【今日の駅弁】深川めし ¥850 株式会社NRE大増

 
 
 定番駅弁からのスタートだが、他に食べてみたいものが無かったので仕方ない。あっさりした炊き込みご飯も上に載ったあなごも外しようのない一品でまずは腹ごしらえ、となる。

 グリーン車にはアテンダントと言う名の女性係員が乗っているのだが今日のこの電車。女性係員のほかに警備員がデッキに立っている。女性係員が車内を廻るとその後から警備員が付いてくる。制服でなければストーカーと言ってもいい状態。だいぶ前に東海道線だったかの普通列車グリーン車アテンダントが襲われた事件があったと思うが、その対策、なのだろう。他の路線でもやっているのだろうか、良くは知らない。
 松戸で早々に特急に抜かれたが、それ以外は快調に電車は走る。グリーン車で寝ていこうかとも思っていたのだが、昨日の恥辱が手付かずだったのでそっちを先にやっつける。取手までには片付けたいと少々頑張る。あんまり北上しすぎるとMiMAXの電波が拾えなくなりそうである。天王台の案内で何とか公開まで持っていけたが、その後も意外と電波が繋がる。東海道線は平塚を過ぎると途切れ途切れになるし、中央線は高尾を過ぎれば電波は拾えないものと思っているけど、常磐線、意外と言っては失礼だが、想像以上に入感状況がよい。
 
 今日の分も書き出しをまとめると列車は友部についている。水戸まであと少し。少しの間だけでもゆっくりして行こうかと思いパソコンを閉じる。電波もさすがに途切れがちになってきた。
 うつらうつらし始めた所で水戸駅に到着となる。電車はこの先、勝田まで行くが、次に乗る電車は水戸始発。水戸で電車を待つことにした。
 
 次の電車は久ノ浜行き。耳馴染みのない駅名だが、いわきの先。常磐線の電車は震災の影響、と言うよりも原発事故の影響で久ノ浜から先は開通する目処すら立っていない状況であり、目下の所の終着駅、となっている。
 久ノ浜からは列車は走っておらず、今日の宿泊先としている仙台まで行くには、いわきから磐越東線で郡山に抜けるより他ないのだが、この電車をいわきで降りても磐越東線の列車は2時間以上待ち時間がある。その間に久ノ浜まで脚を伸ばそうか否か、この時点ではまだ迷っている。
 
 常磐線の普段着、415系が8連でやってくる。ずいぶん長いなと思ったけど、折り返しの下り電車は勝田で前4両切り離し、久ノ浜まで行くのは後ろ4両だそうだ。
 座席がさらりと埋まって発車時刻となる。勝田ではひたちなか海浜鉄道の接続案内。震災の影響で運休が続いていた、このささやかなローカル鉄道も夏休みに間に合ったらしい。阿字ヶ浦に寄り道も有りだったなぁと勝田まで来て初めて思うが、ちょっと遅い。電車は動き出す。ここで心がけて寝るようにしてみる。昨晩の睡眠不足が効果を発揮。あっという間に眠りに落ちた。
 気が付くと40分ほどが経過していて電車は日立を過ぎている。外に見える景色。ちらほらと瓦が崩れてビニールシートを掛けられた家屋が見える様になっている。成田空港ですら被害が残っている訳だから、ましてや震源に近い茨城県北部が無事な訳が無い。瓦礫と赤錆にまみれた廃車の山が見える。列車は被災地茨城の真っ只中を走っている。速度が緩んだ。徐行区間が混じっているらしい。
 勿来なんて駅が過ぎる。「来ること勿れ」で勿来だ。何となく先に進むのを躊躇われるような気分になったところで街が現れ、駅に着く。いわきである。沢山の人が降りていってまるで終点のようだが、代わりに乗ってくる人もいて、そしてもう発車ベルが鳴っている。流されるようにそのまま乗り続ける事になる。こうなったら、常磐線の果てを見届けようかと思う。
 草野と四ツ倉で大多数の人が降りて、自分の乗っている号車は明らかに鉄しか残っていない。勿論、人の事はどうこう言えない。トンネルを抜けると海が見える。霧が立ち込めているものの穏やかな海。でも海岸に並ぶ建物は1階だけ壁がなくなっていたりして、明らかに異形の光景だ。
 
