2024-08-03

 目を覚ますと4時半。無理に起きなくても、と思っていたが、結局予定通りの時間に目覚めた感がある。旅先は広島駅近くのホテルで迎える早朝。
 昨日は飲んで寝ただけなので、シャワーだの談だの身支度を進めてから、荷支度もする。5時半を過ぎてホテルをチェックアウト。昨日チェックイン時と同じ人に送られる。滞在6時間半。我ながら慌ただしい。もう少しゆっくりする旅をしたいものだが、何時も移動になってしまう。
 まだ昨日の温さが残る広島市街地を駅まで歩く。今日は一日かけて膳所へ戻るのだが、

 向かうのは反対側、山陽線、岩国方面。1番線のホームで列車を待つ。始発を待つ人、意外と多い。雰囲気から朝帰りかなと想像したが、あくまで個人の感想、個人の想像。
 電車を待っているとふと昔の記憶が蘇る。広島始発の山陽本線で西に下った事が1度だけあった。確かムーンライト山陽で朝、広島に着いて、そのつながりで西に下ったのだと思う。季節は同じぐらいではなかろうか。
 多分、25年ぶりぐらいの山陽本線始発電車を待つ事しばらく

 やって来たのは最新鋭、227系であった。意外と混んでいて、しかも広島で乗客が入れ替わる訳でも無く、乗り通す人も割と目立つ。一応は座れたけど。出発。
 電車は広島市街地の外周を進む。広島駅が中心市街地最寄とは限らないからか。新白島、横川と西に進む間に乗客が少しずつ入れ替わっての郊外へ、という体裁。徐々に降りる人の方が優勢となり、立っている人は減って来る。車窓に厳島が見える頃にはだいぶ空席も増えて来た。
 1時間弱で県境を越え、この電車の終点、岩国に到着する。

 目の前には115系の下関ゆきが停まっている。こちらに乗り換える人の姿が目立つ。但し自分の乗換は別の列車。跨線橋を渡って、駅の隅へと向かう。こちらも列車は割とすぐに出発なのだが、この時間、まだ姿が見えない。構内放送で少々遅れている旨、案内が入る。待つ事しばし

 やって来たのは第三セクター錦川鉄道気動車。今日は錦川鉄道を終点の錦町まで1往復する。到着が遅れた気動車。上り始発列車のお客さんが10人ぐらい降りて来て。入れ替わりに数人乗り込む。定刻7時前のこの列車が下りの始発列車。少々押しているが、準備が整い次第の出発となる。
 第三セクターの鉄道だが、列車は二つ目の川西までは、JR線を行く。岩国と徳山の山間部をショートカットする岩徳線山陽本線として敷かれただけに線路は立派。

 元々岩国駅として開業した西岩国駅にもどこか風格のようなものが漂っている。ちょうど岩徳線の列車とすれ違ったから、汽車駅に紛れ込んだ気分になる。

 会社名にもなっている錦川の流れを渡る。この先、錦川沿いに遡る鉄路を行く事になる。岩徳線とは山の中の信号所でお別れ。錦川のもとへと戻るべくトンネルを抜けると間もなく大きな高架が現れる。山陽新幹線新岩国駅。そしてこちらの錦川鉄道にも駅がある。清流新岩国と名乗る駅。新横浜や新大阪のような位置関係だが、全く別駅扱いらしい。それでも2~3人ぐらいは乗って来た。
 この先、文字通りに錦川沿いに線路は続く。 

 常に川が見える訳ではないが、時折、川を見て遡る。それ以外は山の中。杉やら竹が目立つが、手入れされていないのか、竹の密集度が見た事ないぐらいに詰まっていて、この竹林は大丈夫?とよそ者ながら心配になる。

 杉もお世辞には手入れがされている感じでは無く、線路はそんな放置された林の中、薄暗く日が届かないような所を進んでゆく。
 乗客は10名弱。地元の人がほぼ全てのようだ。何しにどこまで?という感じだが、時々、降りる人がいる。土曜日で通勤は無く、夏休みで通学が無い中でも辛うじて列車の体裁が整っている。どこかの駅で一人、もう一人と降りてゆくけど、どんな目的の利用なのだろう。

 北河内の駅で上り列車とすれ違う。8時に岩国に着く、通勤通学向けの列車だが、1両編成に乗っている人は少々だった。土曜日だし、夏休み中だし、という言葉がまた頭に浮かぶ。

