2018-08-21

 夜中に目が覚める。室温が28℃を越えるようだと途端に寝苦しくなる。近江に来てから成り行きで寝室に冷房が付かないまま晩夏になりつつあるが、やっぱりつけようか?と迷うところ。
 眠いまま身支度少々、朝食少々。出勤。会議少々。甲子園の結果は気になるが、仕事に手を掛けると意識からは消える。スマホに速報として通知されたニュースで結果を知る事になる。東北の悲願、成らず。
 帰宅して自棄酒少々。まぁ勝っても酒だったか。

 甲子園臨の事をちらと書く。

 母校の時は91年だが、この時は1試合で2本、応援用の臨時列車が仕立てられた。1本は一般から参加者を募るツアー形式の列車。もう1本は在校生専用の列車。何れも座席の夜行列車となる。当時は夜行列車の衰退期ではあったが、まだ身近な存在であった。
 一般用は14系を使用していたらしいが、在校生用の臨時列車は12系が12両だった。ボックスシートで16時間と言うのは当時としても異例だが、1ボックス4人は詰めず、2〜3人程度の割り振り。多少寝る事への配慮はあった。
 とは言え寝る環境でもないし、興奮で眠れる状態でもない。18時に秋田を出て、4時の高岡まで起きていたと思う。さすがに寝落ちて気づいたら大聖寺かどこか。1時間少々寝た程度で試合に臨むことになる。大阪からの阪神電車。小さな子供が話す関西弁が思いっ切り生意気に聞こえて、それも未だに強い印象を持っている。
 そういえば、食事は5食お弁当が続いたが、1食目の秋田積み込みの弁当が一番おいしく、西に行くに従って貧弱になっていった。故郷を見直す良い契機だったのだが、今思うと、秋田の弁当屋さんが郷土代表にサービスをしたけど、他は予算相応の対応だったのかも知れない。

 現代の甲子園臨ってどんなのだろうとちょっと検索してみたが、長距離を走る臨時応援列車は廃れて久しいようだ。そりゃ、遠くまで走る事を前提にした車輌がないからね。分割民営化の弊害っちゃ、弊害。 

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