 速度が緩んで車掌が終着久ノ浜を告げる。昔から久ノ浜が終点だったかのような言い方だ。改札に人だかりが出来る。4両で実は20〜30人ぐらいは乗っていたらしかった。
 
 駅前に出る。ごくごく普通の、妙に埃っぽい雰囲気だが、そんな久ノ浜の街。その向こう、明らかに異なる世界が霞んで見える。歩いてゆくと、
 
 人の生活が海に飲み込まれた跡だった。青い空の下、白っぽい埃が妙に眩しくて、何だかいたたまれなくなる。
「取り壊し了解済 東京で元気にしています。○○」
「家主了承無く手を出さぬ事」
 まだ手の付けられてない生活の跡にはそんな張り紙が出ているが、余りに生々しく、カメラを向ける気力が無い。
「母親の作った庭です。そのままにして下さい」
 なんて看板の出た一角にはひまわりが咲いていた。
 ここに来て良かったのか来るべきで無かったのか、正直答えは分からない。無闇やたらと好奇心だけで来るべきではないと言う批判はあるだそうし、それは甘んじて受ける。でも、現実の生々しさを感じる機会は、これから自分の考える糧になるであろう。少なくとも技術と言うものを糧にしている人間はこの景色、見て自分なりの考えを巡らすべきではないかと思う。
 
 駅に戻る。先程乗ってきた列車は11時半にいわきへと戻る。
 
 久ノ浜から先。岩沼方の線路は既に赤錆び草生して、夏色の景色に埋もれている。

 原子力発電は二重三重の安全対策をしているから絶対事故は起こらないのだと言い聞かされ来た身にとって、日本国内でメルトダウンが起きるなんて思ってもいなかった。ましてや半径20kmに及ぶ立入禁止区域が設定されるなんてSFの世界としか思っていなかった。まるで絶対に勝つ、勝つのだと教えられた戦争に負けて体制がひっくり返った時のようではないかと想像する。人間の技術はいつかは打ちのめされる日が来る。ましてや、慢心を持って臨んだ日には。

 技術を糧にする身からすると、どうしても「想定の範囲外」と言いたくなる事柄は起きると言いたい。人間の想像には限界があり、そして知見は当たり前になると忘れられがちになるから。

 とは言え、想定の範囲外に何かがありえる事を常に考え、それに対するリスクを見積もるのが本来の姿だろう。しかし想定の範囲外にある事を考えずに「安全です」と言ってきたのがどうやら原子力という世界だったようだ。この5ヶ月を見ていると、そう判断せざるを得ない。

 思考を目の前の久ノ浜に戻す。現実に今まで列車が通っていた線路があの日を境に分断される様子を目の当たりにしても、何か現実の出来事として受け止められない。でも、これが現実。
 この先へと列車が走る日を願ってやまない。

 いわきへ戻る列車は四ツ倉と草野でお客さんを集める。お盆の時期で人の動きが活発なのだろうか。いわきに戻る事には一人前の列車みたいな雰囲気になっている。
 
 橋上駅になってずいぶんと軽薄な雰囲気になったいわきの駅。平と名乗っていた頃はいかにも汽車の駅と言う風情だった記憶がある。
 折角なのでお昼はいわきで食べる。地元の味をうたい文句にしたお店に入ったが、時節柄なのか、メニューを見ると「築地直送」と書かれている。まぁ、目の前の海からの水揚げは無いのだから仕方ないと言えば、仕方ない。
 
 野菜が地場物ならなぁという淡い期待をこめて天ぷら定食。
 
 駅に戻って待ち時間。駅構内の外れにキハ110の2両という列車が待ち構えていて、軽いアイドリング音が聞こえてくる。入線までしばらく間がありそうだったのでホーム上の待合室で列車待ち。地元のお年寄りの会話が洩れ聞こえてくる。話題は勿論、原発の事。今年のお盆は孫が遊びに来なくて残念だとか、畑で出来たものを気楽にお裾分け出来なくなったとかそんな話題が方言で交わされている。
 20分ほど前になって列車が入ってくる。先程のお年寄りやホームで待ち構えていたいかにも18きっぷの利用客という風情の人。荷物の大きな人たちでボックスがさらりと埋まる。そして上野から特急が着くと今度はその乗り換え客で座席が埋まる。ほぼ一杯になったところで発車時刻となった。
 
 列車は本線筋を離れると山の中、緑色の一際濃い阿武隈の山地を縫うように走り始める。田圃が見え、タバコ畑が見え、一目には変わらないように見える阿武隈の山。それがどれだけ放射性物質にまみれているのかいないのか、それは人に危害を及ぼさない程度なのか何らかの影響があるのか。さっぱり分からない。当たり前だが、放射性物質は人の目に見えないし数えられない。だからこそ怖いのだけど、正しい怖がり方を覚えれば福島との向き合い方も代わるに違いない。少なくとも首都圏に住む人間には福島を突き放す事などやってはならないのだから。  
 
