眠い眠いと無理無理起き出した。夜早めには寝ているのだけどどうした事か。春の眠りは朝寝てなんぼ、とも思いたくなる。E233系
126編成で出勤。いわゆる何時もの電車だったけど、最早称号剥奪かもなあ。
会社。世の中の期末を前に、ちょっと忙しいけど残業は出来ないのでかなり忙しい。かと言って夕方以降は結構時間がある。従って帰りのE233系は
107編成
の後にまとまった時間が取れる。何しようか。ひとまず
こんなん貼っとこ。
【サイトアップ アクセスカウンタ】
サイトアップは惜別6746Fに写真を追加。
http://www.geocities.jp/podaka8525/6746/6746.htm
もう一つは高尾準特に7803F英字併記幕
http://potaka.hp.infoseek.co.jp/jkeio/jkeio7803e.htm
アクセスカウンタは455,062@22:25
万歩計は12,789
ニュースの梯子
結局、富士ぶさの最後は見送らず仕舞。横浜の駅がカオスだったと思われる頃にはちょうど関内の駅。各局のニュースを梯子してみているぐらいだから関心が無い訳ではないのだけど、状況が目に浮かぶようで近寄れなかった。本当に思い入れのあるような人には最期を見届けて欲しいけど。
いわゆるブルートレインブームは1970年代後半だから年代としてはもう少し上。そしてその頃の東京駅は見ていないので、九州特急は熱心に読み耽っていた国鉄監修交通公社の時刻表と小学校入学のときに買って貰ったブルートレイン筆箱でしか知らない、と言うのも一つあるかなと、自己分析。
やはり自分にとってのブルートレインは奥羽線であり羽越線。1982年だったか83年だったか。午前9時前後に日本海3号、おが、津軽と3本続く時間があった。無論おがと津軽は急行だけどこの頃はおがが20系。津軽は14系寝台車と座席車の連結だったか。近所のガキどもで踏み切り際に見に行ってました。
日本海やあけぼのが無くなるなんて事になったら、自分もどう動くやら。そんな話は当面無いのだろうけど、今年も一度は乗りたいな、と思う。