 列車は錦川に沿って遡る。不思議と集落は川の反対側にある事が多い。線路が通る川の右岸には集落は疎ら。だからこそ、線路を通せたのかも知れないけれど。錦川鉄道の前身となる国鉄岩日線。中国山地のローカル線としては比較的新しい方で1960年代の開業である。
 蛇行する錦川を時々突き放してトンネルでショートカットする事、何度か。終着の錦町に到着する。時刻は午前8時過ぎ。
 今日の切符は少々イレギュラー。JR岩徳線である岩国-川西は青春18きっぷが使えるが、錦川鉄道線となる区間はこんな切符を使った。

 JR西日本がやっているMaas。よくよく見ると乗車券の類が充実している。その中に錦川鉄道を往復できる切符があったので使った次第。乗車券はスマホの画面で。往路券の画面を運転士に見せて、使用済とスワイプするとOKとなる。

 1本だけのホームの脇に車庫が広がる、第三セクター国鉄から転換された鉄道っぽい光景が広がっている。そんな地方ローカル線らしい派手な車体が目立つ中、

 構内の隅にはキハ40が1両停まっている。派手な車体は栃木県の烏山線で使われていたもの。


 折り返しの列車は8:30の出発となる。少々間がある。折角なので錦町の駅前をちょっとだけ歩いてみる。

 錦川鉄道の本社も兼ねた錦町駅。立派な駅舎が建っている。その前には

 元々の錦町、その中心市街地と思しき街並みが広がっている。時計を見つつ少し歩く。途中、朝から営業しているカフェがあったけど、折り返し8:30出発ではさすがに無理。

 近くにあった神社だけ写真に撮る。

 何となく台湾の玉里にあった玉里神社の跡地を思い出した。
 そろそろ駅に戻る。この後の岩国ゆきは8:30の出発。駅に戻ってホームに上がる。先程の気動車が折り返し岩国ゆきとして出発準備中。

 同じ気動車、先程とは違う山側の席に落ち着く。乗客は数人。間もなく出発する。先程辿った線路を巻き返す。来る時は感じなかったが、岩国へと戻る鉄路は明らかに下り坂。軽々と走ってゆく。途中、北河内で先程もすれ違った気動車と行き交う。朝2便目の下り列車。案外と家族連れで混んでいた。夏休みの企画で沿線で色々とイベントをやっているようで、そのお客さんらしい。
 岩国に向かう列車は1人、2人と客を増やす。少々席が埋まって列車らしい体裁が整う。新幹線接続の清流新岩国に到着。新幹線への乗換はあまり考慮されていないようで、今の列車でやって来ても広島方面は2分後の出発、博多方面は4分後の出発。その後は1時間間隔が空く。乗り換えてゆく人も、乗り換えてくる人もいないまま、列車は出発する。
 列車は岩国市街地の外側を廻り岩徳線に合流。最後の二駅、川西と西岩国で乗車多数。岩国には立客もいる状態での到着となる。自分の所の収入にならないお客さんをたくさん乗せての到着となる。

 朝から2時間半の寄り道。すっかり日が高くなり、そして暑くなっている。さて、移動再開。膳所に背を向けてさらに西に向かう電車に乗り継ぐ。山陽本線下関ゆき。待っているのは

 115系、それも朝見かけた黄色一色ではなく、アイボリーに紺帯の車両が来た。昨今復活した瀬戸内色の115系

 後で調べたら、運用も公開されていた。下調べは全くしていないので、全くの偶然。
 先頭の方が割と込んでいて、後ろに行くほど空いている。後ろの車両に居を構えて出発を待つ。広島方面から1本、電車が到着し乗換客を迎えると間もなく出発。下関の到着は13時過ぎ。3時間半という意外と長い時間走る汽車旅となる。
 電車は山陽本線を西に向かう。先程眺めた錦川、最下流で二手に分かれて、三角州を作っている。その両方の川を渡り、そして、三角州の海側には米軍岩国基地がある。基地の近くを通った事には気付かないまま、工場が幾つか流れ、そして瀬戸内の海が見えるようになる。
 かつて内田百閒先生が特急かもめじゃなくて特急からす、と揶揄した山道を行く山陽本線。でも岩国から先、柳井あたりまではかもめも飛びそうな海岸沿いを走る。

