2022-06-18

 気が付いたらベットの上で寝込んでいた。外は明るい。もう朝、と思ったらまだ4時。ずいぶん明るく、6時ぐらいの感覚。間もなく夏至の北海道は明るくなるのが本当に早い。
 少々二度寝。起きだすと5時過ぎ。

 もう7時ぐらいの明るい空が広がっていた。それにしても寂しい所だ。
 いい加減眠れないので起きだす。身支度やら何やら。7時を過ぎて朝食にする。寂しい所のホテルだが、食堂には数人の先客。人の気配をあまり感じなかったが、そこそこ宿泊客がいた。

 思ったよりも充実した食事に驚く。

 海鮮丼にもできるが、魚介のレベルは昨日よりも少々落ちた。留萌の飲み屋で飲んで、札幌のホテルの朝食を頂ければ最高だが、この辺は仕方ない。
 今朝の出発は割とゆっくりできる。折角留萌を訪れたのだし、少しだけ街を歩いてみようと思う。腹ごなしもかねて少し歩く。
 鰊漁や炭鉱で栄えた留萌地方。どちらもダメになった今は、何の街なのだろう。ずいぶん昔に読んだ文章には役所の街、と書かれていた記憶がある。留萌支庁の所在地で道の出先機関で何とか持っている街、というと酷い言われようだ。

 漁港周辺には立派な石造りの倉庫がある。売り方を変えれば小樽みたいになりそうだが、札幌からの距離が遠すぎる。

 港へと出る途中、築堤があって明らかに廃線跡と知れる。留萌から増毛まで伸びていた留萌本線の跡に違いない。
 港に出た。

 昨日の曇り空が嘘みたいに晴れている。地元の人なのか、遠来の人なのか分からないが、釣りをする人が目立つ。

 過去の残り香なのか、日通の立派な倉庫が一つ、二つ、三つ。こちらも石造り。中には保税倉庫と看板が出ているものもある。やはり過去の栄華なのかも知れないけれど。

 岸壁に停泊する船の所まで来て、引き返してみる。来た道を戻り、留萌線の跡地を見てから、今度は別の道に。

 沿岸バスの車庫があった。路線バスに高速バス。漠然と留萌が本社の会社だと思っていたが、ここはあくまで出先。本社はさらに北へと向かった羽幌にある。

 再び築堤が現れる。留萌線の跡だが、ここも道路と交差する橋梁部分は撤去されていた。結構低かったのだろうと想像は出来る。
 少し線路を見たく、歩いてみる。線路は水平だが、地形は海から離れるにつれて小高くなっている。坂道を登ると尾根道にあたる。

 今度は留萌線切通しを通っていた。線路が撤去されずに残っている様子を見て、観念したというか、満足したというか。
 ホテルの方に戻ってゆくと昨日バスで通った十字街のバス停に出る。

 ちょうど、中央バスの札幌ゆきが出てゆくところだった。昨日バスを降りた駅前近くに、中央バスの車庫があったを見かけている。留萌を朝出て札幌に遊びに行くのにちょうど良い設定に思えるが、バスは空いているように見えた。

 つーか、沿岸バスと中央バスで停留所の名前が違うのね。

 沿岸バスの増毛方面がやって来る。乗客数名。バスであっても赤字の乗り具合。それでも街を歩く人の数に比べたら、多い。
 ホテルの近く、昨日飲んだ辺りに戻る。

 ジンギスカンの店があるが、昨晩、営業していただろうか。ちょっと覚えていない。
 ホテルに戻ると8時過ぎ。そろそろ荷物をまとめる。8時半を過ぎてホテルをチェックアウト。今度はスーツケースを引っ張り、留萌駅へと向かう。歩いて少々。昨日バスで着いた時には見ていない

 駅舎の前まで。街は寂しい所だったが、駅前はもっと寂しい所だった。昔ながらの国鉄駅舎。昔は運転拠点駅として、人も沢山いたのだろう。いまはがらんとしている。コミュニティーFMの看板が見えて、待合室にその放送と思しき声が流れている。
 増毛まで乗り通した1994年秋。増毛が夕方で、折り返しの列車で日が暮れて、留萌で間があり、駅舎を見たような記憶が何となくある。その後は留萌を通っていないから、駅舎を見たなら、この時しかない。ただ、似たような駅舎はあちこちあるから、どこか記憶は曖昧なまま。

 列車の出発9:04。20分弱時間がある。その間にまずは切符を買う。今日は普通乗車券で少々遠くまで行く。窓口は8:45から営業しており、そこそこな距離の普通乗車券だけを発券して貰った。経路の選択に悩んでいたのは困ったもの。普通乗車券なんて販売する機会、早々無いのだろうが、自社管内で完結するきっぷ、しかも遠回りじゃないものぐらいは、すんなり出してほしいと思う。
 待合室で少々。

 何やら妙なオブジェがあるが、世界一大きな数の子、だそうだ。

 懐かしの留萌本線、と言う展示がある。その中に過去に使われていたらしい運賃表があった。それによると今日の目的地までは870円だそうだ。今回の切符は5,670円。

 待合室には駅そばの店がある。こんなに閑古鳥啼く駅に駅そばが残っているとは。朝食を食べたばかりだが、敬意を表して一杯頂く。

 天ぷらそば\450。よくある茹で麺に関東スタンダードの濃いめの味わい。無茶苦茶美味しい訳ではないが、気分よく頂けた。
 蕎麦を食べている間に列車が到着したようだ。駅そばにも1~2人、客が来る。まもなく改札開始。出発まで5分程。構内へ進む。

 待っていたのはキハ54。分割民営化の頃に国鉄からの置き土産的に導入された気動車も車歴30年越えになっている。外観は登場当時の赤帯のまま。

 車内は改装されており、元々は新幹線0系あたりで使っていたと思しき転換クロスシートになっている。
 昔は留萌本線と羽幌線の分岐駅であり、石炭輸送の拠点でもあった留萌駅。石炭もこの先の鉄路も消えて、一日数本、列車が来ては引き返すだけの折り返し点になっている。その点では昨日訪れた鵡川と一緒。そんな訳で 

 元々は広かったであろう駅構内。縮小した後に残った設備も持て余しているような様子が見える。

 2、3番線を使う機会も無くなり、跨線橋も閉鎖されている。

 そして残された1番線。こちらも長さ的にも広さ的にも持て余している。かつて札幌から急行列車が発着し、所用客が乗り降りしていた様子は、ホームの立派さから想像するよりほかない。
 車内に戻る。転換クロスシートが7割ぐらい埋まっているだろうか。数にすると10人少々。留萌から乗ったと思しき地元の人はいても1人か2人か。朝、深川から来て、そのまま折り返す汽車のお客さんが殆どと見える。留萌を9:04に出て、旭川には10時半過ぎに着くという、決して不便ではない列車なのだが、地元からは見放されている事が良く分かる、今日の留萌本線
 列車が動き出す。

 線路はしっかりしていて、速度も出る。JR西の制限25km/hローカル線より余程しっかりしているのだが、それでも客が寄り付かないのは、留萌から深川まで、自動車専用道路が開通したから、だろう。線路には付かず離れず通る道路。そんな混んでいる訳ではないが、クルマは自分の都合に合わせて走る。9時過ぎに留萌を出て、途中、留萌線の列車を追い抜く事が義務付けられている訳では無い。

 水田はあり、人の営みは垣間見えるのだが、人が乗って来るかと言うと別の話。いくつかの駅は通過し、

 停まった駅からも乗る人はいない。
 深川から乗って来た人を深川に戻す列車は山間へと入ってゆく。その山越えの手前、峠下、なんていかにもらしい名前の駅がある。

 かつては石炭貨物列車がすれ違ったであろう駅。辛うじてその頃を偲ぶ事が出来るか、出来ないか。
 自動車道が真っすぐ難なく峠を越えるのに対して、蒸気鉄道出身の留萌本線は峠をΩの字で避けつつ登ってゆく。力がある気動車に置き換わっても線路はそのままだから、勢いよく遠回り、という良く分からない事をしでかす。

 どこかで似たような景色を見たと思ったら、タイの北線、チェンマイから夜行列車でバンコクに向かった時の景色に思い至る。険しくはないが、蒸気鉄道にとっては辛い山道をカーブしつつ抜けてゆく様子が一緒だった。

 下り坂に転じて流すように駆け降りてゆくと平地が広がる。着いたところが

 恵比島、と言う駅。急に古い駅舎が現れたが、昔の連続テレビ小説でロケ地になったが故の再現駅舎である。良く見ると倉庫みたいな建物の中に、国鉄末期に置かれたと思しき車掌車が残されている。
 恵比島の一つ先、真布で初めて地元のお客さんが乗車する。そして石狩沼田でも10人ぐらい乗ってきた。留萌本線の存廃、留萌市が冷淡なのに対して、沼田町は積極的という話を見た事がある。そんな話が納得行く今日の光景である。

 列車は石狩川を渡る。昨日の夕方、留萌に向かうバスから河口近くの大きな川を見たのだが、そこから100㎞近く遡った事になる。まだまだ広大な川を渡ると秩父別。ふと1994年のことを思い出す。増毛からの帰り、秩父別で降りて温泉に入ったのだった。確か、秩父別で2時間弱ぐらい待ち時間があって、風呂に入って時間を潰して、札幌まで戻り夜行列車に乗ったんだったと思う。
 駅近くの温泉施設は盛業中らしいが、降りてしまうと次の列車まで2時間どころの話ではない。先へ進む。

 街が近づいて来て、深川到着となる。留萌から1時間弱で来ている。結構な快速ぶり。
 列車は旭川まで直通するが、半分以上の人が降りてゆく。出発まで11分停車。ホームに出る。

