2018-08-11

 日本海岸、島根県西端の街。益田のホテルで目を覚まされる。スマホのアラームを停めると時刻は5時前。昨日に引き続き早起きの朝。
 18きっぷで移動の二日目。今日は夕方、広島からの空路を予約している。元々、益田は木次線不通で迂回する事になった土地。何となく山口線で小郡、やなかった新山口に出て、何とか何とか広島に辿りついて、と言うつもりだった。
 しかし、考えてみると普通列車だけで山陰本線を辿る機会はそうそう、無い。今日はこのまま下関に出ようと決めたとたんに、5時起きを強いられた。起きれなかったら山口線でもいいや、ぐらいの心積もりだったのだが、何故か起きる事が出来た。
 6時前にホテルをチェックアウトする。

 静まり返った益田駅前。それでも

 駅は目覚めていた。上りの始発。鳥取までゆく特急気動車のエンジン。アイドリング音が心地よい。
 18きっぷに日付印を入れて貰い、ホームへ。山陰本線下りの始発は3番線から出発する。キャリーケースをかついで跨線橋を渡る。

 写真で見るたび、不細工だなぁと思っていたキハ187だが、目の前で見るとなかなか頼もしい。5:47、僅かなお客さんを乗せて

 山陰本線を上って行く。鳥取までは4時間。昨日のイワガキ丼をふと思い出す。

 始発の特急が旅発った益田駅構内。まだまだ気動車が屯っている。これから続々と出発の時を迎える。
 さて、長門市、下関方面、山陰本線下り。

 長門市行きはキハ120の1両であった。バスが如き1両の小さな気動車。先客は4人しかいない。一番前に明らかに鉄な人が一人。後ろに地元の人。外国人が二人。
 バスが如き汽車でも汽車は汽車。定刻に出発して駆けてゆく。山口線の線路が離れてゆくと一人旅になる。小さな町を離れると

 今日も海に出る。海と絡み、山間に入り、たまに集落。それを繰り返しながら、朝が明けてゆく。

 石州瓦の赤い屋根が印象深い集落が現れると駅。そしてまた山と海のフリッカー。青空と実り始めた稲。日本の夏が過ぎてゆく。

 キハ120の車窓。昨日は夜だったが、今日は明るい。行く手を遮るものは無く、行く手の景色が広がる。

 海が離れないまま、幾度となく絵葉書のような景色が続く。そりゃ瑞風も山陰線を廻るよね、と改めて納得。
 西に向かうに従い、列車は地元の人で賑わうようになる。この人たちの目的地は東萩。益田から1時間。何時の間にか山口県に入っている。久方ぶりの街となる。しかし、萩と言う街の名前、長州と言う土地には少々心ざわざわするものがある。戊辰戦争の主敵。先々週の薩摩では何ともないのだけど。秋田は新政府側に寝返ったじゃないかと言われそうだが、それより東北という括りの方が心の中では優先になる。まぁ150年前を今ねちねちと思うのはこの列車の中に一人だろうけど。
 東萩でお客さんが降り、代わりに乗って来る。萩の街を離れると列車はむしろ乗っている。

 また海が見えてきて心が緩む。海は良いよね。どこまで行っても日本海日本海だ。

 益田を出て2本目の上り列車とすれ違う。向こうはキハ47の2連。汽車らしい汽車が来た。キハ120の前面展望も悪くは無い。けど国鉄世代の最後の方としては、やっぱりローカル線はボックスシートに揺られたい。

 入り江を臨む集落何かを眺めて、また山を越える。海が離れて街の気配がしてくるとこの列車の終着、長門市となる。右側から線路が寄って来る。乗換の案内は、この先の下関方面は橋を渡って1番線。美祢線の厚狭行きは向かい側の3番線。仙崎へはこの列車に引き続きご乗車ください、と。

 久しぶりのジャンクション。乗り換えた先に停まっているのはキハ40の2両だったが、行先は益田と出ている。下関を5:39に出てきた820D列車だ。おやと思っていると

 2両の列車を切り離している所だった。下関よりの車両に乗り込んで係員に確認。これで良いらしい。ただし下関行きでは無く途中の小串行き。もう一度乗換が控えている。

 久しぶりにボックスシートに座る。長門市を挟んで乗り換える人は少ないようでお客さんはすっかり変わった。
 長門市を出る。京都からの距離、600㎞を越えた。下関までの距離、100㎞を切った。と言ってもまだ2時間掛かるけど。

 朝から良く晴れているお盆時の週末。列車は少しずつ混んでくる。ボックスがひとつ埋まり、もう一つ埋まりと言う調子。夏休みに入って人の流動が違うのかも知れないけど、本線らしい光景になる。

