今晩の前菜として

 常磐特急ひたちは北千住を過ぎて荒川を渡り、速度を上げる。最新型の電車、普通車でも通路席まで電源がある。臨席が空いているのでそちらの電源を使わせて貰い、PCを使う。そうこうしてると速度が緩んで柏に到着。
 自由席に長い行列があって次々乗り込んでくる。電源を明け渡しておくと、ぱっと座ったのは制服姿の男子高校生。手にはお金を持っていて、検札が回ってくると土浦までの自由席特急券を買い求めている。500円であるらしい。高校生が通学で特急を使う事に思い切り驚いたが、わりと日常な光景なんですかねぇ。
 とにかく気軽に特急を使う人たちでひたちの自由席は満席になる。通勤、通学の人、ゴルフに行くらしいグループ客。そんな人たちと共にデットセクションを越え、交流2万ボルトの区間に進む。外は先程から雨粒が落ちるようになっている。
 土浦で隣の高校生が降りる。ほかにも降りる人がいたからそれなりに電車は空く。石岡と友部でも同じように人が降りていったから、自由席車には空席が目立つようになった。近距離の人たちが自由席を選んだだけかも知れないが、水戸に着くまでに閑古鳥が鳴くとは思わなかった。

 列車は高萩行きだが今日は水戸で下車。隣のホーム、水郡線の郡山行きが停まっていて、今日はそれに乗る。

 キハE130というあまり馴染みのない車両が停まっていて、これが郡山行き。行先に常陸大子の名前もあるのは、3両のうち後ろの1両は常陸大子切り離しだから。顔つきは秋に新潟で乗ったキハE120に瓜二つだが、向こうは二つドア。こちらは二つドア。キハE130の30番台は、つまり通勤型気動車と言う事か。

 発車まで30分あるからか空いている。ひとまず2人がけのボックスに居を構える。先に常陸太田までゆく列車が発車するからさほどの混雑ではない。発車時間が近づくに連れてボックスが埋まり、ロングシートが埋まる。発車時間間際に遅れている常磐線の接続を取る旨、案内。隣ホームに特急が到着してしばらく、バタバタとお客さんが乗ってきてこの人たちは相席になる。3分遅れて出発。
 常磐線の線路から分かれて列車は緩々と進みだす。外は生憎のくもり空。雨も落ちてきそうな雰囲気。力を持て余す体でエンジンを吹かすと駅に停まってお客を下す。奥久慈清流ラインなんて愛称が駅名表示に書かれているが、

 広がるのは地味な田園風景。それが暗い空の下に沈んでいるから清流とはずいぶんかけ離れた光景である。もちろん、天気と季節が変われば、清流に相応しい景色も広がるに違いない。
 水戸を出て50分弱。常陸大宮を過ぎて山が迫って来ると、清流ラインの由来だろうか、久慈川が車窓に現れる。

 暗い空の下には違いないが、らしい光景は何度か広がる。そして滝で有名な袋田の駅。列車接続のバスが待っていたりして、現役の観光地らしい雰囲気を醸し出す。降りてゆくお客さんもちらほら。
 水戸から1時間20分弱。常陸大子の駅に到着。後ろ1両が切り離しの案内があり、列車は4分停まる。半分ぐらいのお客さんが降りてゆき、車内空席が目立つようになった。

 改めてドア3つの気動車を眺めて、自席に戻る。写真を撮っている人が数人。今日は3月1日。春の18きっぷが使用解禁となる日だ。
 身軽になった列車は定刻に走り出す。そろそろ茨城県から福島県へと差し掛かる頃。外には残雪がちらほらするようになった。先日の大雪の残りだろうが、

 日蔭だけの雪だったのが

 段々と雪の範囲が広がって行く。駅名に磐城の旧国名が見えるようになったからもう福島県に差し掛かっているのだろう。東北新幹線白河の関を越えると急に雪が降ってくるのと一緒か。
 根雪かなと思いながら眺めていたのだが、さらに進んでゆくと雲が切れて晴れ間が見えてくるようになる。雪が隠れたところで磐城石川に到着。3分停まるのだそうだ。

 冷たい雨に打たれ続けた列車を労うかのように日差しが降り注いでいる。ここだけ見ていると、もう春のような景色だ。
 降りる一方だったお客さんも乗っている人が増えるようになってきた。郡山に向かう人の流れ。お客を集めて速しで走る。
 接続列車のご案内なんて言葉を3時間ぶりに聞いたのが、水郡線東北線のジャンクション、安積永盛。黒磯行は1時間後なんだそうだが。どうやら高校生の下校と重なったようで、初めて列車、立客大勢になる。満員のお客を乗せた列車は今までで一番の駆け足になって後一駅、郡山へと急ぐ。
 各方面の乗換案内があって、執着郡山に定刻の到着。