 ここまで来て初めて行先票が付けられる。深川-旭川、なんて表示を出した。留萌から来たことは忘れて、みたいな主張を始める。

 隣のホームから撮ってみた。こちら側にもサボを付けたのね。
 先程のホームに戻る途中、

 ホームの方面案内は旭川、網走、稚内方面とあり、付け足しみたいに留萌の文字がある。無くなる事が前提の扱い。命運は尽きたんだろうけど、あまりの扱いに留萌が気の毒になる。
 列車はもう少し停まる。その間に

 札幌からの特急がやって来る。半分も乗っていないが、別世界の列車だ。そして入れ違いに

 網走から札幌まで向かう特急オホーツクもやって来る。4両と短い上に、自由席車が1両しかないから、デッキに立っている人もちらほら見えた。
 上下の特急が過ぎた後、旭川までの普通列車も出発となる。留萌線内からのお客さんに代わって深川からのお客さんが乗ったから、列車の体裁は整っている。
 列車は複線電化の立派な線路を30分程。途中駅からも少々の乗車はあった。

 深川よりも大きそうな街が広がって、旭川到着となる。
 降りる時に少々気が付いたものを最後に。

 キハ54の扇風機。良く見ると

 JNRマークが付いている。国鉄末期の1986年に新製されたキハ54。JRへの置き土産として作られ、国鉄車両として走ったのは半年も無い筈。養子に出される事を前提の車両が、生まれた里を今に伝えている。
 さて。この先の乗り継ぎ。あんまり出来が良くない。旭川からは富良野線に乗るのだが、1時間待って富良野行きに乗って、富良野でまた1時間以上待ち時間がある。ならばと時刻表を睨み、1時間ずつの待ち時間を旭川の集約することにした。出来た時間で少々歩こうかと思う。
 キャリーバックはコインロッカーに預けて街へ。駅前から続く歩行者専用の通り。イベントをやって来る。チラチラ見る中、

 T型フォードなんて飾られていて、目を惹く。
 歩く間に、旭川の郊外まで出たようだ。街と言うよりは住宅地。

 いい加減、引き返そう。次の乗る富良野線。列車は12:30の出発。ちょっと早いけどお昼ご飯にする。歩く途中に有名ラーメン店がある。待つ人が数人いたが、一巡で入れるなら、と並んでしまう。

 待つ間に行列が一気に伸びた。タイミングが良かったようだ。
 行列の先頭になってから少々待ち時間があったが、案内されるとすぐに注文したラーメンが出てくる状態。

 初めて来た人は醤油がおすすめ、との事で素直に醤油にしている。一口スープを頂くと顔を上げたくなる程旨い。確かに並んで食べる価値のある一杯だった。
 さて、駅に戻る。荷物を取り出し、改札へと向かうと

 列車の出発10分前。ちょっとギリギリ過ぎたか、と思ったが、ホームに上がると

 ちょうど列車が到着したところだった。上り列車のお客さんが乗ってきて、入れ替わりに列車に乗り込む。昨日室蘭本線でも乗ったキハ150が再び登場。こちらのキハ150は冷房が効いている。
 隣のホームには旭川始発、網走ゆきの特急大雪が停まっている。

 その先頭に塗装復元車がいる。今いるホームからは生憎先頭に廻り込めないので隣のホームまで赴く。

 懐かしい塗装に懐かしい列車名。大雪のイラスト付きマークを付けていたのは夜行急行の頃の大雪だったから、この組み合わせはないのだけど。実際に見ている人はそろそろ記憶が曖昧になっているかも知れない、訳ないか。

 反対側、残り3両は現行塗装。1編成で2度楽しめる、と前向きになるのか、編成美が整わないというのか。
 席に戻る。札幌からの特急が到着して乗換客も少々。立客が出る程の賑わいになって12:30、出発。旭川を出ると右手に曲がって川を渡る。そして住宅街の中へ。細かく駅があって、その度に乗り降りがある。昨日今日乗って来たローカル線とだいぶ様子が違う今度の富良野線旭川郊外。住宅街から田園地帯に入ってもお客さんは減らず、乗って来る高校生もおり、よく使われている事が分かる。


 いつの間にか空が曇り空になった。昨日来、天気が移ろいやすい事は知っているが、日差しの強かった旭川から10㎞平野を動いただけなのだが。そして

 空港も近い千代ヶ岡で降り出した。結構な雨。このままだとノロッコじゃなくてヌレッコになるなぁと思っていたが

 次の駅では晴れ間が差す。わずか5分の出来事。気まぐれ加減には程がある。
 列車は富良野線の途中駅、美瑛が終点となる。

 この先、富良野へは列車を乗り換える。待っているのは

 富良野・美瑛ノロッコ。いわゆるトロッコ列車になる。6月の富良野は観光シーズンの盛り。だからこんな列車の設定がある。
 出発は13:08。乗り換えるとすぐになる。3両つないだ車両は自由席2両、指定席1両。今日は指定席を用意している。着いてみると自由席でも十分余裕はありそうだったが、まぁ良い。

 季節によって釧路湿原だったりオホーツク海岸沿いだったりに転戦する客車だが、富良野線専用のマークが付けられている。文字通りに絵にかいたようなラベンダー畑に出会えるのかは、良くは知らない。
 指定席は富良野側の先頭車。

 客車はグループ客向けの6人向かい合わせボックス席と外向きになった2人掛けの座席の二種類。今日は空いているので家族連れがボックスに1組。個人客が思い思いに散っている程度の埋まり具合。

 こんな感じの椅子で長い時間座っていられるものではなさそう。外側は上部が開放されていて、必要に応じて窓は締められるようだ。冬の流氷観光時は締め切りで窓ガラス越しの流氷見学になるのだろう。ひとまず雨がやんで幸いだった。窓が締められたらこの時期はムシッコになる。
 乗り換え時間は短い。落ち着かないうちに発車時刻となる。衝撃もなく静かにゆっくり動き出す。最初に見た通り、機関車は一番後ろにいて、前3両は動力を持たない客車。ただ、制御は富良野側にある今乗っている車両からやる様子。機関車側にも乗務員がいたのは見ていたが、先頭車にも運転士ほか、係員が数人いる。妻面にはオクハテ510-1、と記載がある。客車だが、制御車で普通車の展望車。元々は51系客車だろう。数少ない50系の生き残り。
 動きはゆっくりなのだが、エンジンが無いので圧倒的に静か。上品とも思える久方ぶりの客車列車。

 ノロッコの名の通り、決して飛ばさないはずだが、美瑛と富良野の間はそこそこ距離がある。ノロノロを押し通すると時間があっても足りないので、そこそこ飛ばす。大きく開けられたどころでなく、ほぼ窓が無いトロッコに吹き込む風量は半端なく、マスクを飛ばされそうになる。
 鉄道線路沿いというのは風害、雪害を防ぐための林が整備されていることが多く、見通しが良くない所も多い。それでも美瑛の観光ポスターになったという丘で減速サービスになる。

 植栽があったらもっと美しいのだろうけど。ポスターの絵面を期待して行っても、その場所のベストが常に保たれている訳でないから、マイナスに見える。予備知識無く見たら、素敵な景色だろう。

 むしろ何でもない景色の方に見惚れたりする。
 ノロッコは観光列車だが、大きな駅には停車する。自由席も設定があるので、地元の人も多少は乗り降りする。そんな様子を見て中富良野の平原へと出てゆく。今度は

 田園風景に代わる。時折雲の合間から大雪山が姿を見せる。谷筋に雪が残っている様子が見て取れる。
 再び徐行が入る。

 富良野平原開拓発祥地、と言う紹介がある。何でもない田園もありがたく思えて来た。
 上富良野の駅で少々停車。その間に、先頭車を見ておいた。

 日本ではあまり例のない制御客車、オクハテ510。顔つきの造形は安っぽく、お金を掛けた感じはないが、好ましい顔付きではある。
 2両目の自由席車はオハフ51が種車らしいオハフテ510。

 車掌室がそのままで残されている。秋田界隈でも散々見てきた客車の車掌室。これは懐かしい。
 富良野からの普通列車とすれ違い、列車は南へ。今度は直線を飛ばして、この時期だけの臨時駅、ラベンダー畑に停まる。ファーム富田の最寄駅で、指定席からも自由席からも大量下車。

 代わりに乗って来た人も少々いたけど、がら空きになる。
 6月に美瑛の丘を通っておいて難だが、美瑛は素通り、富良野に向かう。また速度が上がり、大きな窓というか、遮るものの無いトロッコの中、風が直撃する。マスクを飛ばす勢いでノロッコ号も走る。富良野には14時到着。

 ノロッコは数分で美瑛行きとして折り返す。今度は先頭に機関車が立つ。隣には紫色の特急気動車が留置中。昨日、北斗でも見たキハ261系の一族だが、観光列車的にも使えるラベンダー編成という特別車。ラベンダーの時期には本来の札幌-富良野の運用に就いている様子。20年ぐらい前までなら、バブル前後に登場したリゾート専用車が活躍した筈で、JR北海道の苦しさが垣間見える。
 美瑛を飛ばして富良野に来たが、富良野も飛ばす。次に乗るのは根室本線普通列車

 ちょうどホームに入って来たキハ40が富良野発14:19の東鹿越ゆきとなる。あまり聞き馴染みのない駅名だが、2016年の台風で被害が出て以来、根室本線、滝川からの列車は東鹿越が折り返し点。その先の新得まではバス代行となってもう6年目となる。昨日乗った日高本線鵡川から先と同じ状況である。
 やって来た列車に荷物を置き、一度改札を出る。手元の乗車券、律儀に途中下車印が押された。多少何かと思って飲み物と記念入場券を買い、構内に戻る。

