タイ鉄道乗りつぶしの旅三日目はチェンマイから。旧市街を外れたゲストハウスで目を覚ます。
 今日は夕方にチェンマイを出る夜行列車に乗る。発車は17時だからまるっと一日をチェンマイで費やす事になる。それまでは一日観光が出来る。
 ゲストハウスのチェックアウトは正午。午前中、旧市街をちょっと見て、午後も荷物を預けてどこか適当に時間をつぶして、早い目に駅に向かおうというぐらいの事しか考えていない。チェンマイでの観光は山岳地帯のトレッキングが目玉で、ゲストハウスにもツアーの案内が幾つも出ていた。でも駅前旅行者は駅前を離れてもそんな山奥までは行けない。
 朝7時過ぎ。ちょっと旧市街をぷらっとしてみようと外に出てみる。どこかで朝食、というのも兼ねている。
 
 日曜日の夕方は賑やかだったターナー門。月曜日の朝は出店も無くなり落ち着きを取り戻している。今日は旧市街、反対側のスアン・ドーク門まで歩いてみようかと思う。片道2?は無い筈なのでそんなに時間は喰わないだろう。幸い日は射しておらず暑苦しくない。ひんやり、と言う訳には行かないが、標高の高いチェンマイバンコクよりも明らかに涼しい。
 
 先へと続くラーチャダムヌーン通りからも出店は消えている。クルマが行きかうよくある地方都市みたいな顔つきで平日の始まりを迎えていた、 
 どこか地元の人向けの食堂があれば朝食を取ろうと思っていたのだが、案外とそういう店がない。このエリアは外国人向けの店が多いようだ。昨日踏み込まなかった西側へと少し歩みを進める。
 
 昨日は出店と祠しか目に入らなかったお寺、きょうは大きな大きな樹が目に入る。訪れる時間が違うと印象がだいぶ違うなぁとわずか半日の違いでも感じ入る事になる。一回訪れただけの印象で全て知り尽くしたかのように語ってはいけない。
 歩いている間に朝の時間が少しずつ加速し始めたようだ。学校へ通うらしい制服の子どもが歩いている。黄色い袈裟を来た僧侶の集団がソンテウから降りてきた。人の動きが明らかに増えてきて、チェンマイの街も目を覚ましたかのようだ。
 
 黄色ソンテウがやってきて客を降ろす。運賃を渡しているのが見えた。恐らく自分が赤ソンテウに払ったよりは安いんだろうなぁとは思う。
 ラーチャダムヌーン通りはワット・プラ・シンに行く手を阻まれる。そのすぐ手前、初めて食べ物を売っているを見かけた。
 
 揚げサンドイッチ、って言った所か。あまり見かけない食べ物なので試してみる。一つ10バーツだから屋台の串を買うみたいなものだ。
 
 こちらがそのサンドイッチ。ツナサンド、だったが冷えていたのであんまり。揚げたてならもう少し美味しく感じたかも知れない。突き当りの寺へと僧侶が次々入って行くのを眺めながら口にした。
 大きな寺の脇道を進んでゆくと西側の堀にぶつかる。堀を挟んで両側に道路があって車が次々行きかっている。渋滞にはならないまでもチェンマイもクルマ社会だ。
 
 西側にあるスアン・ドーク門。煉瓦積みの城門は辛うじて残っている程度に朽ち果てている。
 さて東側へと戻ってみる。来た道を戻っても仕方ないので道を変えて歩いてみよう。こちらは観光客よりも地元の人のエリアみたいだ。まもなく地元向けっぽい食事が出来そうな店が現れる。一番最初に会った店に入ってみた。
 
 地元向けと言っても観光客も来るみたいで、英語版、写真付きのメニューがあって間違えようのないようになっている。
汁有りの麺を食べたくてバミーナムにしたいのだが、もう一つ、気になるものが店にある。両方頼んでしまう。
 
 気になるメニューがこれ。浮いているのが苦瓜っぽいが、奥に沈むのは
 
 スペアリブ。マレーシアやシンガポールで見かける肉骨茶、のように思える。マレーシアのものには苦瓜は入っていないけど、胃に優しく染み入ってゆく感覚は肉骨茶そのものだ。
 