 益田を出て3時間。日も高くなり、海も透き通る。沖縄の海と変わらないなぁと思える今日の日本海
 まもなくこの列車の終点、小串になる。

 乗換はわずか1分。列車は2両に増える。そして久しぶりに車掌の乗務する列車となる。昨日の朝、京都から乗った列車に園部までは車掌が乗っていたが、それ以来。
 車掌はこまかく列車を廻る。先程の長門市からの列車から乗り換えた人が乗車券を買い求める。年よりの夫婦がスペースワールドまで、と乗車券を頼んでいた。九州連絡の役割もわずかながらも残っている。
 小串からは下関近郊。列車も増えてお客も増える。 

 最後の最後に座席は山側。水田に住宅が良く混ざるようになると下関市内。そして右へとカーブしてゆくと線路が寄って来る。山陽本線だ。合流すると山陰本線の終着、幡生。京都から673.8㎞。普通列車で1泊2日、27時間。純粋に乗っている時間だけなら18時間、か。
 列車はあと1駅。下関まで足を延ばす。15年ぐらいご無沙汰しているような下関の駅に9:50、到着となる。

 古びた下関駅のホームに国鉄時代の汽車が到着。この先、九州方面は小倉行きに乗り換え。

 これも国鉄時代の車輌が待っている。しかし今日はどちらに向かおうか。何となく下関に着いたら駅のホームでふく天うどん、と思っていたのだが、汽車の時代はとうに過ぎ去り、下関のホームからもうどんの立ち食いは消えていた。あぁそうかと思っている間に小倉行きは出発する。

 仕方ないので山陽線を上る。10:01出発の山陽線、下松行きと案内される。時刻表では岩国ゆきだが、西日本豪雨の影響で下松から先は運転見合わせである。岩徳線も運転見合わせ。18きっぷで広島に行こうとすると、代行バスを利用するか、どこかで別払いをして新幹線のお世話になるしかない。
 山陽線の電車はさすがに速い。駅と駅との間もずいぶんと空き、走りに走って駅に停まるという感じ。昨日ずっと乗って来た気動車とは別の次元の乗り物だった。 

 その代り、景色も冴えない。
 1時間少々で列車は小郡に着く。いや、新山口に名前が変わったんだっけ。

 列車はこの先、下松まで行くので、徳山から新幹線に乗ればいいのだが、徳山に停まる新幹線、案外と少なかった。そこで新山口から一気に広島まで新幹線でワープする。
 新山口駅、改札の脇。

 この周辺の運行情報が出ている。やはり徳山と岩国の間はなかなか難しい状況。
 そんな訳で躊躇なくワープして広島へ急ぐ。

 次の列車は546A。下関からの電車に乗った直後、エクスプレス予約で指定席を抑えている。もう時間もないのでホームに上がる。今日は8月11日の土曜日。帰省ラッシュのピーク。新山口の上りホームは逆ラッシュに相当するが、それでも混んでいた。

 そんな訳でR4編成に乗り込む。逆ラッシュだが、家族連れやら何やらで賑やか。ちょうどお昼時でやってきた車内販売、お弁当が気持ちよく売れてゆく。途中で売り切れ、広島積み込みになりますが、と予約を取っている。
 折角電源があるのでPCを使って京王線恥辱を進めておく。わずか30分で広島到着の案内。いやぁ早すぎ。

 12時前に広島着。元々の計画では朝、出雲横田を発って11:45に広島到着だった。成り行きではあるけど。帳尻はあった事になる。
 ちょうど下りののぞみが広島に着く。帰省客で広島駅の改札口は停滞する。8時ごろ東京を発ったのぞみだとすると帰省ラッシュのど真ん中。いままで絶対に避けてきた流れにはまって正直戸惑う。
 8月11日の広島。帰省客と外国人観光客の両方で訳の分からない事になっている。そんな流れを脱して向かったのは在来線の改札口。

 呉線は坂までの運転。

 山陽線上りは海田市までの運転。

 山陽線下りは岩国までの運転。

 芸備線は下深川までの運転。
 こんな調子で西日本豪雨から1か月経っても広島の鉄道はダメージを受けたまま。その中で

 終着のあき亀山まで運転する可部線に今日は乗る。次の電車は12:08。お昼時だが、先にあき亀山を往復しておく。

 可部線の電車は見慣れぬ車輌。長らく国鉄型で運用されてきた広島地区にもようやく世代交代の波が押し寄せていて、227系と言う車両、これがあき亀山まで向かう。
 車内は立ち客がでる程度には混む。家族連れの姿が目立ち、大きな荷物もちらほら。東京や大阪からの帰省客が広島のベットタウンに向かう図、らしい。
 可部線。何年だったか忘れたが、当時の終着、三段峡まで乗り通している。しかし、可部までは広島市内のベットタウンで電化区間、その先は郊外から田舎と変わり、非電化区間のローカル線という分裂症が災いして、可部から三段峡が 年に廃止された。
 とは言え可部を境に急に田舎になる訳でなく、ダラダラ続くベットタウンから鉄路復活の熱烈なラブコールを受けて、2017年、可部から改めて2駅、あき亀山まで延伸した次第。一度廃止になった路線が復活するなんて例は少なくともJR化されてからは無い筈だが、改めて乗りなおさなきゃとなった次第。