 これから先の不通と代行バスの告知を見てからホームに戻る。

 へそ祭の人形が2022年の富良野駅にも鎮座している。根室本線の滝川から富良野を経て帯広まで、確か2012年に妻と一緒に乗っている。その時にもこの人形はあった。

 列車に戻る。1両だけの気動車はすでに座席が半分近く埋まっている。いつにない盛況ぶりで、自分の席も相席になる。座る所に困り、デッキに立つ人も出る。先程見かけた不通を報せるポスターにもある通り、富良野から先、東鹿越まで行く列車は1日4本。朝の7時以来、7時間ぶりの列車であり、多少は乗ってくれないとJR北海道としても困る所だろうが、それにしても混んでいる。そのほとんどはコアやライトは別にして、鉄道好きな人っぽいけど。
 相席になったので自由に窓を開ける訳にもいかず、少々汚れた窓越しに景色を見る。さすがに10年前なら記憶はしっかりしていて、見覚えのある景色が流れる。忘れていても京王線恥辱に残っているので何とかなる。

 途中。金山の駅。10年前は走る列車ももう少し多く、金山で列車とすれ違った。
 時々、地元の人と思しき人が降りてゆき、徐々に谷が狭くなる。流れるのは石狩川の支流、空知川。すっかり細い流れになった。昨日の夕方から何だかんだと石狩川に縁のある行程。
 列車として走る東鹿越に15時過ぎの到着。富良野からの鉄道好きらしいお客さんは殆ど残っている。この先、代行バスに乗り換えとなる。

 列車を降りる。バスとは接続を取るのだが、富良野からの列車が東鹿越に着くのは15:02。そして新得からのバスが東鹿越に着くのは15:02。


 その両方のお客さんがいっぺんに吐き出された東鹿越の駅、時ならぬラッシュになる。どちらも折り返し準備。
 キャリーバックは預かってもらい、車内へ。乗り込んでみると意外と乗客は多くなかった。20数人ぐらいだろうか。列車でそのまま引き返す人もいたようだ。
 出発まで間があり、一度外に出る。

 代行バスを請け負っているのは地元の富良野バスだった。列車を降りる時は切符の確認があったが、バスに乗る時には特に確認なし。バスの運転士が乗客と話をしているのが聞こえる。
「今日は何があるんですか」
「私の方が知りたいです」
 今日の混雑は異常らしい。
 時ならぬラッシュに襲われた東鹿越の駅。富良野行きの列車が先にドアを閉め、ゆっくりと動き出す。

 ついでバスも動く。山間の駅には静寂が戻るのだろう。次に列車とバスが出会うのは2時間半後の17:30。
 バスは金山湖ぞいの細道を走る。こんな調子で新得までだと大変だろうという道である。根室本線の線路は隣を走っている。

 踏切が現れる。6年間、汽車の来ない踏切でも廃線ではないので、現役の踏切である。

 6年間列車が来ない線路を渡る。6年という月日の割には綺麗にも見えるし、やはり2度と列車を走らせる気が無いようにも見えるし。
 バスは国道37号線に合流すると幾寅市街へ。駅前に入って乗降扱いとなる。3人ぐらい、お客さんが降りてゆく。

 映画のロケ地になったところで、セットと改装された車両が残っている。クルマで来ているらしい観光客がこちらのバスにカメラを向ける。
 バスは国道に戻り、新得方面へ。

 田園風景の中を走る。線路も隣を走っていて、木陰の中でたまに見えたり、見えなかったり。同じく台風に襲われた国道37号線が何事もなく機能していて、同じ場所を通る根室本線が6年間も復活できないまま半ば放置されている。一番被害を受けた所は国道沿いじゃないのかも知れないけど、不条理に思えて来る。
 バスは法定速度を守っているのか、淡々と走る。時々、自家用車が思い切り抜いて行く。
 空知側最後の集落、落合に着く。国道を逸れて駅前へ。

 高校生が一人、降りて行って、駅舎の脇に停めていた自転車で帰宅していった。恐らく真っ当な利用者としては、最後の一人だったのだろう。バスの中には20人弱残っている。駅で言ったら次は新得だが、バスはサホロで客扱いとの事。ドアを閉めて出発。国道に戻る。跨線橋を渡り国道は東に鉄道は西に。それぞれの道で狩勝峠に挑む。

 すっかり細くなった空知川を見てバスは坂道を登り始める。何時も列車でしか旅をしないので、狭い意味での狩勝峠を越えるのは初めてだ。

 高原の趣漂う石狩の狩勝峠を進む。すっかり細くなった川の流れを見つつ少しずつ高い所へ。登坂車線を法定速度を守って走ってゆくと

 落合から15分弱で狩勝峠の最高地点に登り詰める。あっけない感じもするが、落合に来るまでしっかり高度を稼いでいたのだろう。
 右手に十勝平野を見下ろす景色が広がる。月並みだが息をのみ込む。一気に高度を下げて平野に広がる十勝側から見た方が狩勝峠の凄みは分かる。席が得られるなら新得に向かって右側の方が景色が良い。次の宿題を作ってしまった。
 狩勝峠8合目、7合目と急坂を下る。その途中にサホロリゾートがあり、そちらに寄り道。客扱いとなる。サホロまでのお客さん、サホロから乗るお客さんが少々いて、寄り道する価値がある事は知る。運賃的にどういう扱いになっているのかは知らないが、国鉄時代に北海道には多かった仮乗降場と同じ、と思えば良いのだろうか。
 狩勝峠の坂道を駆け降りてゆくと新得の街が近付いてくる。

 人の営みが感じられるようになり、新得市街地に入る。国道を逸れて街中へ。駅前に着くと16:21。定刻だった。

 バスを降りて預けた荷物を受け取る。時刻表上、新得を16:21に出る東鹿越行きのバスがあり、あまりに折り返しがタイトで大変だと思ったのだが、

 もう1台別のバスがいて、そちらが客を乗せていた。ここまで自分を乗せて来たバスも回送となって、営業車の後ろをついて行く。
 久しぶりに鉄道に戻る。新得の駅、駅そばが営業している。16:30までらしく、久しぶりの新得駅そばを楽しみにしていたのだが、

 もう店仕舞いしていた。がっかりする事、この上ない。仕方ないので

 土産物店に大量に売っていた乾麺。今回は自宅に在庫があるので買うつもりは無かったのだけど、その中から新得町民そば、なるものを買っておく。新得町内限定販売、らしいので。

 出発案内をみる。次に来るのは札幌からの特急列車。ついで新得始発の普通列車があって、それぞれ釧路に向かう。札幌方面は18:18まで2時間近くの待ち時間。バスと札幌方面の接続はかなりチグハグで、16:21に新得を出るバスに乗ろうとすると13:48に着かねばならず、と言う調子。恐らく富良野-新得を最小限の資源で最小限の運転本数確保する事が主眼で、新得からのつながりは気にしていないと思うのだが、いくら何でももう少し、とは思う。
 今日はこの先、帯広まで。先を急ぐなら特急に乗るのもありだが、普通列車にする。改札が始まってから構内へ。 

 待っているのは見た事が有る様な初見の電気式気動車。H100系というそうだ。秋田や新潟に入ったJR東日本のGV-E400系に見た目はそっくり。
 もう少しゆっくり見たかったが、間もなく出発の案内がある。列車別改札なので、改札が始まってから出発前の時間が短いのである。さっさと乗ってしまう。
 列車内、富良野から一緒と思しき人が数人。地元の人と混じっている。均してみると10人少々なので空いている。ひとまず

 汽車の中でビールを。今回はここで機会を逃すと飲み鉄が出来ない。夕方も控えているだろうから、軽く1本だけ。
 列車は十勝平野の中を走ってゆく。途中、芽室で15分ぐらい停まるそうだ。運転士に断って外に出る。

 少々夕暮れの気配がやってこようとしているが。夏至が間近に迫る17時過ぎ。道東帯広の近郊。まだまだ空が明るい。

 2092列車がやって来た。DF200-1号機牽引。
 まだまだ列車は停まっている。もう1本、上り列車を待ち合わせるらしい。

 改めて北海道に入った電気式気動車を見る。目立つところではヘッドライトが増えている。雪に備えた装備は他にも色々とあるのだろうが、一番目を惹く耐雪仕様。北海道仕様車と言う意味では現代に蘇ったキハ22、と言えなくはない。
 芽室からのお客さんがちら、ちらと乗り込んでくる。まだ暫く出発まで間がある様子。

 上りワンマン列車乗車口を示す案内には「滝川方面」の文字が残っている。何れ新得方面になるのだろうが、こんなところを含めてお金を掛けません、という雰囲気が漂っている。
 踏切の音が遠く小さく聞こえてやってきたのは

 普通列車であった。こちらと同じH100系が1両で新得に向かう。新得-釧路の普通列車、この3月から全てH100系で運用されている。
 さすがに出発時刻となる。席に戻る。帯広近郊に入り、1駅ごとにお客さんが増えるようになる。1時間に1本あるか無いかの列車だが、拠点都市の近郊であれば、列車も相手にして貰える事が分かる。
 思ったよりも大きな帯広の貨物駅が流れ、高架線に上がると帯広の街になる。最後は立客も増えた。17:42、帯広到着。