 バミーナムのスープと比べると、重厚さが際立つ。麺は麺で美味しいのだけど、スープを二つならべると、勝負にならないのが良く分かる。っーか、バミーナム、ごめん。
 朝食が終わって腹ごなし、ではないがゲストハウスまで歩いて戻る。もう少し街歩きを。この辺り食堂が目立ち、入った店以外にも華僑が経営すると思しき店が何軒かある。タイ北部は華僑の多い所だそうで、中華系のタクシン元首相もタイ北部が地盤の人。漢字の看板が街のあちこちにある。バンコクなら中華街とパッポン通りにしかないだろうけど。肉骨茶が食堂のメニューにあっても不思議ではないのかもしれない。
 
 
 街のあちこちに祠があって道路が遠慮しているのを眺めてつつぶらぶら。チェンマイという古都は寺の中に街があるのではないかという錯覚を覚えるようになる。でも考えてみると京都と同じようなものか、と言う事に気が付く。サイズが手ごろで落ち着いているのも京都と同じだ。外国人に人気、と言う所も一緒か。
 
 お宝発見。いつの時代のクルマだろう。ちなみに街を行きかうクルマは日本車、欧州車、いろいろあるけど、割と新しめのものが多い。クラシックカーと意識してみたのはチェンマイではこの1台だけ。
 
 
 街で見かけたものをもう一つ。これ以前にターナー門の近くでも同じ物を見ていて、おや?と思った次第。何の意味があるものやら、スタミナ冷やし。
 
 まもなく東側のお濠に出る。相変わらずクルマ通りが激しい中、お濠に沿って歩くと振り出しに戻った。
 
 ターナー門だ。この時間、出店は無いけど観光客がちらほら歩き出していて、記念撮影やら何やらで少し賑やかになっている。
 ゲストハウスに戻ると9時近く。2時間弱の散歩であった。涼しくても動いたから軽く汗ばむ感じ。シャワーを浴びてからベットに転がると眠くなる。ついうとうとと。気が付くと10時過ぎ。何か面倒になってチェックアウトまではゲストハウスに引きこもる事にした。狭い部屋なので引きこもる、と言う言葉が相応しい。 
 ゲストハウスであってもチェックアウトは世界標準の12時。日本は10時が主流だけどちょっと早いよね、と改めて思いつつ少々ゆっくり。身支度をして11時半過ぎ、12時少々前にチェックアウトをするとともに、荷物を預かって貰う。3時か4時に引き取ると伝えてまた街に。標高が高く涼しいチェンマイだが、日が高くなるとやはり少々暑い。この暑い時間帯を体力を消耗する事無く、どうやり過ごすかが、旅を大過なく続けるカギである。昨日と一昨日は列車の中だったけど、今日はさて。
 朝の街歩きで見逃したお寺を廻るのと、休憩を兼ねた昼食。それに博物館のような屋内施設を混ぜて直射日光を浴びないようなプランで行きたい。お昼が近いが、ちょっと北側にあるお寺を見てから昼食休憩に入ろうかと思う。
 今度はお濠沿いに旧市街の北側に廻ってみる。 
 
 行きかうクルマの排ガスは気になるけど、水端の散歩道は心地よい。日は射さないまでも太陽は高くなった分、少々蒸すが、汗を拭きつつゆっくりと歩く。15分ぐらい歩いただろうか。途中、観光客に道を聞かれたりしながらも旧市街の東北端にたどり着く。
 
 
 こうしてみると旧市街は日本の平城にも似ているなと思えてくる。お濠の中は寺だったり民家だったり、街全体を囲っている所は日本と大きく違うけど。さっきから城址観光をしているようなものか。
 チェンマイ、旧市街の北側へ。道路沿いには観光客とは無縁の店が軒を連ねる。大きなスピーカーが並ぶ店が合ったりするのはちょっと不思議な感じだが、大音量で音楽流す習慣があるものね。
 
 こちらは工具類の店。コンプレッサーまで揃っている。同じような所を歩いていたのでは分からないチェンマイが顔を覗かせる。
 
 そんな訳で、ゲストハウスから歩いて30分近く。ワットチェンユーンに到着。ガイドブックには出ていたが、およそ観光客とは縁のなさそうな佇まい。のんびりしたチェンマイで更にのんびりとした時間が流れている。
 
 犬ものんびりというか、ぐったりと言うか。バンコクよりは圧倒的に涼しい筈だが、タイの犬の習性はどこまで行っても変わらないようだ。
 
 さて、チャーン・ブアク門でお濠を渡って旧市街へ戻る。そろそろ食事休憩にしようかと思う。しようかと思うのだが、そんなときに限って入りたい店がなかったりする。大学、なのか短大なのか分からないけど学校の前を通る。ちょうどお昼時なので屋台やら何やらの前に学生が屯って食事を買ったりしている。中には寿司を売っている店もあったけど、さすがに自分には手が出ない。
 