 可部までは2003年になった区間。客層が物語るように広島のベットタウンである。線路は昨日辿った山陰本線よりもずっと格下。路地裏のような所を走って行く。駅が現れ、すぐに現れ、広島からの客を降ろす。代わりに乗って来る人もいて、まるでバスのように使われている。
 可部線のこの区間、狭まる太田川に沿って走る。段々と山が迫って来るようになる。

 先日の豪雨の影響か分からないけど、崖が崩れている所も見える。そんな様子を眺めていると今までの終着、可部に着く。

 上り列車とすれ違うと、改めての新線へ入り込む。

 復活と言っても旧来のままの路線をそのままでは無いようで、立派な線路が伸びてゆく、駅は二つだからすぐ到着。まもなく

 この先は期待しないでね、と言いたげなあき亀山の駅に着く。


 多少残っていた家族連れなんかが降りてゆく。駅前には可部線の駅としては立派なロータリーがあり、クルマと列車の結節点を狙ったかのようなつくり。その代り

 駅前には何にも無かった。荒れ果てた土地が広がっていたが、これはさすがに豪雨の影響、ではないだろうなぁ。
 これでJR線全線完乗返り咲き、ならいいのだが、しばらく緩んでいる間に、北陸新幹線北海道新幹線、それに東北仙石ラインの接続部、と3つほど気になる所が出来ている。東北には一度行かなきゃねぇと思いつつ、来た道を引き返す事にする。

 先程の電車で戻る。

 電車は空いている。転換クロスシートの好きな所を選びたい放題であった。それにしても可部線にこんな立派な電車が入るなんてねぇ。昔ならどこかのお下がりがやって来たに違いないのに。
 広島に近付くにつれて混んで来て、立客も出る。広島に戻ると14時近く。2時間近くが経っている。
 いい加減お昼ご飯にしようと思う。3月に出張で広島に来た時は、駅周辺があまりに混んでいて、適当な店で広島でも何でも無いものを食べた。今日は広島らしく、お好み焼きを希望する。しかし新幹線口の店はまだ混んでいるだろうし、在来線側で探してみた。するとサッポロビールを置いている店があったのでそちらに入る。

 早速ビールを。喉は乾いているので速攻で吸い込まれてゆく。

 結局ビールは2杯目になってしまった。まぁ、良いか。。。
 飛行機は17時過ぎ。まだ3時間程ある。空港まで1時間あれば行くが、少々中途半端な時間になった。そして、 

 空港までのリムジンバス。帰省ラッシュに巻き込まれて時間がかかる。普段の倍、90分。ならば空港に行ってしまおうと決める。次のバスまで15分程。大人しく待つ事にした。

 「すみません回送中です」の幕。ネットでは何度か見たことあるけど、実車は初めて。しかり幕で入れたんだ。。。。。

 観光用のオープントップバスもやって来た。でも日本のこの手のクルマ、屋根だけ外したものが多いよね。法律のせいなのか、何なのか。

 14:40出発の空港行きがやって来る。所要90分の脅しが効いて、慌てて乗る家族連れもいて、少々遅れて出発。
 バスは日差しの強い中を広島市郊外へ。

 下り線は思いっ切り渋滞。これは帰省ラッシュか。途中、JR貨物のコンテナを積んだ車もちらほら見える。不通になっている山陽本線の代行輸送のようだ。幸い、上り線の渋滞は解消しているようだ。順調に東に向かう。50分弱で広島空港到着となる。15時半。出発までまだ2時間あるけど、まぁ良いか。
 搭乗手続きをしておく。荷物を預けて、クラスJのキャンセル待ちを入れるのだが、

 妙なロゴがみえるなぁ、、、

 ってTDA東亜国内航空JASロゴの備品もだいぶ少なくなってきたと思われる中、TDAの備品が残っているとは。少なくとも30年選手か。HIJの文字が見えるが、昔の広島空港から持ち込んだものか。
 時間があるので、展望デッキに出てみる。

 2本前の羽田行きが出発する所だった。まだだいぶ待つことになる。飛び立つ所まで見送ったが、暑いのでいい加減、屋内に戻る。早々に保安検査を受けて、ラウンジに入っておいた。