 新得から1時間。運転士が交代。乗客も入れ替わる。中には帯広を挟んで乗る高校生もいる様子。
 自分の行程、今日は帯広まで。切符も帯広までである。切符を手元に残そうと有人改札に並ぶ。無人駅から乗った精算のお客さんで行列が出来ていて、通り抜けるまでだいぶ時間がかかった。
 帯広駅前のホテルに入る。夕方6時前。自宅用に少々スーパーで買い回り。最近、醤油と味噌は各地のローカル品しか使わないようになっていて、北海道ローカルのものを買っておく。他、スープカレーの素とか、とろろ昆布とか。
 夕食にも出る。ホテルで割引券を貰ったのだが、使える店、2つ廻って2つとも満員であった。今日の帯広。混雑しているのだろうか。結局、適当にジンギスカンの店に入ってみる。

 サッポロクラシックを頂いて肉を注文する。ラムとマトンと1人前ずつにしてみた。

 鍋が用意されて

 肉も出て来る。

 焼きながら飲むのはいつもの事だが難しい。飲んでばかりいると焼くのが疎かになり、焼きに夢中になるとビールが温くなる。その匙加減が難しく、大人になってだいぶ経つが未だに答えが分からない。
 ホテルに戻る。明日に備えて荷造り少々。夕方の買い物で荷物が増えている。ひとまず買ったものをスーツケースへ。
 飲みの続きを始めると遅れている京王線恥辱が疎かになる。寝落ちないうちに目覚ましだけはセットしておいた。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は22,832

2022-06-17

 目覚ましの音で起こされた。時刻は5時半過ぎ。普段からすれば十分に遅いが、やっぱり早い。

 外は曇り空と言うのか、霧と言うのか。梅雨のない北海道に来た筈だが、昨日に引き続き、札幌の天気はイマイチ。
 身支度をして朝食会場に行く。まだ6時過ぎだが、自分より早起きの人もいて、そこそこ賑わっていた。

 北海道らしく海鮮がずらっと並ぶ朝食メニュー。その中から海鮮丼を作る。

 海鮮丼に海鮮サラダ。昨日の夕食よりも明らかに華やか。

 色々と原価が上がっていそうなものばかりが並ぶ海鮮丼になる。提供する側は大変だろうなぁ。
 部屋に戻り身支度少々。天気予報を見ると曇りだったり晴れだったり。気温は20℃より上がりそうだ。ジャケットは着なくて良いかも知れない。
 7時ちょっとを過ぎてホテルを出る。札幌宿泊は今日まで。乗ったり乗ったりしながら移動する。まずは地下鉄で札幌駅に出る。スーツケースは一旦コインロッカーに入れておく。
 改札口に赴く。

 この後、乗るのは岩見沢行き。まだ時間に余裕があり、ならばと夕方予定していたバスの乗り場を確認しておく。できれば乗車券も手に入れたい。
 ESTAの脇にあるバスターミナルへ。札幌駅界隈は馴染みのある場所だが、ここのバスターミナルは初めて訪れた。沿岸バスの乗り場を確認し、切符売り場も見つける。切符も問題なく買えた。

 目の前には8:00に札幌を出る豊富ゆきが停車中。乗客はあまりいない様子。空いている。
 さて駅に戻る。平日のラッシュ時。列車が来るとたくさん乗客が降りて来る。ホームに上がると間もなく

 小樽方面から列車がやって来る。こちらがそのまま岩見沢まで向かう普通列車。大多数が降りて、空いた車内へ。札幌から乗る人もそこそこいて、席は埋まる。
 7:58、定刻出発。千歳線から石勝線に向かう特急とかちが並んで走る。一瞬こちらが先行したが、苗穂手前で特急が本領爆発。一気に追い抜かれる。
 降りる乗るを繰り返して札幌郊外を列車が走る。段々と車内が空いてきて、江別でがくんと減った。今乗っている車両には数人しか乗客がいない。6両を半分にしても勿体ない感じになる。

 45分で岩見沢到着。乗り換えとなる。ちょっと間があるのでいったん外へ。改めて

 構内に戻る。「改札中」の文字があったりなかったり。これから乗る列車の改札はまだ始まっていないが、自動改札なのであんまり意味なく。

 構内には721系が姿を見せている。F-1とあり、トップナンバーであった。この車両が出た時の事は記憶にある。当時各地で新車が続々出ていたけど、実見したのは721系が初めてだった。北海道で見たのではなく、甲種輸送の途中、秋田貨物駅に停車している様子を見たのだ。国鉄時代そのままの列車が闊歩していた中に通り過ぎたステンレス車は新しい時代の到来と、地元が取り残される歯がゆさを同時に覚えたものだった。
 当時の中学生が、もういい歳になっている訳で、目の前の721系も年季が入っているだろうが、あまり変わらず活躍を続けている事は、喜ばしい。
 そんな感慨に耽っていると、列車が到着する案内が入る。

 気動車が1両やって来る。こちらがこれから乗る苫小牧行きの普通列車になる。ホームで待っていた数人ぐらいが列車に乗り込んでゆく。

 JR東日本にそっくりさんがいるような気がするキハ150。4灯ものヘッドライトが物々しく、吹雪の厳しさを伝えている。

 そんな古い車両では無い筈だが、塗装の剥げ、その補修跡が目立つ。経営的な厳しさを伝えているようだ。

 車内はJR東日本のそっくりさんと一緒、なのだが、違うのは冷房が無い事。通風器があるのと、窓も上部が内側へと開くようになっているのだが、真夏はだいぶ暑いだろう。幸か不幸か、真夏の盛りに乗った事がないので、どんな感じになるのかは知らない。
 9時に街を出て郊外というか田舎に向かう列車にどれだけの人が乗るのか、想像つかなかったが、発車時刻が近付くと、ボックスが埋まり、ロングシートにもそこそこ人が座り、列車の体裁は整った。間もなく出発。 岩見沢の街を左手に臨みつつ、先程乗って来た函館本線の隣を並んで走る。田舎に向かう列車なんて失礼な書き方をしたが、こちらも室蘭本線。今でも旭川からの貨物列車は室蘭本線を通過する。没落はしきっていない大幹線を結構な速度で飛ばしてゆくと岩見沢の市街地を抜けた所で線路が分かれる。

 石狩平野の水田を見て列車は南に向かう。遠くに観覧車が見える。グリーンランドという遊園地があるらしい。旧炭田の跡地利用か何かの施設かなぁと想像してみる。
 岩見沢を出て一つ目。志文は万字線の分岐駅だった所。もはやジャンクションの面影は全くなく、その辺の無人駅と一緒なのだが、駅を出た所で明らかに鉄道跡のような敷地がカーブしてゆくのが目に付く。鉄道が消えて40年近く経つが、案外と痕跡が残っているもの。
 そんな炭田があった頃の微かなスモーキーな香りは漂ってこないが、列車は南に向かう。栗沢、栗丘、栗山。なぜか栗のつく地名が続く。岩見沢からのお客さんが少々降りるようになる。栗山は結構な街で、
多くの人が降りる。昨晩、ゴーアラウンドして2周したときに見えた大きな街明かりは栗山のものだったと分かる。駅前にはちょうど札幌ゆきの高速バスがやって来る。バスだと岩見沢を迂回する必要なく、まっすぐ札幌へ行く。
 降りる人は多かったが、栗山から苫小牧の方へ行く人はいないのか、車内は空いてくる。

 ずっと無人駅ばかりで、駅舎だけ見ているとローカル線なのだが、線路だけ見ていると立派である。長い有効長は石炭輸送の頃の名残だろうが、貨物列車を走らせるには好都合に違いない。
 長い列車同士がすれ違える立派な駅で

 普通列車同士がすれ違う。どちらも1両でローカル線そのものなのだが、相手の下り列車はそれなりに乗客を乗せている。こちらは年寄りが多かったが、向こうの列車は若い人が目立った。鉄道が相手にされている、生きている事が垣間見える今日の室蘭本線
 石勝線の立派な線路が寄ってきて追分到着となる。乗務員が交代、列車も少々停まる。 

 広い構内にぽつんと1両の気動車。石勝線の特急が並べば、また雰囲気が変わるのだろうが、今見える範囲で言うと、没落した名家という空気が漂う。

 没落する前を知って良そうな蒸気機関車が駅から少々歩いたところに展示されている。見に行ってみたいものだが、ここで列車を捨てると身動きが取れなくなってしまう。
 再び列車で苫小牧へ。追分で交代した乗務員は新人さんらしい。指導運転士が点いていて、指差呼称やら何やらの声が車内、良く聞こえるようになる。
 右手から千歳線が寄り添ってきて並走するようになる。

 一番右が千歳線の下り線。真ん中と右が室蘭本線千歳線上り線路は少々離れたところを通っている。先程来、室蘭本線の線路を立派、立派と褒めてきたが、JR北海道の最重要幹線になった千歳線と比べると、レールも細いし、枕木も違う。やはり没落した名家、というのが正しい言い方なんでしょうね。
 没落してもこちらが本線なので、千歳線と合流した沼ノ端から先は、室蘭本線を名乗る。その沼ノ端で多めの乗車。この辺り、住宅も立ち並ぶ苫小牧の郊外と言うべきところ。乗って来た人はたまたまやって来た列車が岩見沢からの列車だった、という体でしょうが。
 複線線路がまっすぐ伸びる区間に左手から単線の線路が寄って来る。日高へと延びていた日高本線である。その線路を

 列車が走ってゆく。苫小牧を10:32に出る鵡川ゆき。この列車の苫小牧到着は10:38なので、微妙な所で接続してくれない。日高本線、次は12時半近くまで空いている。苫小牧手前では札幌ゆきの特急列車が動き出すのが見える。岩見沢からの列車で苫小牧乗り継ぎ札幌に行く人もいないだろうが、こちらもちょっとの所で待って貰えない。苫小牧に行くためだけの列車が苫小牧に到着する。