 何時の間にか旧市街の中心に来たようで、外国人観光客が目立つエリアになった。外国人にもてるのはこんな煌びやかな祠か、朽ち果てたような遺跡。生きているお寺は人気がないようだ。
 時刻は13時になろうとしている。雨がぽつぽつ降りだした。忘れていたが、タイは雨季。降られても文句は言えない。勿論振り続ける事は無い事も知っている。本降りになる前にお昼休憩に入りたい。結局、ターナー門近くの観光客向けの店に席を取る。
 
 汗で出て行った分をビールで補う。ジョッキがあるが、あくまで瓶ビール。たまにドラフトビアを扱う店はあるけど、何にも考えずに入ると供されるのはだいたいは瓶ビールだ。
 
 そしてカレーとライスを頂く。唐辛子のスライスが乗って見るからに辛そうだが、案外と柔らかい味。火を噴いてもう一本ビール、なんて事にはならなかった。
 時間が有り余っているので、カレーとビールをゆっくりと。次第に雨もやむ。濡れた道が乾いて行く。
 午後は二つほど、旧市街で見るところを見たら駅に行こうと決めた。まずは旧市街、先程来た道を戻ってラーンナー建築センター。タイ北部の建物を移築した博物館とガイドブックにはある。入場は無料。本当はしっかりとした博物館があれば時間も潰れていいのだけど、歩いて行ける範囲では無かった。
 
 
 住居としては相当大きな建物。二階にあがるとベランダに椅子が並ぶ。座ってみると流れてゆく風が心地よく、暑い盛りをやり過ごすには最適ではないかと思える心地よさ。椅子の数があまりないのが残念で、長い時間の占拠はご遠慮下さい、と言われそうだ。後ろ髪引かれる思いで席を立つ。ベランダから見えたお寺の奥に見えた古びた祠が気になり、歩いてみる。
 先程ちらっと眺めたワットパンタオの隣。ワットチェーディールアンの奥にあるのが見えていた祠の正体。
 
 小僧、なんて失礼な事を言いたくなる可愛らしい坊様が歩くその先に、まるでスコータイかアユタヤか、というような煉瓦積みの祠がどんとそびえる。遠くから見ても大きいと思ったけど、近くから見ると、
 
 相当高い。そして大きい。朽ちていても朽ちていなくても人々の敬愛を受ける事には変わりないのだろうけど、外国人のシャッターを浴びると共に、敬虔なタイ人の敬意も浴びている。
 一か所予定に無い寄り道をしたが、最後はもう一寺、廻ってみる。向かうはワット・チェン・マン。チェンマイでも一番古いお寺さんだそうだ。
 旧市内をちょっと北側へ。タイ国際航空チェンマイ支店がある通りを曲がって少々。裏側からのアプローチになったが、観光客がちらほらと見えるので目的地と知れる。
 
 今日、見た中では一番煌びやかな寺であった。中国人らしい観光客が記念撮影をしている。タイのお寺のキンピカぶりは、彼の国の人たちには確かに受けるだろうなぁとは思う。
 さて、ゲストハウスに戻ろう。帰り道、
 
 旧市街、まるで森の中に街があるような錯覚を覚える。北方のバラ、と称されるチェンマイ。落ち着いた良い街だと思う。以前訪れたスコータイも良い所であったし、タイ北部の観光都市は、人気となるだけの事はある。
 
 荷物を引き取り、大通りに出る。来る時はソンテウの相乗りだったが、都合よくソンテウが捕まる訳なく、大通りで客待ちをしていたトゥクトゥクに声を掛ける。120バーツと抜かしたが、交渉で下がったのは10バーツ。半値の八掛けから始めればもう少し下がったかなぁ。
 「サタニーロッドファイ、チェンマイ」つまりチェンマイ鉄道駅、と声を掛けるとタイ語が出来るの?と聞かれる。知っている単語はほんの少しだけどな。とは言え、「鉄道:ロッドファイ」「駅:サタニー」は鉄道旅行するなら覚えておいた方が良い。
 
 
 何度かエンストはするし、ベルトが滑っているような音はするし、余りの整備不良っぷりに閉口したが、とにかく無事に何とかチェンマイ駅まで運ばれる。途中どこかで動けなくなるかと思ったぐらいだった。
 
