海沿いの小道に想いを寄せて

 米代川を渡り、細道を北へ歩み出す。国鉄の頃から知っている馴染みの路線。普通列車に乗っていれば主要駅であった筈の沢目も八森も通過。というかすっかり縮小されているから他の小駅とほとんど変わらない。その八森の手前で海が見えてくる。車内に歓声があがる。曇り空のせいで海は暗く沈む。冬の海みたいねとと言われたが、出来ることならエメラルドに輝く優しい日本海を見てほしかった。
 反対側の白神山地は雲に隠されている。真っ黒い雲で山の中は雨が降っているに違いない。五能線、昔から海の景色は有名であったけど、山の景色はさほど注目されていなかったと思う。自分が物心ついた頃には白神山地、何て言葉は一般に認識されておらず、青秋林道建設反対運動で初めてこの山地が認識された、ように思う。それでも白神山地、の名は聞いたことがない。そういえば当時走っていた秋田始発の臨時急行の名前は「十二湖」であった。白神山地の懐に抱かれた古くからの観光地である。それが直接関係ないにせよ「リゾートしらかみ」に化けた訳だから、時代は変わった、のだろう。
 八森を無視した列車は「あきた白神」という耳馴染みのない駅に停まる。観光列車は観光列車らしく集落の代表駅は無視して観光施設のあるところに停車する訳。この先にもウェスパ椿山という駅が出来ていて秋田青森両県で一つずつ、という事か。観光施設、クルマの客がメインだろうがリゾートしらかみからも何人か降りていったり乗っていったりする。
 秋田県最後の駅、岩館を出る。この先が五能線随一の絶景地であるから当然注意を促す事になる。でもそんな事を言わなくても「この先、五能線の中でも一番の絶景ポイントを参ります。しばらく徐行運転致しますので素晴らしい眺めをお楽しみください」なんて放送が流れる。ゴツゴツした岩場が見えてくると速度が緩んだ。予備知識が無くてもこの列車は十分に楽しめる、ということらしい。

 大きな窓から美しい車窓を眺めつつ、頭の中では初めて五能線に乗った夏の記憶を反芻する。薄暗い車内と小さな窓から見える底抜けするような青空。そのコントラストだけは今でもはっきり目に焼き付いている。敢えて言うなら昭和の暗さを見たのかも知れない。
 明るい車内に感情を戻す。列車は格段に綺麗に立派になって愛する人を乗せて走る。今の方がいい。改めて認識すると列車は速度を取り戻した。岩場が消えてテトラボットの並ぶ海岸線をゆく。立派になった十二湖の駅に停まると大量下車、代わりに乗り込む人もいる。古くからの観光地は今でも立派に観光地。ウィスパ椿山でも降りる人がいたから車内は閑散とした。

 久しぶりに街が現れて深浦。ちょうど中間地点。初めて普通列車とすれ違う。ここで3号車に団体が乗ってきたからまた列車は賑やかになる。この列車、乗り通すよりも好みに応じて乗り降りする事に価値があるようだ。リゾートしらかみ5号は秋田発14時だから3時間後。十二湖を散策したり温泉に浸かったりするにはちょうど良い時間かも知れない。深浦まで来て気がつくのはちょっと遅いけど。

 列車は海岸線を走る。古くから鉄道写真の名所と案内があり、どちらかと言うと女性的な海岸線の眺めを楽しむことになる。いくつもの集落、小さな駅が過ぎて行く。眺めるだけなら素敵な眺めだが生活するには大変な所だろう。列車は千畳敷に停まる。ここも古くからの観光地だが上下6本あるリゾートしらかみのうち千畳敷に停まるのはこの3号だけ。今度は10分停車。千畳敷の散策をお楽しみください、と案内が入る。「発車3分前に合図の汽笛を鳴らしますので、お戻りください」と。


 駅を出てすぐ前。千畳敷の海岸に降り立つ。ちょうど干潮だろうか。どこまでも石畳の海岸が広がる。乗客、半分ぐらい出てきただろうか。思い思いに散って写真を撮ったり海水の水たまりに手を突っ込んでみたり。どこかに魚でも残されていないかと見回してみたけど、そんな間抜けな魚はいない。
 そろそろ戻る時間かなぁと思った矢先、けたたましく「ぶおん」と警笛。キハ40ってこんな音出したんだ。辺り一帯に響き渡り、乗客が戻り出す。席に落ち着く頃、列車は動き出す。思いがけない仕掛けの連続でここまでの3時間半、妻は喜んでくれている。確かに乗っていて飽きない列車に仕上がっている。

 八森出発から延々2時間に渡りもつれ合って来た日本海鰺ヶ沢でお別れとなる。鰺ヶ沢で二度目の車掌交代。東能代運輸区から弘前運輸区にバトンタッチ。名実共に青森の列車に変わる。ここからは津軽平野。ありきたりのローカル線、ではあるけれど、飽きさせないがモットーとしか思えないリゾートしらかみが故、さらに仕掛けが続く。