 どこにも行けないから苫小牧で降りる。次は鵡川に行くつもりだったのだが、先述の通り、次の鵡川行きは12:25。2時間弱の待ち時間。出来が極めて悪いのだが、室蘭本線日高本線、組み合わせて乗ろうと
すると、どこか苫小牧での接続が極めて悪く、どうにもならなった。
 2時間の待ち時間。それを歩くことに使おうと思っている。今朝は食べ過ぎたし、昨晩も食べ過ぎた。多少歩いておかないといけない。2km程で苫小牧の漁協があり、食堂なんかもある事は下調べしている。
 寂れた感じの苫小牧駅前から海の方に向かって歩く。道は広く、歩道もしっかりしている。歩く人はいないが、歩く環境としても問題ない。
 今朝の札幌は曇り空で寒かったが、この時間の苫小牧、晴れて気温も上がっている。

 ずっと広い道を歩く事30分少々。海の感じはあまりしてこないが、どうやらこの辺りが目的地らしい。間もなく

 いかにも、と言う感じの食堂が現れて目的地であることを知る。

 結構大きな漁港があって、漁船が屯している。防波堤の向こう、貨物船が出港する様子が見えて、ただの漁港でない事も知れる。そして潮の匂い。たくさん水のある所が琵琶湖、という生活に慣れると潮の匂いは違和感すら覚える。
 地図で見て、目星を付けていた店はこの時間から大行列が出来ていた。この行列に並ぶ気力と時間は無いので諦める。他の店であれば

 他にも選択肢はある。ただ、そこまでお腹は減っていないし、呼び込みが煩い店は好みでは無いし。何か気力が萎えて、駅に戻ることにする。お昼は駅弁にしようかと考えた。
 改めて苫小牧駅へと戻る。途中、交差点の向こうに蒸気機関車の姿が見える。気になったので行ってみる。

 C11-133号機。案内板には深名線標津線釧網線で活躍とあり、苫小牧とは縁のない機関車っぽいが、なぜかこんなところで生き永らえている。そしてその後ろに

 ミール展示館、の文字。ミールって、ロシアと言うよりソビエトの宇宙ステーションの?
 ?がいっぱいなのだが、ちょっと覗いてみる。
 無料で見学できるというこの施設。入ってすぐの所、

 どんと宇宙ステーションが鎮座している。本物か紛い物なのか、半信半疑なんだけど

 紛い物だとしたら良く出来ている。
hokkaidofan.com
 苫小牧にいるミール。予備機なんだそうだ。実際に宇宙に行ったものは運用を終えた後、大気圏に突入し、燃え尽きている。本務機に不測の事態があった時に備えた予備機が1機あり、それがソビエト崩壊後のゴタゴタとバルブ景気が出会って日本にやって来た、と理解した。誤読は大いにありそうだけど。

 どちらが前でどちらが後ろか分からないが、反対側からも見てみる。一番手前は宇宙船と接続するための接続ポート。前か後ろかは別にして入口、と言う事にはなる。
 ロサンゼルスに居たエンデバー
podaka.hatenablog.com
 は外観を見るのみだったが、こちらのミールは内部見学もできる。

 接続ポートの手前に操縦席がある。操縦席があるならこちらが前か。大人二人が入るとすると、ずいぶんと狭く快適とは程遠そうだが、仕方ないのか。

 操縦席の手前、今いるところはダイニングキッチン兼食糧庫、とでもいえば良いのか。棺桶みたいなプライベートルーム、やはり体格を考えるとどうみても狭い洗面所もある。

 操作パネルは押釦で構成されているもの。80年代の匂いがぷんぷん漂う。

 予備機、とはいえ本務機は既に存在せず、貴重な存在だとは思う。偶然こんなものを見る事が出来たのは幸運。漁港の行列に感謝しなくてはならない。
 しかし、もう少し世に知られても良いのではないか。殆ど訪れる人がいないのはあまりにも勿体ない。
 思ったよりも時間を使ってしまった。そろそろ駅に戻る。来た道とちょっと変えて戻ると駅の手前、

 ただの立体駐車場に見えたものの1階が

 バスターミナルの廃墟、だった。バスの本数が減って、大きなターミナルを維持する必要が無くなった、のかも知れない。2階から上にある駐車場は盛業中だから余計ややこしい。
 駅前ロータリーに停まるバスを見て構内に戻る。まずは食べていないお昼ご飯用に駅弁を買う。

 改作口から近い売店で売っているのだが。買い求めようとすると食券を、と仰る。よくよく見ると

 券売機の中に駅弁のメニューも選択肢があった。これは想像の斜め上で気付かない。
 とにかく駅弁は買う。店の人に「気を付けてお出かけください」と声を掛けられた。既にだいぶ遠く出かけているが、この先も気を付けよう。
 今度は切符。苫小牧から鵡川区間は手元の切符の範囲外となる。鵡川まで片道750円だそうだ。思ったよりも高価。ほんの5駅ゆくだけだが、距離はあるから。往復で1,500円。これは昨日と今日使っているフリーきっぷと同じ値段になる。

 改札を通る。鵡川行きの案内はまだ出ておらず、ホームに降りると札幌方面の普通列車が出発を待っている。この列車が出てゆくと

 鵡川行きの案内が出る。苫小牧について2時間。ようやくだが、これはこれで良かった。間もなく、鵡川行き到着の放送が入る。やって来たのは

 先程、数分の差で苫小牧を出て行ったのと同じキハ40。自分が苫小牧をふらふらする間に、鵡川を往復して車庫に引き上げていたらしい。
 列車がドアを開けると地元の人と思しき人が数人乗り込んでゆく。ボックスシートが埋まり切らない程度の乗車。自分も後から乗って余裕で席を確保できる程度。

 出発直前に札幌から特急列車がやって来る。一応、接続は取るのね。この列車に乗るのに、どうやっても苫小牧で待ち時間が出来ると思っていたが、ごくごく普通に札幌から特急に乗っていれば、何のことは無かった様子。
 特急からの乗換客がいたのかどうか分からないが、ボックスに1人ずつ。ロングシートに少々ぐらいの乗車率だから十数人程度か。地元の人が多いとは思う。時間柄か、何か食べ始める人が多い。田舎汽車の景色に久々に触れる。

【今日の駅弁】サーモン寿司 ¥800 株式会社まるい弁当

 苫小牧の街、駅の様子を見ていると、駅弁が残っているのが奇跡に思えるが、何気に生き残っている。苫小牧だけでなく新千歳空港で営業できるから、なのだろう。
 先程の漁港では北寄貝が名物で、北寄貝の駅弁もあるのだけど、そこまで空腹ではないので、軽そうなサーモン寿司にしてみる。

 時代掛かったパッケージが歴史を物語るようだ。

 中身はスモークサーモンの押し寿司。若い頃なら物足りなく思っただろうが、今ならこれで十分満足できる。昨日の巻きずしもこのぐらいの量ならちょうど良かった。
 駅弁を頂く間に列車は動き出す。鈍重なキハ40の加速を楽しみ、小さく開けた窓から入り込む風を楽しむ。

 窓の向こうに一足早い夏の空。あとどれほどの間、この空気を味わえるのだろう。 

 車内の青いモケット。がら空きなのでつい足を投げ出したくなる。

 列車は太平洋の雰囲気だけがかすかに匂う中、つかず離れず、淡々と走ってゆく。
 忘れられたような駅に着く。

 駅にも人の営みにまつわる気配は感じない。ドアの開け閉めの音がだけが聞こえて、非力なエンジンが唸りだす。ゆっくりとゆっくりと列車が動き出す。
 遠く遠く、様似まで続いていた本線を名乗る線路も2022年の現代はわずか5駅、鵡川で潰える。この先の線路、災害の影響で長い事、運休が続いた果てに廃線となっている。

 かつては富川線との分岐点であり、富川線亡きあとも日高本線の拠点であった鵡川の駅。延々続いていた線路はなくなり、一日に数本、苫小牧からの列車が折り返すだけの駅になっている。
 地元の人が散ってゆく。駅に残る人もいて、鉄道に乗りに来たお客さんが一定数いた事を知る。

 立派そうな駅舎があるが、人の気配が無い。降りてゆくお客さんも駅舎には用事が無いのか、その脇を通って街へと散って行った。

 鵡川駅。過去にはこの先、バス路線との結節点であったようだ。しかし道南バスの時刻は消されており、僅かにあつまバスの路線が1日2本だけ。

 列車が苫小牧に戻るのは13:05。街から駅に来る人はおらず、列車に接続するバスもない。残した鉄路を生かす取り組み、鉄道側からも行政側からも、何の取り組みも垣間見えない北海道のローカル線。
 苫小牧からの30分少々。過去に戻るような、穏やかで豊かな時間を過ごせるよい時空だが、長い事は続かないだろうなぁとも思う。

 勝手に判断するのは申し訳ないけど、命運尽きたなと思う30分だった。
 折り返し列車の時間になる。

 帰りの列車は折り返しのお客さんだけを乗せて鵜川を出る。来た道と同じ景色を見るのも難なので、帰りは山側の景色を見る。この辺の日高本線は良く言えば穏やか。口悪く言うと見どころが無い。