 あら、海が近い。

 意外と透き通っている。

 周防大島へと渡る大島大橋を潜る。
 新幹線から突き放された山陽線の柳井廻り。ローカル線の風情が漂う線路を行く。乗客はそれなりに居る。ローカル駅で乗ってきて、街の中心駅で乗り降りをする感じ。柳井で少々乗り降り。瀬戸内海を離れ内陸を行く間にまた乗客を集める。光、下松とかつては寝台特急が手分けして停まっていた駅も、今や昼間は1時間1本の普通列車が停まるのみ。今乗っている瀬戸内色の115系が登場した頃の1982年、その時刻表復刻版を見ると普通列車と快速列車が概ね2時間に3本ぐらいの感じで走っている。
 岩国で分かれた岩徳線櫛ケ浜で合流すると列車は工業地帯の脇を走るようになり徳山到着となる。久しぶりの新幹線接続駅。上りの普通電車が姿を見せていて、乗客を乗せている。駅構内には岩徳線気動車も見える。ここまで乗せて来たお客さんをだいぶ降ろして車内が少々空く。それなりに市を名乗る街は続いていたが、徳山の吸引力は大したものである。
 電車は徳山を出ると工業地帯の中をみたいなところを行く。海側には大きな工場が延々続く。工場が見えると海が近寄り、また離れてゆくと市街地。新幹線に振られた防府の街。線路が思いがけず高架に上がったから都会風にはなる。乗り降りは少々。
 新幹線誘致に敗れた街を延々走って久しぶりに新幹線がある街にやって来る。新山口、という駅名には未だに馴染めないけど。新山口では普通電車は20分以上停まる。新幹線との接続を考慮しての事らしいが、今時珍しい長時間停車。昔ながらの汽車旅みたいな時間を少々楽しむ。
 駅構内、先に目に着いたのはホームの向こうに見えたこんな列車。

 レール輸送車。いわゆるロンチキ。先頭には電気機関車が立っている。

 EF65-1135号機。でもよく見るとパンタグラフを降ろして長い長い休憩中。動くのは暗くなってから、か。

 ずっとずっと停まる列車を見てから一旦改札の外へ向かう。在来線構内には売店の類は無いが、新幹線の改札まで行くと色々と売っている。お土産売り場で駅弁を、コンビニでビールを買い求めて再び在来線の構内へ。
 改めて新山口駅の構内で。

 支線の宇部線に向かう105系が停まっている。山陽本線の電車が停まっている間に、宇部線の電車が先行して宇部に着くなら面白いが、実際には宇部線の電車も新幹線の接続を待っている。

 駅の跨線橋からはロンチキも見渡せる。ロングレール輸送用の独特な貨車をまじまじと眺める。
 先程の普通列車に戻る。岩国以来乗って来た車両は少々混んで来たので、今度は先頭車に近い方の車両に居を移す。そして先程買い求めた駅弁を頂く。今日は朝から食事をしていない。

【今日の駅弁】ふく寿司 ¥1,200 広島駅弁当株式会社

  20年前、ムーンライト九州が下関に着くと、駅ホームで必ず売っていたふく寿司。下関の名物が、このご時世は広島駅弁当謹製になっている。駅弁業者も集約が極まって、寝台特急が消えた下関だけでなく、新山口駅からも駅弁業者が消えて、広島駅の業者が手広く販売を手掛けている。その中で、下関駅弁の復刻にも取り組んでいるのだった。

 下関で売っていた頃は陶器の容器だった記憶がある。けど、あの頃は朝6時に駅弁を買うお大尽では無かったからなぁ。今もお大尽ではないけど、駅弁ぐらいは買えなくはない。

 そんな訳で下関では買ったことがないふく寿司。広島に移籍してから初めて箸をつける。勿論、触れるまでもなく隣のサッポロ生ビール黒ラベルは別途購入。ちらし寿司だが、具材はふぐの唐揚げやふぐの皮。それに海老といった面々。美味しく頂く間に新山口の停車時間は流れて、普通列車は動き出す。
 列車は終着、本州の西の果てとなる下関に向かって駆けだす。内陸の田園地帯を右に左にカーブしつつ進む。山陽線のこの区間、昼間に乗った経験はあまりない。一番多いのがムーンライト九州に揺られた朝と夜。次に寝台特急で、寝台列車は不思議と上り列車しか経験が無い。そんな訳で意外と新鮮な昼間の山陽本線。昔ながらに駅と駅の間隔が広く、長く、走り出すとたまに乾いた昼下がりの駅に停まるの繰り返し。そして宇部に着く。先程、新山口で分かれた宇部線と合流する。走り出せば山陽本線の方が圧倒的に速い。
 列車は着実に本州の端まで来ている。新山口でいったん減ったお客さんも徐々に増え、沿線にも住宅やら工場が目立つようになると本州の西端、下関が近付く。工場や貨物駅、そんな鉄道の拠点が広がって、そして下関の駅に到着となる。

