夕張へ

 列車は新夕張止まり。ここから先は乗換え。隣に同じ1両の気動車が止まっている。これが夕張行き。新夕張まで乗って来た人全てが乗り換えるとまもなく発車する。トマム、帯広、釧路へと向かう石勝線の本線と分かれてこちらは夕張への細い道をたどる。
 綺麗に晴れ上がった空の下、雪が光っている。汽車は夕張川に沿って谷をさかのぼってゆく。割とこまめに集落が現れ、駅に停まる。元々石炭の積出駅だっただけに、構内は広いものの、全ては終わってしまった事。今では雪に埋め尽くされるのみ。
 割と綺麗な高層アパートが幾つも流れてゆく。人の気配はあまり感じられない。ベランダにBSのアンテナが付いていなければ、無人だと思ったかもしれない。
 
 新千歳空港から2時間弱。12:22、ようやく夕張の駅に到着。距離だけで言えば61.7kmなのだそうな。随分と時間が掛かった。
 
 天気は良く、気温も上がったようだ。ツララから溶け出した水がぽたぽた。ツララ自体小さくて、この地も暖冬である事を語ってくれている。
 夕張はほぼ4年ぶり。前回は2003年の5月。北海道旅行の最終日に朝、札幌から入ってほぼ一日を費やした。石炭の歴史村を見学なんかしたた訳だけど、平日だったし、ほとんど人が居なくて、確かに破綻しても不思議はないよなと、今振り返ってみてもそう思う。
 汽車はすぐに引き返すけど、それには乗らない。今回は冬と言う事もあるし、財政破綻の影響で観光施設は軒並み閉鎖。でも、少し夕張を楽しもうかと思っている。
 まずは、駅のすぐ隣。でっかいホテルがある。スキー場もある。きっと財政破綻をもたらした戦犯の一つ、なのだろうけど、
 
 そこに併設された温泉へ。「レースイの湯」と言う名前。名前の由来は近くにある「冷水山」からだと思います。
 http://www.yubari-wv.com/racey/hotel.rasey.htm
 入湯料は¥600。ホテル併設だからそんなものかなぁ。人は少なめ。空いている。早速、お風呂へ。滑らかなお湯だ。ナトリウム-炭酸水素塩泉との事。露天風呂もあるので外に出てみる。外はさすがに寒いけど、お湯に浸かると幸せそのもの。青空の下、光る雪を眺めてしばしぬくぬく。
 さて、次。もう一つ温泉に入ろうと思う。フロントの人に行き方を聞くと、「ここの道を〜」と始まる。すみません、クルマじゃないんです。と言う事でバスの時間を教えてもらいます。概ね30分毎の運転。結構走ってますね。
 
 でも、汽車があるので、一駅、汽車に乗って行きます。
 
 一駅乗ると「鹿ノ谷」
 
 駅前のバス停も雪に埋もれています。
 
 バスがやってきました。乗客は一人。自分が乗り込んでようやく二人。バスに乗って数分。黄色いハンカチロケ地前と言うバス停で降りて、山の方へと登ってゆく。
 
 なにやら煙突が見えてきました。
 
 確かに、煙突です。でかい。
 
 そして、その根元に温泉施設。「ユーパロの湯」 ユーパロとはアイヌ語で「鉱泉の湧き出るところ」と言う意味だとか。夕張の語源だそうです。
 山間の小ぢんまりとした温泉を何となく思い浮かべていたので、想像以上に立派な施設に驚きます。そして、停まっているクルマの多い事。
 こちらも入湯料は¥600。食事とセットで¥980と言うのでそのチケットを買う。クルマの台数が物語るとおり結構な混雑。こちらはお湯が少し茶色い。「ナトリウム・カルシウム-塩化物強塩泉」との表示。
 
 差額380円の食事はラーメンや蕎麦等からのチョイス。写真は麦とろ飯。
 帰り際、もう一度先ほどの煙突へ。言われが掲示されていました。煙突の生まれ年は1960年。コークスを製造する工場がこの地にあったそうです。1978年に閉鎖された後もこうして存置。何時しかユーパロの湯の象徴になったのだとか。
 
 せっかくなのでこちらにも寄って行きます。冬季閉鎖は知っていますが、炭住を眺める事ぐらいは出来るでしょう。
 
 雪の坂道を踏みしめて。圧雪の道なので、ちょっと油断すると滑りそう。
 
 道の最後はこんな感じ。どなたか存じませんが、雪かきをしてくれた人がいるようです。あの黄色いハンカチが見えてきました。
 
 「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地。当時の炭鉱住宅がそのまま保存されています。
 
 建物の中はやっぱり閉鎖中。前に一度見ているので、あまり気になりませんけど、外観はしっかり眺めてゆきます。
 
 青い空に炭鉱住宅が映えます。鉛色の空の下、吹雪に打たれる炭鉱住宅も見てみたい、と思うのは贅沢でしょうか。
 
 シンボルのハンカチも陽の光を受けて。
 
 谷間に見える夕張の市街地。
 少しはしゃいでいる間に時間が経ってしまいました。そろそろ下に降りないと予定していたバスに乗れなくなります。今度は下り坂。圧雪路を少しずつ降りてゆきました。
 
 市街地のお店で。暖冬でも雪掻きは欠かせません。「ママさんダンプ」と言う名前で売ってました。うちの田舎では「スノーダンプ」って言い方だったかな。 
 
 夕張駅へ戻るバスはここから乗ります。夕鉄バス本社。名前の通り、元々は夕張鉄道と言う鉄道会社でした。炭鉱の衰退と共に鉄道は消え、バスだけが残っています。
 
 懐かしい看板。4年前に訪れた時も見ている筈ですが、印象に無いって事は、興味が無かったのでしょう。
 
 こんな看板も。