2021-01-03

7時前に目が覚める。正月3日の朝。ゆっくりと起きだし、適当に朝食を頂く。普段ならおせちなんだろうけど。
 少し録画した番組を見つつ少し京王線恥辱を進める。10時過ぎ。ちょっと歩くべく出掛ける。お昼前の二時間、何となく何となく浜大津の方へ。少しまとまった距離が歩けるので。
 京阪電車を見ながら、たらたらと。

 701-702編成がやってくる。昨日はこのタイミングで709-710だったけど、そんな幸運は続けてこないよな。

 605-606編成が京阪膳所に飛び込んでくる。

 入れ替わりに613-614編成が京阪膳所を飛び出してゆく。
 石山坂本線の経路は無視して大津の方へと歩く。大津駅前を通り過ぎて長等山の麓へ。

 京津線の電車を捕まえる。809-810編成。
 浜大津の港に出る。

 見慣れない旅客船がいる。今津-竹生島のサボが出ている。雪の北湖から逃げてきたのかも知れない。
 正月三日で南湖の遊覧船は動いている。


 ちょうどビアンカが大津港を出港するところに出会う。
 琵琶湖岸を歩いて自宅に戻ると12時を過ぎる所。昼食を頂き落ち着いた所で今日も午後は少し歩く。
 家を出たのは13時半過ぎ。今度も京阪電車に沿って。時折、タイミングを計って行き交う電車を撮りながら。

 613-614編成。

 607-608編成。

 617-618編成。

 605-606編成。
 普段ならここから石場に向かう所を国道1号線へと上がる。

 普通列車がやって来た後に

 新年最初の貨物列車、1052列車が来る。EF210-134号機の後に続くのはコンテナを載せない貨車が延々と。
 国道を歩いてゆく。だんだんと登り坂がきつくなると逢坂。

 805-806編成。 

 811-812編成。
 さらに先に進む。大谷の鰻屋が見えると下り坂。国道1号京津線名神高速が並んで進む。

 先程の811-812編成が戻ってくる。
 峠を越えて土地が開けてくる。京都側に抜けた感じを覚えるが


 実際の境はこのあたり。結構入り組んでいて、道を挟んで片側に滋賀ナンバー、反対側は京都ナンバーのクルマが並んでいたりする。

 歩くとなお府県境が現れる。
 四宮までくると明らかに京都市。飲食店の店頭に「府の要請により短縮営業」の告知が目立つ。新型コロナの感染、絶対数が多い京都の方がより深刻な状況というのが、歩いていても良く分かる。

 805-806編成が戻ってくるのを見ると山科到着。

 時刻は15時半。写真を撮りつつだったが2時間が経過している。
 山科には用事はない。お手洗いだけ使うと引き上げる。まるで京都まで小便引っかけに来たようなもの。
 帰りは東海道に忠実に逢坂越え、ではなく小関越えをしてみる。長等山をショートカットして浜大津に出るコース。四宮で東海道とは別れて、湖西線の線路に沿って歩くことになる。

 琵琶湖疎水も姿を現わす。
 この辺も京都と滋賀の府県境。住所表記は大津市だけど山科警察署の看板が出ている。警察の所轄としてはその方が合理的であろうことは素人にもわかる。
 湖西線の気配が消えて道は本格的な登り坂になる。

 小関越えは山科と大津をショートカットする道として使われていたそう。浜大津から京都を目指した明治初期の鉄道もこのルートを志したそうだ。とはいえ厳しい登り坂。鉄道を敷くならとんでもない勾配になるか長いトンネルを掘るか、となりそう。 馬場へいったん退き、逢坂から東山を避けて南に回り込む遠回りにルートになる理由も歩くとわかる。

 車が通れそうな道に戻る。ここから大津へは下り坂。時折、クルマが通るのと、ハイキングみたいな恰好をした人とすれ違うぐらい。とはいえ

 大津市街の隅っこに着くまで山科から50分。


 叶匠寿庵の長等総本店に着くまで60分弱。逢坂を通るよりちょっと早かった。

 東横インの京都琵琶湖大津までは四宮駅から徒歩50分。

 四宮以来の京津線、801-802編成を見て、旧東海道をなぞり自宅に戻る。辺りはだいぶ暗くなっている。
 夕食の後、軽く飲みつつ遅れている京王線恥辱を進める。多少戻ったような、戻りが遅いような。

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