2021-01-04

 月曜日の朝、目覚めると7時過ぎ。本当なら今日が仕事始めだった。
 とはいえ、遅刻ではなくて休暇。今日明日と休暇取得推奨日となって休みになった。年末の休みが26日からだから11連休、ということになる。
 世の中は動き出している。まずはゴミの回収。ゴミ出しの後、少し歩いておこうと

 琵琶湖岸までぷらっと。その途中でも通勤っぽい人は見たから、動いている所は動いている。止まっている所は止まっている。
 帰宅して朝食。雑煮を頂いたがさすがにお屠蘇はやめておく。世の中、動いているから。
 10時を過ぎてちょっと歩く。何となく石山の方へ。途中、適当に京阪電車を捕まえる。

 やって来たのは709-710編成。2日に続き最初の一撃で。

 603-604編成。

 707-708編成。
 少し歩く距離を稼ごうと石山寺まで足を延ばす。

 619-620編成がやってきて

 坂本へと戻ってゆく。次に来るのが

 709-710編成。

 数分で坂本へ戻ってゆくところを見送る。
 11時半になった。お昼は家で食べるので歩いて帰宅する。歩数を稼ごうと適当に唐橋で対岸に渡ったら

 東海道線瀬田川橋梁を貨物列車が渡ってゆくのが見える。時間的には62列車の筈。世の中が動き出したのかコンテナをたくさん載せている。
 家へ帰るべく瀬田川橋梁へ。すると

 5071列車がやってくる。EF210-313号機牽引。こちらは貨物が殆どない。

 辛うじて数個、後方にコンテナを載せていた。
 自宅に戻り昼食。午後も少し歩くのだが、行先に迷う。昨日は山科まで歩いたが、悩んでちょっと距離があるのが気になるけど、草津まで東海道に忠実に行ってみる事にした。
 旧東海道、まずは瀬田の唐橋を目指す。


 瓦ヶ浜で705-706編成と619-620編成。もう1本待てば709-710編成か、と思ったが先が長い。急ぐ。

 膳所城下を後にいったん南に下る。駅で言うと粟津が近いあたり。案外と膳所城下というのは広かったらしい。
 石山が近づくと

 東海道沿いに所々立派な松の木が残る。江戸時代からのものではないだろうが、粟津の晴嵐を思い起こす。

 今日2度目、瀬田の唐橋。この辺りまでなら歩いても遠いと思わなくなった。
 瀬田川を渡り対岸へと進む。この辺も街並みは古い。

 何時頃の建物だろうという家が現役で使われている。まぁ膳所のあたりも、自分が越してからの2年で古い家屋はあちこち無くなっている。もう数年もすれば様子がだいぶ変わるかも知れない。
 建部大社の近くまでは一昨日歩いた道。そこから先は見知らぬ道。草津まではまだまだ遠い。

 旧東海道は細くなり古い家屋の並ぶ辺りを緩々と曲がりながら進む。時折、尾根を越え谷を越え。先日、瀬田駅へと歩いた通りにぶつかると

 一里塚址、という石碑に気づく。先日は気付かなかったものだ。一里塚があったから一里山か、とそんな単純な事が初めて分かる。

 膳所あたりの町屋とは違う、古い農家みたいな家が時々現れるようになる。膳所城址草津宿の間。昔は農村だったのだろう。
 大津市が尽き、草津市に入る。だいぶゴールが近づいた感じがするが、草津宿へはまだまだ遠い。そしてこの辺は農村的光景が残っている。
 南草津が近づく。駅の周辺は開発が進んで滋賀で一番の都会風になっているが旧東海道沿いの集落は昔ながらの雰囲気を残している。

 在郷軍人用地って何だろう、と一枚。後で調べると
noji-city.com
 野路の町内会なんてサイトに当たる。
 国道1号と交差してさらに草津宿の方へ。そろそろゴールが近づく。細い道は市街地へと差し掛かる。草津川を越えると大きな神社があり、古い宿場町の様相を呈してくる。草津の駅はもうちょっと先だが、本草津、とか草津本町、とか言いたくなるエリア。

 草津宿の本陣が現れる。その先は草津駅前のマンション群が見えるのだが、その間に土手があって、その手前に

 道案内。右東海道、直進は中山道。ここが二つの街道の分岐点、いわゆる追分だ。今日はここが目的地。なのだがちょっと気になるのが目の前の土手。草津駅と隔てるこの土手

 この広場。もともとの草津川。天井川草津川を移設して、元の天井川がこんな形で残っている。

 整備されていない所は元の雰囲気を残している。そして草津川の真下を

 東海道本線が貫いている。
 西に日が傾いて16時。帰りも歩く。来るときは2時間20分掛かっているからそのまま東海道をなぞると家に着くのは18時半だ。さすがに辛いのでショートカットする。「急がば回れ瀬田の唐橋」ではなく「矢橋の舟は速けれど」の矢橋の舟の現代版。近江大橋を渡る。
gogen-allguide.com
 調べてみると距離が唐橋経由の12㎞から8㎞に短縮される。まさしく急がば。
 旧草津川を離れて歩く。いかにも新興住宅街という雰囲気の街から田園地帯へ出ると今の草津川に。

 千年経てばこの草津側も天井川になるのだろうか。
 昨日の山科よりも遠く、時間も遅くなる。交流量の多い県道を暗くなる中、歩く、歩く。きらびやかなモールの前を通ると最後の

 近江大橋。風が強く手が悴む。矢橋の舟であればひっくり返る風かも知れない。現代で良かった。
 辛うじて明るい時間に家に着く。草津宿、追分から1時間半ちょっと。急がばの効果を実感。そしてずいぶんと歩いた。
 帰宅して夕食。酒は抜く。少し京王線恥辱を進めておく。

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