 札幌からの距離は手頃。手練れがいれば何か仕掛けらせそうだけど、残念ながら観光路線になる気配も感じられない。

 鉄道ファンには豊かな時間だけどな。吹き込む風も、鈍重な走りも。
 立派な線路が近寄ってきて千歳線と並走し、ようやく街の気配になると苫小牧着。

 往復70分。苫小牧に戻る。時刻は13:30を過ぎている。そろそろ札幌に戻る。幸い、今度の接続はそこそこ良い。駅構内で過ごす。
 列車を待つ間に 

 貨物列車がやって来る。3059列車、DF200-10号機牽引。

 今度は特急列車。特急北斗9号は261系の6両編成。
 ここまで迎えると隣のホームへ。手元の切符は普通列車と快速列車しか乗れないので、乗るのは札幌までの普通列車

 721系の3両編成が出発を待っている。階段に近い車両は、席がそこそこ埋まっていたが、最後尾は空いている。

 3つドア、デッキ付き、転換クロスという独特な空間に納まる。座席のクッションはだいぶへたっている。登場から30数年。仕方ない所ではある。窓もだいぶ汚れていて、試しにホーム側から拭いてみたが、全く効果が無い。席に戻る。
 普通列車のへたった座席に座り、京王線恥辱を進める。この列車、札幌まで乗り通すと札幌到着は15:30過ぎ。快速エアポートの方が圧倒的に早く、曇り空の南千歳で乗り換える。辛うじて座れた快速は同じく721系。今度はWifiが使える。札幌に着くと15時。30分早く着いた。

 8時間ぶりぐらいに札幌に戻る。手元の切符を使うのはここまで。改札を出ると大丸の地下。六花亭で自宅用と会社用を少々買い回り。
 時間は少々余っているが下調べがついているバスターミナルへ赴く。

 市内路線と一緒に高速バスも乗り入れする札幌駅前のバスターミナル。今日はこの後、留萌までバスで行く。ずっと汽車で来て、なぜバスに乗るかはおいおい。

 バス乗り場には出発を待つ人がちらほら。係員が老婆を案内している。「静内行きのバスは次の次に来ますからね。」静内は日高本線鵡川の先にあった街である。17:10に出るらしいから、まだ1時間半も待ち時間がある。「2台来ますけど、後ろのバスに乗って下さいね。今日は50人お客さんがいるんで、1台だと足りないんですよ」
 この50人。昔だったら日高本線の急行に乗って静内に向かった筈だ。
 自分の乗るバスはまだ来ない。

 沿岸バスがやって来る。これは到着便。折り返しになるかと思ったら、そのまま回送で引き上げてゆく。

 道南バスがやって来る。これは16:00の洞爺湖温泉ゆき。
 16時を少々過ぎたのち、

 16:10出発、留萌駅前ゆきの特急ましけ号がやって来る。先程到着したバスは高速はぼろ号だが、こちらは「特急」で「ましけ」。そして留萌駅前ゆき。高速道路を通らず、浜益、雄冬、増毛と下道だけで留萌まで行くバスになる。
 並んでいた人、十数人少々が乗り込む。予め乗車券は買っているが、座席指定ではない。運転士に降りるバス停を申告して乗り込む。留萌市街、駅前まで行かない方がホテルは近い筈だが、良く分からないので駅前と申告する。
 今回の日程決めではこのバスが一つカギになっている。一日1往復、朝、留萌を出て来て札幌へ。夕方、札幌を出て留萌へ。浜益、雄冬、増毛の人を札幌へと連れだす事が役割のバス。なのだが、コロナ禍で利用者が激減したとの事で、今年の4月以降、週三回、月水金の運転となっている。最初は土曜日夕方のバスか、日曜日朝の留萌発、と思っていたのだが、金曜日夕方のバスにのるしかない。金曜日16:10札幌を軸に前後、興味のある所を繋いでいったら、今回の旅程が出来た、と言う感じではある。
 そしてわざわざ留萌まで時間のかかる遠回りルートにしたのも理由。雄冬から増毛という道自体に興味があった。自分が小学生の頃に見た時刻表、索引地図に「雄冬」と言う地名は出ていて、増毛から赤い線が円弧を描いて通っているだけだった。増毛から船でないと行けない場所だったのである。陸伝いなのに船でしか行けない。そんなところはそんなに無かった。しかも「冬」なんていかにも寒そうな名の付く土地。だから強烈な印象を持っている。今はバスが通るぐらいだから、船なんて通っていないが、どれだけ厳しい所なのか、一度見てみたい。
 バスは曇り空の重たい札幌駅前を離れて市街地を北に行く。途中、乗車する人もいるので座席に荷物は置かないで、と案内があるが、2人掛けで空いている所もちらほらあり、つまり、空いている。あまりに乗らないと路線自体が無くなってしまいそうで、好ましくはないが、今日の所はありがたい。
 車両にはWifiも電源も無いので、京王線恥辱の続きは諦めて窓外を眺める。札幌の市街を外れると

 30分少々で田園地帯に差し掛かる。既に国道231号線浜益、雄冬と日本海岸へと続く道を走っている。札沼線のさらに海側に相当するようだが、時折人家があるものの、寂しい所に差し掛かっている。ここまで停車するバス停は無く、下道の流れに乗って淡々と走ってゆく。

 海と見間違えそうな大きな水のありかは石狩川。もうちょっと下流まで行くと河口なのだが、この辺でも石狩川は曲がりくねっていて、海は近い筈なのに、石狩湾まで見通せない。
 札幌駅を出て1時間が過ぎる。左手の車窓に海がちらほら見えるようになる。

 畑地の向こうに暗い石狩湾が垣間見える。向かう先は黒い雲が被っているのが見え、まるでこの世の果てにでも連れてゆかれる気分。
 札幌駅を出て1時間。厚田支所前から停車が始まる。今は大合併して石狩市という曖昧な名前になっている厚田、浜益のエリアは降車乗車どちらも出来る。厚田からは乗車があった。どこまで行く人だろう。
 次は「ごきびる」と案内がある。漢字で書くと濃昼だそうだ。これは読めない。

 国道から海が見えたり消えたりを繰り返して北へ進む。漁村と言う体裁の濃昼では乗降無し。乗降が無いと、バスは速度を緩めることなく飛ばす。
 ずっと海沿いを走っていたバスが山の中へと入り込んでゆく。

 ずいぶんと高い所まで来て、谷を越えると今度は海側へと下る。淡々と海沿いを走る、と言う訳に行かない複雑な地形の中を行く。
 旧厚田村から旧浜益村のエリアに入った辺りから、札幌乗車のお客さんが降り出す。

 行く手に岬が見えて来る。その向こうは黒い雲。長いトンネルに入り、ずっとトンネル。一瞬抜けたところが、旧浜益村最後の集落、千代志別だった。乗降無し。次は雄冬と案内。またトンネル。長い長いトンネルでしかもトンネルの中がカーブしていて真っすぐではない。
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 丁度走る道、開通までに苦労したところ。ふと昔の事故を思い出す。積丹半島だっけ、トンネルの崩落にバスが巻き込まれたのは。
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 一番厳しい所をトンネルで抜けたようだが、トンネルを抜けるとさらに暗い海が見える。

 ここが雄冬だった。到着の案内があって、大別苅までのバスは乗り換え、と案内。一瞬、海岸沿いに路線バスが停まっているのが見える。路線バスの運転士がこちらのバスに向かって手を上げるのが見える。
 雄冬のためのバス何だろうけど、雄冬下車の人はいなかった。これより増毛町内に入りますと案内があって、増毛町内の降車バス停が告げられる。

 相変わらず海と空は暗く。岬が突き出ている所を長いトンネルでショートカットするコースを進む。雄冬と増毛の間はこの道路が出来るまで、船で行き来するしかなかったはずだが、道路が通年通れるようになり、航路が無くなったのは1994年の事らしい。ずいぶんと長い事、陸の孤島だったのだ。
 再び長いトンネル。一瞬明るくなってもまたトンネルと言う調子。雄冬を挟んだ国道231号線。建設費があまりに高額でダイヤモンド道路、と言うそうだ。襟裳岬へ通じる道は黄金道路と言うか、その上か。
 トンネル区間を抜けると辺りが開ける。増毛市街に差し掛かる。ずっと海のすぐそばまで暑寒別岳が迫る景色を眺めた身には広い平野が広がる栄えた所に見える。もちろん過疎の街であり、鉄道もなくなる街なのだけど。
 旧増毛駅、というバス停がある。

 駅が綺麗に整えられ残されている。増毛までの留萌本線、1994年の10月に乗った。ちょうど雄冬までの道路が開通した頃。増毛では折り返しに少々時間があり、駅の様子は記憶と一致している。駅の後ろに灯台が見えるのも記憶にある。でも雄冬までバスが通るようになった、とかそう言う事は一切知らなかった。まだインターネットが一般に普及する前の事である。大学でインターネットに触れたのは翌年、1995年の事。
 増毛市街で大多数のお客さんが降りて行った。留萌まで乗り通すのは数人の様子。

 暗かった空の向こうに明かりがさすようになる。28年前に通った線路の脇をバスは淡々と走ってゆく。増毛市街から見ても栄えているように見える、でも寂しい留萌の街へと入ってゆく。留萌十字街、なんて時刻表のバス路線欄でしか見た事が無かったバス停を通る。市街地の手前にある交差点であった。 
 わずかに残った客も留萌市街地の便利な所で降りてゆく。終点の駅前は市街地の外れ。駅前には入らず、駅からちょっと離れたところがバス停であった。


 バスはすぐに回送となる。誰もいない留萌駅前の通りに一人残された。
 時刻は19時前。6月の北海道なのでまだ外は明るい。市街地に戻るようにキャリーバックを引っ張り、予約していたホテルに投宿する。

 宛がわれた部屋は2階。海は見えないが西向きなので夕陽が見える。雄冬の暗い空が嘘みたいに夕焼けが広がっている。
 部屋に引きこもっていても仕方なく、軽く飲みに行く。

 午後7時過ぎの留萌市街。飲み屋の明かりは見えるけど、人は歩いておらず、寂しい限り。5月の香椎で散々使った「寂しい所ね」なんて言葉が良く似合う。
 ホテルで貰えた割引券が使えるところから、海鮮が食べられそうな所へ。ひとまず

