2025-07-12

 週末の朝、心がけて早い目に起き出した。今日は妻と二人、日帰りで気持ち遠出をする。どこまでが近場で何処まで遠出なのかはよく分からないが、飛行機には乗らない。遠出ではないが、近場でもない。行先は追って。
 自分の身支度、妻の化粧。どちらも整い自宅を出たのが7時前。時間に限りがあるので京阪電車膳所まで向かう。

 膳所で乗り換え。半分戻る形で東海道を東に向かう。上りホームに降り立つと

 下り待避線。福山通運を連ねた貨物列車が待避中。どうみても55列車。あるいは53列車かも知れない。最優先で通す筈の列車が膳所で足止め。と思って見たら、間もなく動き出す。

 入れ違いに上り電車がやって来た。223系V49編成。土曜日だが、通学の高校生、部活の高校生で混んでいる。
 今日は東海道線ではなく東海道にある程度忠実に東に向かう。そんな訳で東海道中山道の追分、草津で乗り換え。

 そんな訳で東海道をなぞるように走る草津線に乗り換え。223系R01編成。8両つないでいるから先程乗った東海道線の普通電車並みだが、終点の柘植まで行くのは前4両。後ろ4両は貴生川で切り離しだそうだ。延々歩いて前側に座る。
 車両は本線と一緒なのに、急に田舎汽車にのったような雰囲気漂う草津線の汽車がゆっくりゆっくり走ってゆく。こちらも田舎汽車だと思うと油断して、まだ食べていない朝食を汽車の中で済ます。昨日、スーパーで投げ売りになっていたカレーパンだから風情も何もないけど。
 汽車は遅いし、野洲川が作る谷が迫ってきて、急カーブをキィキィいいながらゆっくり走るから本当に田舎汽車に乗った気分になる。そんな谷間を抜けた貴生川で後ろ4両切り離し。その間に信楽高原鉄道気動車紫煙を上げて出て行ったから、ますますもって田舎感が増してくる。
 4両に縮んだ柘植ゆきはさらに先、甲賀の奥へと走ってゆく。忍者の里を全面的に押し出したら、忍者ハットリくんバイアスが無い外国人観光客には受けそうだが、そんな感じの乗客は誰一人見ないままに、田舎汽車は甲賀の里を進む。
 甲賀というか滋賀が尽きると、草津線は最後の最後に三重に足を踏み入れる。終着の柘植に到着。自分にとっては何もないジャンクション。妻にとって未知の世界。両名とも単に乗り換えで柘植を利用する。自分自身、柘植を乗り換え以外の目的で使ったことは無いのだが、三重県民にとっては駐車場料金が安く、京都からの終電が遅い柘植は関西方面へ遊びに行く際には良いパークアンドライドの地、になるらしい。

 アーバンネットワーク(死語)の果てから乗って来た電車は草津へ戻る。

 何しろ果てなので、柘植にはこんな旅情に満ち溢れた標識が出ている。標高243mでは、さほどの避暑地にならないなぁとつぶやいてしまいそうだが、800尺って言われると目を見開いてしまいそうだ。
 アーバンネットワーク(死語)は尽きた。この先は文字通りに汽車の世界。少々間があり汽車が来る。

 関西線下り、湊町方面加茂止。そして

 関西線上り、名古屋方面亀山止。どちらもお茶の京都、なんてローカル甚だしい塗装を纏った汽車で現れる。
 気動車に揺られて加太越え。貴生川以来離れていた東海道に関で復帰すると亀山着。手元のICカードで乗れるのはここまでである。乗り換えもあり一旦改札外。JR西エリアから来た人用に有人改札ICカードリーダが用意されていて、そちらを使って外に出る。
 改めてこの先の乗車券は

 青空フリーパスを使用する。窓口で購入すると早々に改札内へ。次の列車を待つ行列に並ぶ。間もなく電車がやって来て

 折り返し名古屋行きとなる。2両しかないから結構な混雑。途中、立客も出る勢いだが、案外と河原田で降りる人が少々。そして自分達は南四日市なんてあまり目的地にならなそうな駅で降りる。

 時刻は10時前。ちょっと暑くなってきたが、駅から変哲もない郊外の道を少々歩く。到着した先、これも変哲もないイオンの中、目的は

 47都道府県スタバ巡りの一環。三重県のスタバ訪問。これで22都道府県。そろそろ半分が見えて来た。けれど全部集めるの類は半分を越えたあたりからが大変になるもの。
 時間を見計らい、南四日市駅に戻る。最寄りの関西本線、1時間に2本ぐらいしか列車が来ない、ローカル線なので仕方ない。緩々来た道を戻ると南四日市駅

 出発まで少々、冷房がない待合室で時間調整。ホームまで出ると今度は日差しを遮るものがないので、こちらの方がまだマシ、と言う事にはなる。
 列車の時間に合わせてホームへ。

 やって来たのは伊勢鉄道から乗り入れの気動車。隣の四日市までの列車。中途半端だが後の電車を待つより早いので乗ってしまう。工場の脇みたいなところを進むと貨物駅の中みたいな四日市の駅へ。

 駅の端に設けられた専用ホームに降ろされる。ちょっとの間、貨物駅見学会みたいな時間。

 入替機、DD200-20が姿を見せている。

 石油輸送用のタンク車が屯しているのが楽しい。東海道線は貨物列車に恵まれた路線だが、貨車の多様性という点では名古屋圏の方が数歩上。

 そこへ貨物列車がやって来る。5282列車、DF200-201号機牽引。

 DF200といえば北海道ではRED BEARを名乗るが、この201号機。側面に名古屋と四日市を模したイラストが描かれている。Ai-Meという愛称があるそうだ。
 貨物列車が待避線に入った後、

 快速がやって来る。2両で混んでいたが、別々でも座れたのは幸い。名古屋へ向かう。頭を抑えつけられ、力を持て余す走りで暑苦しい中を走る。名古屋まで40分。
 膳所から寄り道をしつつ5時間。今日の目的地はさらに東。

 新快速を捕まえる。ホーム端に撮り鉄が何人かいる。何かと思ったら311系の引退ツアーがこの後、来ていたらしい。
 本線に戻って小一時間。13時に豊橋到着。青空フリーパスの東の果てであり、今日の目的地となる。妻の親戚を訪問。滋賀に越してからは初めて顔を合わす。

 ちょっと早いけどうなぎを頂きつつ、積もる話を。うなぎ屋の後、場所を変えて話の続き。滞在3時間ちょっと。お暇いただく。

 帰りは豊橋から東海道線を最短経路。米原まで足を伸ばす新快速を捕まえる。頂いたお土産を持ってクロスシートに二人収まる。

 ビアホール東海道線のお供、自分は全く知らない豊橋の菓子屋で買い求めた洋菓子と共に。新快速はかっ飛んで行く。米原まで2時間ちょっと。青空フリーパスはここまで。改札を出入りして

 接続する新快速に乗り換える。接続数分。

 長かった1日も暮れて来る。ほぼ暗くなった石山には19:28。豊橋から3時間掛からずに帰って来れる。ちょっとした急行列車並み。膳所まで一駅戻って自宅に戻ると20時になる。 
 ちょっと疲れたので夕食は簡単に豊橋の産物を頂く。

【今日の駅弁】稲荷寿司 ¥730 合資会社壺屋弁当部



 豊橋から持ち帰った伝統駅弁を二人で分ける。一緒に頂いた豊橋名産のちくわ。3時間東の味で簡単に夕食の後、軽く飲みの続きを。最後は酔いが廻って潰える。

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