津軽の国のステンレス

 大鰐の駅で降りたのは数人。温泉宿の迎えが来ていたりして駅名の大鰐温泉を少々映し出している様子。その隣には小さな駅舎。

 こちらは弘南鉄道大鰐線大鰐駅津軽平野の普段使いである弘南鉄道の駅は昔ながらの大鰐駅。以前はここに窓口があって切符が買えたと思うのだが、何時の間にか無人化されている。乗車券は反対側、北口で購入してくださいとの事。無人の改札をくぐり、‎再び構内へ。

 上りホームの行先、金沢や大阪の文字が残るのはここが日本海縦貫線の一員である事を物語るが、先程振り返って来たとおり、既に直通列車は無い。一方、直通列車がまだ走る上野の文字がないのはどうしたことか。
 今日はこの先の細い路地がごとき跨線橋に分け入る。乗るのは弘南鉄道大鰐線
 北側の駅舎に降りる。こじんまりとしているが係員が居て、自動券売機があり、暖かな待合室がある。電車は昼間1時間毎の運転。長らく30分毎の運転を頑張っていたが、ついに耐え切れなくなり昼間は1時間毎の運転になってしまった。それでもJRの汽車よりは運転本数、多いのだろうけど。

 待っているのはステンレスの電車。近代的と言ったら近代的だが、東急の7000系弘南鉄道にやって来たのは1988年の事だがら、25年以上津軽の地で頑張っている事になる。それなりの時間を刻んできた。
 出発まで20分程の間があるが、中に入れて貰えたので撮影をしてみる。

 車内の様子。何と言う事のない3つドアロングシート車。ではあるが、この臙脂色のシート、どこか同時期の京王5000系を思い起こす雰囲気。

 つり革はちょっと変化した。以前は「東横のれん街」とか「東急百貨店」とか、東横線時代のそのままの姿だったのだけどね。中学生の頃に、大鰐線で「東急百貨店」の文字を見て、おぅと思ったのを思い出す。

 そしたら裏側は東横線時代のそのままだった。
 このころにはお客さんが少々。おばちゃんが数人に通学らしい小学生が10人ぐらい。2両の電車を持て余す程度のお客さんが乗ってきている。

 駅構内にたたずむ古い機関車を見ていると間もなく発車時刻になる。東横線からやってきて25年。幾度も通ったであろう津軽平野の雪原にステンレスの電車が足を踏み出す。

 二駅、三駅で小学生が降りてゆき、車内閑散とする。こんな調子だとこの電車も先行き不透明だよなぁと思っていると別の駅で今度は20〜30人の小学生。更に進むと今度は高校生が乗ってきて電車が賑やかになる。小学生が降りた後も、車内はそれなりに賑やかなまま。
 雪原が何時の間にか弘前市内に入って家が並ぶようになる。高校生だけでなく一般のお客さんも増えたから郊外電車の匂いはしている。
 30分程で中央弘前の駅に到着。16時になっているがまだまだ明るい。冬至のころならそろそろ日が落ちる頃だが、冬至から1か月半が経って、それなりに日は伸びている。

 逆光の中にステンレスの電車が佇む。振り返ると 

 今の電車でやってきた乗客が三々五々、改札へと向かう。
 今着いた駅は中央弘前駅。そこからJRの弘前駅へ移動する。中央の名に違わず、弘前城址をはじめ旧市街には近い中央弘前駅から市内を歩き、どちらかというと市街地の端にあたるJRの駅まで。秋田でも苦労したが、弘前も雪道はバリアフル。キャリーバックを手に持って雪道を歩いたから、うんと時間がかかった。

 JRの弘前駅に着くと16:20を過ぎたところ。街を歩いている間に雪に降られなかったのは幸いであったが、次に乗る列車、青森駅行きの普通列車

 701系の顔には雪が全面に纏わりついている。先程乗って来た弘南鉄道7000系が1964年製造の御年50歳。津軽にやってきてからでも25年という経歴の持ち主だが、こちらは1993年製造だからまだ21年選手。この電車が赤い客車を駆逐したのはつい最近と思いつつも、もう20年経っているのである。
 4両つないだ電車、階段の近くは混んでいる一方で階段から離れた先頭車には空席が目立つ。その先頭車に席を求める。列車は定刻に出発。高校生が半分、所要客が半分といった感じの車内。新幹線乗り継ぎらしい大きな荷物のお客さんもいる。自分もキャリーバックを持っている。同じような外来のお客さんには違いないが、この後たどる道はだいぶ違う。
 暮れてゆく津軽路、雪道通って20年の701系に揺られて先へと急ぐ。駅に着くと高校生が降りて代わりに別のお客さんが乗って来る。「青森って後ろだったよね」なんて声が聞こえるから青森までのお客さんが多いのだろう。外はだんだん暗くなる。
 新青森で荷物の大きなお客さんが降り、少々は残り、代わりにお客さんが乗って来る。少々停車時間があってから、最後の一駅に踏み込む。
 列車はゆっくり。そして停まる。信号が赤で停まっているそうだ。5分は停まっただろうか。接続列車が大丈夫かなぁ?みたいな会話も聞こえる。新幹線から奥羽線の列車をワンポイントリリーフにして、青い森鉄道に乗り換える出張客らしい。世の中には色々な流動があるが、どちらかというと割を食った方の移動に違いない。
 列車はようやく動き出す。津軽海峡線からの列車が遅れた関係での信号停車だそうだ。列車はその遅れを引きずったまま青森に到着。

 相変わらずの雪まみれ。折り返し弘前に戻る列車は30分後の発車にも関わらず席を求める人がちらほらと。

 手元の切符。青森の一つ先、津軽線油川までとしているが、これはある種のフェイク。ここ青森が目的地である。東京を発って12時間。日が暮れてもいる。青森に一泊して、酒をしこたま飲みながら、東北の美味しい食べ物を頂きたい気分ではあるけれど、残念な事に、本当に残念な事に、持ち時間は限られている。

 青森の駅前に出て、軽く買い物。今晩頂きたい海の幸の代わりに乾き物。鮭とばを頂く。夕食の代わりに駅弁を。そしてビールと一本、一本。もう一本。再び改札口へ。

 表示されているのは青森始発で直接上野へ向かう唯一の特別急行寝台特急あけぼの。今一番ホットな、と昼間書いた覚えのある列車。
 今晩の食事と酒をしこたま買い求めてホームに戻る。乗客と思しき人たちが三々五々ホームに散り、列車を待っている。駅そばのスタンドも盛業中。18:10までの営業だそうだ。
 18時になろうとする頃、上野行き寝台特急あけぼのが到着しますの案内。ホームに緊張が走る。遠くにライトが小さく光る。それが大きくなってくると

 ディーゼル機関車エスコートされて、あけぼのの車両が入って来る。
 ここで少々寝台特急あけぼの、というより奥羽線筋の夜行列車を振り返ってみたい。
 東北新幹線が開業する前夜の奥羽線筋、羽越線筋の夜行列車はこんな感じだったと思う。実家に戻れば当時の時刻表があるからより詳しく書けるけど、今は記憶ベース。ついでに夜行列車の需要に影響を及ぼしそうな出来事にも触れてみる。