 ビールは大ジョッキで。3時間ほどのバス旅。あまりに厳しい景色に息をのみ込みすぎ、喉が渇いた。
 海鮮、なんだけど

 かすべのぬた。ホヤ酢。ホッケの切子。海鮮で思い浮かべるものでは無いかも知れない。
 大ジョッキが早々に無くなってしまい、このおつまみ好適品だけが残される。あまりに不憫で

 増毛で醸す国稀をお願いする。明らかに酔いが廻るコースでお冷も一緒にもらっておく。

 更に海鮮感はあるツブ刺しと、メニューに「かんかい」というのがあったので気になり注文。

 北海道では一般的に氷下魚と呼ぶ魚。なぜか留萌では「かんかい」と言うそうだ。
 こんな調子で飲んでいると早々に潰れるので切り上げる。続きはセイコーマートで買い出しして部屋で。そして案の定、潰れる。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず 
 万歩計は20,348

2022-06-16

 目覚ましが鳴る。何時もの時間。起きだして身支度。今日は弁当の準備が無い代わりに普段と違う身支度をする。
 支度の間にプッシュ通知。JR西から遅延の案内。京都以西の信号トラブル、継続中だそうだ。
 思ったよりも少し遅い目のタイミングで家を出る。雨は降っていないが、音羽山には雲が掛かる。姿を見せない。
 膳所の駅まで歩いて上りホーム端。

 2065列車がやって来る。EF210-109号機牽引。

 米原からの始発電車、705Mは221系B14編成。

 69列車はEF210-314号機牽引。
 京都以西はダイヤが乱れているそうだが、京都始発の上り列車は定刻にやって来る。曇り空の下、東に向かい、バスに乗り継ぐ。会社に7時。仕事に取り掛かる。
 先日、夏の賞与の査定をやったばかりだが、今度は冬の賞与に向けた、目標設定なんてものがある。課員と面接やら何やら。午後は半休を貰うつもりだったのだが、会議が一つ入る。幸い午後一番だったので予定を変えずに対応できる。会議が終わると14時半。3時間休暇なるものを貰い、お暇する。
 会社まで来るバスが無い時間なので、バスが来る所まで歩く。基本、やる事は先日、医者に行った時と一緒なのだが、時間が違うので、向かうバス停が変わる。
 バスで普段とは違う最寄駅へ。駅前に着くと1本前の普通列車が出てゆく所だった。1本前に間に合えば、後々余裕なのだが、仕方ない。10分少々で後続の新快速に乗れる。
 その筈が、思った時間の新快速が無い。出発案内には30分後の普通列車が表示されている。ダイヤ乱れの影響かと一瞬思ったが、
ダイヤ改正野洲始発になりました」
 だそうだ。新快速間引きの時間帯にすっぽり、嵌まってしまった。
 すっかり意気消沈する。今日はこの後、家に寄って荷物を取り、伊丹空港に向かう。フライトは19時。今の時刻は15時半だから余裕そうだが、案外と時間が無い。
 タクシー飛ばして野洲始発の新快速に乗ろうかと一瞬思ったが、絶対に無理。どうしたものか。

 貨物列車が通過する。4076列車。EF510-11号機牽引。本来ならこのすぐ前を新快速が走っていた。この列車に乗れれば、16時過ぎには石山だが、そんなことをしたら、ダイヤ乱れで飛行機には間に合わなくなる。
  意気消沈していても仕方ないので、膳所から空港への最終接続を調べておく。そして膳所までの乗り継ぎを調べておく。京阪を使っても10分で駅と家の往復か、と思い、次に石山からタクシー利用を思い立つ。最後に膳所からタクシーで往復すればいいじゃん、と気が付く。タクシーの使いどころを変えて、道が開けた。
 30分近く待って普通列車膳所に向かう。駅前にタクシーがいないと大変だとは思ったが、幸い空車が待っていた。近くの目印を告げて、行って戻る旨を伝える。これで近所で事件があったら、タクシーの運転士から「こんな不審者を乗せましたよ」なんて言われそうな所。
 家に着く。荷物を取って戻る旨を伝え、カバンの代わりに、ここまでの運賃として千円札一枚置いて行く。それならば乗り逃げとも思われまい。
 スーツケースを持ち、カバンにも荷物を入れて、タクシーに戻る。ここまで膳所の駅を降りて10分。あと5分で駅に戻れたら、完全に取り戻せるのだが、まぁ無理だった。タクシーが膳所駅にのロータリーに着くのと同時に下り普通列車がホームに入る。でも、30分遅れを15分遅れまで戻した。敢闘賞。
 次の列車まで15分待ち。先程の30分待ちと言い、急いでいるのに、待ち時間がやたらと多い。

 ようやくやって来た普通列車に乗る。幸い定刻。15分弱で京都まで着くと17:06になっている。本当は17:10に京都駅八条口を出るリムジンバスに乗る予定だったのだが、ちょっと難しい。その後は17:30。19時出発のフライトにはギリギリになって来る。
 一旦改札を出て、再度入場。東海道線で新大阪に向かう。


 この時間、東海道山陽緩行線は高槻以東で運転見合わせ。本来なら運用に就いている筈の321系も暇をもてあそんでいる。
 後から来た新快速に乗車。途中、先程乗った普通列車を追い越し、新大阪まで。今日は

 新大阪からリムジンバスに乗る。バス乗り場に着くとちょうど伊丹空港からのバスが到着したところ。若干道路状況が気になるが、若干の余裕は出来ている。乗ってしまえ。
 道は少々混んでいた、が35分で伊丹空港は北ターミナルまで着いたから及第点。そんな訳で18:20空港到着。会社を出てから4時間弱。遠かった。

 この時間、出発便はわずかになっている。ターミナルも空いていた。スーツケースを預けて、保安検査を受けると出発30分前。ようやくラウンジビールになる。

 ビールは有難いし、空腹だから軽食も嬉しいが、これが夕食になるようだとちょっと悲しい。
 10分程滞在。但馬からのJAC、ATR42-600の到着が見える。18:35着の筈だから、これから乗る19時の便に乗り継げるのか。ふと思う。
 出発20分まえを目安に席を立つ。搭乗口は18番との事。羽田線専用だと思っていたが、そうでもないのか。

 目の前には割と小さな搭乗機。JA346J、B737-800が待っている。

JL2019 JA346J B737-800 ITM→CTS


 そんな訳で今日から北海道に行く。平日夜に出るのでまるで出張だが、今回はプライべート。明日から3日間、休みになるのである。毎年、この時期に3連休があって、コロナ前は割と海外に行っていた所。まだ海外に行くのは憚られ、今回は梅雨のない北海道に行く。
 18:45、搭乗開始との事。事前改札が始まった頃にロビー内に案内放送。「クラスJに1席だけですが、空席があります」どうせ3人掛けの真ん中だろ。今日は普通席だが窓側を抑えている。「クラスJは片道2,000円でございます」「ただいま、窓側の席、、、」ここまで聞いてアップグレードに決める。なぜか、この放送が流れた時、空席待ちカウンタの近くにいた。
 そんな訳で、キャンセル待ちを入れた訳でないのに、棚ぼた式にクラスJを取れた。機内へ。先程貰ったばかりの座席に落ち着く。
 クラスJは残り1席、と言っているぐらいだし、普通席も出発案内では△となっていたぐらいだから混んでいる。3列席のクラスJがしっかり埋まって19:00、Doorclose。新千歳までの飛行時間、1時間20分と告げられる。案外と早く、追い風なのかなと思う。
 19:03、Pushbuck。

トーイングカーが離れてゆき、地上係員も離れて後は動くだけ、という所で少々間がある。管制から指示があったかな、と想像。19:09、Taixing。

 飛行機はRWy32Rへの着陸機をやり過ごしたのち、

 RWy32L手前でも着陸機をやり過ごす。この時間の伊丹は着陸側が圧倒的優勢。合間を縫って滑走路へ。19:23、Takeoff RWy32L。今から飛ぶと1時間20分でもほぼ定刻の着陸だ。

 西空が赤く染まるのを背に東に機首を振る。すると

 霞む大阪が見える。さらに上昇してゆくと雲が支配する世界が広がる。眼下の近畿地方は梅雨の季節。滋賀南部、信楽のあたりを通って東に向かっているようだが、

 雲ばかりが見える中を飛ぶ。関ヶ原を越えた後、19:47、ベルト着用サイン消灯。揺れた訳では無いけど、意外と引っ張った。
 クラスJだが、隣がいる中ではパソコン作業は憚られ、京王線恥辱はやめておく。機内、照明が戻ったので窓外も見づらくなる。飛行機はアルプスを越えて日本海側へと向かいつつある。

 機内サービス。そんな飲んだ訳では無いが、コンソメスープにしておく。揺れている訳ではないが、蓋を付けてくれる。
 19:55、機長さんから飛行状況の案内。現在、飛行高度11,300m上空を対地速度865㎞/hにて飛行中。間もなく佐渡ヶ島上空に差し掛かるとの事。新千歳空港には20:45の着陸を見込んでいるそうだ。新千歳の天候は曇り、気温は15℃との事。降下中、気流の変化により軽い揺れを予想しているそうだ。
 飛行機は日本海岸を北上する。20:19、降下を開始しあと15分でベルト着用サインを点灯する旨の案内がある。飛行機の位置情報によると男鹿半島から八郎潟を渡っているのだが、街明かり一つ見えないまま北に進む。東北も梅雨の季節に入っている。
 20:32、ベルト着用サイン点灯。飛行機は下北半島から太平洋へと進んでいる。現在地を見ると苫小牧より東にだいぶ振れている。どうやら北側からのアプローチらしい。街明かりが時折見えるようになった。由仁の辺りで左に旋回。右手にまとまった街明かりを見つつ、さらに左へ旋回する。新千歳への最終コースだ。右手に千歳の街を見つつ降下。すると、エンジン音が変調する。明らかにゴーアラウンド。時刻は20:46。