 チェンマイの駅に15:10。今日これから乗るタイ北線、特別急行14列車の発車は17:00だからまだ二時間ある。
 チェンマイを夕方でてバンコクに向かう夜行列車は特別急行が2本、急行が1本の合計3本。トップバッターとなる15:30発、急行52列車がお客さんを乗せて出発を待っている。
 
 
 座席車を中心に寝台車、食堂車を少々混ぜた編成。バンコクに着くのは、改定後のダイヤだと5:30とのこと。所要14時間の長旅。途中の街までのお客さんも乗っているのだろうが、3等客車の直角ボックス席で14時間は辛いに違いない。
 
 2番線には既に普通407列車が停車している。昨日乗って来た列車は40分程遅れたが、今日は余り遅れていないようだ。到着後の洗浄も終わってすっきりした顔つきでホームに停まっていた。
 さて、これから乗る特別急行14列車も3番線に停車している。発車案内は無いので、まだ乗車は出来ないようだ。
 
 韓国製と思しきステンレスの2等寝台車が最後尾。その次には日本からやってきた元ブルートレイン、今はタイの国色である紫に塗られたが、元B寝台車、今はタイ国鉄の二等寝台車が1両。食堂車を挟んで元JRの二等寝台車が2両。その先にいるのは元JRのA個室寝台車の筈、が
 
 ステンレスの車体に小窓が並ぶ。韓国製の個室寝台車だ。やられた。
 手元の切符には車両としてANS JRとあり、一人用1等寝台料金である1953バーツを払っているのだが、よりによって車両変更かよ。。。。。。
 日本から来た車両。齢40を超えていて、不調で離脱する車両が相次いでいるような話はどこかで目にしたが、A寝台車もダメになったらしい。昨日は確かに日本から来た元A個室寝台車が14列車に繋がれているのを見ているが、確率50%を外してしまったようだ。。。。
 これなら二等寝台で十分なのだが、寝台車は人気で二等寝台も一昨日朝の時点では売り切れ。ようやく1枚手にした一等寝台車の切符である。この車両に付き合いざるを得ないが、何か宿題を残してしまったような、もやっとした気分になる。
 乗車開始までしばらく間があるので、駅脇にあるコンビニによる。16時ちょっと前と言う時間。アルコールは販売停止時間で17時にならないと購入できない。ビールだけでなく、レジの後ろに構えるハードリカーも対象。タイウィスキーを買ってコーラで割る分にはばれないだろうと思ったが、そもそも17時の発車前に買う事が難しそうだ。
 仕方ないのでコーラを買い求める。しかも2本。酒が禁止されているイスラム圏ではコーラとか甘いお菓子が人気と言うけど、何となく理由が分かる気がする。
 駅に戻る。
 
 17時発、特別急行14列車、バンコク行きの案内が出ている。この列車、改定後のダイヤだと定刻で6:15にバンコク着。13時間15分の長旅となる。先程の急行より45分早い。ダイヤ改定前は16:00発の6:40到着なので所要14時間40分。1時間以上速くなっている。ちなみに18時出発の特別急行2列車はバンコク到着6:40だそうで、12時間40分。全て定刻に走ったなら、の話だが。
 乗車可能、みたいなので宛がわれた車両に改めて向かう。入口に係員がいて切符を見せると案内してくれる。向かった先は15,16番と言う個室。手元の切符は10号室であり、部屋が違う。聞いてみると、問題ないと。釈然としないが個室に入る。
 元オロネ25であるANS JRの1等寝台は1人個室の全11室。新製当時からタイで活躍する韓国製の1等寝台は2人個室が前提であり、15番は下段、16番は上段である。1室1人利用と1室2人利用とでは当然値段に差があり、手元の切符、1953バーツというのは1室1人利用の切符、ではある。よって車両が変わっても1室を1人で使う権利はあり、とはいえ番号の割り当てが違うから、便宜的に15,16室と言う部屋を割り当てたのだろう、と解釈する。そう解釈しないとこの案内が理解できない。
 大いに不満だが、1等寝台の一人利用なんて機会は早々無いから、不満は水に流して楽しんだ方が勝ちである。車内の様子をちょっと見てみる。
 
狭い通路に面して個室のドアが並ぶ一等寝台の車内。あけぼので乗ったA個室寝台もこんな感じだった。割と一般的な配置ではある。そして個室へ。
 
 室内は夜はベットになるであろうソファと洗面台、折り畳み式のテーブルが見える。ベットと逆側の壁が隣室と入れ子になっているようで、洗面台の位置を互い違いにすることで足元のスペースを捻出しているようだ。ソファは背もたれが夜は上段ベットに代わるように見える。
 
