に火の手が見える。市原かどっかのコンビナートで火災が起きているそうだが、それが見えているのだ。
 17時半過ぎだっただろうか。東京湾に白波が立った。明らかに変な現象で、どうやらそれが津波だったらしい。防波堤を乗り越えて、と言うことは無く、沖合いに浮かぶ船にも被害は無かったけど、鶴見川の河口で1m60cmなんて報道を後になって見かけたから結構な津波だったのだ。
 もう仕事どころではなく、どうしても出しておきたかった図面だけ業者さんにメールで送って切り上げにする。追加工の依頼で引き取りも一緒に頼むのだけど、何せこの状況だから「月曜日に引き取って欲しいのですが、この状況ですので、後日擦り合わせ願います」と。月曜日、復旧しているだろうなぁ。今日の歓送迎会は横浜西口19時からだったけど、これはどう考えても無理。中止。
 情報が欲しいなと東京電力のサイトやら、京急のサイトやらを見に行く。東京電力は見れた。広範囲で停電しているらしい。この辺りは電気生きているけど、どうやら運が良い様だ。京急のサイトは全く開かない。横浜市消防局のサイトで出動状況を見ようとしたけど。こちらも全く開かない。結局ツイッターで情報を集めつつ、様子見となる。
 妻との間は割りとメールのやり取りが出来る。落ち目のウィルコムだけど、利用者が少ない分こんな時に強い。皆さん家族と連絡を取り合うのに苦労する中、こちらはスムーズに連絡が取れる。バスで最寄駅に出ようとしているけど全く来ないと仰るので、バスの情報を調べてみる。横浜市交通局のサイトはこれも全く開くことが出来ず、結局はツイッターで調べて、横浜市営バス京急バスは運休。東急バスや神奈中は動いているらしい事を知る。妻には会社で待機したほうが間違いないのではとアドバイスを送っておく。
 18時を過ぎて暗くなった頃、会社から備蓄食料の配給があった。1年に一度ぐらい、賞味期限の迫った備蓄食料の放出というのは貰ったことがあるのだけど、本来の目的に沿った形で備蓄食料を貰ったのは初めての経験である。

 乾パンだと思ったのだけど、普通のパンだ。やる事はないし、折角なので口にしてみた。

 う〜ん。ぼそぼそ。でも、贅沢は言えないぞ。
 津波警報の様子を眺めつつ、ツイッターで交通情報を拾う。JRは動かないなぁ。京急は19時に送電開始後点検をしてなんて話しが転がっている。どうしようかなぁと考える。
 文庫の方を眺めてみる。何時もより暗い。停電の影響かなぁと思ったら、とんでもなく低速でシーサイドラインが動いているのが見えた。営業再開前の点検と踏む。シーサイドの公式サイトは生きており、確認するとまだ運転見合わせ。でも、この感じなら杉田までは行けるようになるかも知れない。杉田まで行けるのならそこから自宅まで歩いても良い。
 19時半を過ぎて、どうやらシーサイドラインが復旧した模様。新杉田までの6kmが電車で移動出来るなら、ありがたい。これを機に帰宅しようと決める。上大岡へ行く人や関内まで行く人とか全部で5人が一緒になって帰宅することにする。

 20時過ぎのシーサイドライン。間引き運転だが動いてることは動いている。安全確認のためか普段無人運転の電車が今日は有人運転。座れる程度の混雑であり、やって来た電車に乗ってしまう。並木で動き出そうとして停まってしまったけどすぐに運転再開。何とか新杉田まではやって来た。

「本日は地震の影響でダイヤが乱れましてお詫びいたします」
 と案内があったけどお詫びだなんてとんでもない。むしろ感謝したい。JRも京急もまだ動いていないのだから。
 終日運休というJR線の新杉田。21時まで営業している筈のスーパーも早々に店じまいしている。タクシー待ちの列はあり得ないほど長い。マクドナルドの看板が消えてるのにお客さんが座っているなぁと思ったら、何の事はない、席だけ開放していた。
 お腹も減ったし軽くと高架下の居酒屋に入る。地震で店員が少ないので対応が遅くなるかも知れませんがとの事だったけど

 とりあえず飲み物は自力で出来るから問題なし。まぁ1時間少々。22時過ぎ。もうちょっと過ぎたかな。切り上げる。相変わらずタクシー待ちの行列は長く、タクシーはいない。じゃぁ歩くかと磯子に向けて歩き出した。
 磯子までは近い。途中で上大岡組とは分かれて3人になる。市バスの車庫に58系統の横浜駅行きなんてのが停まってて、途中まで乗れば楽だなぁなんて思ったけど目の前で行ってしまった。バスは走っているのかと思う。もしかしたら乗れるかも知れないが、

 磯子駅前のバス停には運休中の張り紙。京急の110系統杉田平和町ゆきと市営の汐見台循環は停まっていて沢山のお客さんを乗せている。横浜駅方面は本牧経由も滝頭経由も状況不明。歩くか、と思う。
 横浜駅方面から歩いてくる人、横浜駅方面へと歩く人が交錯する中、16号を歩く。八幡橋まで来ると歩道が狭くなる。道路も渋滞。滝頭からのバスの状況も分からず、分からないならと先に進む。幸い灯りは点いているからありがたい。まもなく磯子区から南区へ。だいぶ家に近づいてきた。
 中村橋の交差点で関内へ向かう2人と別れる。まもなく自宅。この辺りも停電にはなっていない。新杉田から1時間30分ぐらい。想定範囲の程度で到着となる。まもなく日付の変わる頃だったけど。
 会社が出してくれたクルマで帰宅していた妻と自宅で合流。自宅の状況。メールで聞いてたけど


 本棚が崩壊していた。倒れたのではなく、本棚自身が崩れてしまったのだ。これだけ見ていると被害甚大だが、食器棚の類には被害はなく、従って食器類は無事。運が良かったかも知れない。
 テレビでニュースを見てから寝る。今晩は何があるか分からないのでいつでも逃げられるようにと着替えないままベットへ。落ち着かないが、仕方がない。