 新千歳空港のターミナルが眼下に見えている。何か変?と言う感じの雰囲気に機内が満ちるが騒ぐ人はいない。20:50になって新千歳空港天候不良により着陸をやり直す旨の案内が流れる。
 飛行機は先程廻ったのとまったく同じルートで北に向かう。再び千歳への着陸コース。

 確かに千歳の街、雲の合間にちらほらという感じである。この時間に千歳に着陸できない場合は、何処に向かうだろう。伊丹は閉じる時間だし、羽田かぁ、なんて事を考えると今度は明らかに高度を下げている。20:58、Landing、RWy19L。霧の影響で遅れた旨、お詫びが伝えらえた。21:04、Spot in SP11。

 降機する。11番搭乗口の近くには出発を待つお客さんの姿がちらほらある。どうやらJA346J、この後、羽田行きのJL530に充当される様子。到着機遅延で530便のお客さんはやきもきしているに違いない。
 荷物を受け取り、制限エリアの外へ。

 この時点で21:16。JRの窓口で今日明日使う乗車券の引換をする。今回はダイナミックパーケージで組んでおり、そのオプションで札幌近郊のフリーきっぷを付けている。
 思ったよりも順調に行って、21:20という快速列車にギリギリ間に合う。しかも721系のクロスシートに座れた。
 軽く京王線恥辱をまとめつつ千歳線を札幌まで行くと22時到着。ずいぶんと遅くなった。

 折り返し千歳行き普通列車という電車を降りて、地下鉄に乗り換える。

 だいぶ遅くなったが、抑えたホテルには22時半近い到着。普段ならもう間もなく寝る時間のだが、軽く腹は減っているし、多少は飲みたい。
 ホテルから少々、まだまだ賑やかなすすき野に出て

 ひとまずサッポロクラシック。喉が渇いて一気に飲み干しそうになるが、瓶ビールなのでちびちびと。


 なまこ、ホヤの塩辛を頂く。今年の初ホヤかぁと思いつつ口に運ぶ。これだけでは寂しいのでメニューの中から、一人でないと選ばないようなものを。

 鰊の巻き寿司、だそうだ。良いんだけどちょっと多すぎた。2個ぐらいでちょうど良いんだけどなぁ。
 こういう時の匙加減は難しい。もう少し少なくて良かったと思いつつ部屋に戻る。
 明日は早くは無いけど、遅くもない。荷解きは最小限。軽くシャワーだけ済ませて速めに寝ておく。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず 
 万歩計は20,348

2022-06-15

 目覚ましの音が鳴る。眠っていたいが起きだす。外は薄暗い様子。 ひとまず身支度。窓を開けると弱い雨。長い傘を持って出るが、出てみるとさほどではない。傘は持つだけ持って出掛ける。
 膳所の駅まで出て東海道線、上りホーム端。弱い雨がぽつんと落ちる中、やって来たのは

 2065列車。EF210-139号機牽引。次に

 米原の始発電車、705Mは221系B2編成。

 69列車がやって来る。EF210-323号機牽引。
 上り普通列車がやって来る。弱い雨の中を東に。バスに乗り継ぎ会社に7時過ぎ。仕事に取り掛かる。ちょっと立て込んでいて、資料をまとめたり、資料をまとめたり、会議の途中で内職して資料をまとめたり。何だかんだとぐったりする。
 少し仕事をしていこうかとも思ったが、家電量販店から連絡、炊飯器が届いたそうだ。いろんなことを秤にかけて定時過ぎに帰宅する。
 水曜日は帰宅が早いのか、今日は道が混んでいる。思ったよりも遅くなる。駅に出ると

 上り電車に遅れが目立つ。昨日に引き続きだが
trafficinfo.westjr.co.jp
JR京都線】 信号トラブル 列車の遅れ<第一報 15時35分>18時00分更新
JR京都線島本駅高槻駅間で発生した信号トラブルのため、JR京都線琵琶湖線の列車に遅れや運転取り止めがでています。
このため、振替輸送を実施しています。
なお、大阪から京都方面の列車については、最終列車まで以下の通り運転します。

【尼崎・大阪方面から京都・草津方面をご利用のお客様へ】
・普通:高槻駅で折返し運転
・快速:運転する線路を変更して運転するため、島本駅山崎駅長岡京駅向日町駅の各駅には停車しません

影響線区
琵琶湖線  米原 から 京都 まで 遅延
JR京都線 京都 から 高槻 まで 遅延

 何があったのか不明確だが、上り内側線が使えないらしい。
 
 ひとまず下りは動いている。新快速には間に合わなかったので、普通列車で。家電量販店に寄るのに、石山から歩くか、瀬田から歩くか、若干迷ったが、瀬田にした。

 キハ85がやってきて特別急行ひだが外側の列車線を通過する。
 ここから歩いて琵琶湖岸。日曜日の訪れた家電量販店に寄り、取り寄せて貰った炊飯器を受け取る。帰宅は石山まで歩いてから

 京阪電車。ここで雨が降って来た。
 帰宅すると20時過ぎ。普段と同じ時間帯。妻より若干早いので、炊事と洗濯を手掛けておく。明日に備えて少々の準備も。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は18,603

2022-06-14

目覚ましの音で起きだす。外は昨日よりも暗い。間もなく雨も降りだす。身支度少々。少し遅れて家を出る。傘は長い傘を持つことにした。
 膳所の駅まで歩く。東海道線の上りホーム端に立つ。気持ち遅れて接近表示。

 2065列車がやって来る。EF210-104号機牽引。

 米原の始発電車、705Mは221系B3編成。

 69列車がやって来る。EF210-107号機牽引。
 上り列車が来て、雨の中を東に。バスに乗り換えると少々の渋滞。少し遅れて会社着。仕事に取り掛かる。会議の合間に資料の確認やら何やら。昼間雨がやんでいたが、夕方にはまた雨。帰りもバスが遅れる。新快速にギリギリ間に合うぐらいの時間に到着。
 石山まで戻る。この時間、上り列車が遅れている。
trafficinfo.westjr.co.jp
【JR東西線】 お客様と接触 列車の遅れ<第一報 15時01分>19時20分更新
JR東西線:加島駅で列車がお客様と接触したため、琵琶湖線(京都から米原方面)の列車に遅れや運転取り止めがでています。
影響線区
琵琶湖線 京都 から 米原 まで 遅延

 JR東西線で起きた人身事故の影響が東海道線の京都以東にのみ残っている、という良く分からない状況で

 上り貨物列車が巻き添えを喰らっていた。
 下りは定刻に走っていて 

 8057列車が駆けてゆく。EF210-12号機牽引。
 この時間、雨が降り続いている。膳所まで一駅、電車で移動。妻と合流してから帰宅する。帰り道、少々冷え込んでいて寒い。
 夕食は妻が準備してくれる。自分は片付け担当。空いた時間で京王線恥辱を定時運行。ニュースでは近畿地方入梅を告げている。それっぽい天気。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は17,519

2022-06-13

 目覚ましの音で起きだす。部屋は意外と冷えている。夜はそこそこ冷え込んだらしい。身支度少々。少し緩んで遅くなる。出勤。
 膳所の駅まで歩く。

 京阪電車を見てから東海道線の駅構内。月曜朝は貨物列車が運休しており

 米原からの始発電車、705Mがやって来るのみ。221系B12編成。
 上り電車がやって来る。そこそこ混んでいて補助席に座り東に。バスに乗り換え会社に7時前。仕事に取り掛かる。昨日検討した内容の肉付けやら何やら。午後は会議メインで夕方まで。帰宅する。
 曇り空の下、バスで駅に出ると薄暗くなる。新快速で石山に戻る頃にはほぼ暗くなった。

 辛うじて明かりが残る中、8057列車がやって来る。EF210-11号機牽引。
 石山から歩いて帰宅。20時過ぎに自宅到着。既に妻は家にいて、夕食の準備も済んでいる。自分は片付け担当。浮いた時間で京王線恥辱は定時進行。
podaka.hatenablog.com
 15年前の記事も少々いじくる。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は21,510

2022-06-12

 一度目覚めてもう一度目覚めると7時を過ぎている。外は晴れ。青空が広がっている。
 朝食と洗濯。仕事の持ち出しもあるけど、午前中のうちに少し動こうかと思い、歩く。今日は妻と一緒に。 

 空は青く高く、でもそこまで暑くなく。関西の梅雨入りが遅れて、そのせいか、普段みないような天気になっている。
 橋を渡って対岸へ。今日は家電量販店に。結婚の時のそろえた家電が、そろそろ買い替えの時期になっていて、今日は炊飯器を見てゆく。
 展示品はあるけど在庫はあまりなく、品物を選ぶと取り寄せに。まぁ世の中全般、部品も無ければ、物流もおかしくなっているので、仕方ない。
 時刻はお昼を過ぎている。昼食の前にちょっとだけ時間を貰って

 5087列車だけみておく。EF65-2091号機牽引。
 妻と合流して昼食は結局、ラーメン屋さん。時間は外れているけど、そこそこ混んでいた。ちょっと待たされた後、


 ラーメン。炒飯は二人で分ける。
 帰宅すると15時前。仕事を持って帰っているので残り時間は少々頑張る。資料を一つ作り、もう一つ、設計検討をして夕方まで。明日からの弁当の支度少々。夕食から少々飲み。今日は意識がしっかりしているうちに切り上げ。

【サイトアップ アクセスカウンタ】

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は17,084