 物入れと照明の雰囲気は二等寝台車に似ている。ただ、照明はLED化されていて結構明るくなっていた。
 室内、上部あちこちに棚があって、夜はベットに敷かれるであろうマットレスや枕が収納されている。
 
 隣とはコネクションルームになっているようだ。最大で4人利用と言う事になる。
 隣りの二等寝台車も見ておこう。
 
 4人個室として運用できるように扉を設けたタイプの寝台車がそのままタイに来ている。仕切りはそのままだが、扉は撤去されているようだ。通路の補助いすなんかはそのまま。
 
 二段寝台になった際に、上段を折りたたむ機能は廃したので、そのまま上段がセットされた状態でお客さんを迎えようとしている。マットレスは二等寝台でも常備されているのが日本での運用と大きな違い。
 昔はドア上のB寝台車の表記はじめ、色々と日本時代の表記がそのまま残っていたのだが、だいぶ消されたようでそのままの痕跡はすくなくなっている。それでも
 
 その中で、見逃されたように日本語の表記が残っているのを見つける。ざっとみた感じ、日本語表記はここ一か所だけだった。
 ホームに降りる。先頭に向かうと、
 
 先程は連結されていなかった機関車が付いている。日立製の機関車であった。気動車や客車が日本製、あるいは日本の雰囲気漂う車両であるのに対して、機関車は欧州製、米国製が多い中で、日本の客車に日本の機関車。悪くない組み合わせだとは思う。
 部屋に戻る。一等寝台といえども冷蔵庫はないので、先程買い求めたコーラをさっさと飲んでしまう事にする。
 
 テーブルが傾きますな。。。。。
 ドアをノックされる、開けてみると食堂車の人。オレンジジュースはいかがと仰るが、これ、ウェルカムドリンクではなく、有料のドリンク。丁寧にお断りする。同じ特急でも二等座席の特急はドリンクサービスがあるのだが、一等寝台車だとサービスにはならない。
 次いでノック。係員が切符を見せろと仰る。見せると席が違うと仰る。先程案内した人とは違う人だ。また良く分からない事態、係員がここだと言ったんだと、と拙い英語で伝えると審議に入った。まもなくここでOKと審議結果発表。今日の寝床が決まる。
 今度はまた食堂の夕食の注文取り。一番安い定食にしておく。190バーツ。それに飲み物と聞かれるからオレンジジュースにしておく。ビールが良いんだけどね、本当は。
 発車までの1時間は長いようで短かった。間もなく17時。そろそろ出発。固定窓、しかも個室の中では外の様子は分からないまま、何の衝撃もなく、ゆっくり、ゆっくりと列車は動き出す。滑るように、と言う慣用句があるけど、本当に何のショックも衝撃もなく、少しずつ少しずつ速度を上げてゆく上品な走り。
 列車はチェンマイの街を抜け、郊外へ。速度も乗り、軽やかに長駆バンコクへと順調に駆けてゆく。列車はチェンマイ郊外の田園地帯へと歩みを進めている。
 昨日、普通407列車で来た道を戻るが、今度は冷房の効いた個室のソファに一人で腰かけ、固定窓から眺める景色。わずか24時間少々しか経っていないけど、まるで景色が違うかのような気がしてくる。
 30分程走って、ランプーン到着。後方の二等寝台車が停まるあたりで数人のお客さんが列車を待っている。一等寝台車の乗客は増えなかった様子。
 
 駅員と言うにはラフな格好な人と、野良犬というには少々上品な犬が先頭から駅本屋の方に歩いて行くのが見える。なんだろうか。列車は間もなく出発。次はトンネル手前のクンターンまで停まらない、
 