 岩国から3時間半。久しぶりに乗り甲斐のある普通列車に乗った。瀬戸内色の115系、既に折り返し岩国へと戻る準備が進んでいる。
 ムーンライト九州が走っていた頃は駅弁が売っていたし、うどんの立ち食いスタンドがあったとように思う下関駅ホーム。2024年の今日となっては、本州と九州を繋ぐ役目は辛うじてあっても、東京や大阪と九州を繋ぐ列車は消えている。

 九州方面からお迎えが来て、乗り換えとなる。こちらも国鉄由来の415系。同じ世代の電車はだいぶいなくなってきたが、本州と九州を結ぶこの区間には、まだ国鉄形の電車が活躍している。
 4両の電車、座席がさっと埋まって出発。本州から彦島に渡ると間もなく関門トンネルへ。すぐ先にある九州まで海を潜って門司到着となる。会社が変わって駅名標の雰囲気も変わる。外の暑さは変わらない。
 殺風景な所を少々、この電車は小倉が終点となる。乗換なんだけど、ここで改札の外に出る。時刻は午後2時になる所。暑い中、歩き回りたくはないが、目的地は駅からほど近い。


 妻からのリクエストでお土産として名物のサニーパンを買い求める。普段から行列ができる店も、この暑さでは行列ほぼ無し。目的のサニーパンは思ったよりも早く手に入る。
 小倉駅構内に戻る。まっすぐ鹿児島本線を進んでも早く着きすぎる。改装されてロングシートになった811系に揺られつつ、さてと思う。そんな訳で北九州の工業地帯を抜ける折尾で降りる。

 折尾と言えば、東筑軒。そのかしわめしを立売している事で高名。なのだが、この暑い8月3日に立売などしている訳がない。それがコンコースに降りると「おぉべんとう~」の声。余りに暑くて日は射さない階下で売っているのだった。そりゃ、そうか。
 新山口でふく寿司を食べて2時間ちょっと。さすがにかしわめしはお腹に入らないので見合わせ。その代わりではないが、折尾駅東筑軒に敬意を表し

【今日の駅そば】ごぼ天うどん ¥500 株式会社東筑


 弁当は無理でもうどんなら、とご当地ならでは、かしわにごぼ天を散りばめたごぼ天うどんを頂く。時刻は15時前。中途半端な時間だが、うどん店のスタンドには客が途切れないのが印象的。
 さて。うどんで時間が少々過ぎたが、まだ時間には余裕がある。そんな訳でちょっと遠回り。折尾駅筑豊本線ホームに立つ。古い立体交差駅だった折尾駅。高架化がすっかり完了していて、駅構内の様子は様変わりしている。暑いホームで待つ事しばし。


 直方から小倉方面へ直通する電車が相次いでやって来る。今日は何となく直方を廻って博多まで行こうかと思う。
 門司港から直通してきた電車。折尾で結構な人数が降りて行って車内は空く。高架化ですっかり経路が変わった筑豊本線。大きくカーブして南に向きを変えると昔の線路に戻ったようだ。住宅と田園が並ぶ筑豊を下る。
 20年程前、仕事で通った事がある直方に着く。当時と駅は建て替わり、知らない駅に変わっている。真ん前に博多行きの区間快速が出発を待っている。すぐに乗換。今度は1世代古い817系。こちらもロングシートに改装されている。そして、その座席に座る人は疎ら。これならお金をかけて改装する必要が無いように思えるが、朝晩は詰め込むのだろう。
 電車は筑豊の気怠い夏空の下を走る。少々眠気を感じて篠栗線内、峠越えの所で少々居眠り。気が付くと篠栗に着く。この先、博多までは各駅に停まるそうだ。コロナ禍以来の減便ダイヤがそのまま続いているらしい。
 昔通った直方-博多の感覚よりも時間が掛かって博多到着。いつの間にか立客が大勢になっている。折り返しはすぐ直方に向かうらしい。入れ替わりに沢山のお客さんが乗り込んでゆく。
 18きっぷの使用は博多まで。今日は福岡空港から飛行機で伊丹に戻る。まだだいぶ時間があるので、博多駅で軽く喉を潤す。


 多少時間はあったけど飲み過ぎると出来上がるので、控えめに1杯、もう1杯で終了。まだ時間が残っているけど、17時。そろそろ福岡空港に向かう。博多駅から


 地下鉄に乗る。空港行きの車内、明らかに韓国人の姿が目立つ。ソウルの地下鉄に紛れたかと思ったぐらいだ。19時以降でも韓国行きのフライト、9便残っている。
 5分で空港到着。
 