 ここまでお世話になった列車にはお別れ。そして次に乗る列車は既に向いのホームで発車を待っている。

 磐越西線会津若松へと向かう快速列車。
 発車まで10分を切った列車はおおむね席が埋まっていて適当な空席を見つけてひとまず確保する。そろそろ空腹だが。1番線にあった売店では駅弁は扱っていなかった。階段を上って左に行けば売店があるそうだが、あと4分ではちょっと苦しい。食事はこの先で考える事にしてパス。席に戻る。まもなく出発。
 駅を出るとすぐに左へカーブして東北線と別れる。郡山の市街地が続くのを見ながら、西へ向かう。案外遠くまで市街が続く。案外奥まで広がっているものかと思ったらさすがに尽きて田園地帯に変わった。

 晴れ晴れとした空の下に残雪。東北の春の景色だ。東京の人から見れば冬の景色かなとは思うけれど、ここにあるのは間違いなく春の景色。
 10分進むと雪が深くって峠道に分け入った。会津へと続く峠道だ。

 空も急にくもり空に。春の景色が一変。冬に逆戻り。1分時間が経つごとに一週間巻き戻してゆくかのような変化。
 峠を越えて下り道に差し掛かっても今度は季節は進まない。

 猪苗代の盆地は雪に閉ざされたまま。ビニールハウスはビニールが取り払われている。冬は使用しないのが前提なのだろうが、こうして自分の身を守っているのだ。

 磐梯山が見えてくると猪苗代到着。駅頭にはモーグルのワールドカップ歓迎の看板が出ていた。3月1日、2日開催とあるからちょうど今日明日と言う事になるのだが、それらしいお客さんは見られない。お客さんが居ても便利なクルマで動くだろうからなぁ。
 磐梯山が右に左に動いて行きながら列車は会津盆地へ下って行く。線路はうねうね弧を描いていて急斜面を緩々と下って行く。その途中で行き違いのため、停車。快速列車を待たせて颯爽と駆けて行ったのは

 わずか2両編成の普通列車であった。こちらも一呼吸おいてから、再び山を駆けて降りる。

 会津盆地にたどり着く。ここも雪に覆われたままである。郡山からわずか1時間、同じ県内でこの差は大きい。元々福島県浜通り中通りという所は温暖な気候で住みやすいところであったのだ。3月11日よりも前は。

 各方面の乗換案内があってジャンクションというに相応しく線路が広がり、会津若松に到着する。時刻は14時ちょっと前。次に乗る列車、40分程の待ち合わせ。1時間あれば街に出てもいいかなぁと思っていたのだが、思っていたよりは短い。駅は街の外れなのでさすがに40分では短すぎる。駅構内の食事処に駆け込んだ。

 天ぷらそばを頂く。¥1,100。出汁も天ぷらのつけ汁も薄味。東北は全般に濃い味だと思っていたのだが、会津ってのはずいぶんとお上品な味付けなんだねぇと思う事になる。確か、昔郡山で食べた駅そばの味は東北標準の味付けだったと記憶していたのだけど。
 少々お上品すぎて物足りないのと、売店を覗いたらウェルネス伯養軒なんて会社の駅弁が売っていたのでついつい買ってしまう。これは後で紹介。
 そろそろ、ホームに戻る。今度乗るのは新津行きの普通列車。ホームには列車の入線を待つお客さんがちらほら。そしてやって来たのは

 国鉄型、キハ47とキハ40の2両編成。
 磐越西線の喜多方から新津は非電化区間気動車が活躍している。東北に限らず、非電化路線というのはいくらでもあるのだけど、だいたいは路線毎に使用される車種が統一されている。先程の水郡線ならキハE130だった。郡山からいわきに伸びる磐越東線ならキハ110。秋田の男鹿線や青森の八戸線国鉄時代のキハ40シリーズだ。
 それが磐越西線というのは不思議な路線で、今目の前にいるキハ40シリーズ、JRになった当初に新製されたキハ110。そして最新作のキハE120と三種類が混用されている。磐越西線気動車羽越線米坂線と共通運用で、数も多い分、いっぺんに置き換えという処置が取り辛いのかも知れない。

 国鉄が無くなって25年以上。新しい車両だった筈のキハ40シリーズもお目に掛かる機会が減ってきている。これが最後だとは思わないけど、久しぶりになじみのある車両に乗れるのは嬉しい。