車窓には夕暮れの気配が忍び寄っている。続いていた水田が間もなく尽きて、一つ目の峠道へ。改めて地図を見る。地球の歩き方のタイ全図だから細かいところまでは分からないけど、チェンマイ、ナコーンラムパーン、デンチャイと同じチャオプラヤー川水系だけど、別の支流にある街であることが分かる。チェンマイからピン川沿いに下っていけば上り下りやトンネルは無いのだろうけど、零れ落ちる街が増える。かと言って支流毎に支線を作っていくと、来る時のスワンカローク支線のような路線ばかりになってしまう。この区間の開業、おおよそ100年前ではあるが、難しい判断だったに違いない。
 列車は山道に差し掛かる。車内の様子を見ようと個室を出てみた。B寝台車、じゃなかった、隣りの二等寝台車に入る。ドアを開けると通路の補助いすに人がが腰掛、下段寝台の人と談笑中。そんな景色がそこかしこに広がる。ちょっと前まで日本でおなじみだったB寝台車の景色がそのままだ。でも違うのはその主役が肌の白い大きな人たち、欧州の観光客だと言う事。
 食堂車にも行った。出発前に注文取りがあったけど、二等寝台車も含めて結構な数の注文が入っているのだろう。その準備の真っ最中。ケータリング車、と言いたくなる。多少の菓子類にジュースの販売もあったが、欲しくなるような商品は無く、買い物はやめておく。
 でもわざわざ出てきた甲斐はあった。食堂車は非冷房車。窓が開いているのである。
 
 タイ北部の山中を行くブルートレイン
 
 こちらは先頭側。2両の元ブルートレイン。現2等寝台車。次に今日のお宿である1等寝台車。そして、荷物車代用の三等座席車。先頭に立つ機関車の前にもう一両機関車。峠越えに備えて補機がついていたか。そのせいか案外と速度は出ている。
 食堂車から個室に戻って部屋に入る。列車はクンターンに到着。トンネル手前の峠の駅である。時刻は18:10過ぎ。チェンマイから1時間少々でやってきた。
 
 昼間と違って観光客がいないので物静かである。窓もドアもあかない個室寝台ではそれ以上の様子が分からないけど、機関車が一両、ゆっくりと動いて行った。ここまで峠越えをエスコートした補助機関車が外されたようだ。少々停まって出発。まもなくタイ最長のトンネルへと列車は入る。トンネルを抜けるとラムパーンへの下り坂。
 19時、ドアがノックされて食事が運ばれてくる。先程、食堂車で作られていたうちの一食だ。
 
 炒め物とライス。カレーにスープ。そして果物。これで190バーツ。飲み物は別払いで60バーツだったかな。実は要らないのにつけられてしまった朝のコーヒーっーのがあってそれを合わせて280バーツだそうで。タイの食事といては恐ろしく高い。でも3両先の食堂車から運ばれてきたとは思えないほど、熱々のスープとカレー。これで少し気分が良くなる。ちなみに支払いは後ほど、とのこと。
 食事を頂いていると再びノック。今度は車掌さん。ベットメークに来たようだけど食事中なので後ほど、とのこと。
 
 19時を過ぎて車窓も夜の帷が降りてきた。列車は快調に夜に向かって駆けつづけている。すっかり暗くなる頃、速度が緩んでナコーンラムパーンに到着する。ほぼ定刻で来ているようだ。
 ちょっと停まっている雰囲気だったのでホームに降りてみた。
 
 姿形は変われども、生き続けている寝台車。ファランポーンのドームの下で見るのも良いけど、はるか遠くの駅頭で眺める寝台車もまた、良い。
 少し写真を撮る、昼間と違って物売りはいないようだ。窓の開かない列車は相手にしないのかなと思ってホームにから列車に戻る。少々停まる間に夜が深くなる。
 
 闇の中、窓外に銀色のタンク車が鈍く光っていた。
 20分程停まって列車が動きだす。最新の時刻表がないから遅れたのか何なのかは分からないが、それはどうでもいい。まもなく先程の車掌がやってくる。改めてベットメーク。
 ソファの背もたれが上がって上段寝台となる。下段にマットが敷かれシーツと毛布。あくまで一人用なので上段のセットは行われずに終了。梯子もあるのかも知れないが、セットされなった。
 
 
 ベットが出来上がる。元々一人用のオロネ25と違うのはベットの占有高さか。
 背もたれが消えた代わりにベットが出来る。何となく横になるとすっと眠りに入る。ノックの音で目覚めると食堂車の係員。食器の回収と集金であった。請求は280バーツ。300渡してお釣りはチップとなる。
 コンセントもあるし、有り余る時間を恥辱を進めるのに宛がうつもりだったが、再び眠気を感じて横になる。そのまま寝てしまう。
 23時過ぎ。目覚める。どこかの駅に停まっている。3時間以上寝ていたようだ。もう眠れないかなと思ったけど、水を一口飲んで、そのままベットへ。目を瞑ってみると何時の間にか寝てしまった。