弘南鉄道

 弘前までは30分だからすぐである。まだ眠っているような弘前の街に放り出されたのは6:40のこと。いつの間にか駅が建て替えられている。今日はこれから弘南鉄道に乗ろうかと思っている、弘南鉄道は15年前に乗ったのが最初で最後。当時は東急の電車が来て間もない時期だった。まだ大鰐の側線に旧型車が残っていたのは覚えている。
 まずは雨の降りだした弘前の街を歩いて大鰐線中央弘前駅へと向かう。位置関係は一応把握しているけど記憶は曖昧。割と正確に歩く事が出来て7時前に見覚えのある古びた中央弘前の駅にたどり着く。7時の電車で大鰐へ。15年前と同じ東急のお古だ。ちょっと変わったところがあるとすれば、吊り輪に付けられた広告。前は東急で走っていた頃のまま鮮やかに東横百貨店やらなにやらの宣伝が出ていたけど、今は色あせている。中には上からテープを張られて平賀自動車学校なんて広告になっていたり、テープを剥がした後も。
 電車は街と同じように眠ったような雰囲気のまま走り出す。一駅停まる毎に一人二人の客を拾うのは意外だ。市街地を抜けるとりんごの樹が一面に広がった。この時期はまだまだ青々としている。
 時々すれ違う電車はみんな東急車。確か南海車も来ていたと思ったけど。その南海車、車庫のある津軽大沢の留置線で朽ち果てていた。線路上には居るのだけど塗装が剥げ、錆が浮かんでいる様子からはとても現役車両という威厳は感じられない。大鰐まで30分で到着。こちらには機関車が1両居る。一応手入れはされているようで、一度パンタを上げているところを見てみたいもの。
 大鰐からJRで弘前に戻る。弘南鉄道が30分掛かるところを10分少々で走ってしまう。値段もJRが安い。JRの方が本数少ないから弘南もやってゆけるのかもしれないけど。
 次に同じ弘南鉄道弘南線で黒石へと向かう。ちょうど電車が出たばっかりで8時半まで待つ。こちらの弘前駅はJRの建替えに合わせて移転しており、小ぎれいな駅になっている。黒石からの電車がやって来る。時間帯が良くなったからか先ほどの大鰐線よりも多くのお客さんが降りてきた。折り返しの黒石行きも大鰐線より客が多い。と言っても10人前後だけど。こちらも一駅二駅とお客さんを集めている。降りてゆく人もいるけど。何とか高校前みたいな駅がいくつも合って高校生が重要な顧客なんだろうなぁ。
 駅のそばには農業倉庫が目立つ。りんごやら米やら。昔は弘南鉄道を使って出荷していた名残でしょうけど、何時ぐらいまで貨物列車走っていたのでしょうかねぇ。平賀の車庫でやはり朽ちた南海車。どうやら全車両、運用離脱と見受けられる。
 黒石までもやっぱり30分。9時に到着。折り返しは9時20分。出来れば黒石線代行バスで川部に出るか、青森までバスで出るかしたかったけど時間が合わない。仕方ないので弘前まで一旦戻る。黒石にも南海車が居る。最後の検査が11年とあるので、遅くとも16年までには運用離脱、放置となった様子。もう一つ、黒石線検査所という建屋とその前にどんと構える給油施設。こちらも今となっては不要の産物。撤去にもお金が掛かるからと言う理由でしょうが。
 黒石からの電車は今まで乗った電車の中で一番混んでいた。と言っても全員座れる程度だけど、弘前に着くのが10時前だから、日曜日のこの時間帯、少しでも乗ってくれないと困るのでしょうけど。
 弘前から青森に戻る。雨が止んでいるので歩いてフェリーターミナルに向かう。大よそ25分程度で歩ける距離。途中には是非とも眺めておきたいものもあるし。西口から大通りに出てすこし歩くと恐ろしく違和感のあるものが見えてくる。JA8809、元JACYS-11である。しかもJASのレインボーカラーになっている。ここは北方漁業博物館と言う施設で、本来は漁船や船舶に関する博物館なのだけど、何故かYS-11が展示されている。海沿いなのに屋外展示でクルマの排気ガスも浴びるし展示環境としては最悪だけどとにかくJA8809はここで余生を過ごしている。
 昨年の7月にこの博物館自体は見学しているので今日は外観を眺めるに留めるけど、さほど退色もしていないし、まずは良かった。大事な機体だし、大切に保存して欲しいものと思う。ここからフェリーターミナルは目と鼻の先。