 夏井川がちらちら見えて時折鉄橋でまたぐ。山の向こうに積乱雲。平行して走る道路のアスファルトが濡れている。さっきまで大雨だったらしい。そのうち車窓も翳って雨粒が窓を叩く。しばらくすると晴れ上がって夏の景色が一面に広がる。
 小野新町で少し人をおろし、それ以上に人が乗ってくる。子供連れの姿も見えた。変調はあってもお盆はお盆に違いない。車窓を流れてゆく大きな農家。窓を大きく開け放ち住んでいる人が寝そべっている様子が一瞬流れてゆく。絵に描いたような日本の夏が一つ、また一つ。
 ついついウトウトしてしまい気が付くと三春まで来ていた。朝が早いとどうも眠くて困る。列車は郡山に出る人で結構な混雑。立客も出ている。阿武隈川を渡ると左へとカーブしてゆき東北線東北新幹線へ寄り添ってゆく。その向こう、磐越西線が交わると終着の郡山。いわきから1時間半ほど。
 午後の郡山は意外と暑い。だいぶ北まで進んでいるけど、それでも東京より1度2度違うだけ。東北の地もこのお盆は酷暑だ。
 
 乗り換えは福島行き。予め乗り継ぎを調べてきた時には「間に合うな」程度の認識だったが、実際には結構タイトな乗り継ぎ。写真を撮り、隣のホームへ移動するとまもなく発車時刻となる。E721系の4両は若干空席がある程度の乗り具合。この先も長いし、ボックスに相席させてもらう。
 東北線の列車は徐行も無く快調に飛ばす。車窓に映える安達太良の山も変わりない。駅員の胸に「がんばろう東北」のバッチが見える事が変調といったら変調か。屋根の上にブルーシートを掛けた家が時折見える事は常磐線沿線と変わりない。瓦屋根はだいぶ大変だったようだが、この辺りトタン屋根の家も多く、そういった家にはぱっと見ただけでは変化が見つけられない。  
 福島まで50分ほど。乗り換えは直ぐ発車の仙台行き。このまま乗ってゆくと17時過ぎには仙台到着となる。
 
 寄り道も出来るなぁとは思ったけど、結局はそのまま次の列車に乗る。こちらも荷物の大きな人が多い。先程の列車で見かけたような人もちらほら。
 列車は福島を出ると結構な急勾配に差し掛かる。次第に福島盆地を見下ろすようになった。盆地の斜面には何かの果樹。赤い実をつけているから、桃の木かなぁと薄ぼんやり考える。
 車内に「復興宮城キャンペーン」なんて観光ポスターが幾つも出ている。その一つが白石うーめん。その白石で降りてみるのも面白いだろうなぁと思いつつもそのまま通り過ぎる。どうやら眠たかったようでまたウトウトが始まった。常磐線と合流する岩沼では思いっきり爆睡中。合流する終着点は見届けるべきだったと思うのだけどなぁ、反省。
 開業数年で壊滅的な被災をした仙台空港鉄道も途中の美田園までは復旧したのだそうだ。名取で乗り換え案内が流れる。車窓の空を何かが横切ると思ったら細長いジェット機の姿。JLのMD-90だったようだ。こちらも夏休みを前に国内線は正常ダイヤに戻っている。車窓に広がる仙台郊外の景色もぱっと見ただけなら日常の景色。
 
 仙台駅に到着。まだ17時過ぎ。日も高いが今日は仙台に宿泊する。
 10年前の自分ならまだまだこの先へと進んだだろうなと思う、いける所まで。多分盛岡まで普通列車で3〜4時間だからこの後21時ぐらいになるのだろうか。昔なら間違いなくそうしたに違いないのだけど、30も後半になると夜討ち朝駆けみたいな旅行は辛い。多少楽もしたい。出来るだけ夜行列車を繋いで、という旅をしようにも夜行列車が無いのだけど、志向はやはり変化している。
 
 今日はずっと車窓から東北を眺めてきて意外と変化が無いと思い続けてきたのだけど、8月14日の仙台駅前。良く見ると修復の後があったり、その修復が完全でなかったり、震災の爪あとを見る事になる。それと、駅前に建つビル。広告が埋まらないのか屋上に広告枠だけ残しているビルがちらほら。「がんばろう東北」という掛け声は皆するけど、やっぱり経済的には苦しい所に違いない。
 駅近くのホテルに投宿。落ち着くと夕食を兼ねて軽く飲みに行く事にする。店の選択がかなりいい加減で入ってからやっちゃった感があったけど、それでも
 
 基本が飲み放題、90分間にお通しが付いて¥1,050という妙なシステム。ビール単品とかそういう頼み方は出来ないらしい。ついつい頼み過ぎてしまうのがよくない。まぁ抑えればいいんでしょうが。
 
 仙台茶豆とあったので頼んでみた。確か¥500。
 
 お刺身はどこで揚がった魚だろう。塩釜とか復旧したのだったかなぁ?と思いつつ。
 
 飲み放題メニューにあった日本酒に耳馴染みが無く聞いて見ると「確か神戸の方の‥」なんて仰るから敬遠。別払いでいいから地酒を頼む。

 かなり飲んだが¥4,000でお釣りが来た。店どれだけ東北に貢献出来たか定かでないけど、今日はこれでおしまいにする。最後に別の店、ラーメンで締め。
 ホテルに戻って恥辱を進める。明日はまた早いので普段より少し早い目を心掛けて、就寝。