 地下鉄では大半が外国人のような印象を受けたが、この時間の福岡空港、多数のフライトは国内線。各地に向かう飛行機がこれから出発する。自分の出発時間まで1時間半程。ひとまず保安検査を受けてラウンジに進む。充電を兼ねて少々滞在。

 福岡のDPラウンジにはポテトチップスが置いている。羽田は唐揚げ。福岡はポテトチップス。どちらもビールによく合うおつまみ。伊丹も夕方に行くと何か変わったものが置いているのだろうか。
 滞在少々。時間を見計らって席を立つ。

JL2060 JA254J ERJ-190 FUK→ITM

 土曜日の夕方、福岡空港。休みは日曜日まで残っているが今日のうちに自宅に戻る。最後は伊丹まで飛行機で。出発は19:00。20分前を目標に搭乗口に向かう。ちょっと遅れて15分前ぐらいになったけど。

 待っているのはJA254J。この時間、既に出発15分前となっているが、

 搭乗開始は5分前の18:55だそうだ。この時間、福岡の出発、伊丹の着陸。どちらも混雑しそう。伊丹の門限に間に合わない、なんて事はないだろうが、少々気になる状況ではある。それにしても大阪38℃の表記。こちらも気が滅入る。
 ようやく搭乗開始、機内へ向かう。指定した座席に落ち着くと19:05、Doorclose。機内は満席近くになる。伊丹までの飛行時間は55分との事。到着便遅れの影響で出発が遅れている旨、お詫びが伝えられる。また伊丹空港混雑の影響で離陸が19:17以降と指定されているそうだ。
 19:08。Pushbuck。19:12、Taixing。

 ちょっと待つ間に一気に夕暮れが迫って来た。19:18、Takeoff RWy16。

 さらに東から夜が押し寄せる中、飛行機は上昇してゆく。東に旋回して夜を迎えに行く。19:25、ベルト着用サイン消灯。伊丹着陸は20:15頃になる見込みと告げられる。
 上空まで来ると辛うじて西に明かりが残っているが、それもすぐに薄れゆく。
 飛行機は九州を離れ四国へと向かう。飲み物のサービスが始まり、順番が廻って来る。

 コンソメスープを頂いて先程来、飲んでいた胃を労わる。
 19:37、操縦席から飛行状況の案内。伊丹到着が遅れる旨のお詫びが伝えられる。現在松山上空との事。高度6,000m、対地速度は690km/hだそうだ。伊丹空港着陸は20:15を見込むそうだ。伊丹の天候は曇り、気温は30℃と告げられる。
 飛行機は暗くなる四国上空を東に。19:57、間もなくベルト着用サインが点灯する旨の案内が告げられた。
 20:05、ベルト着用サイン点灯。飛行機は和歌山の辺りから少し東に逸れつつ伊丹への着陸を狙う。奈良盆地まで来て左に旋回。伊丹への最終コースに入ったようだ。
 生駒山地を越えて大阪市街地へと差し掛かる。

 左手に大阪市中心部を見て降下する。大阪城を越え20:14、Gear down。淀川を越える所。

 花火が上がる様子が見える。操縦席から「淀川の花火大会をご覧いただけます」と案内。8月の飛行機、何度も夜のフライトは経験しているけど、これほどに花火が見えたのは初めてだと思う。
 まもなく20:18、Landing、RWy32L。20:21、Spot in SP20。
 この時間の伊丹、曇りで気温は30℃との事。何時もに比べるとちょっと涼しいようだ。準備が整い降機する。伊丹空港からも淀川の花火が見えている。窓際で降機した客がわいわい騒いで見ている様子を、搭乗口の係員がにこやかに眺めている様子が微笑ましい。
 さて、制限エリアの外へ。

 時刻は20:34。少々遅れたが問題ないレベル。20:45のバスに乗れそうだとリムジンバス乗り場へ急ぐ。すると今にも出発しそうな京都行きのバス。臨時の増発だそうだ。ギリギリ座れるぐらいだったので乗ってしまう。
 バスは名神高速を順調に東へ。下道に降りてから少々詰まり気味だったが、

 45分ちょっとで京都駅八条口まで運ばれる。臨時便なので八条口が終点。そのまま回送として戻るようだ。
 定期便よりちょっと早く京都に着いたので、楽に東海道線の普通電車に間に合う。膳所まで戻ると22時前。

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