 広島もラウンジは改装済み。4社のビールが揃うのが、新装ラウンジの標準らしい。ならば成田本館のファーストクラスラウンジも同じ扱いにして欲しい、と思う。
 パソコンを充電しつつ、京王線恥辱を進めておく。途中、ラウンジ嬢から声を掛けられ、クラスJのキャンセル待ち、アップグレードの手続きとなる。同じ場面で鹿児島では空席待ちカウンタに行ってくれ、だったが、広島ではラウンジ内で手続き完了。広島の方が人手に余裕があるようだ。

 気分よくウィスキーの水割りなんぞ飲んで搭乗開始を待つ。

JL264 JA346J B737-800 HIJ→HND


 17:50出発の264便。17:35になって搭乗開始の案内がある。ラウンジの外に出ると

 JA346Jであった。
 優先搭乗のタイミングは逸したのでゆっくり待って、最後の方で乗り込むことにする。ほぼ満席の機内。頂いた窓側の席に座り出発を待つ。17:52、Doorclose。出発の案内で「本日は、福島、兵庫、香川、熊本出身の乗務員が搭乗しております」と自己紹介。小さい737だから出来るかも知れないけど、初めて聞いた。
 定刻を過ぎているが動かないまま少々。間があるのでお手すきなら頂けませんか、とお願いする。

 自己紹介通りに4枚。地方ばかりで都市圏の人がいないのは珍しい。
 18:02に機長さんから案内。羽田空港混雑の影響で当機の離陸が18:19以降と指定されているとのこと。出発と到着が遅れる事、お詫びがある。羽田の夕方は仕方無い所だが、今日は遅れがダダ広がりになると大変だろう。
 18:04、Pushbuck。18:09、Taixing。そのまま滑走路端に向かう。

 18:11、指定よりだいぶ早いがTake off RWy10。丘陵地帯の滑走路を飛び立つと間もなく、

 眼下に山陽本線。山の中、谷に沿って線路が曲がるのが見えている。この辺り、一番被害を受けた所で、復旧も遅くなる区間。上空から見ても、ここを通すしかないだろうなぁと思う地形だが、生憎とそれが仇になったようだ。
 まもなく雲に入り少々揺れ。

 雲の上に出ると落ち着いて18:16、ベルト着用サイン消灯。飛行機は少し北側に回り込みつつ東に向け、さらに高度を上げてゆく。
 早々に飲み物のサービスが始まる。

 今日は昼間酒を散々飲んだので大人しく冷たい緑茶なんぞを頂いておく。
 18:28、機長さんから飛行状況の案内。現在、高度8,800mを順調に飛行中、羽田には19:25ごろ、搭乗口に到着できる見込みとのこと。天候は晴れ、気温は29℃だそうだ。

 段々と日が暮れてくる中を東へ。飛行機は東京へと近づいて行く。

 不意に左翼を空に向けて南へ旋回。どうやら羽田空港混雑のため時間調整の様子だ。浜松沖、ぐるっと南へ大きく迂回し始める。18:55、降下を開始した旨の案内。10分後、ベルト着用サインが点灯するそうだ。
 飛行機は関東の南から房総半島を回り込むように羽田に近付いて行く。19:11、ベルト着用サイン点灯。

 千葉の工業地帯を見下ろすファイナルアプローチ。RWy22だなぁと思っていると乗務員さんから案内。
「本日、右手のお客様には、東京ディズニーリゾート東京スカイツリーをご覧いただけるかと存じます」と案内。さらに
神宮外苑で19時から花火大会が行われております。もしかすると、ですが、ご覧いただけるかも、知れません」と。右のお客さん、完全に窓の外に釘づけになっている。
 こちらは黙って東京湾。Rwy23に降りてゆく飛行機や東京湾を進む船舶を見ながら。羽田空港も見えてくる。花火は見えているのだろうか。19:28、Landing、RWy22。この後、34番スポット、だそうだ。
 誘導路を進む途中、葛西かどちらかの方、花火が上がるのが見える。東京は夏の7時だ。19:35、Spot in SP34。

 オープンスポットに降りてバスでターミナルへ。荷物を受け取ってから帰宅となる、のだが。

 この混雑。到着機が重なって広島の荷物は「先に着いた」札幌の後、と案内。よりによって荷物が多くてお客も多い千歳便と一緒かね。だいぶまたされ、札幌の荷物が引き渡された後、ようやく順番が来る。

 10分経って荷物を返された時には、もう混雑は解消している。

 しかもさ、札幌からの522便と広島から264便。同着じゃん。
 運悪く時間が掛かったが、とにかく帰宅。京急で横浜に向かう。10分毎のエア急

 15D運用は1209編成で新町まで行き、

 19運用1565編成に乗り換え。自宅には21時前の到着。この時間でも横浜は暑い。荷解きと荷支度を両方やって、早めに寝ておく。

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