 展望席に乗ってきたのは二人のおばさん。何かゴルフバックのような包みを持ち込んで荷物を解く。出てきたのは津軽三味線。この先の五所川原まで、車内ライブとなる。晴れてきた津軽平野を横目に車内に響く三味線の音。車内が突然変異で異空間になったような錯覚を覚える。演奏している人たち、ボランティアらしい。地元の熱意に支えられてリゾートしらかみは走り続けている。
 木造の先まで、ほぼ5曲。最後の演奏が終わり拍手が起こる。演奏の時だけ一番前に陣取っていたおばちゃんグループが「あんたたち、何年やっているの」と聞いている。10年と言う返事が帰ってきた。10年かぁ。津軽三味線の世界って奥が深いんだなぁ。
 街らしい街は久しぶりで五能線の五の字の親、五所川原に着く。10分ほど停まる。イベント停車ではなく、すれ違いの待ち合わせらしい。ホームに降りて列車の様子を眺めると何時の間にか空席が目立つようになっていた。特に2号車のボックス、というよりコンパートと言いたくなるような区画は1〜2組しか残っていない。デッキのゴミ箱がいっぱいで列車の盛況ぶりを物語っている。秋田から乗り通している車内販売の人もさぞかし売り上げたに違いない。

 今日二度目のリゾートしらかみ同士のすれ違い。青森発秋田行きの青池編成がやってくるとこちらも出発となる。五能線、最後の区間五所川原の街を抜けるとリンゴ畑が広がり出す。まだ青い実を横目に始まったのは津軽弁語り部による津軽弁の昔話。意外と聞き取れる。津軽弁の日常会話なんて聞いてて何も分からないけど、余所者向けに分かりやすくしているのか。津軽弁で掛け合い漫才なんてやれば訳分からなくて凄まじいだろうなぁとふと考える。勿論そんな凄いものができあがったら車内の余興、なんて範囲には収まらないだろうけど。

 優しい響きの津軽弁を聞きつつリンゴ畑の中を走る穏やかな時間。ずっと姿を隠していた岩木山もずいぶんと姿を現してきた。まもなく川部の案内。リンゴ畑が尽きて奥羽線に合流。
 列車は弘前に向かうからここで向きを変える事になる。東能代では座席の方向転換にご協力をと案内があったけど、川部ではあと二駅で終着弘前だからか、特に案内はない。こちらももうどうでも良いと思っているから適当に済ませる。まもなく出発。再びの幹線。乗り心地が格段に良くなる最後の数分。ずっと田舎を走ってきた目には大きな駅に映る弘前には定刻の到着となる。

 数少なくなったお客さんが降りると列車は清掃に入る。折り返しは16:14の五能線経由秋田行き。往復乗れば10時間以上の長旅だが、さすがにそんな人はいないだろう。自分たちも今日は弘前に宿泊する。

 今日はここまで飲酒を避けてきた。実はここでクルマを借りるのである。停まるのは弘前だから明日の朝借りても良かったのだけど、明朝の出発を考えて、今日の借り受けにした次第。駅近くのレンタカーの手続き。返却は24時間後、青森空港となる。借りたクルマで今日のホテル。市内の移動だからさほどの距離ではなくすぐに到着。まだ17時前。狭いホテルに引きこもるには早い時間だ。妻は弘前どころか青森県自体が初めて。自分も弘前の街は知らない。せめて桜で有名な弘前城ぐらいは見ておいた方がよいだろう。
 クルマはあるが行った先で駐車場を探すのが面倒で歩いていゆく。17時過ぎの弘前市。横浜の茹だるような暑さからは遠くかけ離れた爽やかな空気が漂っている。欧風建築が所々に残る。戦災にあっていないからかも知れないが交通の結節点として明治以後に発達した青森の街とは違う空気が流れている。古びた喫茶店が目立つのも何か不思議な空気だ。エンジン音がして空を見上げる。飛行機の姿は見えない。青森空港を飛び立った飛行機だろうか。

 弘前城趾につく。意外と小さな堀の向こうは深淵とした桜の森。中に入ると涼しい風が流れてゆく。

 桜の木々の中、城の建物、恐らくは復元だろうが、が佇んでいる。確かに桜の季節は見事な眺めだろう。でも今流れている空気感も好きだ。
 城趾を後に街をぶらぶらする。18時になろうとする所。早いけど夕食にしようか、という話になる。

 郷土料理も大いに気になる所だけど、来る途中にあった店の軒先にあったメニューも気になっている。コース料理が¥2,500だそうだ。結局その店に。テーブル席に案内してもらっメニューを見る。津軽牛のステーキがコースで¥2500だったり、全般的に安い。店の人がおすすめだというステーキのコースを妻は頼む。自分は飲みたくなったので鮪のセットにビル3杯付いて同じく2500円というメニュー。ビールは二人で分けても良いそうだ。ステーキをお裾分けしてもらう代わりに一杯分の権利を差し出す事で交渉成立。ずいぶんと融通の効く店である。


 早速ドリンクが出てきて乾杯。朝から我慢していただけに美味しい。鮪は少々水っぽいかな。ステーキのコースも出てくるのが早い。ちょっと頂いたが柔らかくて、本当に美味しい。お勧めというけど確かに間違いない。
 二人で頂いてちょうど5000円。安くて美味しい。しかも街は涼しい。仕事さえあれば青森は良いところだ。
 満足したが、帆立やホヤも食べたい。しかし店を探すのはちょっとと、向かいにあった百貨店の食品売場でお酒と刺身を買ってホテルに戻る。帆立。青森県産のとんでもなくでっかいのが4つパックで400円。1個100円の帆立とは強気だが、大きくて美味しい。これが100円なら本当、安い。他にも気になるものを買ってしまったから少々食べ過ぎでしかも酒が廻って急速に眠くなる。結局、9時半過ぎにベットに寝ころんでしまった、ようだ。